CDS
ほとんど話題にならないが、確実にボディーブロー以上のダメージを与えるイベント。
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ISDA、ギリシャのクレジットイベント認定の判断要請受ける
2012年 02月 28日 17:09 JST
[ロンドン 28日 ロイター] 国際スワップデリバティブ協会(ISDA)は、ギリシャの債務交換プログラムが始まったことを受け、ギリシャの債務が「クレジットイベント」に該当するかどうか決定するよう要請された。
クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)の買い手や売り手は、ISDAに対し、クレジットイベントが発生したかどうか決定する委員会の開催を求めることができる。
委員会は、要請を受けた翌営業日に会合開催を目指す。
委員会でクレジットイベントが発生したと認定されれば、ギリシャのCDSについて支払いが発生することになる。
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S&Pがギリシャ国債について、「選択的デフォルト」とみなしたが、これは一種のデフォルト・債務不履行。そうなると、このギリシャ国債デフォルトを見込んで取引されていたCDS(クレジットデフォルトスワップ)の保険金支払いが求められる可能性がある。
分かりやすい話にしましょう。要するに、お金を貸した側が借りた方が破綻してくれた方が儲かるから、「早く潰れろ」ということ。以前「ローン破綻」という記事で説明したものと同じです(「破綻2」も参照願います)。お金を借りた側が頑張って立ち直れるように支援するより、潰れてくれた方がお金が儲かるので、「潰れろ、潰れろ」と頑張る勢力がいる。このギリシャ問題でCDSを買っていたヘッジファンド達です。
ギリシャ救済の為に、欧米の金融機関は軒並み元本削減要求を呑むしかなかった。しかし一部のヘッジファンドは、CDSを買っていた為、その保険金が支払われるような破綻状態になるまで、元本削減要求に応じず頑張っていたわけです。
それはあたかも、ここに瀕死の重病人がいて、大量の輸血を必要としているとする。それでメルコジ医師(メルケルとサルコジを2で割った)は、
「皆さん、この瀕死の重病人の為に、大量の血液が必要です。皆さんの献血をお願いします。」
とやっていた。最初、欧米金融ちゃんは、500ccの献血に応じたが(元本50%削減)、ヘッジファンドちゃんは応じない。それでもまだ死にそうなので、しかたなくメルコジ医師は
「500ccでも足りませんから、あと200ccずつお願いします(元本70%削減)。」
欧米金融ちゃんは自らもフラフラになりながら献血に応じたが、ヘッジファンドちゃんは応じない。その言い分は
「だって生命保険かけてたんだから、死んでもらわないとつまんないんだもん!」
今回通常ならば生命保険が下りる条件になったようだが、保険会社(ここでいう国際スワップデリバティブ協会)がそれをキチンと認めるかどうか。それが冒頭の記事。
CDSの保険金を支払うのは、これまた欧米の金融機関。よってCDS支払事案となれば、700cc献血でフラフラになった金融機関が瀕死状態になるのでは、という懸念もある。一方で「それ程大きな影響がでない」とする見方もあるが、数兆円規模の打撃は間違いない。
「そんな保険金殺人まがいのヘッジファンドに金払う必要ないじゃないか」
と皆さん思われるかも知れない。しかしもしCDS支払事案に該当しそうなこのケースで支払われなければどうなるか?CDS市場そのものの存在価値が無くなってしまう。「保険金払ってくれないなら、二度とCDSなんて買わねえよ!」と。
すると、ギリシャ国債以外に次にやばそうなポルトガル・スペイン・イタリア国債などをCDSとセットで買っていた機関投資家が、投げ売りを始める可能性が出てくる。投げ売りがなくとも、今後CDSとセットで買う人はいなくなる。そうなると、第二、第三、第四のギリシャが。。
ヘッジファンドも金融市場の流動性確保という意味では、それなりの役割を果たしている。かみ砕いて言うと、彼らが金を出してくれているから、円滑な金回りが実現しているのである。彼らが金を出さなくなると、更に金回りが悪くなる(タダでさえ景気が悪いのに!)。
コメント
今晩予定の記事として回答させて頂きます。
削除された人は、オフラインなら歓迎しますが、それ以外のネット上やりとりは、お互いの誤解が解けない状態での水掛け論にしかならないので、ご遠慮頂けませんでしょうか。お互い時間の無駄。
野田さんとしては、ギリシャには完全にデフォルトしてもらって、自分に先見の明があったことを誇りたい、って気持ちもありますか?あと、これから何が起きるか「オラわくわくしてきたぞ」って感じはありますか?
デフォルトはともかくも、資本主義崩壊は極端すぎるのではないでしょうか?理由は崩壊すると困る人がたくさんいるからです。ポルポト時代のカンボジアのように、貨幣が無いとか、自給自足の生活をするなんて世界中のほとんどの人は望んでいないと思います。