(Sun - September 26, 2004
「ロッキード裁判丸紅ルート最高裁判決を読む」へのコメント)



>ロ裁判批判派はコーチャンらが免責ゆえに嘘をつきまくったかのような主張を行ったわけであるが(なかには、免責された以上偽証罪には問われないと考えていたバカまでいた)、免責制度が偽証を構造的に誘発するようなものではないことが最高裁によっても確認されているわけである。

嘱託尋問で免責しちゃったら、偽証罪を立件しようがないでしょうが。事実上、偽証し放題のお墨付きをあげたのと同じこと。

>調書の証拠採用に関しては退けているものの、捜査の手段としての違法性は認められていない。この意見を斜め読みして早合点し、最高裁判決が嘱託尋問を「違法」だとしたとぬか喜びしたロ裁判批判論者もいるようだが、事実はまったく異なるのである。法廷意見も、この補足意見も、捜査のプロセスにおける免責付
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.13.04 - 7:07 pm | #

途中で切れちゃった。
>調書の証拠採用に関しては退けているものの、捜査の手段としての違法性は認められていない。この意見を斜め読みして早合点し、最高裁判決が嘱託尋問を「違法」だとしたとぬか喜びしたロ裁判批判論者もいるようだが、事実はまったく異なるのである。法廷意見も、この補足意見も、捜査のプロセスにおける免責付与(およびその後の証人尋問)については否定していないのである。したがって、コーチャンらの証言から得られた知識に基づく捜査によって集められた証拠が「毒の樹の果実」だという議論もあたらないのである。

最高裁が認めた手続きを、後になって「違法だ」と言うわけにはいかんわなあ。
Anonymous ハ | Email | Homepage | 10.13.04 - 7:10 pm | #

1(一) 刑事免責の制度は、自己負罪拒否特権に基づく証言拒否権の行使により犯罪事実の立証に必要な供述を獲得することができないという事態に対処するため、共犯等の関係にある者のうちの一部の者に対して刑事免責を付与することによって自己負罪拒否特権を失わせて供述を強制し、その供述を他の者の有罪を立証する証拠としようとする制度であって、本件証人尋問が嘱託されたアメリカ合衆国においては、一定の許容範囲、手続要件の下に採用され、制定法上確立した制度として機能しているものである。
 (二) 我が国の憲法が、その刑事手続き等に関する諸規定に照らし、このような制度の導入を否定しているものとまでは解されないが、刑訴法は、この制度に関する規定を置いていない。この制度は、前記のような
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 12:27 am | #

また切れた。
 (二) 我が国の憲法が、その刑事手続き等に関する諸規定に照らし、このような制度の導入を否定しているものとまでは解されないが、刑訴法は、この制度に関する規定を置いていない。この制度は、前記のような合目的的な制度として機能する反面、犯罪に関係のあるものの利害に直接関係し、刑事手続き上重要な事項に影響を及ぼす制度であるところからすれば、これを採用するかどうかは、これを必要とする事情の有無、公正な刑事手続の観点からの当否、国民の法感情からみて公正感に合致するかどうかなどの事情を慎重に考慮して決定されるべきものであり、これを採用するのであれば、その対象範囲、手続要件、効果等を明文をもって規定すべきものと解される。しかし、我が国の刑訴法は、この制度に関す
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 12:28 am | #

しかし、我が国の刑訴法は、この制度に関する規定を置いていないのであるから、結局、この制度を採用していないものというべきであり、刑事免責を付与して得られた供述を事実認定の証拠とすることは、許容されないものといわざるを得ない。

明文の規定があれば適法
→明文の規定がないのにやったら違法
ってことになりませんか?
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 12:31 am | #

はじめまして。
刑事訴訟法を専攻している者です。
立花隆氏のロッキード裁判批判を斬るⅠ.Ⅱ.Ⅲ.
(朝日文庫)を読み終えました。
いま手元に「青林法学双書 刑事訴訟法」があるのですが、そのP252にこのロッキード事件で争点となった321条1項3号の書面の証拠能力について簡潔な記述があるますので、紹介します
「刑事免責を付与された供述を事実認定の証拠とすることは許されないと判断して、証拠能力を否定した(最大平七・2・22刑集四九巻二号四五七頁、この判決に対する批判として、渥美・ひろば(一九九五年10号四頁)参照)。」となっていて、
結果としてロ裁判批判派の立論がある程度、最高裁の判断に組み込まれたと見ていいのかもしれません。
sakuma goichi ハ | Email | Homepage | 11.02.04 - 5:28 am | #

 ロ事件の重要文書保管せず「宣明書」
最高裁廃棄か [共同通信]

http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/521.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 22 日 14:35:54:Mo7ApAlflbQ6s


 ロッキード事件で、最高裁が1976年に同社関係者の不起訴を容認した「宣明書」の写しや米側との交渉記録など、関連の重要文書を最高裁が保管していないことが22日分かった。廃棄した可能性もある。
 最高裁は「宣明書自体の写しも含め、関連文書が保管されていないのは確かだが、そもそもどんな文書があったのか、廃棄してしまったのかは、管理に関する文書が何も残っていないので分からない」としている。
 東京都内の団体職員(43)が2001年、最高裁に対し、関連文書の開示を請求。最高裁が調査したが見つからず「文書は不存在」と回答
sakuma goichi ハ | Email | Homepage | 11.02.04 - 7:24 am | #

sakuma goichiさんへ

嘱託尋問調書の証拠能力に関して最高裁が示した判断は、その内容をみる限り特に驚くようなものではなく、一審当時からあった見解の一つです。そしてこの見解に関する限り私はここで「デタラメ」呼ばわりしたことはありません。したがって当ブログで私が問題にしているロ裁判批判論のデタラメとはほとんど関係のない問題なのです。
Apeman ハ | Email | Homepage | 11.05.04 - 3:10 pm | #

sakuma goichiさんへ(続き)

二つ目のコメントについては、これによっていったい何をおっしゃりたいのかがよくわからないのですが、事件当時は「情報公開」に関する公官庁の意識が低かったこと、裁判所が管理する文書の膨大さなどを考えれば文書の管理がおざなりだったことは必ずしも驚くべきことではなく(だからといって正当化はできませんが)、そこから直ちに「裁判所の証拠隠滅じゃないか?」などと即断することはできないと思います。そもそも宣明書についてはアメリカ側にも写しがあるわけで、日本側だけで廃棄したところで「証拠隠滅」はできないからです。
Apeman ハ | Email | Homepage | 11.05.04 - 3:14 pm | #

畦道くんへ
おやおや、自前のBlogをつくるどころかさらに下に潜ってコメントしていたとは…(笑) しかも内容が

>明文の規定があれば適法
>→明文の規定がないのにやったら違法
>ってことになりませんか?

と、かつてmaysonがやらかしたのと全く同じ、「後件肯定の虚偽」のお手本のような誤謬推理! 「論理学の初歩を齧ってから出直してきたら? それから、判決を援用するなら自分に都合の悪いところも無視しないようにね。
Apeman ハ | Email | Homepage | 11.05.04 - 3:22 pm | #




HTML記事の追加

過去の記事をHTMLに編集したため久々の更新。すると、新規のコメントがついていたのだが…

かれこれ1ヶ月近くブランクがあったが、これまでの記事をHTML化してアップロード。「Blogでの投稿記事をHTML化したもの Part IV」(後半部分を更新)と「Blogでの投稿記事をHTML化したもの Part V」(新規)である。
改めて読んでみるとけっこうな量で(コメント欄で書いた分は含まれていない)、それこそ単行本になりそうなほどである(笑) にもかかわらず、それにみあうほどの知的な努力は費やされていない。なぜかと言えば、単なる「引き写し」のコメントにつきあった部分が大量にあるからである。今回、編集のためにこのカテゴリの記事をチェックしていて新たにいただいていたコメントに気づいたのだが、残念ながらこれまた知的努力なしに反論可能なものでしかなかった。
念のためにいっておくと、別にロッキード裁判について詳しいからといってなんの自慢になるわけでもなく、またロッキード裁判について無知であるからといって別段恥じる必要はない。知らないことについては黙っていればよいのである。しかし、わざわざ他人のBlogにコメントを残そうとするなら、最低限のことは調べてから書けばよさそうなものだ。それを怠るから、かかなくてもすむ恥をさらすことになるのである。
さて、今回ついていたコメントは次の二つである。

嘱託尋問で免責しちゃったら、偽証罪を立件しようがないでしょうが。事実上、偽証し放題のお墨付きをあげたのと同じこと。

最高裁が認めた手続きを、後になって「違法だ」と言うわけにはいかんわなあ。


前者は私が「ロ裁判批判派はコーチャンらが免責ゆえに嘘をつきまくったかのような主張を行ったわけであるが(なかには、免責された以上偽証罪には問われないと考えていたバカまでいた)」と書いたことについての反応、後者は最高裁が捜査段階での嘱託訊問それ自体を違法とはしなかった、という点への反応である。
どちらもどこから間違いを指摘すればよいのか迷うくらいまちがいだらけなのでかえって反駁しにくいのだが(笑)、まあ念入りに引導を渡して差し上げることにしよう。

