紙面から(6月1日)/福島第一冷温停止への道 第3回
制約の中、困難乗り越え
2012/06/06
がれきを撤去する無人重機(東京電力提供)
■ 一刻も早い撤去を
無人重機のオペレーション自体にも難しさがあった。 原子炉を早期に安定化させるためにもがれき撤去は急ピッチで進める必要があったが、「操作に本当に慣れているのは全国で20人ちょっと」 (同)。 ミスを起こさないように、不慣れな作業員は事前に猛特訓も積んだ。
無人重機は固定画面を見ながら、ゲームで使うようなコントローラーで操作する。 だが、操作は言葉で言うほどたやすくはなく、「複数の画面を同時に見て、三次元で把握しないといけない」 (木暮)。 被ばく低減のマスクをしながらの作業は、視界も狭まり、困難を極めた。
万が一にも、周辺設備を壊せないという制約上、視界が暗く、方向を見失う夜間の作業はできなかった。 一刻も早い撤去が求められる中で、許された時間は、昼間の1日4時間ほどしかなかった。
画面を見ながら、無人重機を遠隔操作するオペレーター(東京電力提供)
■ 空間線量率8分の1に
事故発生当初は、散乱するがれきに作業を阻まれていた福島第一も、がれき撤去が進むにつれて 「5月頃には建築や機械、電気の作業員がたくさん入れるようになった」 (曽良岡)。 復旧作業を待ち望んでいた彼らからは、たびたび拍手が起こった。
がれき撤去のめどが立ってきたのは6~7月頃だ。 この時期には当初の目的だったアクセス確保だけでなく、敷地内の線量も目に見えて下がってきた。 半減期による自然減もあるものの、空間線量率は低いところでがれき撤去を始めた頃と比べて8分の1にまで低減した。
「最初はとにかく必死だった。 少しは役にたったかな」 (立石)。 謙虚なせりふを吐く無人化施工の専門家が撤去したがれきは、実に2万立方メートル (11月7日の作業完了時点)。 撤去範囲は5万6千平方メートルにも及んでいた。
彼らの土木のスペシャリストとしての自負も作業の成功を後押しした。 「現場に行く時はどういう状況なのか不安だったが、入ってみたら、思ったほどではなかった。 やるべきことをやり、後につなごうと心掛けた」 (木暮)
立石や木暮の手足となってがれきを撤去した無人重機たちは、冷温停止状態の達成を見届けてからも構内でほかの作業を続けている。 人の代わりとなり、最も被ばくした重機の被ばく量は7千ミリシーベルトに達した。(文中敬称略)
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