帝國召喚 外伝2「カナ姫様の細腕繁盛記」23


「これはこれは初にお目にかかります、有馬大尉殿」

 そう言って深々と頭を下げるダークエルフ。
 その余りに無防備かつ道化染みた態度に意表を突かれ、有馬大尉は思わず鼻白んだ。
 そんな彼に、ダークエルフはまるで十年来の友人に対するが如き口調で語りかける。

「私、エドリック・ヴォーン(長いので以下略)と申します。どうか気軽にエドとお呼び下さい」
「…………」
「いやはや、本日はお日柄も良く。 ……いえ、もう沈んでいますけどね?」
「……………………」
「そういえばこの間、うちの隣で飼われている犬が仔を産んだのですよ、10匹も。現在里親を探しているらしいのですが、一匹如何です?」
「…………………………………………」

 目の前の惨状などまるで無視し、ダークエルフは一方的に喋り捲る。
 それは宛ら言葉の洪水で、こちらに言葉を発する隙を与えない。
 だが有馬大尉とて何時までもこの状況に甘んじている訳ではなかった。最初の内こそ呆気にとられていたが、徐々に目が険しくなっていく。
 ――それが限界まで膨れ上がった時のことである。

「おや、これは大変失礼! いやはや、大尉のことは常々お聞きしていたので、ついつい知っているつもりになっていましたよ」

 その冷たい視線にようやく気付いたのか、ダークエルフ……いやエドリックが大袈裟な身振り手振りで詫びた。

(? ……こいつ、俺のことを知っている?)

 ブラフかと思いつつも、有馬大尉は足元の遺体に顎をしゃくる。

「これが話したのか?」
「まさか!」

(……おや)

 質問を一笑に付すエドリック。
 その一瞬見せた冷たい目に、有馬大尉は軽い驚きを覚えた。
 どうやらこのダークエルフ、水谷中佐に対してかなり非好意的な感情を持っているようだ。
 ……何か手酷い侮辱でも受けたのだろうか?

(あり得るな)

 水谷中佐の性格を思い出し、内心大いに頷く。(こいつを殺したいと思っているヤツは、ざっとダース単位で存在するだろう!)
 そうなると不思議なもので、このエドリックというダークエルフに少しばかり親近感が湧いてきた。

(だが、それとこれとは別だ)

 そんな自分に有馬大尉は言い聞かせる。
 犯行現場を目撃されたことに変わりは無いのだ、と。
 加えて先の隠行といい、自分を煙に巻くこの態度といい、兎に角このダークエルフは油断がならない。

 だがそんな有馬大尉の心を知ってか知らずか、エドリックは暢気に種を明かした。

「カナ姫様やクレア姫からお聞きしたのですよ」
「? あのシュベリンのお姫様とクレア……誰だって?」

 前者は兎も角後者の名に聞き覚えの無い有馬大尉は、眉を顰めて聞き返す。
 と、エドリックは顔に手を当てて天を仰ぎ、大袈裟に嘆いて見せた。

「ああ! 姫は貴方を恩人と感謝しているのに、なんと薄情な!? あなたの無二の親友の婚約者ではないですか!?」
「無二の親友の婚約者? ……ああ、あの猫姫か」

 まだ子供と言って良い異国の少女を思い出し、有馬大尉は呟いた。
 そういや、アレもダークエルフだったっけ。猫姫呼ばわりしてたからすっかり忘れていたぞ……
 まあ名前すら忘れていたしな、仕方無いか……ん? 婚約?

「婚約したというのは本当か?」

 そこまで話は進んでいるのか、と有馬大尉は訊ねる。
 だが、たしかあの猫姫はまだ――

「猫姫……くくく、まさにっ! いや〜、中々お上手い!」

 ……が、エドリックは爆笑してそれどころではなかった。
 ひとしきり笑った後、涙目で答える。

「いや失礼、少々ツボに入りまして。あ、婚約者云々は御本人の自称ですので、祝電やご祝儀は結構かと」
「何故それに付き合う」
「……脅されましたからね。『協力しなければウェルダンにします!』と」

 ――だから大尉もお気をつけなさい。
 どこまで本気か分からぬ表情で忠告する。
 馬鹿馬鹿しい……
 いい加減付き合いきれなくなってきた有馬大尉は、さっさと始末をつけることとした。