まず前者について。このコメントには大雑把に分類しても次の3つの誤解ないし無知がみられる。

・偽証罪で告発されうるかどうかという問題と、偽証が立件しうるかどうかという問題の(つまり、権利上の問題と事実上の問題の)混同
・「免責」の内容に関する無知
・(おそらく)コーチャンらが偽証罪に問われるとすれば、その告発の主体が誰であるかについての無知

一点目についてはあまりにも自明なのでコメントするのもばからしいほどである。どのような法廷証言についても「偽証」の可能性はつきまとうし、その偽証が技術的に立件可能であるとは限らない。しかしそれは証言の証拠能力にとっては関係ないのである(証明力にはもちろん関係してくる)。証拠能力を論じる際に重要なのは、その証言が「偽証を誘発するような状況においてなされていないかどうか」なのであって、「実際に偽証が行われているかどうか」ではない。
二点目はおそらくmaysonがかつて露呈した誤解と同様のものである。コーチャンらへの「免責」は、嘱託尋問における証言内容に基づいてコーチャンらが(贈賄罪で)訴追されることを免除するに過ぎないのであって、嘱託訊問において虚偽の証言をすればもちろん偽証罪に問われうるし(現に、証言に先立ってコーチャンらは嘘をつけば偽証罪に問われる旨、警告を受けている)、ロッキード事件については他の関係者の証言や物的証拠も豊富なので現実的にも嘘をつけば偽証罪に問われる可能性は十分にあったのである。
そして、これが三点目に関連するのであるが、コーチャンらが偽証罪で告発されるとすれば、その告発の主体はアメリカの裁判所である、ということである。これまたmaysonが最後まで理解できなかったことであるが、コーチャンらはあくまでアメリカの法制度のもとで証言を行っている(その証人尋問をおこうなうよう日本の裁判所が依頼したのである)。そもそも日本の検察が認めた「免責」はあくまで贈賄罪に関するものでしかないうえに、偽証を告発するとすればそれはアメリカの裁判所なのである。したがって、コーチャンらが偽証すればもちろん偽証罪での告発は可能であったし、また(もし嘘をついたとすれば)その蓋然性も高かったのである。以上のように、「免責があったから嘘のつき放題だった」というのは、箸にも棒にもかからない珍論に過ぎない。

次に後者について。これまた『ロッキード裁判批判を斬る』の読者にとってはおなじみの駄論である。そもそも日本の法体系において最高裁が「免責」を認めるなどということは一次的には問題になりえない。コーチャンらへの嘱託尋問の場合、「免責」は検察に与えられた「起訴便宜主義」という権能に基づいて行われているからで、これに関して裁判所は直接的には「認める」「認めない」などと言う立場にはないからである。裁判所に可能なのは、そのような「免責」に基づく証人尋問が行われその調書が証拠として請求された場合に、調書を証拠採用してよいかどうか、またその証人尋問が捜査手段として適法であったかどうかを判断することに過ぎない。そしてこれらのうちの前者に関して、最高裁判決は下級審の判断を覆したに過ぎず、別に最高裁の(過去の)判断を覆したわけではないのである。
後者のコメントはいわゆる「ファーガソン裁定」に対応して出された最高裁の「宣明」を念頭に置いてのものだと思われるが、これはアメリカ側関係者が日本の法制度について無知であったために生じた混乱に基づく誤解に過ぎない。詳しくは立花隆の『ロッキード裁判批判を斬る』をご覧いただきたいが、簡単に述べれば次の通りである。コーチャンらが日本の法制度下での「免責」の有効性に疑義を差し挟んだため、嘱託尋問のコミッショナーが「免責の有効性に関する最高裁の保証が欲しい」という趣旨の判断を下した。しかしながら、日本の法制度では被疑者を起訴するか否かは検察の判断によるのであって、裁判所はその判断を左右できない。つまり、日本の法制度においては意味のない要求が出されたのである。そこで日米間での調整の末、「検察の免責宣言は将来においても守られるであろう」という見解を最高裁が文書化し、これをもってアメリカ側もよしとしたのである。最高裁が行ったのは「検察が起訴しないと言っているのだから、今後も起訴されることはないと思って間違いないですよ」という確認に過ぎず、「免責」に関して法的な裏付けを与えたわけではない。だからこそ嘱託尋問調書の証拠能力を最高裁は否定することができたのである。
さらにもう一つ。以上に述べたような具体的な事情を抜きにして一般論として言えば、「最高裁が認めた手続きを、後になって「違法だ」と言うわけにはいかん」というのは、すなわち裁判所の判断は過去の最高裁判例に拘束されるというのはその通りである。しかし、それのどこが悪いというのか? だって、法の体系性とか首尾一貫性というのはまさにそうやって守られるのであるから。過去の判例なんぞ無視してかまわないというのなら、法には一貫性も継続性もないということになってしまう。裁判所は過去の最高裁判例に拘束されるものであるし、そうであってかまわないのである。どうしても過去の判例が現状にあわないというのであれば、新たに法律をつくるなり憲法を改正するという手段がちゃんとあるのだから。

結論を要約するなら、「もうちょっと勉強してから出直してこい」というに尽きる。

Posted: Wed - October 20, 2004 at 12:28 AM



勉強が必要なのは貴兄の方。
>有名なピーナツ・ピーシズ領収書をはじめとして、5億円の動きを裏付ける物証が豊富にある。

ピーナツ・ピーシズ領収書が、どうのような経緯で5億円の領収書と認定されてしまったのか。
ご存知か。
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 8:11 pm | #

>まあ、陰謀説好き人間のメンタリティがよく現れていて興味深い、とはいえる。

松本サリン事件で「知の巨人」氏が唱えた「公安陰謀説」はご存知か?
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 8:14 pm | #

>ところが立花隆によれば実は榎本は逮捕されて早々に5億円の受領を認めてしまっており、しかもそのことを弁護団にも田中角栄にも被告人質問が始まるまでの4年間隠していたというのである。

榎本氏は、逮捕直後から「5億円の献金(!)を
受領した」と言っていたそうですが、何か?
そうしたら検事が嫌な顔をしましたとさ・・。
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 8:25 pm | #

電波話を垂れ流す前に、こちらの指摘に対してちゃんと弁明してはいかが?
なお、立花隆の仕事を全肯定しているわけではなく、ロッキード裁判関連の仕事に限定して評価していることは当カテゴリーの過去記事できちんと明記している。したがって、最近の立花隆の勇み足をあげつらったところでこちらとしては痛くも痒くもない。
Apeman ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 8:56 pm | #

>・反対尋問は主尋問が終わった時点で行う旨を告げるのが通常の手続きであることは知っているか?

手続き上はそのとおり。しかし、刑事訴訟法学上は、もっと広い意味でも用いる。
例えば、伝聞証拠は通常、「公判での反対尋問にさらされていない供述証拠」と定義される。
226条によって得られた供述証拠であっても同様である。
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 8:56 pm | #

>汚職を根絶しようとすれば民主主義をスポイルしてしまうとはいえ、汚職をはびこるままにしてしまえばそれもまた民主主義を「金で買えるもの」にしてしまい、「法の支配」という原理を骨抜きにしてしまうだろう。

つかぬことを伺いますが、「法の支配」の意味をご存知ですか? 立花御大は、法治主義と混同しているようですが。
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 9:02 pm | #

そもそも刑事訴訟法には、民事訴訟法184条のような、嘱託尋問を認める条文がない。
さて、東京地裁はどうのような裏技を使って嘱託尋問を適法としてしまったのでしょーか!?
勉強してから出直していらっしゃい。
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 9:06 pm | #

そもそも刑事訴訟法には、民事訴訟法184条のような、嘱託尋問を認める条文がない。
さて、東京地裁はどうのような裏技を使って嘱託尋問を適法としてしまったのでしょーか!?
勉強してから出直していらっしゃい。
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 9:08 pm | #

apeさぁーん  早くぅー
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 10:07 pm | #

あれぇ〜、ひとに対しては急かしておいて、自分は丸一日お休みですかぁ? まあ泥縄的にお勉強しているというのなら待ってあげましょう。
Apeman ハ | Email | Homepage | 10.30.04 - 2:34 am | #




