過激2
前回の「過激な理由」で、ちょっと誤解されてらっしゃる方もいるようなので補足。
アレフの内輪話を書いたので、私がまだアレフに過激に脱会を勧める呼び掛けをやっているというか、アレフを遺憾に思うとか、そんな気持ちを抱いている−−という風に勘違いされた可能性があります。
現役アレフ信者に対するスタンスは、「ああ、この人達一般社会で生きていけないからしょうがないね」「一般社会で拝金主義奴隷してもしょうがないしね」「それすらできない生活保護じゃあね」。詳しくは、団体存続意義シリーズを参照願います(1,2,3,4,5,6,7)
十年以上にわたり指導的立場にあった小生としても、その責任は痛感しております。よってそれなりの支援を試行錯誤で続けてきました。一応団体追われてから3年ですし、自分が責任を負わなくても「もうええやろ」と思ってます。
尤も、団体を出ても、それなりにしっかりやって行けそうな人もいます。それもある程度人の為に役立ちそうな人が数人。ララナーさんをここで取り上げたのは、彼がその内の一人だと思ったからです。決して攻撃する意図ではなく、激励です。
いずれにしても、本人が自分の責任で判断して行動しない限りは、意味がありません。下手に手出しをすることは、本人を更にスポイルするという経験もありましたし。
さて、前回「過激な理由」で触れた、致命的欠陥の話です。
過激に社会の問題を指摘し続けると、こちらも問題と鏡写しの状態になります。これは何かと申しますと、ある対象を「お前は悪だ、それは悪だ」と指摘するならば、自動的に自分自身の正当性の主張をしていることになります。しかしこの善悪の定義が正しいのか、という問題が残ります。
「資本主義社会が悪だ」と主張し、自らを正義とする。これは私だけでは無く、東海アマも、前リンク頂いた News US も、そしてオウム真理教もそうだったわけです。
しかし社会から見ると「色々良くないこともあるけど、これしかないから社会は正しいって言うしかないでしょ。悪の権化のお前が言うな、オウム」という話になります。すると正義を主張する者同士の争いになります。オウムVS社会みたいな感じで。
この「社会はおかしい、狂っている」と主張し続けると、どうなるでしょうか?
「社会は悪だ、間違いなく滅びる」
これがその内
「悪は、滅びろ!」
という意味合いを帯びてきます。終末予言などすると、自らの正当性を維持する為に、
「予言通りに滅びてもらわないと困る」
ということになります。「何かが起きてもらわないと困る」というのはオウムでもありました。ここで止めれば良いんですが、止めなければ、
「悪は滅びろ」
となり
「悪を滅ぼすぞ!」
となって自作自演ハルマゲドンをやったオウムの様になるわけです。
問題を分かりやすく他の例にしますと、図書館でおしゃべりしてうるさい人達がいたとします。
「うるさいじゃないか!図書館は静かにしないとダメなんだ!」(大声)
と大声で怒鳴るようなものです。悪の指摘が悪そのものになるわけです。このようにして、人を救うはずの宗教が人殺しをするに至ります。
問題は、何度か取り上げておりますが、ニーチェ『善悪の彼岸』に行き着きます。
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。」
70億人類の資本主義・拝金主義洗脳は、巨大な怪物です。その怪物を倒さんとして、麻原も怪物になってしまいました。「70トンサリン散布計画」で人類ポアです。それがオウム事件に至った要因です。
ではこの問題はどう対処すればいいのか、ということです(正解者には備蓄米5kgプレゼント、送料はご負担下さい)。
(忙しいので、ネタ小出し次回)
なんて言わずに、地道に修行することです。
Alephが一番嫌がることですな。
そんなことを言うと、彼らは「小乗だ」なんて言いまする。
ちなみに、送料は、
関東在住として、埼玉県から神奈川県に送るとして、
ゆうパックでは、¥700(窓口持ち込み¥650)
http://www.post.japanpost.jp/cgi-simulator/youpack_choice.php
宅急便では、80サイズで、¥950(コンビニ等持ち込み¥850)
http://www.kuronekoyamato.co.jp/takkyubin/takkyu.htmlらしいです。
でも、わたしは負担する気はないです。
ところで、
「自分の敵と同じようになってしまう」
ことは周りの人を見ていても結構あります。
相手に意識を集中させるためでしょうかね。
ということは、「意識しない」とか「無視するのが良い」と言うことでしょうか。