グノーシス主義って・・・・
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しばらく、といっても一週間ほどですね。入院のためブログを休んでいましたが、体調も良くなりまた始めたいと思います。入院も一泊二日の検査入院で、特に異常はなく、単に目の使いすぎによる目眩と医者にはいわれました。インターネットもほどほどなら大丈夫とのことだったので、ブログ再開というわけです。
私は学生時代によく本を読んだせいか、今はあまり難しい本は読みたくないほうです。でも入院してるとき暇だったので、『哲学入門』という講談社文庫をパラパラっと読んでいたのですが、その中で興味が惹かれた箇所がグノーシス主義というものです。
このグノーシス主義というのは、私のこれまでの理解では、「世界は悪が作った。事実世界は悪に満ちている。でも正義の神は存在する」という考え方のようです。この考えはキリスト教社会では当然異端扱いされています。なぜならキリストも悪の一つになりかねないからですね。
この考え方は、一見突拍子もないように見えますが、結構なるほどって思ってしまいます。なぜかというと、そもそも人はなぜ思想をするのでしょう。世の中が悪に満ちていて、それをなんとかしたいと思うから思想するのではないでしょうか。そのような動機が「正義の神は実在する」という信仰にまで高められることは決してありえないことではないと思うのです。
現在アメリカでは同姓同士の結婚について活発な論議が交わされています。オバマ大統領は同姓婚に賛成、共和党保守派、つまり伝統的なキリスト教を重んじる勢力は同姓婚に反対しています。これも例えば長年同姓愛で差別を受け悩んでいた人たちから見れば、キリスト教道徳は悪の道徳に見えますね。ニーチェもキリスト教道徳はルサンチマンの道徳だといっています。キリスト教が必ずしも多くの人にとっては正義ではないことの指摘は多いですね。もしこの同姓婚を認めることが正義なら、世界は少しずつ正義の神に近つ゛いているのかも知れませんね。
私は?といえば、当然同姓婚には大賛成です。誰を好きになるかはその人の自由だと思いますよ・・・・ |