免責について補足
免責にまつわる珍論の元を絶つ


ロッキード事件におけるコーチャン、クラッターらへの嘱託訊問に関して、「免責が与えられていたが故に嘘のつき放題であった証人の証言に基づいて有罪にするのはおかしい」とする批判論は、裁判当時からあった非常にポピュラーなものであり、つい先日も同趣旨のコメントがついていたこと、遡ればmaysonが2ちゃんねるでやりとりしていたころからやはり同じようなことを言っていたことは昨日書いた通りである。
「免責」と聞くと「お前の罪は見逃してやるから共犯者を有罪にするための証言をしろ」という取引を思い浮かべる方が少なくないのではなかろうか。確かに、検察側から見れば結果的にそうした効果を持つのは確かなのだが、アメリカにおける免責制度の法的ロジックはそれとはまったく異なる。この点についてまったく調べずに「免責」という言葉の喚起するイメージだけに頼って批判論を組み立てると上で述べたような議論になってしまうのである。
さて、刑事もの、裁判ものの映画などでよく見かけるのは、検察側が第一級殺人ではなく第二級殺人で起訴するという条件を出して、被告側に有罪答弁をさせる(有罪を認める代わりに、より量刑の軽い罪状で起訴する)という司法取引であるが、ロ事件で問題になった「免責」はこれとは異なるタイプの「取引」である。まずもって「コーチャン・クラッター=嘘つき」論者が根本的に誤解しているのは、証人がデタラメを言ってもかまわない(偽証罪に問われない)のは免責が成立している場合ではなく、むしろ逆に免責が成立してない場合なのだということである。その根拠は、合衆国憲法修正5条にある(日本国憲法では38条1項に同趣旨の規定がある)。いわゆる自己負罪免除特権、なんぴとも自分が刑事告発される原因になるような証言を強制されない、という権利である。免責はこの特権を剥奪することによって成立する。コーチャンらの場合、自らの贈賄(田中側の収賄)に関する証言を強制されることになるわけであるが、強制された証言である以上、その証言をもとにコーチャンらを贈賄で起訴することはできない、というロジックなのである。この場合、証人はもはや自己負罪免除特権を持たないのであるから、通常の証人と同じく偽証すれば偽証罪に問われる。ロ事件の場合は日米両国の法制度にまたがっていたためもう少し事情は複雑になるが、日本の検察が不起訴を宣言したのは贈賄罪についてであって、証言に先立ってあらかじめ偽証罪についても免罪するなどというバカなことは行われていないのである。
まあ、このような免責の法理を抜きにして考えたところで、「免責されていたから嘘のつき放題だ」という議論がおかしいことは贈収賄という事件の性質を考えてみればわかる。もし事件そのものがでっち上げで贈収賄が行われていなかったというなら、贈賄の事実そのものを否定するのがコーチャンらにとって一番利益になるはずである。「田中角栄は賄賂を受け取った」と証言することは同時に「自分は賄賂を贈った」と認めることになるのであって、田中側に罪をかぶせれば自分の罪はなかったことにできるわけではないのである。仮にありもしない贈収賄のでっち上げにのって「賄賂を贈りました」と証言したところでなるほど(免責が成立しているから)罪に問われることはないが社会的な非難をかわすことができるわけではない。いくら罪に問われないからといって、やってもいない犯罪を「自白」する物好きなどいるはずがない(まあ、いわゆる自白マニアというのも存在するが…)。もしコーチャンらが嘘をついたのだとすると、彼らは偽証罪に問われるリスクを冒し、かつ「賄賂を贈ったやつ」というレッテルを貼られるという不利益を被ってまで偽証したことになるのである。そうまでして嘘をつく動機とはいったい何だったというのだろうか。
もちろん、原理的にはコーチャンらが偽証したという可能性はある。その「動機」についても陰謀論に従えばいくらでも想像できるだろう。しかしながら、そうした可能性はそもそもあらゆる証言につきものである。しかしそうした可能性についての考慮は調書を証拠として採用してよいかどうかを決める(証拠能力を判断する)際に行う必要はなく、その調書での証言が犯罪事実を証明しているかどうかを判断する(証明力を吟味する)際に行えばよいのである。

Posted: Wed - October 20, 2004 at 03:22 PM



>ロ事件の場合は日米両国の法制度にまたがっていたためもう少し事情は複雑になるが、日本の検察が不起訴を宣言したのは贈賄罪についてであって、証言に先立ってあらかじめ偽証罪についても免罪するなどというバカなことは行われていないのである。

知ってますよ、そんなことは。
日本刑法の偽証罪でコーチャンをしょっぴくなんてことが、現実問題として有り得たのか、と問うているんだ。
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 7:53 pm | #

ご丁寧に恥の上塗りですか。ほんとにわかってないな。コーチャンらはアメリカ国内で証言したんだから、偽証罪で告発されることがあるとすればやはりアメリカで告発される。日本の検察が告発するわけじゃない。
Apeman ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 8:53 pm | #

失敬。間違えました。
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 9:17 pm | #

で、コーチャンが贈賄について偽証したか否かをアメリカの司法当局はどうやってはんだんするのでしょうか。是非とも御教示ください。
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 9:23 pm | #

時刻の表示が変ですよ。
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.28.04 - 9:24 pm | #


忠告にもかかわらず…
コメント欄で応答していると読みにくくなるだけなのでこちらでまとめて対応しておく。


本稿はこの記事とこの記事についたコメントへの応答である。すでにコメント欄で書いたことと重複する部分もある。

さてさて、せっかくの忠告にもかかわらずコーチャンらへの嘱託尋問における「偽証罪」問題について根本的な勘違い(偽証罪で告発するのが日本の検察だと思っている、という)を正せないまま、さらなるコメントをつけている畦道氏…。その点についての私の指摘のあとに「間違えた」という趣旨のコメントがついているが、これは「HTML記事の追加」というタイトルの記事へのコメントで重複があったことについてなのか、それとも偽証罪の告発の主体を「間違えていた」と認めているのだろうか…。もし後者だとしてだが、これは単に「間違えた」で済む問題ではない。なぜなら、偽証罪の告発の主体がアメリカの裁判所である以上、「日本刑法の偽証罪でコーチャンをしょっぴくなんてことが、現実問題として有り得たのか」という問いは無意味になるからだ。と、これを書いている最中にさらにコメントがついて、今度は

> で、コーチャンが贈賄について偽証したか否かをアメリカの司法当局はどうやってはんだんするのでしょうか。是非とも御教示ください。

とのことである。これこそ、私がすでに

・偽証罪で告発されうるかどうかという問題と、偽証が立件しうるかどうかという問題の(つまり、権利上の問題と事実上の問題の)混同

として指摘しておいた間違いである。論破された議論を平然と繰り返すという、渡部昇一信者の特技が炸裂する! 嘱託訊問の証拠採用にあたって問題となったのは、調書の証拠能力であって証明力ではない。証拠能力を認める(証拠として採用する)際に問題となるのは一義的にはその調書が真実を語っているかどうかではなく、虚偽を語っていると考える余地のある状況でつくられているかどうか、である。例えば法廷で宣誓のもと行われた証言は、それが誰の目にも嘘八百に思える証言であろうと、証拠能力を認められる。検事調書が刑訴法321条1項2号によって証拠採用されるのも、その調書で述べられていることが真実であるからではなく、拷問・誘導その他の事情によって虚偽の証言が誘発された形跡が(さしあたり)見当たらないから、に過ぎない。いずれの場合も、結果としてその証言が真実を述べているかどうかは別問題、すなわち証明力の問題である。
さてコーチャンらの嘱託尋問調書についても、それが証拠として採用可能かどうかに関わるのは、コーチャンらが真実を述べているか否かではなく、コーチャンらが虚偽の証言を強制されたり誘導されたりしたとおぼしき状況があるか否か、である。ここで、裁判批判派は「免責されていた→嘘のつき放題→証拠採用すべきでない」と論じたのだが、「免責されていた→嘘のつき放題」という部分が間違っている、と当方は指摘しているのである。コーチャンらはアメリカの法廷で証言したのだから、虚偽の証言をすれば偽証罪で告発される可能性があった。そしてこのことが、「虚偽の証言を強制、誘発した状況があったとは言えない」と判断する根拠(の一つ)となるのである。もし嘘をついたとして、その嘘がバレ実際に告発されるかどうかはまた別問題である。そもそも「嘘をつき、その嘘がバレないかもしれない」可能性は全ての証言にある。もし「嘘かもしれない」という原理的な可能性だけで証拠能力を否定できるのなら、ありとあらゆる証言は証拠採用できなくなってしまうだろう。もちろん日本でもアメリカでもそんな馬鹿げたことはないのであって、証拠能力が否定されるのは「強制、誘導、その他虚偽の証言を招いたと考えられる状況があった」場合である。したがって、もしコーチャンらが嘘をついていたとして、「コーチャンが贈賄について偽証したか否かをアメリカの司法当局はどうやってはんだんする」かどうかという問題は調書の証拠能力にとって金輪際関係のない問題なのである。さらに、コーチャンらが嘘をついていたかどうかという問題と免責が行われたという事実も切り離して考えねばならない。立花隆も言っているように、初めから嘘をつくつもりの人間は免責があろうがなかろうが嘘をつく。しかし免責があったのだから嘘をついただろう、という推論はまったく妥当性を持たない。なぜなら免責がなかった場合にはそもそも偽証罪に問われる可能性がないのに対し、免責があった場合には偽証罪に問われる可能性が生じるからである。これは裁判批判論においてもっとも望みがないというかダメダメというか反論し甲斐のない論点の一つであろう。

