2012-05-26
■[雑記]かつてネトウヨであった「私」から、今ネトウヨである「あなた」への手紙
かつて、私はネトウヨでした。
2005年か、2006年頃でしょうか。日韓ワールドカップで初めて、「韓国ってそういや隣なんだなあ」と認識した程度の私は、職場の上司から、ある動画を薦められました。
2ちゃんねる発祥で、韓国人や在日がいかに反日であるかを、手作り感あふれる、どぎつい動画にまとめたものでした。会議上の雑談中、ノーパソでその動画は再生され、私や同僚は「へええ」と思いました。
「反日」を告発するサイトはまだまだ少なく、まとめサイトでなく、2ちゃんねる自体が、面白いコンテンツだった頃です。同僚のひとりは、まだ新しい耳慣れない言葉だった「嫌韓厨」で、動画をきっかけに、色々と、韓国と日本の関係について、韓国人がああしたこうしたというエピソードについて、面白おかしく教えてくれました。
韓国に興味もなければ、接点もなかった私は、「面白ネタ」として、それらを受け止め、よくわからないけど怖い人達が身近にひそんでいるものだなあ、と、ぼんやり受け止めました。
私の記憶では「嫌韓」は、当時のネットユーザーお気に入りの遊びのひとつでした。
まだネット自体が「一般にはメジャーじゃないけれど、進んでる俺達には楽しい遊び場」であり「なかなかメジャーなメディアには取り上げられない、ニッチで最新の、ディープな情報」が溢れる場所だった時代。
韓国についてネガティブに、しかし面白おかしく語ることは、ネット上での流行だったと、私は思っています。
そして、2008年。
毎日新聞英語版サイトで、日本人について、偏った(侮蔑的な)記事が連載されていたことが明らかになります。
これは本当にひどい事件で、私も憤慨しました。
「毎日新聞英語版に抗議する/この問題を周知してもらう」ためのフライヤーのデザインを、ボランティアとして提供したのを覚えています。
この事件を起こしたとされるオーストラリア人記者の家族に、韓国人がいる、という噂が流れたとき、当時の私の中で、「そうか、本当に韓国というのは反日なのだ」という確信が生まれました。
同じ頃、北京オリンピックがありました。
チベットと中国との民族問題は、ネットだけでなく、様々なメディアでクローズアップされ、友人がチベット仏教とダライ・ラマに傾倒していたこともあって、長野の聖歌リレーへ行きました。
そこには、中国の国旗で真っ赤に染まる町があり、日本人なのか中国人なのかわからないけれども、聖歌をみるために殺気だった人々がおり、彼等は「よそもの」の私にとっては「怖い外国人」に見え、その中で、日本国旗を持ち、リレーランナーに向かって振っている少数の人々は、「同志」に思えました。
「中韓は日本の敵」という、ネット上の単語が、長野で感じた恐怖心によって、リアルになりました。
いわゆるネトウヨの人々が集まる、2ちゃんねる極東板を頻繁に読みに行く習慣がつきました。
そこには、「嫌韓」で「愛国」な人々が集っており、韓国や中国を笑い、糾弾し、それにくらべて日本は素晴らしいと讃えるエピソードが、日々、さまざまな人々によって提供されました。国内国外のニュースがあれば、誰かが「これは反日勢力の工作で」「この議員は売国で」「この影には皇室のお力があって」などなど、解説をしてくれました。ありとあらゆる事情通が集まり、思わせぶりな予言が行われ、韓国や中国に関わるものがちょっとでも損をしたら、みなで指をさして笑い、喜び、少しでも韓国や中国に関わった日本人がいれば「実は在日」「中国のハニーとラップにかかった」「金のために国を売った」と罵倒し、蔑みました。
自分と直接、関係のない人間。
自分の家族でもなければ、隣人でもない人間を、一方的に侮蔑し、罵倒し、悪いことが起きれば彼等のせいにし、良い人間は「彼等ではない、自分達の同胞」であるとする。
「日本人」「親日」という、広すぎるくくりで、成果をあげた人間を褒め称え、自分達はなにも努力をせずに、自尊心を満たせること。
いっけん、まっとうに見えるニュースの裏を陰謀論で読み解き、「一足はやく真実に気付いた私達」同士で、悦にいること。
1999年も、2000年も何事もなく過ごしたくせをして、「いずれ来る、反日勢力による危機」という未来に楽しく怯え、「選ばれた私達の手によって、その危機は回避できるのだ」「選ばれた私達だけが、その危機に備えられるのだ」と誇ること。