「エドリックとか言ったか? お前には、三つの道がある。『抵抗して殺される』『逃げようとして殺される』『無抵抗で殺される』――、好きな道を選べ」
「おお! 何たる悲劇っ! 何故私が殺されなければならないのでしょうか!?」

 大袈裟に嘆き天を仰ぐエドリック。
 そんな彼に有馬大尉は遺体を顎でしゃくってみせる。

「現場を見られた以上、生かしておけんからな」

 と、エドリックは『なんだそんなことか』とでも言わんばかりに肩を竦めた。

「ああ、それならご心配なく。我々、帝國人同士の揉め事に関る気は更々ありませんから」

 その下手な逃げ口上に、有馬大尉は鼻で哂う。

「要するに『見なかったことにする』という訳か? だがこうして見つかった以上、見て見ぬ振りもできまい」
「いやいや、これはあくまで前置きです。本題はこれから」
「ふん……」
「我々、今話した様に帝國人同士の揉め事に関る気は更々ありません。ですが、有馬大尉とは他人ではない。それどころか私の親友の妹姫の想い人の親友です。加えて面識こそないが色々話は聞いている――こうなると話は違ってきます」
「その程度で、か?」

 他人も同然ではないか。
 その無理なこじつけに、有馬大尉は苦笑する。

「その辺は価値観の違いでしょう。まあ要するに私個人としましては、大尉の手助けをしたい訳です。が、それでは一族の掟に反する。私は悩みました。『助けるべきか、助けざるべきか、それが問題だ』と!」
「まるでハムレットだな?」
「そして迷っている所を、大尉に発見された訳です。いやあ〜、さすがは一刀流皆伝! お見事です! ……お見事と言えばあの抜剣からの一撃、惚れ惚れしましたよ」
「ほう? 見て止めなかった、か」
「おや、これはついつい余計なことを言ってしまいましたか?」

 この口が悪い、と己の口を叩くエドリック。

「ま、そんな訳で踏ん切りがついた訳です。 ――これも何かの縁、お助けしますよ」
「目的は?」
「“縁”では駄目ですかね?」
「弱いな」

 有馬大尉は首を振る。
 確かに、有り難くないと言えば嘘になる。
 が、死体始末に協力するということは『水谷中佐殺害の片棒を担ぐ』ということである。
 公人(軍務中の師団参謀)を殺すいうことは、帝國の権威に対する挑戦だ。そんな危ない橋を、たかがその程度の“縁”で……

(ありえん。もし本気だとすれば、いったい何を企んでいる?)

 必死に目の前のダークエルフの真の目的を考える有馬大尉。
 だが、彼に考える時間は残されていなかった。

『中佐殿! シュトレリッツ、シュワルツブルク両国に派遣した部隊からの無電です!』

 天幕の外から声が聞こえてきた。

(選択の余地無し、か……)

 有馬大尉は嘆息する。

「……他に碌な手も無いことだし騙されてやろう。が、恩には着ないぞ?」
「了解しました。 ――では」

 エドリックはコホンと咳払いを一つすると、水谷中佐そっくりの声で外に向かって怒鳴りつけた。

「今忙しい! 後にしろっ!」
『も、申し訳ありません! では!』

 天幕の外から狼狽した声が聞こえ、直後にバタバタと足音が遠ざかっていく。
 助かった……
 有馬大尉は安堵の吐息を漏らす。
 だがエドリックから目を離していたことに気付き、慌てて視線を戻す。
 と、そこには――水谷中佐が立っていた。

「!?」

 ――馬鹿な!?

 驚愕のあまり有馬大尉は大きく目を見開いた。
 確かにあの時、手応えがあった筈……

「大尉。私ですよ、私」

 狼狽する有馬大尉に向かい、水谷中佐はそう言って大袈裟に肩を竦める。
 それは、決して彼に有り得ぬ仕草。
 何より、その声は――

「! ……まさかエドリック、か?」
「当たりです。ま、急のことなのでかなり粗いですがね?」
「…………」

 有馬大尉は瞠目した。
 憎々しい相手故に、水谷中佐の外見は熟知している。
 その彼から見ても、先の声……そしてこの姿は“瓜二つ”としか言いようがなかった。

「これが、魔法……」

 思わず驚愕の呻きを漏らす。
 正直、魔法を見たのはこれが初めてだ。
 だが、にも関わらず高を括っていた。周囲の皆と同様、何の根拠もなく“子供騙し”と認識していた。
 ――それがどうだ!
 この変装術一つとってみても分かる。
 魔法は断じて子供騙しなどではない。それどころか、我等が知らぬ未知の技術体系だ。
 もし、こんな変装をされて潜入されたら……

