「ヒゲの殿下」「トモさん」と親しみを込めて呼ばれていた三笠宮家の寛仁さまが6日、亡くなられた。45歳で食道がんを発症。以後手術は16回に及び、後半生はがんとの壮絶な戦いだった。それでも前向きな姿勢を失わず、福祉やスポーツ関係の公務に努められた。2002年に弟の高円宮憲仁さまが47歳の若さで急逝されており、皇室を支える柱がまた一つ失われた。
寛仁さまは終戦直後の1946年1月5日、疎開先の神奈川県・葉山で誕生。学習院中等部ではサッカー部、高等部では応援団、大学ではスキー部で活発な学生生活を送られた。
68年4月から2年半、英国のオックスフォード大に留学。英国で駐車違反で罰金処分を受けたと報じられ話題になった。この留学は皇太子さま、秋篠宮さまの英国留学の先駆けとなった。帰国後に留学生活をつづった『トモさんのえげれす留学』を出版。ヒゲをトレードマークに、ラジオのディスクジョッキーなどでユニークな皇族論を語り、人気者となった。
障害者福祉やスポーツ振興への取り組みがライフワークとなり、筋ジストロフィー障害者の社会福祉法人「ありのまま舎」総裁や日本ラグビーフットボール協会名誉総裁など、様々な団体の総裁職を務められた。
各団体では名誉職だけではなく、事務的な仕事にも携わることが多く、このため82年4月に「皇族としての務めと両立しない。皇籍を離れて身障者問題に専念したい」と訴えられ、当時の富田朝彦宮内庁長官らの説得で翻意したこともあった。
91年1月に食道がんが見つかり、最初の手術を受けられた。この際、ご自身の強い希望で病名を公表された。後にがんの告知について「私は告知派でもアンチ告知派でもない。運命論者というか、なるようにしかならないと思っている」と語られている。その後も舌根、咽頭などにがんを発症され、その都度病状を公表された。
07年にはアルコール依存症での入院も公表。退院後の講演で「大学時代からずっと酒を飲んで依存症だった。今さらそうなったと取られるのは心外」「皇室にも仲間がいるのかと、患者たちが大喜びしている」などとユーモアを交えて語られていた。
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