ネトウヨとは、なんとも楽しく、誇らしく、胸のすく、「溜飲の下がる」遊びでした。
これは、私の、ごく個人的な事情ですが、ネトウヨだった頃の私は、職場で大きなストレスを抱えていました。
仕事場だけではなく、家庭内にも問題がありました。
ストレスの源をどうにかする方法は「会社を辞める」か「家を出る」しか、当時の私には思いつかず、ネトウヨとして誰か、自分とは縁もゆかりもないがゆえに、完全に自分が正義の側に立てる相手を、あげつらい、笑い、糾弾し、いずれ彼等は滅びるのだと信じ、実際には自分の味方などしてもくれないような相手を「日本人」で「愛国」で「親日」だから信頼できるとすがり、どうにもできない自分の状況のかわりに、わかりやすい異国の弱者を助けたいと、思い上がっていました。
熱狂。現実逃避。ネット上だけの仲間。
ネトウヨであることに、当時、私は酩酊していた、と思います。
それまで政治ニュースや国会中継、首相の演説など「くだらない」と、まったく触れていなかった私には、自民党議員の国会答弁、当時の福田元首相、麻生元首相、森元首相などの演説、コメントは、おどろくほど聡明で、信頼すべきものに見えました。
長年、国会議員を務め、首相にまで上り詰める人間です。週刊誌やテレビでどうあざけられていようとも、そこには知性があり、カリスマがある。これまで、政治に触れておらず、免疫がなかった私は、ころりといきました。
しかも彼等は「ネトウヨ」であった私の味方である「愛国者」なのです。
夢中でした。私のはてダにも、当時は、かなりネトウヨがかったエントリが多かったと思います。ネトウヨの人々を更に駆り立てたのは、故中川議員の死、でした。
陰謀がとうとう形をとったのです。
あの死が、実際にどういうものであったのか。
私には判断すべき十分な情報がありません。
けれど、当時の私にとって、そして同じネトウヨの人々にとって、結論はひとつでした。
狂乱のまま、当時の麻生内閣での総選挙がありました。
自民党議員の街頭演説があれば聴きに行き、自民党本部に党グッズを買いに行きました。
党員として所属したこともありました。
選挙での自民党の敗退は、ネトウヨの人々を団結させる結果になりました。
数年前はマイナーな存在であったネトウヨは、ネット上の「暇な若者層」を中心に、増えていきました。
そうして……増えていくにつれ、私の中に、違和感が目覚めはじめました。
ちょうど仕事を辞めようと決断した頃だった。だから冷静になれたのかもしれません。
「いつかこうなる」「この裏で、○○が動いてるから、こうなるはずだ」という、自称・事情通の人々の予言は「状況が変わった」ため、外れ続けていました。
ちょっとでも中国韓国に関わったら、テンプレの罵倒を繰り返す姿に、ついてけないなあと感じました。
「すべて日本人のせい」「日本を悪く言うことは『愛国無罪』だから悪くない」そう中国や韓国の人々は語り行動するといわれていた。
ネトウヨが集う場で、まったく同じように「すべて中国や韓国のせい」「あいつらを悪くいうのは『愛国心の現れ』だから悪くない」と、繰り返される罵倒と侮蔑。
はじめて鏡に映った自分を観たように、私は驚き、少しずつ、極東板や愛国ブログから、離れていきました。
親しい知人が、まとまった期間、韓国で働いてきたことも、ネトウヨであることから離れ始めるきっかけになりました。
「反日は国内向けであって、実際のビジネスの場では、そんなことを言ってたら商売にならない」
「ただ、歴史がない国だから、どこかで自分を支えるために、偽りでも歴史を作るしかない。その歪みを、日本を憎むところでもちこたえている部分はある」
「海外までニュースとして伝わるのは、極端な事件が多い」
信頼できる相手からの、生の声として聞いた韓国は、複雑なものを抱えながらも、反日一辺倒の国だとは思えなかった。
それでも、立場的に、ネトウヨ側に近かった私が、はっきり決別したのは、自民党のとある支部大会でした。
その大会は、対外的には「とある著名人の講演会」を、自民党の支部会が主催する、という形でした。
ポスターの写真は、大写しの著名人。自民党の名前は端にあるだけ。
ちょうど、その著名人に友人が興味を持っていたので、私は、軽い気持ちで友人を誘い参加しました。
ところが。会場で開かれていたのは「自民党地方支部決起集会」でした。
ゲストとして招かれた著名人は、全開催時間のほんのわずかな間だけ講演するだけ。