さて、他の諸点について。

>>・反対尋問は主尋問が終わった時点で行う旨を告げるのが通常の手続きであることは知っているか?
>
> 手続き上はそのとおり。しかし、刑事訴訟法学上は、もっと広い意味でも用いる。
> 例えば、伝聞証拠は通常、「公判での反対尋問にさらされていない供述証拠」と定義される。
> 226条によって得られた供述証拠であっても同様である。

まったく的外れ。ここで引用されている文章で私が問題にしていたのは、田中側によるコーチャンらへの証人尋問請求が嘱託尋問調書の証拠調べが終わってから3年も経って行われた、という事実である。その証人尋問請求が狭い意味での反対尋問でないことも確かに主張しているが、それは別段「反対尋問ではないから問答無用で却下されて当然」などという結論を導くためではない。渡部昇一があたかも「検察側の証人尋問が終わり、さて弁護側が反対尋問をしようとしたら妨げられた」かのような印象を与えるデマを展開していたことを念頭において、事実がまったく異なることを主張するために書いた一文である。また、コーチャンらへの「反対尋問」によってなにを立証しようとするのか、裁判批判派がまったく明らかにしようとしていないことを批判するための前提でもある。「反対尋問」という語をこのように広義に解したとしても当方の論旨に大きな影響はない。

>>汚職を根絶しようとすれば民主主義をスポイルしてしまうとはいえ、汚職をはびこるままにしてしまえばそれもまた民主主義を「金で買えるもの」にしてしまい、「法の支配」という原理を骨抜きにしてしまうだろう。
>
> つかぬことを伺いますが、「法の支配」の意味をご存知ですか? 立花御大は、法治主義と混同しているようですが。

これまた的外れ。そもそも引用された箇所で私は立花隆の議論を援用していないし。

>そもそも刑事訴訟法には、民事訴訟法184条のような、嘱託尋問を認める条文がない。
> さて、東京地裁はどうのような裏技を使って嘱託尋問を適法としてしまったのでしょーか!?
> 勉強してから出直していらっしゃい

やれやれ…。そんなことはロ裁判論争において当に問題になっている。貴方こそ、せめて立花隆の『ロッキード裁判批判を斬る』を読んでから出直してはどうか? そこで説明されている1審および立花隆の論拠に反論するというかたちでコメントするのが筋というものだろう。ちなみに嘱託尋問調書の証拠能力を否定した最高裁判決においても、嘱託訊問そのものの合法性は否定されていない。

その他、情報ソースが示されていないコメントについてはまともにつきあうつもりもないが、

> 榎本氏は、逮捕直後から「5億円の献金(!)を
> 受領した」と言っていたそうですが、何か?

というのには笑ってしまった。仮にそのような供述をしていたとして、そんなものは収賄側の言い逃れとして定番中の定番である。それこそ「だからどうした?」というだけのはなしでしかない。いったい、これでなにを証明したつもりなのであろうか?

Posted: Thu - October 28, 2004 at 09:55 PM




>ここで、裁判批判派は「免責されていた→嘘のつき放題→証拠採用すべきでない」と論じたのだが、「免責されていた→嘘のつき放題」という部分が間違っている、と当方は指摘しているのである。コーチャンらはアメリカの法廷で証言したのだから、虚偽の証言をすれば偽証罪で告発される可能性があった。・・・
虚偽の証言か否かどうやって判断できるのか、を問うているのに、聞いてもいない証拠能力等にまで答えてくださってありがとう。
貴兄は、自分の思考パターンに合うものしか理解できないようだ。
畦道 ハ | Email | Homepage | 10.31.04 - 11:54 pm | #

>仮にそのような供述をしていたとして、そんなものは収賄側の言い逃れとして定番中の定番である。それこそ「だからどうした?」というだけのはなしでしかない。いったい、これでなにを証明したつもりなのであろうか?

実はですね、検事さんは、榎本氏が献金として受領したと主張した5億円以外の5億円の受領をえんえんと追及したわけですよ。
ソースですか?某文献に書いてあるんですが、ロッキード裁判研究の大家であらせられる貴兄にお教えするなどということは、おこがましくてできません。
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 12:00 am | #

私は、免責自体を問題にしているわけではない。
ロッキード事件における免責宣明は、取引宣明ではなく、制限された使用宣明だった。
ただ、外国の裁判所における嘱託尋問の場合、当該外国の裁判所は、偽証したか否か判断しようがないじゃないか。
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 12:18 am | #

やれやれ。二日も待たしておいてこの程度かぁ。失望したよ、ほんと。他人のBlogに乗り込む以上、相手の土俵でまともに勝負したら?
デムパなはなしをしたいなら自分でBlogつくってやってくれ。
Apeman ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 12:19 am | #

そもそも「議論」と呼ぶに値するものをするつもりがあるなら、自分がなにを主張したいのかを明確にし、その根拠(情報ソースを含む)を明らかにするというのはもっとも基本的なルールだ。さんざんでたらめを振りまいたmaysonでさえ守ろうとしたこのルールすら守らないとは…。ハンドルがあるからと相手をしたのが間違いでしたわ。
Apeman ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 12:30 am | #

というわけで、これ以上言いたいことがあるなら自分でBlogでもつくって(いくらでもただでつくれるところがあるから)、そのURLをここに書いて。
Apeman ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 12:32 am | #

>もし事件そのものがでっち上げで贈収賄が行われていなかったというなら、贈賄の事実そのものを否定するのがコーチャンらにとって一番利益になるはずである。

おそらく、コーチャンが贈賄したのは事実だろう。だが、送り先は本当に田中なのか?
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 12:39 am | #

>デムパなはなしをしたいなら自分でBlogつくってやってくれ。

電波扱いですか?
そう言えば、無闇に人を病気呼ばわりするオジサマがいたなあ。誰だったっけ?
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 12:42 am | #

>・刑事事件の中でも収賄のような権力者の犯罪については、それを厳正かつ公正に追求することがすなわち公権力から国民を護ることにつながる、ということが理解できるか?

ロッキード事件で田中が金を受け取っていたとすると、国民のどのような権利が侵されていたことになるのか。
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 12:53 am | #

1
>暗黒裁判がけしからんのはあたりまえで、そん
なことをメ身障者抹殺論モを唱える人間に教えてもらう必要はない。

立花の「文明の逆説」って読みました?優生思想全開ですぜ。
痛くも痒くもない?あっ、そ。
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 12:59 am | #

2
そもそも貴兄は、自分は立花の著書を批判的に読んでいる、と信じているのだろう。また、立花の仕事の中でも、ロッキード事件関連のものは比較的まともだと思っているようだ。
ところがどっこい、最初の単行本である「思考の技術」から現在まで、彼はずっといかれている。
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 1:05 am | #

3
立花の特技は、意図的な詐術と、無意識的な誤謬だ。
「思考の技術」(現在は、「エコロジー思考のすすめ」)では、フィードバックやエントロピーといった語を出鱈目に使っている。
「田中角栄研究」では、「私たちの社会は、田中との戦争状態にある」、とくる。そして「腐敗革命」だの「体制のくずれ」だのという立花語が飛び出す。
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 1:14 am | #

4
この芸風は、ロッキード裁判論争にいたっても変わっていない。
たとえば、「論駁」中のこんな一幕。
石島泰氏が321条1項3号の解釈で「『死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいるため』と書いてある時には、おなじ情況を並列して書いたと考えなければならない。」と主張した。
これに対して立花は、「しかし、どう読んでも、これは同じ情況ではなく、相違なる情況を並列したものである。唯一の共通項は、それが結果において『供述不能』をもたらすということである。」とやった。
貴兄は、ここで立花が施した詐術に気づかなかったのですか?
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 1:32 am | #

5
さらに、伝聞例外の条文に、証拠保全の条文を組み込んで解釈するという曲芸を披露してみせたり。
すげえなあ、さすがは恥の巨人。
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 1:37 am | #

>「検事をぶっ殺せ」とか「総理大臣は賄賂をもらってもかまわない」と語る人間にリーガル・マインドを語る資格があるかどうかはここでは問題にしないことにする

これらの発言は非常識であるが、リーガル・マインドとは何の関係も無い。当てこすりにさえなっていない。
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 1:49 am | #

>「ガス室によるユダヤ人虐殺は無かった」とか、先日も当ブログでとりあげた「人類の月面着陸は無かった」といった、いわゆる修正主義的な言説がある。

1987年にアウシュヴィッツを訪問したときに「ガス室だ」と案内された場所が、1994年の訪問時にはシャワー室になっていた。
・・・って、日垣隆が書いてましたが。
今回はおまけでソース開示
 日垣隆著「日本につける薬」
http://homepage2.nifty.com/higakitakashi/shop/books/drug.html
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 1:58 am | #

