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「動かない政治」を前に動かす責任は、なにも民主党だけにあるわけではない。野党第1党の自民党も、同じ責めを負っていることを忘れてもらっては困る。まし[記事全文]
いかにも軽い。積みかさねてきた議論を無視した、見識を欠く発言というほかない。内閣改造で法相を退いた小川敏夫氏が「指揮権の発動を決意したが、首相の了承を得られなかった」と[記事全文]
「動かない政治」を前に動かす責任は、なにも民主党だけにあるわけではない。
野党第1党の自民党も、同じ責めを負っていることを忘れてもらっては困る。
まして自民党は戦後半世紀以上も政権を担ってきた。目下の財政悪化も、社会保障の行きづまりも、その原因の過半は自民党政権時代につくられた。
谷垣禎一総裁に求めたい。
社会保障と税の一体改革をめぐって、野田首相が真摯(しんし)に協力を求めているいまこそ、重要政策の実現に向けて「責任野党」の矜持(きょうじ)を示すべきだ。
一体改革関連法案の修正協議をめぐり、民主、自民、公明3党の幹事長がきのう会談した。
自民党の石原伸晃幹事長が衆院採決の日程を明示するよう求めたが、この日は折り合わなかった。
かりに修正協議に入ったとしても、自民党が賛成の条件として突きつけるハードルは高い。
衆院解散を約束する「話し合い解散」。社会保障政策の自民党案「丸のみ」。ともに、首相が受け入れた途端、民主党が分裂含みになるのは必至だ。
交渉ごとだからと吹っ掛けたい思いも分からなくはない。過去の経緯も理解はできる。
やはり「ねじれ国会」だった福田、麻生政権の時代、早期解散を求める民主党に、法案審議や国会同意人事で徹底的に足を引っ張られた。その不信と怨念は骨身にしみている。
谷垣氏は9月に党の総裁選を控える。再選を確実にするために、なんとしても早期の解散がほしい。そんな事情もあろう。
それでも、谷垣氏ら自民党の議員たちに、あらためて思い出してほしいことがある。
かつて自民党から民主党に「与野党で社会保障の議論の場をつくりたい」として、こう呼びかけたのではなかったか。
「社会保障や税の問題を政争の具にしてはならない」「政権交代のたびに、社会保障制度がくるくる変わるのはよくない」
まったくその通りである。
なのにいま、やられた分はやり返せとばかりに、こんどは自民党が首相の提案を蹴飛ばしてしまえばどうなるか。
一体改革、消費増税が振り出しに戻るだけではない。
いつか自民党が政権に返り咲いたとき、ふたたび不毛な「不信と怨念の政治」に足をとられることになるだろう。
首相は内閣改造で前に出た。次は谷垣氏が歩み寄る番だ。党内基盤の弱い党首同士、トップ会談を先行させて両党を強く引っ張ることも考えていい。
いかにも軽い。積みかさねてきた議論を無視した、見識を欠く発言というほかない。
内閣改造で法相を退いた小川敏夫氏が「指揮権の発動を決意したが、首相の了承を得られなかった」と語った。小沢一郎・民主党元代表の政治資金事件に関連して、事実と違う捜査報告書をつくった検事を起訴するよう、検事総長に命じることを考えたのだろうか。
この検事への処分の当否は、法務・検察当局の調査結果の公表をまって考えたい。現時点での問題は、政治の世界に身をおく法相と、司法権と密接不可分な関係にある検察権との関係をどうとらえるかだ。
法相は個々の事件の処理については、検事総長を通じてのみ指揮できる。検察の独善をおさえて民主的なコントロールの下におくとともに、政治の都合で捜査が左右されるのを防ぐために設けられた規定だ。
私たちは指揮権の発動を頭から否定するものではない。尖閣諸島沖事件のときも、外交などすぐれて政治的な問題に重大な影響をあたえる場合、内閣として判断をすることはありうる、ただしその場合は国民にしっかり説明し、評価を仰がなければならない――と主張した。
逆にいえば、検察の任務をこえたそのような複雑・微妙な事情がからむときに、例外的に発動されるべきものである。
今回はどうか。
小川氏は「検察が身内に甘い形で幕引きすれば、信頼回復はならない」と考えたという。認識は共有するが、そのことと法相が捜査について具体的に命じることとは別である。
起訴権限は検察のためにある道具ではない。起訴、不起訴はあくまでも証拠に基づいて判断されなければならない。
そして不起訴処分がおかしいかどうかは、国民から選ばれた検察審査会の場で、やはり証拠に基づいてチェックされる。ほかにも、公務員の職権乱用行為をめぐって被害者などからの請求をうけ、裁判所が裁判にかけるかを決める制度もある。
「身内に甘い幕引き」があれば、こうした仕組みのなかでただすのが筋で、法相の思惑による介入は厳に慎むべきだ。
人々が検察に向ける不信感に乗じる形で、政治があれこれ口を出し、それを当たり前と受けとめる空気が醸し出されることを、私たちは恐れる。
政治と検察が緊張感をもって適切な均衡を保たなければ、民主主義を支える土台はむしばまれていく。国民は、そんな事態を望んではいない。