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時論公論 「問われる生活保護制度」2012年05月29日 (火)
後藤 千恵 解説委員
人気お笑いコンビ「次長課長」の河本(こうもと)準一さんの母親が生活保護を受けていた問題が波紋を広げています。この問題をきっかけに生活保護の支給要件を厳しくすべきだという声が上がる一方、行き過ぎた対応は本当に必要な人を排除することにつながりかねないと慎重さを求める声もあります。今夜は、今回の問題が投げかけた生活保護をめぐる課題について考えます。
はじめに、河本さんが先週、記者会見を開いて説明した今回の経緯です。
河本さんの母親は15年ほど前に病気で働けなくなり、生活保護を受けるようになりました。河本さんは当時、年収が少なく養うことができなかったということです。その後、テレビなどで活躍するようになった5年ほど前から、生活費の一部を援助するようになりました。生活保護費は減額されましたが、保護は受け続けました。河本さんは「法的な問題はないが、甘い考えだった」と謝罪しました。先月、母親は生活保護を受けるのをやめ、河本さんは保護費の一部を返還するとしています。
今回の問題が投げかけた課題の一つは、親族の扶養をどこまで、どう求めるかです。
親族を扶養する義務を負う人は民法で決められていて、親、子、孫などの直径の血族と、兄弟姉妹となっています。特別な事情がある場合には、おじやおばなど3親等の親族も含まれます。親族が扶養できると判断されれば、保護は受けられません。ただ、調査は自己申告をもとに行われ、扶養の強制はできません。
今回の問題を受けて小宮山厚生労働大臣は「家族が高額の収入を得ているのに仕送りしない場合などは、家庭裁判所の調停も活用して、きちんと扶養を求めていく」という考えを示しました。
これを、どう考えればいいのでしょうか。
今回、河本さんは、福祉事務所との話し合いで、仕送りをするにとどまっていたもので、法的な責任はありませんが、もう少し早く、生活保護を廃止することはできなかったのか、検証は必要です。むしろ、心配されるのは、今回の一件をきっかけに、生活保護を受ける際の要件を一律に強めようとする動きです。
扶養は民法で義務づけられたものですが、実は生活保護の実施要領には、「話し合いによる解決に努めるべき」と書かれています。行政が強制しても人間関係がこじれてうまくいかないことが多いからです。さらに、家族のあり様も大きく変わっています。
貧困に陥っている人の中には、家族の関係が絶たれ、長い期間、連絡を取っていない人が多くいます。家庭内暴力や虐待から逃れてきた人など、家族に連絡を取ることすらできないケースも多いのが現状です。親族への調査を厳しくしたり、扶養を強く求めたり、制度を厳格に運用すれば、本当に必要な人が保護を受けられなくなったり、保護の申請を取りやめたりするケースが出てくることも懸念されます。厳格化には慎重な対応が求められます。
それにしても、今回の問題がなぜ、これほど話題を集めているのでしょうか。
背景には、人気タレントという個人的な要因もありますが、もう一つ、生活保護を受ける人が増え続ける中、そのお金がきちんと使われているのか、不信感の広がりがあるように思います。
生活保護の受給者は、ことし2月の時点でおよそ210万人、過去最多を更新し続けています。支給される保護費の総額も、3兆3千億円に達しています(平成22年度)。主な要因は、高齢化が進んで、年金で暮らせないお年寄りが増えていること、そして、雇用情勢の悪化で働いても食べていけない現役世代が増えていることです。
一方、受給者が増え続ける中で、一層、厳しい眼が向けられているのが、不正受給です。今回のケースは不正とは言えませんが、平成22年度に明らかになった不正受給は全国で2万5千件、129億円に上ります。政府は金融機関を通して資産調査を強化するなど、対策に力を入れるとしています。
ただ、難しいのは、不正に厳しく対処しなければならない一方で、保護を必要とする人が急激に増え続けているという現状です。窓口での対応を一律に強化すれば、扶養義務のある親族の扱いと同じように、本当に必要な人に支援が届きにくくなる心配があります。
すでに窓口での厳しい対応はみられます。札幌市では今年1月、生活保護を受けられずに、姉が死亡、障害のある妹がその後、部屋で凍死するという事件が起きました。相談を受けた市の担当者は、姉妹の窮状を知りつつ、「仕事を探すことが保護の条件だ」と説明、姉は保護の申請をせずに帰ったということです。
生活保護制度をめぐって問われているのはむしろ、今の“入りにくく、出にくい”と言われている、この制度のあり方をどう見直すかです。
生活保護制度は、いったん保護を受ければ、住まいや生活費だけではなく、医療や介護、葬祭にかかる費用まですべて援助を受けられる制度です。生活費の支給基準額は、地域によって異なりますが、東京23区に住む夫婦と子供3人の世帯の場合、月におよそ17万円、これに家賃の補助が加わります。
その代わり、入口の審査は大変、厳しく、資産価値のある住宅、生命保険、車などは原則として処分、手持ちの金も一人暮らしの人で3万から4万円以下、ギリギリの状態にならなければ受けられません。生活保護の水準を下回る暮らしをしながら、保護を受けずにいる世帯も多く、全国で200万世帯を超えるという推計もあります。
「入口の厳しさが、その後の自立の機会を奪うことにつながっている」という指摘もあります。たとえば、自動車です。特に地方では、自動車は通勤など、働くために欠かせないものですが、保護を受けるには原則として処分しなければなりません。車がないために仕事に就けない、仕事を失ったという事例もあります。
また、困窮している人の中には、住むところさえ何とかなれば暮らしていけるという人も多くいます。そこで、住まいに困っている人に、生活保護の8つの扶助のうち、住宅扶助だけを切り離して支給すれば、利用しやすくもなるし、自立にもつながりやすいと提言する専門家もいます。
どうすれば、“入りやすく出やすい”制度にできるのか、検討を続けなければなりません。
あわせて重要なのが、生活保護という最後のセーフティネットに至る前の支援です。政府はこの秋をめどに、生活に困っている人たちの生活支援戦略をまとめる方針で、先月から審議会で議論を始めています。この中では、▽住む場所に困っている人の住宅確保、▽NPOなどと連携した就労支援、▽家計をやりくりするための指導を伴った貸付などが検討されています。ただ、政府はこれまでも、生活困窮者のための様々な対策を打ち出しながら、十分な成果を上げられてきませんでした。実効性をどう担保するのか、責任ある取り組みを求めます。
生活保護制度が始まって60年。高齢化が進み、雇用情勢は悪化、家族のありようも変わりました。制度を取り巻く状況は大きく変化しているのに、抜本的な改正は行われず、様々な課題が噴き出しています。にわかに高まった生活保護制度への関心。不正の排除に目を向けるだけではなく、苦しい生活を強いられる人たちをどう社会全体で支えていくのか、そのために、生活保護にとどまらず、社会保障制度全体をどうトータルに見直していくのか、考えるきっかけにしてほしいと思います。
(後藤千恵 解説委員)