では、最後にお得な情報を提供します。
田中は、三井物産社長だった水上達三の夫人・津弥に、若いころ(14歳くらい)世話になっており、彼女を姉のように慕っていた。そして、三井物産はダグラスの代理店だった。
田中の性格から考えると、ロッキードではなくダグラスが選ばれることを望んでいたのではないか(勝手な推測)。
ところが、当時事故を起こしまくっていたダグラスではなく、ロッキードが、全日空内部で選定された。田中・若狭会談より前の話である。
この事情を知っていた小山健一氏は、二審で田中側の証人として呼ばれるはずだったのに、なぜか呼ばれなかった。

じゃあね、お猿さん。英国大使館裏での現金授受なんて話を信じているくせに、他人を陰謀論者呼ばわりしちゃいけないよ。
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 2:24 am | #

追伸
そう言えば、当人の問題設定自体に疑問を呈すると、「答えになっていない」と答えてくださるオジサマがいらっしゃいましたね。誰だったかなあ、うーん・・・
畦道 ハ | Email | Homepage | 11.01.04 - 2:57 am | #


もう畦道氏のBlogはできたのかなぁ〜?
畦道氏はここを2ちゃんやYahoo!の掲示板かなにかと勘違いしているのではないか?
Blogができたらぜひコメント欄にて告知願います。


なんともご熱心なことである。あれだけのコメントを書く時間と労力をかければ自分でBlogを立ち上げることができる(タダで!)というのに、なぜそうしないのか? わざわざ使いにくいコメントシステムで書くより、ずっと思い通りのことが書けるだろうに。他人のBlogにぶら下がることはできるが自分の名を掲げたBlogで議論を展開する根性はないということなのか?
ここが不特定多数の人間が集う掲示板であるなら議論の枠組みや論点の設定は各投稿者が好きにやればいい。その設定の仕方が支持を受ければ生き残っていくし、支持を得られなければ無視されるだけのはなしである。しかしここは私が自腹を切って(iBlogを使うには.Macのサービスを買う必要があるので)開設しているBlogなのだから、ロッキード裁判についてなにを論点としどのような問題設定で論じるかはひとえに私が決めることであり、コメント欄で議論を望むならばそれを受けいれてもらわねば困る。以前にも「八百屋で魚を求める」ようなコメントを残した人物がいたが、ここの品揃えに文句があるなら自分で店を開いたらどう? としか言いようがない。
要するに魂胆は見え透いていて、自分がどう考え、なにを信じているかについては一切語らないことによって言質を取られまいとし、ひたすら疑問文を連ねてあわよくば揚げ足を取ろうというのである。しかし「私は○○と信じ、△△と考える」と語ることのできない者をこのカテゴリーでまともに相手にする気はない(ネタとしていじることはあっても)。

以下、なぜ相手をする気になれないかを具体的に指摘しておこう。まず、当Blogのロッキード裁判関連エントリにコメントをしようとするなら当然ふまえておいてもらわねばならないのは、当Blogにおける議論の対象がロッキード事件でもロッキード裁判でもなく、ロッキード裁判をめぐる言説である、ということである。このことは繰り返し繰り返し明らかにしてきたし、HTMLページでも改めて明記してある。さて、そうすると

虚偽の証言か否かどうやって判断できるのか、を問うているのに、聞いてもいない証拠能力等にまで答えてくださってありがとう。

というコメントは2重の意味で筋違いである。まず、上で述べたような当Blogの目的にとって全く無関係である。次に、繰り返し説明してきたとおり、コーチャンらが実際に嘘をついたかどうか(ついたとして、それがどうすればわかるか)は嘱託尋問調書の証拠採用をめぐる議論にとってこれっぽっちも関係のないことがらだ。いったい畦道氏には学習能力があるのだろうか? さらに、ここでは模擬裁判をやっているのではないから、「田中=有罪」の立場をとるものが拠証責任を負うわけではない。すでに終わった裁判について論じたいなら、この場合むしろ「田中=無罪」の立場をとるものこそが拠証責任を負うのである。もしコーチャンらが偽証していると主張したいなら、「彼らは○○という点について△△という偽証をしている。その根拠は□□である」ときちんと論じたらどうなのか? いまさら「虚偽の証言か否かどうやって判断できるのか」などという漠然とした、しかも筋違いの問いをたてたところで全く無意味である。なお、このような『デビルマン』なみの無価値な問いを二度と立てることができないように、今回だけは特別な計らいで答えてあげるので慎んで聞くように。証人が他の宣誓証言において嘱託訊問における証言と矛盾する証言を行うか、嘱託訊問での証言と矛盾する客観的な証拠がみつかるか、別の証人がコーチャンらの証言と矛盾する証言を行い、前者が後者よりも信頼できると考える合理的な理由があれば偽証罪で告発できる。以上。

ただ、外国の裁判所における嘱託尋問の場合、当該外国の裁判所は、偽証したか否か判断しようがないじゃないか。

なぜ「判断しようがない」と決めつけるのか? 全く意味不明。偽証罪での告発が原理的に不可能であるとする根拠が明らかにされない限り、この一文はなに一つ実質的なことを主張していないので、反論に値しない。

おそらく、コーチャンが贈賄したのは事実だろう。だが、送り先は本当に田中なのか?

これもすでに説明したような、当Blogの趣旨を逸脱した問題である。それでも相手をしてもらいたいと考えるなら、せめて「賄賂の送り先は実は田中ではなく○○だったと考えるべきだ。その根拠は△△である」というかたちで論じるべき。

ロッキード事件で田中が金を受け取っていたとすると、国民のどのような権利が侵されていたことになるのか。

なんでこんな簡単なことが理解できないのか、それこそ理解に苦しむが…。「田中が賄賂を受け取ったところで、国民の権利はいささかも侵害されない」ことを論証してみて。

立花の「文明の逆説」って読みました?優生思想全開ですぜ。
痛くも痒くもない?あっ、そ。


うん、痛くも痒くもない。なぜかと言えばロ裁判論争以外の立花隆の仕事についてはすでに批判してあるから(それを読んでないのは私の責任ではない。なお『文明の逆説』の名は挙げていないが読んでいる)。立花信者扱いしてポイントを稼ごうとしたのかもしれないが、この「1」から「3」までは完全な空振り。「4」「5」にしても、まずはちゃんと自分の主張を展開したら? 展開されていない議論に反論を期待するのは厚かましいとは思わない?
そうそう、優生思想の持ち主という点では立花隆と渡部昇一はお仲間ですな。

1987年にアウシュヴィッツを訪問したときに「ガス室だ」と案内された場所が、1994年の訪問時にはシャワー室になっていた
・・・って、日垣隆が書いてましたが。


やれやれ…。「ガス室」幻論がやりたいのなら自分のBlogで好きなだけおやりください。ただし、すでに反論がなされているような定番メニュー以外を希望。

では、最後にお得な情報を提供します。

別に「お得」でもなんでもなかったけど…。だから、言いたいことがあるならちゃんと根拠やソースを示して論じれば? それをせずに(一見)思わせぶりな断片的情報を出すから「陰謀論」と切り捨てざるを得ないわけ。

じゃあね、お猿さん。英国大使館裏での現金授受なんて話を信じているくせに、他人を陰謀論者呼ばわりしちゃいけないよ。

これも全く的外れ。いったいどこに「英国大使館裏での現金授受」を信じてる、と書いてある? 議論をしかけようとするなら相手の書いたものをちゃんと読むというのは極めて初歩的なルールだと思うがいかが?
しかし当ブログで猿と類人猿を混同するとはね…。