しかも入り口で、住所氏名を記載させられます。
かつて「声優さんが出る楽しいクリスマス会だから」と、よく知らない女性に誘われて行ってみたら、キリスト教系の宗教の集会だったときと同じ。騙されて、友達を連れてきてしまった。私は恥ずかしく、情けなくて仕方有りませんでした。
そして「こんなやり方をするのか?」と、自民党へ、不信感を持ちました。
自民党ネットサポーターズの結成記念集会にも参加しました。
あだ名で呼ばれる議員たち、くだらないジョークで盛り上がる、内輪受けの参加者達。
発言するのは、陶酔しきった若者達。
「意識の高いネトウヨ」のみなさんが集う会場で、もう無理だな、と思いました。
自民党議員と民主党ほか与党議員、どちらのほうが有能に見えるかといえば、これまでの実績の分、自民党議員だと言いたくなります。
けれど、個々の状況や事象について、彼等を支持することはできても、「日本人で」「愛国で」「親日」だから、何であろうとどのような状況であろうと、支持を続けることは、私にはできない。
異論を唱えれば「韓国面に墜ちた」と言われ「ネトウヨならこうであるはず」と規範を定められ、身内同士を褒めあい、身近な他者を罵倒し続けることは、熱から醒めた私には、できませんでした。
思い出しました。
小学校、中学校、高校に、短い名字で、難しい漢字のクラスメイトが何人もいたこと。
おそらくは「在日」だった彼等、彼女等と、私や他のクラスメイト達の間には、なんら問題もなく、「ただのクラスメイト」として日々を過ごしたことを。
思い出しました。
オタク、オタク、若者、腐女子はどう勝手に決めつけられ、囃し立てられ、罵られているか。
自分が属していないカテゴリの人間に、私は/彼等は、どのように全ての罪悪が押しつけ、身内の中だけで通じる正義感で、人を裁いてきたか。裁いてこられたのか。
好きな位置で、自分に都合のいい人間だけが「仲間」になるように、線を引く。
線の外の人間は、悪であり、間違っていると思い込み、仲間内のルールで罵倒し石を投げる。
仲間内でうまくやっていくため、すべては「正しいこと」だと、確認しあう。
いずれは仲間内で監視しあい、少しでも異なる点があれば、糾弾したたき出す。
安全な娯楽。
理不尽な線引きによって生み出された優越感に酔い、正義のためという名目で、日常の場では発散しづらい攻撃衝動のはけ口に「仲間ではない奴等」を利用する。
その論理に、行動に、真実があるのだとしても、それが実際に正義なのだとしても、その「仲間」に、もう私は入りたくない。
ひとつひとつ考え、自分で判断して、よしと思うのであれば自分で支持し、悪しと思うのであれば異を唱えたい。
「仲間」だけが善良で、すべての悪しきことは「奴等」か「奴等に魂を売った人間」だ、そうした価値観の人々とは、肩を並べたくない。
「○○だから全て悪い」
「××は味方だから(親日だから)正しい」
「都合の悪いことは○○の陰謀」
魔法の言葉は効力を失い、私は今、ネトウヨ的な言説に触れるたび、過去の自分を思い出し、なるべく警戒しながら、それらの言説に、ニュースに、主張に目を通し、べったりと貼られた「反日」「愛国」「親日」のラベルをはがしてから、判断し受け止めようと試みています。
「私」は、かつてネトウヨでした。
そして今、ネトウヨである人々、「あなた」達が、ネットにはあふれかえっています。
もしかしたら、私が間違っているのかもしれない。
私はいわゆる「にわか」で、単に、自分の中で醒めた、というだけのことに、理屈をつけているのかもしれない。
けれど、今も「ネトウヨ」である「あなた」に、一言だけ。
もし、今、高揚感や充足感が、ネトウヨである時にだけ味わえるのであれば。
ネトウヨであることで、あなたが気持ち良く、楽しくなっているのであれば。
「考え、判断する」前に「こうあるべきだから」と、心が一方向にだけ条件づけられているのであれば。
ひとつ、深呼吸してみてください。
「仲間のみんなが言っているから」以外に、その気持ちや判断の理由はありますか?
もし「あなた」が、どこかの場で「仲間はずれ」にされ、「仲間」から娯楽として石を投げられたことがあったのなら。その時を思い出してみてください。
かつて石を投げた人々と、今の「あなた」の顔が、重なることはないでしょうか?
「仲間のみんな」に、違和感を覚えたことはないですか?
少しでも心がざわつくのであれば、一歩、離れてみてもいいと、「私」は思います。