(帝國軍は大混乱に陥る)

 ……そう断定せざるを得なかった。
 帝國軍にはこの変装術を見破る術が無い。(流石にチェックすれば分かると信じたいが……)
 いや、それどころか変装術の存在そのものすら知らない者が大半だろう。
 ならば、潜入者達は何だってできる。
 情報収拾、流言、破壊活動、そして軍幹部の暗殺……

「お前達以外にも、そういった変装をできる連中は多いのか?」

 有馬大尉は乾いた声で訊ねた。

「……それは『この世界の人間達で』という意味ですか?」
「とりあえずは」
「いない、とは断言できませんが……いても極々一握りでしょうね」

 エドリックは暫し考え、答える。

「正直、人間の魔導師では基礎魔力が低過ぎますからねえ。それにこの技術は我等のメシの種……もとい秘術の一つですから、例え同等の魔力があってもそうそう真似できないでしょう」

 だからこそ私達重宝されていた訳ですが、とエドリック。

「そうか……」

(とりあえずは安心、ということか?)

 有馬大尉は自問する。
 いやだが……ああ畜生! 色々有り過ぎて考えがまとまらん!

 混乱する有馬大尉。
 そんな彼の隣で、水谷中佐……いやエドリックが何かを短く呟いた。
 直後、水谷中佐の遺体が消える。

「!?」
「目晦ましをかけただけですよ。本当に消した訳じゃあありません」

 試しに遺体があった場所に触れてみると、確かに“何か”がある。
 だが、これほどあっさりと死体を消し去るとは……

「血の臭いについては外も酷いから香で誤魔化すとして、返り血は……まあご自分でなんとかして下さい」
「あ、ああ……」

 有馬大尉は言われるままに頷いた。
 確かに返り血位なら、戦いの後だしどうとでもなる。(何なら捕虜を一人二人斬って誤魔化してもいいのだ!)

 有馬大尉が頷くのを確認すると、エドリックは深々と頭を下げた。

「では私はこれで。是非またお会いしましょう」

 そして、天幕を出て行こうとする。
 ……が、途中で何かを思い出したように振り返った。

「あ、直ぐに私の部下達が現場の始末と死体を引き取りに伺いますので」
「ああ……」

 言い終えると、エドリックは天幕から出て行った。
 その後姿を、有馬大尉はただただ呆然と見送ることしかできなかった。

 彼の元に『帰還途中の水谷中佐が三ヶ国連合軍残党によって殺された』との知らせが届いたのは、その翌日のことである。






「ではさようなら、お元気で」

 そうにこやかに告げると、エドリックは水谷中佐の遺体を崖から蹴落とした。
 遺体は暫く崖伝いに転がり落ちるていたが、やがて勢い良く宙に浮き谷底へと消えていく。

「ふう…… これでよし、と」

 これを確認し、『いい仕事をしました』と言わんばかりの笑顔で額の汗を拭うエドリック。
 遺体にも念入りに偽装――あの見事な斬り口はこの文明圏の剣と剣技では不可能だ!――を施したし、先ず露見することはないだろう。
 さあ、後は最後の仕上げだ……

 そんな彼に、控えていた部下が恐る恐る声を掛けた。

「……しかし、本当によかったんですかね?」
「? 何がです?」
「帝國人殺し……それも軍幹部殺しの後始末をするなんて、明らかに上の指示に反していると思われますが」

 如何なエドリック様でも、露見したら不味いことになるのではないか、と部下。
 子飼いの部下だからこその忠言だ。
 ……が、エドリックの返答は予想の遥か上に行ったものだった。

「なんだ、そんなことですか」
「!? 事実上の勅命ですよ!?」

 流石に目を剥く部下。
 そんな彼に、エドリックは噛んで含める様に教えてやる。

「あれはあくまで原則です。それに確かに『殺すのは駄目』と言われましたが、『死体の後始末もするな』なんて言われてないでしょう?」
「……それは詭弁では?」
「それに、有馬大尉は水谷中佐如きとは比べ物にならない程の要人です。そんな彼と裏で繋がっただけでも、この程度のリスク十分おつりが来ますよ」