Posted: Mon - November 1, 2004 at 12:30 PM


ネタ元探し
たぶんここが「ネタ元」だろうなぁ…


あれだけコケにされてもなんら具体的なアクションを起こさないところからみて、畦道氏もまた誰かの主張、それもネット上のものを引き写しているだけなのではと想像し、ちょっと調べてみると見つかりましたよ。ネタ元らしきサイトが。というか、ここは以前にAngelix氏が書き込んでいた当時に見つけていたんだけど。記事中にNC4の掲示板(以前にここでも言及した、Angelix氏が登場する掲示板)が埋め込まれているなどどうやら人脈的なつながりもあるようである。
このサイトには「小山健一氏」のはなしも「賄賂の送り先は田中ではなく実は…」というはなしも、「英国大使館裏の現金授受」のはなしも「榎本が丸紅から5億円の政治献金を受けたと話すと検事がいやな顔をした」というはなしも、「ピーナツ領収書」のはなしも、みんな出てくる。まあ、氏がこのサイトから引き写したのでないにしても、同じ情報ソースに依拠していることは明らかだ。道理で新鮮味がないはずである。しかもいま挙げた5点のいずれも、せいぜいが「そう思ってみれば田中に有利な状況証拠にみえなくもない」という程度のものにしか過ぎないのである。
「小山健一氏」の件にしても、証人として申請しない判断を下したのは田中側弁護団である。それがなぜか検察を批判する根拠になってしまうのである(笑) 小山氏本人は「弁護側が検察と取引したのではないか」と想像しているようだが、仮に取引があったのだとすると田中はロッキード事件の5億円以上にヤバい件を抱えていたのだということになる! また田中が当初ダグラスを希望していたという(畦道氏の?)推測にしても、「だからこそニクソンとの会談やロ社からの賄賂によって考えを変えたのだ」と推理する根拠ともなりうる、ようするにどうとでもとりうるはなしでしかない。さらに全日空がもっぱら性能だけを根拠にしてロッキードを選んだという主張がたとえ事実だとしても、それ自体は贈収賄罪の成否になんの影響も与えない。収賄罪は請託を受けて金をもらえば成立するのであって、口利きが効果を発揮しなかったり実際には口利きを行わなかったとしても田中は「無罪」にはならないのである。
「英国大使館裏の現金授受」については、どうやら木村弁護士(と彼の著書に言及した岩見隆夫)がもともとの情報ソースのようである。しかしその中身たるや「白昼に、天下の公道で、できますかねえ」とか「いやしくも時の総理大臣に対する献金を路上などで本当に行なうものだろうか」といった印象論に過ぎない。「天下の公道」といっても交通量の多寡はさまざまであり、ホテルで待ち合わせたり田中の私邸に出向くよりは路上の方が人目につきにくいといったケースはいくらでも想像可能である。また「いやしくも時の総理大臣に対する献金」というが、それが献金ではなく賄賂という「いやしい」金なのだとしたら路上で受け渡しすることになにか不思議があるだろうか? そもそも岩見隆夫は当時の現場の交通量を調べたうえで「白昼に、天下の公道で、できますかねえ」などと言っているのか? 授受の当事者である伊藤(丸紅)は取り調べに対して英国大使館裏が人通りの少ないところなので現金授受の場所として選んだ、と供述しているのに、である。なお、公判で伊藤はこの部分に関する供述を覆しているが、立花隆は事件の2年後から2年間ほど、英国大使館裏から200メートルも離れていないところに住んでおり、事件から2年経ったその時点でも現場の交通量は極めて少なかったと主張している(『ロッキード裁判とその時代』2巻、436ページ)。「英国大使館裏」での授受を疑問視するなら、せめて現場の当時の交通量を裏づける証拠・証言を探すくらいの努力はしてもらいたいものだ。
なお、「客観的事実」として英国大使館裏での現金授受があったのかどうかについては、現場に立ち会ったわけでもない私としては不可知論の立場をとるほかない。しかしながら小室直樹によれば「法廷で認定される事実」に先立って「客観的事実」があると考えるのは間違いなのだから、少なくとも小室信者のロ裁判批判派はあくまで裁判での事実認定に至るプロセスを問題にするよりないわけである。検察側のこの点に関する立証と弁護側の反証を比較考量して、もし弁護側が「英国大使館裏での現金授受」に合理的な疑いを抱かせるだけの反証ができなかったのだとすると、いまさらなにを言っても負け犬の遠吠えということである。
次に「丸紅から5億円の政治献金」を受け取ったと榎本が供述している云々の点。以前にも述べたように、この手の事件で「いやあれは政治献金だった」と抗弁するのは極めてオーソドックスな戦術であり、全く驚くに値しない。しかしまず5億円というのは一社から一人の政治家に送られる政治献金の額としては当時の相場から(あるいは現在の相場で考えても)あまりにもかけ離れており、到底額面通りに受け取れるはなしではない。さらに、「政治献金として5億円を受け取った」ということすらきっぱり否定したのは他ならぬ田中角栄なのである! 田中が(おそらくは裁判以前から一貫して5億円の受け取りを否定して批判をかわしてきたこととの整合性を保つために)「ビタ一文もらっていない」と主張し続けたがために丸紅側と弁護戦術が食い違うことになり、そのため墓穴を掘ったことはすでに指摘しておいた。仮に5億円が本当に政治献金だったとして、その受け取り自体を否定してしまったがために有罪になってしまったのだというなら、それはなによりも田中側の弁護戦術上のミスである(そして二審弁護団もそう考えていたようである)。弁護団のミスなのに検察や裁判所を責めるというのは逆恨みもいいところであろう。はっきりいって、いまさらこんなはなしをもち出してなにごとかロ裁判にケチをつけることができたと考える神経を疑う。
最後に「本来逮捕されるべきは田中ではなく○○(まあ中曽根なのであろう)」とか「ピーナツ領収書」をめぐる疑惑などについても、当ブログおよびHTMLページにてすでに(簡単にではあるが)触れてある。これまた読んでいないのは畦道氏の怠慢であって私のせいではない。ロッキード事件には立件されていないさまざまな裏があり、そのため表に出ている部分にいろいろつじつまのあわないところもある…といったことは立花隆を初めとする「田中=有罪派」も当初から問題にしていたし、検察もそれとなくにおわせており、別段目新しいはなしでもなんでもない。そして、もし田中が「無実」であるにもかかわらず事件の全貌が隠蔽されたために「有罪」にされてしまったのだとすればそれは大いに問題だが、「実際に収賄していたのだが他の悪いやつは逃げ切った」ということであるなら、そんなものは田中を弁護する根拠にはならないのである。「俺はスピード違反で捕まったのにあいつはもみ消してもらってけしからん」というのは、もみ消しを断罪する理由にはなっても「俺」のスピード違反を免罪する理由にはならないのと同じことである。検察を批判するなら田中を起訴したことに対してではなく他の容疑を立件しなかったことに対してであるべきだし、また検察がそうしたくてもできない事情があったのだとしたら(確実にあったと思われるが)その事情を生み出した背景こそが批判されるべきであろう。

この半年間、いまだにロ裁判批判論が生き残っていることに驚かされたわけだが、同時にそれら批判論がいかに反駁済みの同じ論点を繰り返しているか、またいかにも見込みのない些細な論点にすがっているか…もよくわかってきた。

Posted: Fri - November 5, 2004 at 12:26 PM


早速のネタ提供、どうも〜
ふたたび誤謬推理について
sakuma goichiさんのコメントについて


さて11月1日付けのエントリで、今後は「ネタ」扱いすると宣言したまさにその同じ日に、さっそく大ネタを提供していただいた。

明文の規定があれば適法
→明文の規定がないのにやったら違法
ってことになりませんか?


という部分(というか、それ以外は判決からの引用なのだが)。「明文の規定があれば適法」から論理的に導出できるのは「適法でないなら、明文規定はない」であって「明文規定がないなら違法」ではない。これは論理学の初歩の初歩なのだよワトソン君。しかし論理学をもち出すまでもなく、ちょっと常識をはたらかせてみればこれがいかに珍妙な主張か、わかりそうなものだ。「明文規定」で「してよい」「できる」とされていない行為は無数にあるじゃないか! 刑訴法からみのもので立花隆が挙げていた例をひくなら、裁判において適宜休憩をとる根拠となる明文規定は存在しない。したがって、畦道理論によれば、公判中に休憩をとることは違法だということになるわけだ! そもそも現実の世界で生じうるあらゆる事態を想定して、それら全てを漏れなくカヴァーする法体系など存在しない。そんなことができるなら鉄腕アトム(の少なくとも頭脳部分)は予定された誕生日に間にあっていただろう。人工知能が初期の楽観論にも関わらずなかなか実現しなかったのは、現実が言語によって明示的に記述しきれない豊かさを持っているからである。近代社会ではなにが「違法」であるかは法によって定められるというのが原則であるが、これについても「明文規定」にごりごりにこだわるならいろいろと不都合が出てくる。もし「明文規定」だけに依拠して適法・違法が決まるというなら法律家の数はいまよりずっと少なくて済むだろう。実際には直接関連する明文規定が存在しないような事態がたくさん生じるからこそ、その事態の適法性、違法性について判断するための専門家が必要なのである。
さらに言えば、最高裁判決の法廷意見よりもさらに被告側よりの判断を示した大野判事の補足意見においてさえ、捜査の一環としての嘱託訊問それ自体には「重大な違法があるものということはできない」とされていることをご都合主義的に無視しているのだから、なにをかいわんやである。しかも彼が破廉恥なのは、同じ11月1日付けの、別のエントリへのコメントで「私は、免責自体を問題にしているわけではない」と言っておきながら「明文の規定がないのにやったら違法」などと主張している点である。自説の整合性を保つという努力すら放棄するということだろうか?

