私は功利主義者?
今日、会社で久しぶりにイケ面男子社員としゃべった。奴によれば、私がデジイチを持っていることをオタク上司から聞いて、カメラのことで話を聞きたかったらしい。
イケ面社員 「俺、こないだ奥さんのお父さんからデジイチを貰ってさ。どう使えばいいのか教えてよん」
私 「私も教えるほど詳しくないけどね。ちなみにどんなデジイチ?(って聞いても多分わからんけど・・・)」
イケ面社員 「キャノンEOS Kissデジタルだったかな・・・2006年発売だね」
私 「え!私のKissX2だよん♪私のひとつ前の型だね、きっと。それをただで貰えたわけ?」
イケ面男子 「義父さんが、新しいカメラ買ったからといってくれたんだ」
私 「ん〜ん、私など中古品に3万円も払ったのに・・・あんたほんと運がいいね」
それから私はTvやAv、プログラムモードの使い方などとりあえず知ってることを奴に教えたが、頭の中では「ただ(費用ゼロ)でもらえるなんて・・・」っと思い続け、ショックを隠せなかった。
より安く買う。より楽に手に入れる。費用減らして効用を高める。これは経済学を勉強したことがある人なら「せこい!」なんて言わないはずである。奴はただで手に入れた。カメラという話の合う同僚ができた喜びよりは、「うまくやりやがって・・・」という功利主義的事実のほうに気が行ってしまう私は功利主義者だろうか?
私はベンサムやミルの本は読んだことがないが、彼らが現在のミクロ経済学の源流にいることはわかる。彼らは幸福を計算した。快楽を増やし苦労を減らす。実際、快楽を増やすよりも苦労を減らすほうが簡単である。で、苦労を減らすにはどうしたらよいか?
まず「せこい!」と言われても気にしないこと。つまり見栄を捨てること。経済学徒は見栄で新品のカメラを買ってはならない。中古で買う、またはただで貰う。もちろん「ただほど高いものはない」というケースもあろう。でもとりあえず計算可能な費用を徹底的に減らすこと、これですよん♪
幸福=快楽ー苦労・・・・①
効用ー費用>0・・・・・・・②
①、②のように幸福というものを量的に計算する。②の場合はプラスであればあるほど幸福だということになる。
「そんなの物質的幸福にすぎないじゃん!」っていう人もいるかもしんない。そう。物質的幸福にすぎない。でも個人的幸福は人それぞれ違うんだから、幸福を語る者は物質的な話に限定せざるをえないのである。
とりあえずイケ面男子社員に「明日、カメラの説明書持ってきて。」って言った。奴がカメラを使いこなせるようになればなるほど、私は奴が憎たらしくなるかもしれない。でもカメラ友できたんだよん。喜べば・・・しかもイケ面男子(結婚してるけど・・・)。
しかし憎悪のほうが大きくなりそうな私ですたよん(暗いですね・・・・)♪
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