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視点・論点 「子どもの貧困 日本の現状は」2012年06月05日 (火)
国立社会保障・人口問題研究所部長 阿部 彩
先月、5月末に、国際連合のユニセフの研究所が、先進諸国における子どもの貧困について、国際比較の結果を発表しました。この発表によると、日本の子どもの相対的貧困率は、OECD35か国中、9番目に高い貧困率です。比較的に一人当たりGDPが高い先進諸国20か国の中では、日本は上から4番目です。
日本より、子どもの貧困率が高いのは、アメリカ、スペイン、イタリアだけです。アイスランドや、フィンランド、オランダといった北欧諸国に比べると、日本の子どもの貧困率は約3倍の高さとなります。日本は、国際的にみると、子どもの貧困率が高い国なのです。
すべての先進諸国の貧困の子どもたちの総数が3400万人。そのうち、日本の子どもは305万人。なんと、先進諸国の貧困の子どもの約10人にひとりが日本の子どもなのです。
実は、日本の子どもの貧困率が高いのは、今に始まったことではありません。厚生労働省の発表によると、1985年には10.9%であった子どもの貧困率は、2009年には15.7%まで上昇しています。この24年間の間に、子どもの貧困率は約5%上昇しました。現在は、約6人にひとりの子どもが貧困状態にあると推定されます。これは驚くべき数値なのですが、意外なのは、1985年の時点ですでに、10人に1人の子どもは貧困状態にあったということです。1985年というのは、まだ、「格差論争」さえも始まっていないころです。「1億総中流」などと言われ、「日本は平等な国だ」というのが常識でした。ましてや、貧困なんぞは、戦後の混乱期以降、解消されたと思われていたのです。しかし、その頃でさえ、日本の子どもの貧困率は決して、低いレベではありませんでした。日本は、もう長い間、子どもの貧困大国なのです。
しかし、このような数値に違和感を覚える方々がいらっしゃるのも事実です。「ほんとうに6人に1人も貧困なのか」「私のまわりには、そんな子どもは一人もいない」「実感がわかない」そのような声をよく聞きます。確かに、一見すると、子どもたちは、ゲーム機やおもちゃに囲まれ、何の不自由もなく暮らしているように見えます。ましてや、貧困などという言葉から連想される、食事もままならない、洋服もボロボロである、といったような子どもは親の育児放棄など非常にまれなケースでしか見られません。このような豊かな社会において、「貧困」であるとは、いったいどのようなことなのでしょう?
さきほどの、貧困率の数値は「相対的貧困率」と言われるものです。相対的貧困とは、社会において当たり前と思われていることをするのが困難となる生活水準のことを指します。「当たり前と思われていること」というのは、例えば、友人関係を保ったり、親戚とお付き合いしたり、就職活動をしたり、結婚をするためにデートをしたり、といったことです。子どもの生活でいえば、友達と仲良くしたり、学校にいったり、家族で動物園に行ったりといった、ふつうの子どもの生活です。このような「当たり前」の生活をするには、社会の標準的な所得から一定レベルの範囲に収まった所得が必要です。具体的には、社会の標準的な所得の、そのまた半分、50%の所得以下しかない世帯を相対的貧困と定義しています。金額で言いますと、1人世帯では年間の手取り所得が125万円、2人世帯では176万円くらいです。
教育や福祉の現場からは、このような相対的貧困の状況にある子どもたちの報告が次から次へとあがってきています。例えば、病気やけがをしても、医療費の自己負担が高いからと言って病院に行かず、学校の保健室の応急手当ですませてしまう子ども。クラスでただ一人修学旅行に行けない子ども。給食が唯一のちゃんとした食事のため、夏休み中に痩せてしまう子ども。体操着が肌が透けるほど薄くなってしまった子ども。お風呂に毎日入れずいじめられる子ども。
このような子どもたちは、飢えているわけでも、凍え死にそうなわけでもないかも知れません。でも、彼らは、さまざまな指標でみて不利な状況に置かれています。
例えば、子どもの学力は、親の所得と非常に相関が高いことがわかっています。当然のことながら、大学など高等教育への進学する割合も親の所得と関係します。貧困の子どもは、児童虐待の被害にあったり、不登校や高校中退といった割合も高くなります。子どもの健康状態さえも、貧困の子どもは、悪いことがわかっています。そして、このようなさまざまな不利を背負いながら成長した結果、おとなになってからの就労状況や所得にも子ども期の貧困が影響します。さらには、彼らの子どもさえも、また貧困に育ってしまう、という「貧困の世代間連鎖」が起こります。
子どもの貧困は、その子にとっても不幸ですが、社会にとっても大損失です。ただでさえ、数が少なくなっている子どもが、それぞれの潜在能力をフルに発揮し、社会に貢献する機会が与えられなければ、日本の活力はますます衰退してしまいます。だからこそ、どの国においても、子どもの貧困対策は政策の第一課題なのです。
しかしながら、日本においては、子どもの貧困が社会問題であるという認識がきわめて薄かったというのが現状です。それを的確に表しているのが、この図です。
これは、同じくユニセフの報告書の中からとってきたものですが、政府の再分配前と再分配後の子どもの貧困率を示しています。政府は、国民から税金や社会保険料や税金を受け取り、それを、年金や、生活保護、児童手当など、いろいろな社会保障給付として国民に返します。そういう機能を政府の「再分配機能」と呼びます。再分配のもともとの機能は、富める層から多く税金や保険料を取って、貧困層に給付するという貧困削減の機能です。この図の「再分配前」というのは、簡単に言えば、社会保険料や税金を引かれる前の所得で計算した子どもの貧困率、「再分配後」というのは、税や社会保険料を払い、あらゆる給付が来た後の所得で計算した貧困率です。
そうすると、ほとんどの国では再分配後の貧困率は、再分配前に比べて大きく減少します。青のグラフから赤のグラフに減っている分、これが政府による貧困削減効果です。
しかしながら、日本においては、青のグラフと赤のグラフの差がほとんどありません。政府の再分配機能の大きさからいうと、ギリシャ、イタリアに続いて下から3番目です。
実は、以前の国際比較では、日本の子どもの貧困率は、再分配後のほうが再分配前より高いという状況にありました。つまり、政府の再分配によって、貧困率が上昇していたのです。今回のユニセフの報告書では、かろうじて、再分配が機能していることが見えますが、ほかの国に比べると、その効果は非常に小さいと言わざるを得ません。
なぜこうなるのか。これは考えてみれば非常に当たり前のことです。というのは、貧困層は、所得税はそんなに払いませんが社会保険料は結構な額を払っています。しかし、給付は非常に少ない。生活保護は国民の2%しか受け取っていませんし、その半分は高齢者です。社会保障給付のほとんどは年金と医療サービスで、子どものある世帯への給付は児童手当くらいでした。さきほどのデータは子ども手当が導入される前のものなのですが、子ども手当が満額支給されてやっと諸外国並みの給付レベルとなるのです。
子どもに対する給付は、日本の未来への投資です。これは、将来、彼らがおとなになっって勤労者となった時に税金や社会保険料として返ってきます。ですので、決して、無駄にはなりません。財政難を理由に、子どもへの給付を渋り、子どもの貧困を放置することは、日本社会をゆっくり自滅に向かわせることです。今こそ、子どもの貧困に真剣に向かい合わなければいけません。「貧困の連鎖」はもう既におこっています。