大衆ってほんとにいるの?
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3月16日に戦後最大の思想家といわれている吉本隆明氏がお亡くなりになりました。吉本氏は絶えず大衆の視点に立った思想を語ったそうです。
私は吉本氏の本は全く読んだことがありませんが、とりあえず吉本氏のいう「大衆」の定義については解説本を持っているので知っています。それは次のようなものです。『FOR BEGINNER 吉本隆明』(現代書館)から引用します。
「(大衆)の定義をいってしまえば、自分の日常の生活過程ですね、生活に起こってくる以外のこと、例えばベトナム戦争はどうなっているだろうか、日本にはどういう文学者がいて読んだらおもしろかったとかいうような、そういう日常生活以外のことについては全く関心を持ったりしない、いってしまえば知識の過程に少しも入ってこない人たち」
「日常の生活をくりかえし、職業的生活の範囲でものを考え、そしてその範囲でものを解決していく」というような存在。
この吉本氏のいうような大衆が2012年現在、日本に果たしているか?というと、いても極めて少数ではないでしょうか。ベトナム戦争が起こっている1970年代でも、このような人たちはそんなに多くなかったように思われるのです。自分の日常生活以外のことに関心がなく知識の過程に入ってこない人なんていません。そもそも知識の過程がなぜ文学や政治みたいなものに限定されるのでしょう。自動車や船、医学・薬学の知識は吉本氏のいう知識の過程に入らないのでしょうか。
私は「大衆」という存在に少しもリアリティを感じません。むしろ「大衆」というものを捏造して「大衆ではない自分は頭がいいんだ」と言わんばかりに思えます。つまり吉本氏は実は大衆をバカにしてたのではないでしょうか。
私の経験からしても、本を読まずニュースを見ない人でも、趣味など違うことの知識が非常に豊富であることが多いような気がします。これらの人は単純に日常生活を繰り返しているわけではなく、趣味の世界で日々精進しているのだと思うのです。
「大衆」とは捏造です。「国民の世論」もかなり作られたもののような気がするのですが、これは捏造だと断定できません。でもそのようなマスメディアが作り上げたイメージを疑ってかかることは出来ると思います。
マスメディアを疑うことこそがリアリティに近つ゛く一歩のような気がします。
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