小話
◆親父の話
ウチの親父は、とりあえずまだ信徒である。しかも90年年初の信徒極限修行で成就認定された折り紙付きだ(2人の内の一人、他方は脱会)。ハッタカ尊者というホーリーネームまであるのだ。家では信徒ではない母親も兄貴も、ホーリーネームで親父を呼んでいる。「ハッちゃん、ハッちゃん」って…。
1年前に実家に帰った時、親父が○○建設の株を持っているのを知った。なんでもその動機が、「防災の○○建設だから、大地震が来たら暴騰する」って。。。おいおい、そりゃまるで地震を待ち望むカルト信者じゃって…(余り人のことは言えんが)。
しばらく忘れていたが、先週のNY株価暴落でどうなったか、株価チェック。すると右肩下がりに下がる一方。しかも確か新潟県中越沖地震があったよなぁ、その時あがったのかと思ったが、それもダメ。親父の期待丸ハズレじゃん、と思って家に電話してみた。
みなさんご存じの通り、私は株などの先物で儲けるのは評価しない。「俺の相続分も減るからやめろ」と言ったが、ガンと拒否して受け付けない。
幼少の頃を思い出せば、親父はずっと株に没頭していた。
親父は毎日毎日、株価のグラフを書いていたのだ。今になって思えば、単なるバクチにしか見えない。だが当時は、子供心に「大人の仕事とはこういうものか」と思っていたものだ。
親父のせいで私の株経験は早い。8〜10歳の頃、「ラサ工(東証一部4022)の株は上がるで、成人(私の名前)の名前で買うか?」という話で始まった。当時110円前後をうろついていた、ラサ工は将来性があるという話を吹き込まれた。ラサ島という島を持っていて、そこでウランが取れるだの何だの。
結局ラサ工を千株買ったのだ。今は電子化の流れでお目にかかることのない株券の裏に、知らない人の名前に連ねて自分の名前を書いた。何か社会の一員になったような気がしたものだ。
「200円になるまで売らないでおこうな」
そう親父に言われるまま、私も株を「寝かせて」置こうと決めていた。しかし2週間するかしないかの内に、親父は私の株を売ってしまったのだ。
「昼間に144円まで上がったから、『売ったー!』って注文入れてしもうた」
「あれー、お父ちゃん200円まで売れへんって言うとったのになぁー」
少々不満だったが、その後しばらく株のことなど忘れていた。2年ほど経ってラサ工の株価は700円になっていることを知った。子供心に思った。
「お父ちゃんアホやなぁー」
(つづく)
コメント
食物生産者を尊敬
ハッちゃん・はっちゃん
わたしはお会いしたことがありませんが、支部で一緒だった人から、人気者で楽しい方だったと聞いたことがあります。
>だが当時は、子供心に「大人の仕事とはこういうものか」と思っていたものだ。
ははは。子供ってそうなんですよね。そうやって物事を素直にとらえて親に刷り込まれていくのかも?
ひたあびぶってい
京都風、瓜の煮物みたいなのつくってくれて、おいしかったです。
ところで釈尊宗教は生まれ育った基盤が農業種族であったというのが現在の主流の分析です。
と同時に後援者の多くは国王および商人であったというのも現在の主流の分析です。
私見によってこれは何を意味しているかと考えれば、農業を否定もしなければ、商業を全面的に肯定もしない、そして絶対的権力者のように一神教的神のようなものを肯定もしないという、非常に中庸の取れた教えを展開したが故であろうと思量されます。
よって食問題を適切に扱う場合には、少なくとも釈尊が行った「耕作者ヴァーラドヴァージャの経」にあるが如く、
農業従事が殺生になるなど否定的明言を避け、肯定されるべき面を見つめるべきであろうと思われます。
まぁ難しいかもね。殺生を一切成さない食物農産物の生産は不可能であるだろうし、食物を口にせずに生命は維持され得ないことの調和が保たれた感覚がみなの共通概念にならないと食物生産者に心から感謝することになる趨勢が生まれるかどうか難しいでしょう。