食の文化的制約
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さっき「世界の果てまでイッテQ」を見てました。鬼奴さんという人がラオスの民家に泊まる話が出ていたのですが、驚いたことにラオスではカメムシを炒めたものがオヤツとして出されるそうです。そしてラオスの子供たちは、カメムシ炒めが大好きのようです。
さてカメムシ炒めを出された鬼奴さん、やはり食べることができません。最後は無理やり食べて「おいしい」と言っていましたけどね。カメムシってすごく臭いますね。それを食べるとなると鬼奴さんでなくても抵抗がありますね。
このように実際に食べてみたらおいしいものでも、文化の違いで食べれないというのはありますね。私は学生時代にフランスに旅行したことがありますが、エスカルゴはダメでした。見ただけでダメって感じでした。また出されるライスも日本のご飯のように粘り気がありません。パラパラのご飯をフォークですくって食べるのですが、これも一口食べて断念しました。そして極めつけはエビアン。エビアンは日本でも売っていますが、私はそれまで飲んだことがありませんでした。それをフランスで始めて飲んだのですが、これをフランス人が飲んでいるなんて信じられませんでした。あとでなぜ飲めなかったのかわかりましたが、エビアンは硬水、日本の水は軟水なのです。軟水に慣れた私は硬水に抵抗を感じたということだと思います。どうやら私はフランスには住めないなあなんて思ったのを覚えています。
またクリスマスで食べる七面鳥もちょっと無理です。グロテスクといいますか、生々しいといいますか・・・・食の文化的制約というものは結構大きいと思います。
でも私は最近、毛嫌いはよくないと思うようになりました。文化相対主義という立場があるのですが、これは文化に優劣なんてないという考え方です。カメムシを食べるラオスが日本より遅れた国だと考えてはいけません。
日本の食文化は世界一だというのは単なる思いあがりです。文化が違うだけです。カメムシもそれを食べることによって特定の病気にかかりやすいというのなら食べないという選択もありますが、そうでない場合はカメムシを食べてラオスという国を理解することのほうが大事なように思います。
私は去年から沖縄のゴーヤチャンプルを食べることができるようになり、現在ではあの苦味がたまりません。今年の夏も是非自分で料理して食べようと思っています。 |