 そう、有馬大尉は名門子爵家の当主である。
 それもただの子爵ではない。その財力・人脈・地盤は、下手な伯爵侯爵を上回る。

「軍でこそ一大尉に過ぎませんが、お膝元の県では相当な権力があります。中央政界に出ても……まあ流石に宰相は無理でしょうが大臣にはなれるでしょうね。しかも下手に伯爵侯爵や将軍提督に近づくより、周囲に警戒を抱かれません。そういった意味でもローリスク・ハイリターンなのですよ」

 それが、“上忍”としての彼の判断。

「しかし、貴人に情け無しと言います。ましてあの方は『恩に着ない』といい、エドリック様も『それでいい』と――」
「下手に恩を着せるより、帝國人にはその方が効果的なのですよ。ましてあの方はわざわざ『恩に着ない』などと言明されたのですよ? これでは『意識してます』と言っているようなものではないですか」
「そういう……ものでしょうか?」
「そういうものです。 ……やけに食い下がりますね? 今回は」

 そう言ってエドリックは首を捻る。
 いつもなら、自分が問題ないと言えば引き下がるのに……

 と、部下は言い難そうに答えた。

「申し訳ありません。エドリック様らしくなくて、つい……」
「と言いますと?」
「これは皆も言っているのですが……どうもフランケルに来てからエドリック様は変だ、と」
「ふむ、自覚はありませんが、注意してみましょう」

 自分では気付かぬ何かがあったのかもしれないな、と頷くエドリック。

「出すぎた真似、申し訳なく――」
「あなたは我が家譜代の臣です。その忠誠に感謝こそすれ、不快に思うことなどありません」
「はっ、光栄の極みです」
「で、あなたから見て気付いたことはありませんか?」
「いえ、それは……」

 流石に部下も言葉を濁す。

「どうせここまで言ったんです。残りも言ってしまいなさい」
「では、お言葉に甘えて。どうもエドリック様はシュヴェ――」

 部下は一旦言いかけ、だが直ぐに口を噤んだ。
 このあからさまな態度に、流石にエドリックも眉を顰める。

「? シュベリンが何か?」
「! いえ! 何でもありません!」
「何も無い筈無いでしょう……」
「そんなことより! どうもエドリック様はあの軍幹部がお気に召さなかったようですがっ!」

 主君の追求に、部下は慌てて話題を逸らす。
 だが口からの出任せという訳でもない。
 確かにエドリックの水谷中佐の遺体に対する扱いには、明らかな嫌悪感が滲み出ていた。
 しかも、それを隠そうともしない。

「ほう? 私が水谷中佐を嫌っている――そう見えるのですか」
「いえ……はい」
「ふむ……」

 エドリックは顎に手を当て考え込む。
 と、“あの”場面が脳裏に浮かび上がってきた。

 …………

 …………

 …………

 『あの小娘を始末しろ』
 『ご冗談を…… 私共は帝國人には手をかけられません』
 『あの小娘には帝國の血など碌に流れておらん!』
 『中佐殿はそう仰いますが、1/4も流れております。ましてその曽祖父は勲章まで頂いた軍人、勘弁して下さい』
 『この蛮族が! 一人前に逆らうか!』

 そう吐き捨てると、水谷中佐はエドリックの額に煙草の火を乱暴に押し付けた。
 ジュッと肉の焼ける音がする。
 が、その程度でエドリックの鉄面皮が剥がれる筈も無い。相変わらずへらへらと笑ったままだ。
 
 『ちっ! 犬の分際で……』

 水谷中佐は憤懣遣る方無いといった表情で机を蹴倒すと、その場を離れた。

 …………

 …………

 …………

「……………………」
「エドリック様……」

 その壮絶な表情に、部下は恐れおののく。
 この男とは昨日会ったばかりなのに、いったい何が……
 と、エドリックが口を開いた。

「……そうですね。確かに私は彼を嫌っていました」
「は……」

 やはり、とでも言う様に部下が頭を下げた。
 そして、つばを飲み込み次の言葉を待つ。

「あの男はね、私に煙草の火を押し付けたのですよ! 酷いと思いませんか?」
「はあ?」

 部下は思わず間抜けな声を上げた。
 ……『その程度』でエドリック様が?

「納得してない顔ですね?」
「い、いえ……」
「ですが、本当のことです」

 そう告げると、エドリックは自嘲気味に哂った。

 ――そうだ、私は受けた侮辱に怒ったのだ。



1