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三笠宮家の寛仁さま逝去 66歳、ヒゲの殿下

2012/6/6 15:56 (2012/6/6 16:44更新)
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共同

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 食道や咽頭がんなどの闘病生活を長年続けていた三笠宮家の長男、寛仁(ともひと)さまが6日午後3時35分、多臓器不全のため入院先の東京都千代田区の佐々木研究所付属杏雲堂病院で亡くなられた。66歳だった。「ヒゲの殿下」として国民に親しまれ、スキーなどのスポーツ振興や障害者福祉問題に熱心に取り組まれてきた。

 1991年に食道がんの事実を公表。以後、がんが次々と見つかり、これまでに計16回もの手術を重ねられていた。

 寛仁さまは今月1日に口内、鼻から出血があり、肺や肝臓機能、意識レベルの低下が続いていた。欧州訪問中の長女、彬子さまが日程を繰り上げて6日午前に帰国、病院に直行し寛仁さまを見舞われていた。

 2008年1月の定期健診でのどの粘膜のがん化が確認され、同年3月14日に患部の切除手術を受けられた。同年5月には、食事が誤って気管内に入るのを防ぐため喉頭の入り口をふさぐ手術を行った。

 以後、発声が困難になり、電気喉頭で会話をされていた。今年1月には中、下咽頭と口腔(こうくう)の右半分にまたがるがんを切除。3月2日には食事が喉を通りにくくなる通過障害を解消するため、軟骨の一部を取り除く手術を受けた。これが最後の手術だった。

 07年にはアルコール依存症であることを公表。その後も依存症による脱水症状と血圧の低下や不整脈で入退院を繰り返されていた。健康に不安を抱えながらも公務を積極的にこなされ、10年5月には「2010年トルコにおける日本年」友好祝賀式典に出席のためトルコを訪問されていた。

 寛仁さまは46年1月5日、昭和天皇の末弟の三笠宮崇仁さまと百合子さまご夫妻の第一男子として誕生。現天皇陛下とはいとこ。皇位継承順位は6位だった。学習院大法学部を卒業後、68年から2年間、英国オックスフォード大に留学された。

 障害者福祉、スポーツ振興、青少年育成をライフワークとし、障害者がスキーなどを通じて自立し社会参加するよう自ら実技指導や啓蒙活動に尽力された。

 72年の札幌冬季オリンピックでは組織委員会事務局に勤務、ラジオ番組のディスクジョッキーを務めるなど従来の皇族のイメージにとらわれない多彩な活動をされてきた。

 一方、82年に「社会活動に専念するため皇族の身分を離れたい」との意向を示し問題となった。05年11月に首相の諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が女性、女系天皇を容認する皇室典範の改正に向けた提言をまとめた際、男系継承維持を主張したことが波紋を広げた。

 80年、麻生セメント会長、麻生太賀吉氏の三女で吉田茂元首相の孫にあたる信子さまと結婚。彬子さま、瑶子さまの2人のお子さまに恵まれた。麻生太郎元首相とは義兄弟。

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