さて、今回また新たに「sakuma goichi」というハンドルの方からコメントを頂いている。いったいどのような立場からコメントしておられるのかはっきりしないのでどうお返事すればよいのか判断に迷うところであるが、無用な誤解を避けるためにもここで改めて(コメント欄での返答を)補足しておきたい。まず

結果としてロ裁判批判派の立論がある程度、最高裁の判断に組み込まれたと見ていいのかもしれません。

という点について。最高裁が「独自に判断を下した結果、部分的にはロ裁判批判派の議論と一致した結論に至った」のか、それとも最高裁が「ロ裁判批判論の立論を部分的に採用して判断を下した」のかは、はっきり申し上げてどうでもいいことではないだろうか。私は(そして立花隆も)ロ裁判批判論の中に大量のデタラメが含まれていることは主張しているが、ロ裁判批判論のすべてがデタラメだと主張した覚えはない。むしろ、刑訴法321条批判については条件つきで傾聴に値するものがあると述べているし、嘱託尋問調書の証拠能力をめぐる最高裁の判断についても、「消極的に過ぎる」と批判する余地がある一方で「慎重になるのも理解できる」、という趣旨のことを書いている。免責に基づく証言の証拠能力が検察側の主張(および下級審の判断)のなかでももっとも微妙なものであることはちゃんと認めているのである。逆に言えば、日本の法制度において明文規定がない免責を与えたうえで行われた証言の記録に証拠能力はない、という主張は当初から一定の説得力を持つものとして扱われていたのである(結果として下級審では採用されなかっただけで)。そこが「明文規定がないものは全て違法」だとか「反対尋問を経ていない証言はすべからく証拠能力がない」「嘱託尋問調書が証拠採用されなければ田中は無罪」といった珍論と異なる点である。
さらに言えば、最高裁判決は、「嘱託尋問調書に証拠能力なし」というただ一点においてのみロ裁判批判論と一致しているだけであって、その他の全てについてロ裁判批判論を退けている。特に「嘱託訊問調書さえ証拠採用されなければ田中は無罪だったはず」という主張は、逆に最高裁判決によってその誤りが決定的に明らかになったと言ってよいわけだ。したがって、トータルで考えれば最高裁判決はロ裁判批判論の誤りをこそ証しているのであり、ごく一部においてロ裁判批判論の(これまたごく)一部に聞くべきものがあった、としているに過ぎない。こう考えるのが素直な解釈ではないだろうか。

もう一点、嘱託訊問に際しての最高裁宣明書ほかの書類が散逸していたという報道の引用について。これについてもいったい何を主張するためにこれを引用しておられるのかがはっきりしない。したがって返答のしようがない…と言ってもよいのだが、引用元の掲示板の雰囲気や、同じ記事が紹介されていた「法律学のカフェ」掲示板(Angelix氏が助太刀を求めて無視された掲示板)の雰囲気を考えれば、おそらくは「司法の陰謀」説を仄めかしているのだと想像して一応お答えしておく。もちろん、私が入手しうるごく限られたリソースでは、最高裁による陰謀という可能性を完全に否定することはできない。だが、その蓋然性が極めて低いことは確信できる。まず、宣明書その他の書類の写しは当然アメリカ側にも渡っている。したがって、単に日本の最高裁が関連書類を処分しただけでは「証拠隠滅」として不完全で意味がない。また、宣明書の内容は当時(少なくとも重要部分は)報道されているのであって、これまた書類を処分したからといって「なかったこと」にできるものではない。また事件当時の公官庁の「情報公開」に対する意識(の低さ)、裁判所が管理する文書の膨大さ、宣明書が公判記録ではないこと…などを考えれば当該文書の管理がずさんであったとしてもそれほど驚くべきことではない(もちろん正当化できることではないが)。ある程度大きな組織で勤務した経験があれば、業務データが電子化される以前の文書を探し出すのがかなり骨の折れる作業だということは容易に想像がつくはずである。例えば公立図書館の蔵書にしたって盗難や未返却のため所在不明、ということはちょくちょくあるのだ。もちろん公文書はきちんと管理され必要に応じて公開されるべきであって、はっきりした経緯も明らかにされないまま「廃棄されたようだ」などというのは原理的には許されるべきではないが、実務上はある程度の確率で生じることである(そういえば、テキサス州空軍の勤務記録のうち、ブッシュ現大統領が従軍していたはずの時期のものだけが紛失していた、というなんとも好都合な「事故」もありましたな)。内容的にも、ロッキード裁判の歴史的評価を変えるようなものが含まれていた可能性はまずない(つまり、紛失したテキサス州空軍の勤務記録に較べて内容的な重要性が極めて低く、その分陰謀に関連している蓋然性も低い)。したがって、この件に関して最高裁を弁護する気はさらさらないものの、これを陰謀論に結びつけるのもまた早計である、というのが現時点での私の判断である。


Posted: Sat - November 6, 2004 at 12:25 PM


ロッキード事件の裏
今週の「神保・宮台 マル激トーク・オン・デマンド」、ゲストは『フォーブス』のアジア太平洋支局長で政・官・業とヤクザの癒着を告発しているベンジャミン・フルフォード。


せっかく掲示板までつくって手ぐすねひいて待っているのに、畦道氏もフェードアウトしてしまって寂しい(笑)

さて、ロッキード事件とCIAの関わりについて番組中で次のような趣旨のコメントがフルフォード氏より。スキャンダルにより社会党政権が実現することを恐れたCIAが事件の全容解明を阻止した、と。つまり一般的な「アメリカによる田中潰し」というシナリオではなく、「自民党救済」というシナリオだったというわけ。まぁ、信憑性を判断する情報を持っていないのでとりあえず紹介だけ。

Posted: Sun - November 14, 2004 at 11:09 PM



おまえやっぱりアホやろ。
細目に入るなって。
笑ってどうすんねん。
南に行くか北に行くかを話あうべてテーマで、なんで地図の誤植の話しかしてないねん。
おかしいやろ、それ。

それで「細目に入るな」と言われてるのに
笑ってどうすんねん。

いつまでも誰も読まない長い長い文章書いてるし。
どっかから金もろてるやろ。

アホ。
生きてる価値ないぞ。
Anonymous ハ | Email | Homepage | 11.17.04 - 8:28 am | #

おう、懐かしいね、「細目に入るな」のバカ君!
「誰も読まない長文」ということは、君はこの世に存在しないわけだ〜。
それからね、せっかくのたとえだけど、つまらないうえに間違ってるよ。地図のたとえを使うとすれば、1000年前にヨーロッパ人がつくった地図で日本を目指そうとするやつに対して、「そんな地図ではいつまでも目的地に着けませんよ」って忠告してあげてる、ってのが実際のところなのよ。
Apeman ハ | Email | Homepage | 11.17.04 - 8:03 pm | #

あるいはね、地図の上下を間違えている迷子に「それじゃ逆ですよ」って教えてあげているの。わかったかな〜?
Apeman ハ | Email | Homepage | 11.17.04 - 8:09 pm | #

それからね、ぼくちゃんには理解できなかった「細目」のことだけどね、論点そのものはロ裁判批判派が提起してるの。こっちはそれに反論しているだけなの。だからね、「細目に入るな」っていうならまずはいまだにロッキード裁判が暗黒裁判だと思っているかわいそうなお友達に言ってあげてね。
Apeman ハ | Email | Homepage | 11.17.04 - 8:13 pm | #


なぜ「彼ら」のうちのあるものは「細目」「長文」を嫌うのか…
「細目に入るなよ」君から久しぶりのコメントがせっかくコメントがきたのだが、こちらの切り返しに今ひとつ納得がいかないのでやり直し。


さて、「 南に行くか北に行くかを話あうべてテーマで、なんで地図の誤植の話しかしてないねん」なんだそうである。ちゃんとこのたとえに即して切り返すならこう言わねばならなかった。「だって、北と南が間違って印刷された地図を持ってるやつが“おれは北に向うぞ〜”といいつつどんどん南に歩いて行くから、“南と北が逆だぜ”って教えてやらなきゃしかたないでしょ」と。

一時期、宮代真司がブログ(Weblog)というアーキテクチャーをBBSとの対比でえらく持ち上げていたことがある。曰く、「良貨が悪貨に駆逐されない仕組み」と。現状を見れば電波ビンビンのブログや2ch的センスで貫かれたブログが乱立しており彼の見通しはちょっと甘かったということになるが、そういいたくなった理由もよくわかるのである。BBS(個人のWebページに付属する掲示板ではなく、典型的には2chやYahoo!のそれなど)には
・長文は書きにくく、また読みにくい。
・投稿者が「責任の主体」意識を持ちにくい
というアーキテクチャー上の欠点がある。つまり丁寧な議論は敬遠され、無責任だが威勢だけはよい脊髄反射投稿がクールにみえてしまう、ということである。ウェッブログとトラックバックによるやりとりであれば各人は「自分が開設したウェッブログで発言する」という意識をいやでも持つことになるし、長文のやりとりを順を追ってたどることも掲示板の場合よりずっとやりやすい。ロッキード裁判に関してこのブログのコメント欄にコメントした人々に対して私は「断片的ではなく丁寧な議論」を可能にするための提案を何度となく行ってきたが、その提案にちゃんと応えたのは牛犬氏ただ一人だったのである。

Posted: Fri - November 19, 2004 at 01:00 AM


速報! 『角栄失脚 歪められた真実』
徳本栄一郎、『角栄失脚 歪められた真実』、光文社
初公開の米外交機密文書、関係者インタビューを通して、「角栄失脚後30年のトラウマ」を解き明かす!
(裏表紙の宣伝文句より)


この問題についてまるまる一冊を割いた本というのはほとんどなかったのではないだろうか。Amazon.co.jpの宣伝で見かけ、即日購入。
『ロッキード事件=CIAの陰謀」説を主張する人間にとっても否定する人間にとっても、まずは読むべき本であろう。ロ裁判批判派のコメント大歓迎! 掲示板でもOK!

