注、この作品には大量すぎるナルシスト、百合成分が含まれています。
序
ホールを埋め尽くさんばかりの歓声と拍手。
それらは今、全てわたしのためだけに向けられていた。
今のご時世人形繰りなんていうものは、過去の遺物という沼に、片足どころか肩まで浸かったようなものだった。
しかしそれは、一人の天才によって再び日向の世界に呼び起こされる。
そう、坂上神楽という千年に一度の大天才によって。
ナルシストな訳でも自信過剰なわけでも頭が狂ったわけでもない。
ただ単に、すごく顔がよくて可愛くて頭も良くて、オーディションを受ければ顔パスでアイドルになれるほどの逸材であるわたしが、その上人形繰りという分野において類稀なる才能を有していて、なおかつわたしがそのほかの全てが眼に入らないほどに、人形繰りというものに魅了されていた、というだけの奇跡のような偶然の話。
小さな頃から師について、傀儡について習い、盗み、研磨し、十の頃に初舞台。
美少女人形繰りとして脚光を浴びた私は、そのままとんとん拍子で出世していき、今年で十六。日本どころか世界でもそこそこの知名度を誇る、スーパースターになっていた。
さすがに人形繰りブームはわたしがデビューして一年二年で消滅はしたものの、人形繰りというもの自体に、多少の眼が向けられるようになった、というのは大きな事。
まぁ最近の演目は、どちらかというと洋風のそれを取り入れているので、伝統芸能とは言えないような気もするのだが、人形繰りに国境なんて無いんじゃない? という持論を適当に立ち上げて、問題なしということにしておく。
伝統を重んじる、一部の方らの視線は厳しいものの、人を楽しませてなんぼの芸術なのだ。
それが、伝統なんていうものに進歩を止められ食いつぶされることのほうが問題である、とも思う。
今は、異文化交流の時代なのだ。
まぁまぁまぁ、今にも潰えそうな一つの文化を復活させたものとして、もしかするとそのうち教科書に載ることになるかもしれないなぁ、などと馬鹿なことを思いながら、舞台の熱をうちわで冷まして、髪を結いなおしていく。
シルクハットを被っていたので、耳の高さくらいで髪を結っていたのだが、帰りはニット帽なので高さが少し合わないのだ。
髪の括り目をさらに下げ、ローツインで留めたあと、ニットを被り、髪の毛を整える。
鏡に映ったわたしは、非常にという言葉が百個つくくらい可愛らしい。
わたしがもう一人いたのなら、抱きしめてちゅーしてやりたいくらいの気分である。
鏡に映った自分の姿に満足すると、一人頷き、化粧箱を直して伸びをして、バッグを手に取りるんるん気分で表に出る。
そして、扉を開けてすぐのところに、兄弟子のお兄さんが二本の傘を持って待っていた。
即効でるんるん気分が台無しになり、なんともいえない居心地の悪さにため息をつきそうになる。
この人はいつもニコニコとしているので、何を考えているか分からない。
まぁ早い話苦手なのだが、師である祖父は、何故かこの人を私の付き人として付けている。
腕が良くないとはいえ仮にも兄弟子を付き人するなんていうのがまず気を使う。
腹で何を考えているか分からない人である。
上記の理由からお断りしたかったのだが、祖父は話を聞いてくれず、渋々彼と一緒に行動していた。
外は雨が降っていて、憂鬱な感じ。
わたしの気分も空と同じように、先ほどの公演のときよりかなりダウンしていた。
雨は濡れるし傘を差すのは面倒だし、なにより曇った空の色が嫌いだ。
憂鬱な色をした雲は、人を憂鬱にさせるために存在しているんじゃないだろうかとひそかに思っていた。
そんな憂鬱な日だったからかもしれない。
彼がそんな行動を取ったのは。
後ろからダンプが迫っているのはには気付いていた。
もうそろそろ横を通るだろう。
わたしが歩いているのは歩道であるが、水を掛けられたらやだなぁ、などとそのときはのんきなことを考えていた。
水溜りがないだろうかと、チラリと横を見て僅かに身構える。
そういうタイミングでわたしの体が不自然に揺らぎ、ダンプに撥ね飛ばされるという全くもってありえない現象が発生した。
