何となく思いついたこと、目についたことをツラツラと…。
プロフィール
高木圭介
昭和44(1969)年6月4日、神奈川県川崎市生まれ。神奈川大学レスリング部を卒業後、1993年に東スポ入社。プロレス&格闘技、社会、レジャーなどを担当後、現在は特集部所属。 2006年10月、本紙携帯サイト「東スポ芸能」のスタートと同時に当コラムはスタート。2009年10月から晴れて、紙面でも連載開始。世の中の重箱の隅を愛する〝長期連載〟。
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003:金スペとはなんだ?
2006年10月15日

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         <2006年10月=東スポ携帯サイトより>

 
 昔のテレビ番組を振り返る企画等で水曜スペシャル(テレビ朝日系列)や木曜スペシャル(日本テレビ系列)が話題に挙がることは珍しくもないが、なぜか金曜スペシャル(東京12チャンネル)が話題になることは極端に少ない。

 水曜~は川口浩探検隊やアントニオ猪木の異種格闘技戦。木曜~は矢追純一のUFO特集など目玉シリーズが存在した。だが金曜~だって負けちゃいない。まだ「エロ」が現代と比べて小学生男子の目に触れることが極端に少なく、タブー視されていたあの時代に強烈なインパクトを放っていた。決して忘れてはならない。いや忘れられない。

 金曜スペシャル、略して「金スペ」は夜9時からの放送。スタートしたのは昭和46年。ごくごくたま~に真面目なルポ物やスポーツ中継も放送するが基本線はエロ。ひたすらエロだ。その路線は昭和59年の番組終了まで続いたハズだ。

 新聞テレビ欄に掲載される「潜入!世界のヌーディスト村」とか「緊急ルポ!裸族の実態」「秘録!尼寺物語」などの扇情的なタイトルにどれだけ胸と鼻の穴、ついでに股間を膨らませたか分からない。だが当時はまだビデオがある家などごくわずか。テレビも一家に1台が基本なので、親や兄弟が不在でもない限り、堂々と金スペを鑑賞するなど不可能だった。大抵はプロレス中継からの流れでそのまま隣チャンネルの「ザ・ハングマン」(これはこれで面白かっ
た)を観ていたモノ。当時、私の将来の夢は「いつか一人暮らしをして思う存分、金スペを観ること」だった。バカだ…。

 小学校6年の夏、同級生の清水君(実名)の家がいち早くビデオデッキを購入した。そのニュースを耳にした男子のほとんどが口にしたセリフは「それって金スペも録画できんの?」だった…。で、クラス中の勝手な期待を背負い込んだ清水君は家族に秘密で金スペの録画をするハメに。以降、我々は土曜日の半ドンが終わると、まずは自宅で昼飯を食べ、その後は「1週間分の勉強をみんなでおさらいする」などと適当な言い訳をし、清水君宅に集合。小学生は小学生にでも分かるウソを平気でつく。

「金スペ上映会」は毎週恒例となり、我らの性知識に多大な影響(悪影響?)を与えたが、それも不測の事態でピリオドが打たれた…。清水君が間違えて、お兄さんの大切にしていた「銀河鉄道999」のビデオテープに、あろうことか金スペを録画してしまう大失敗をやらかしたのだ。いわゆる家族バレだ。まだビデオテープが1本数千円という時代の悲劇だった。

 テレビ黎明期のエピソードを語る際に「街頭テレビで力道山を~」とか「月光仮面を見に近所の家にお邪魔~」といった話はよく聞く。

 ビデオの黎明期を体験した私はビデオデッキという「魔法の機械」を語る際、金スペのエピソードを後世に語り継いでいくつもりだ。

 


ネタになる!!
えー!?異議あり!!





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