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以前にも書いたが、久遠居士の一言が私の日蓮正宗への感情がひどくわるくなった。
白川新党時代、実は党本部で私は日蓮正宗の扱いでアタくれたのだ。
この事の影響は白川新党関係者へ多大な影響を与えたのだ。
実は私は大学卒業後、岸信介会長の自主憲法既成議員同盟の職員になった。
それから一年後に帰郷し富士宮市役所の農業委員会の臨時職員になった。
ここで農地台帳の電算化の仕事を与えられた。富士宮市内の農地全部を私は
電算化のために整理したのだ。
この時上野地区から大量に農地法違反を発見し、法務局に土地登記簿を市役所権限で
取得しようとしたところ台帳整理中を名目に土地登記簿が取得できないのだ。
それも政治的圧力で百条委員会絡みの違法取得土地登記簿だけが出てこない。
ありえない事態である。
つまり私は日蓮正宗創価学会時代の農地法違反を全て知っているわけだ。
日原はまだ飛ぶ鳥を落とす勢いだった。うちの母親は富士宮グランドホテルに用度係り
として勤務したことがあり富士宮グランドホテルによく来ていた山崎正友とも面識があった。
よく秘密会議と称して富士宮グランドホテルに山崎正友は訪れては会議をしており、
うちの母親は山崎正友と日原博の会話内容を漏れ聞いていたのだ。wwwwW
私は山崎正友に晩年、富士宮駅前のとある店で会ったことがある。私の母のこと
も覚えており、「あの○口さんの息子さんですか。お元気ですか?」と彼は言っていた。
私が彼の援護射撃で、聖教創価新報の、これが山友の直筆だ!との謀略記事を
インターネット上で、反撃するホームページを上げていると彼につげると
「今は誰も味方をしてくれない。ありがとう。」と私の手を握りしめ彼は涙ぐんだのである。
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