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宮城県警公開 震災犠牲者の似顔絵で身元判明
 | 身元不明犠牲者の似顔絵を描く郡山さん |
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◎やっと帰ってきた/遺族安堵「気持ちに整理」
宮城県警が公開した東日本大震災の身元不明犠牲者の似顔絵がきっかけで、宮城県気仙沼市で被災した男性の身元が判明し、遺族が7日、気仙沼署で確認した。震災から1年3カ月。遺族は「やっと帰ってきた」と安堵(あんど)の表情を見せた。似顔絵から身元が分かったのは2人目。 男性は、気仙沼市内の脇2丁目、無職菅原有格(ありのり)さん=当時(79)=。娘婿の会社員菅原城(しろし)さん(54)=一関市=ら遺族3人が、DNA鑑定の結果や身に着けていた衣類、眼鏡を基に確認した。 城さんは、1日付の河北新報朝刊に掲載された似顔絵を見た親族から知らせを受け、3日に県警に連絡した。「似顔絵はすぐに有格さんだと分かった。元気な様子を思い出した」と話す。 有格さんは福島県水産試験場の調査船「いわき丸」の機関長を長く務めた。自宅近くで震災の津波に巻き込まれたとみられる。遺体は昨年3月14日、内の脇地区で見つかり、階上小体育館に安置された。 城さんは震災で、有格さんの妻京子さん=当時(78)=と、妻の琢子さん=同(51)=も亡くした。身元を確かめるため遺体安置所に通い続けた。「傷ついた遺体の写真を何度も見て、つらかった」と振り返る。 遺骨は近く、市から城さんに引き渡され、京子さんと琢子さんが眠る墓に納めるという。城さんは「これで気持ちを整理できる。家族が戻らない人も多く、県警は似顔絵公開を続けてほしい」と話した。
◎家族の元届けたい/鑑識課員、生前の表情再現に苦心
宮城県警が公開した身元不明犠牲者の似顔絵は20人分で、鑑識課員らが鉛筆で描いた。生前の表情を再現する作業は、遺体の顔写真と長時間向き合うなど精神的な負担が大きい。それでも「一人でも多くの遺体を家族の元に」と、作製できる残り約50人の完成を急ぐ。 「生前の表情のイメージを膨らませることに集中している」 作製者の一人、県警鑑識課の郡山一夫さん(51)はルーペを使い、犠牲者の写真を見詰める。ほくろの位置。一本一本のしわ。鉛筆を走らせ、丁寧に書き込む。 20年以上、指名手配された犯人の似顔絵を描いてきた郡山さんでも、今回は戸惑いの連続だった。基にする発見直後の遺体写真は、顔を描くポイントになる目が閉じられた状態。傷みの激しい遺体も多い。 はっきり分かる部分から描き始める。目の大きさ。鼻の形。部分、部分を頭の中でつなぎ合わせ、顔全体をイメージする。何度も描き直すと、バランスの取れた表情が浮かぶ。1人の似顔絵の完成に最短でも2時間半、長くて数日かかる。 事件現場などで遺体に接する機会は多い。だが「遺体の顔を長時間凝視する経験は初めて」と明かす。顔が頭から離れず、夢に現れる。鑑識課の通常業務と平行して地道な作業を続ける。 似顔絵は5月31日、県警のホームページなどで公開され、2人の身元判明につながった。 7日現在、県内で199人の遺体の身元が分かっていない。似顔絵の公開は、友人や同僚など親族以外からも情報を提供してもらう狙いがあり、県警は7月末までにさらに約50人分を作る。 郡山さんは「顔写真と向き合うたび、家族の元に届けたいという思いが込み上げる。身元判明に少しでも貢献したい」と話している。
2012年06月08日金曜日
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