走り幅跳びの世界新記録を軽々と超えるジャンプ力を、そのときわたしは発揮したことだろう。
そしてそんな人外の力に体が耐えられるわけも無く、受身も取れずに地面に叩きつけられた。
顔は女の命だと必死に守ったのはいいが、どうやらそれどころじゃないらしい。
息が出来なくて、体の一切が動かなかった。
呼吸をしようとして血を吐いた。
中々ドラマのようだが、そんなことを経験したのは生まれて初めてだ。
究極の箱入りガールとして育てられてきたわたしが今まで経験した怪我といえば、転んで膝を擦り剥いた程度のもの。
まさかこんな月九ドラマのようなことがわたしの身に起こるとは思いもしなかった。
いや、まぁ、可愛さと才能と画面栄えのよさは月九ヒロインに恥じないんだけれども。
わたしがこれほどまで飛ぶことが出来る生き物だとも思わなかったし、これだけ神様に愛されたわたしが、こんな目にあうことも信じられない気分だった。
息は苦しい。
ひゅー、ひゅー、とどこかおかしな呼吸音は、まさにわたしの体が非常に危険な状態であることを示している。
肺は片方か両方か、ともかくつぶれているだろう。
―――これは死ぬだろう。
両手両足に感覚は無く、痛みも感じない代わりに動かせもしない。
まぁある意味わたしの考えてた、いつか死ぬなら即死か老衰、睡眠時にそのまま死亡、という条件の中であれば即死に近く、激痛を味わいながら少しずつ衰弱、なんてことにならなくてよかったとは思う。
ぱたぱたぱた、と誰かが駆け寄ってきたので、辛うじて動く眼だけでそちらを見る。
当然の如く、わたしの隣にいた兄弟子だった。
彼はいつもわたしに見せていたものとはまた別の種類の笑顔を浮かべて、大丈夫か、などとのたまう。
きっといつもの笑みの裏には、この醜い笑顔が隠されていたのだろう。
それは愉悦、自分の思い通りに事が進んだときに浮かべる類の笑みだ。
廻っていなかった頭が、動き始める。
ダンプが来た瞬間に起きた不自然な体の揺らぎが、彼によって引き起こされたものであることを、わたしはようやく理解した。
つまり、これは彼の嫉妬心が引き起こした、避け得ざる一大イベントだったのだろう。
だから嫌だったのだ、兄弟子を付き人につけるなど。
わたしみたいな超常存在が他人からどう思われるかなんて、もう十二分に、それこそお腹いっぱいになるくらいに知っている。
学校に友達がいなければ、親子ほどに年の離れた相手しか、話し相手もいない。
無能で醜い"お友達"とやらからは陰口嫌がらせなどは散々されたし、他人がわたしを見る眼もみんな、マイナスの感情で濁っている。
そうして面倒だからと、全て切り捨てた結果に、今があるわけだ。
嫉妬や裏切りなんて、バカなことをしない分、人形のほうが万倍もいい。
そう思って、切り捨ててきたのだ。だというのに、どうしてこうなってしまうのか。
彼が付き人になってからは、後ろから刺されたりしかねないと対応には気をつけてきたつもりだった。
積もりに積もった下種の嫉妬は、そんなわたしの聖母マリアの生まれ変わりが如き慈悲程度では、なんともならないレベルのものであったらしい。
わたしの栄光の未来がこんなに醜いものに奪われるなんて、残念すぎて腹立たしすぎた。
このまま悲しんで逝くのは少々、不愉快だ。
こんな男にニヤつかれたままで死ぬなんて真っ平。
最後の力を振り絞って、口角を上げ嘲笑の形に表情を作る。
ギョ、と彼の顔が歪む。予想通りの反応過ぎて、人形繰り以上にやりやすい。
その揺らぎを広げるように、言葉をかける。
「……負け犬」
その一言で更に彼の顔が面白いように歪み、そうして何事かを喚き散らした。
何を言っているのか聞き取りたいところであったが、もはや耳も馬鹿になってきたらしい。
この下種に一矢報いれただけで儲けものだと、いよいよ開けておくのが辛くなってきた眼を閉じて、苦しかった息を止めた。
十六年、か。
もう少し、生きたかったとそう思う。
それがどうしてなのかは、分からないけれど。