Posted: Fri - December 17, 2004 at 10:08 PM


徳本 vs. 田原 ロッキード事件謀略説をめぐって
田原総一郎、『戦後最大の宰相 田中角栄』(上・下)、講談社+α文庫


徳本栄一郎の『角栄失脚 歪められた真実』についてはすでに別のカテゴリーで書いたのだが、こちらにも転載しておく。
書名の「歪められた真実」とは“アメリカ(CIA)による陰謀が隠蔽されている”という意味ではなく、“誤った陰謀論が流布して真実を歪めている”の意味。ロッキード事件陰謀論者の方々、残念でした! タイトルをみて読んだらさぞがっかりしたことだろう。もちろん、著者が参照した資料をチェックし、その資料の信憑性について裏をとり、筆者が行ったインタビューの裏をとり…といった作業をしない限り本書の結論を鵜呑みにはできない。とはいえ、本書の記述に破綻はないし、知られている事実との矛盾もない。なにより、田原総一郎が発端となった「陰謀論」がそもそも誤解や憶測、伝聞に基づくものでしかないという批判は極めて説得的である。ちなみに立花隆が『「田中真紀子」研究』で言及していたチャーチ委員会への取材に基づく雑誌記事とは、この著者が書いたものだった。
ま、少なくとも、陰謀論を唱える連中は以後本書を乗り越えたうえでなければ主張を続けられないことは明白である。せいぜいがんばってもらいたい…。

と書いて数日後に、小室信者らしき人物の主催するBBS(「国際戦略BBS」)で本書のレビューを見つけたのだが、これがまた噴飯ものなのである。本書は「ロッキード事件の謀略説を否定する極めていかがわしい本」であり、それというのも「当時の関係者が「そんな謀略などあるわけない」と発言したのをそのまま文字にしたと言うだけの本」だからだ、というのである。しかし「当時の関係者」への取材を行うことは非難されるべきことではないし、その証言は公文書などと照合することによってチェックされている(当人も「合衆国の英文資料が巻末にあるので資料としては価値がある」と言っているのに…)のであり、「そのまま文字にした」というのは事実に反する。逆に、では謀略説になにか根拠があるのか…というわけで買ってきました。ちょうどよいタイミングで出版された田原総一郎の『戦後最大の宰相 田中角栄』である。以前に、「ロッキード裁判は無罪だった」という章題をみて買う気が失せてしまった本が文庫化されたものである。初めの数ページを読んだだけでもダメダメなことがよくわかるのだが、裁判論についてはまた改めて評することにする。ロッキード事件謀略論については、要するに「関係者からそういう説、噂を聞いた」というのが田原総一郎の挙げる根拠の全て、といってよい(あとは状況証拠だけ)。その関係者というのもロ事件の当事者ではなく、エネルギー問題の専門家や角栄周辺の人物など。徳本栄一郎がチャーチ委員会のメンバーに直接取材しているのに対して、田原総一郎は「本物の関係者」には取材していないのである。謀略論者が必ずもち出す例の「資料誤配事件」についても、『角栄失脚』では実に合理的な回答が与えられている。

まあ、陰謀説にはまるといかに「見えるはずのものが見えなくなり、かわりに見えないはずのものが見える」ようになるかがよくわかって、興味深い。

Posted: Mon - December 27, 2004 at 09:33 AM


田原総一郎の「ロッキード事件」論
田原総一郎、『戦後最大の宰相 田中角栄 上』(講談社+α文庫)、第1部「ロッキード裁判は無罪である」


とりあえずロッキード事件謀略論とロ裁判批判論を収めた第1部を読了。
まず謀略論について。前回にも書いたように、いわゆるロッキード事件謀略論の根拠なるものは角栄の秘書官(当時)や財界人の発言以外になにもない。後は石油ショック以降の国際政治情勢をあいまいな状況証拠として挙げているだけである。はっきり言って謀略「論」と呼べる水準にすら達していない。そもそも、ロッキード事件の発覚は田中退陣の後なのであって、角栄が「闇将軍」として君臨するようになったのは裁判を抱えながら猛烈な政治闘争をやった結果である。退陣直後であれば、わざわざ謀略というリスクを冒してまで田中を「失脚」させる必要などなかったのである。田原は中曽根の著書から「キッシンジャーが『ロッキード事件は間違いだった』と密かに私に言いました」という言葉を引いているが、これはキッシンジャーがロッキード事件関連資料の封印に失敗したことを後悔している、という意味に解するべきであろう。徳本が紹介している米公式文書によれば、キッシンジャーは田中を高く買っており、好意的であったからだ。だいたい、ロッキード事件への関与を疑われている人物の著書を根拠にするというのは滑稽にもほどがある。

ロッキード裁判論の方は、もっぱら4回にわたる5億円授受の検察側立証を俎上にあげるというもので、主として法律論に焦点を当てた他の裁判批判論とは少々おもむきが違っている。それはよいのだが、のっけから次のようなデタラメが書いてあるのをみると正直言って読む気が失せてしまう。

(…)コーチャンが何を喋っても刑事免責をされるという、最高裁の全員一致の“宣明書”を前提にしての嘱託尋問である。
 これは、刑事訴訟法に照らして完全に違法なのだが、このとき最高裁は、あえてゴーサインを出した。(中略)のちに同じ最高裁は、このゴーサインを誤りだとして、嘱託尋問の証拠排除を決めたのだったが(後略)。

同じような趣旨の記述は第1部の結び近くにも出てくるのだが、これがどれほど間違っているか、当ブログをご覧の方にはよくお分かりであろう。まず免責を行う権限を持つのは検察であって裁判所ではない。アメリカ側が日本の法制度への誤解に基づく要求を出したために最高裁が「宣明書」を出すはめになったわけだが、その内容は「検察の免責に関する約束は守られるだろう」という旨「宣明」するというものでしかない。また、最高裁判決が嘱託訊問そのものを「違法」としたわけでないことは、繰り返し述べてきた。
他にもコーチャンの嘱託尋問が田中有罪の「最重要根拠」となった、といったロ裁判批判論におなじみの誤謬がみられる。
さて、5億円授受に関する議論(検察側の主張する日時・場所は破綻している、という主張)については検証に手間がかかるので別途行うとして、ここでは一点だけ。(田原によれば)矛盾だらけの検察側のシナリオが受け入れられてしまった背景の一つとして、被告側に真実を語れない事情があったため有効な弁護活動ができなかった…というものがあげられている。しかしながら、仮にそれが事実だとすれば、それは被告側の問題であって、裁判所や検察の問題ではない。裁判所はあくまで検察、弁護側双方の主張に基づいて判断を下すしかなく、「弁護側が語ることのできない真相」にまで斟酌することは不可能である。とすれば裁判所の判断を批判するのはお門違いというものではないのか。

Posted: Tue - December 28, 2004 at 11:06 AM


ABCテレビ、「戦後60年新春特別企画 ビートたけしの陰謀のシナリオ!!」
「日本を震撼させた戦後7大事件はアメリカの陰謀!?」


「7大事件」の最後がロッキード事件。正月の娯楽番組にそもそも何かを期待するのが間違っているといえば間違っているのだろうが、まったく新味のない内容で、ロ事件謀略説の信者にとっても物足りなかったのではないだろうか(笑)
やたらに多用される「!?」という符号が示すように、どの事件に関してもことの真偽に関して一切のコミットメントを回避した、いかにもバラエティ番組らしいつくり。いまさら下山事件についてキャノン機関の関与を仄めかすくらいで番組をつくってしまえるとは、なんともお気楽なことである。
比較的予備知識があったのが帝銀事件、下山事件(および三鷹・松川事件)、ビートルズ来日、そしてロッキード事件の4つで、そのうち帝銀事件のパートについては半分見逃したのだが、残りの3つをみる限り「アメリカの謀略を匂わせる要因だけを挙げ反証には一切触れないくせに、アメリカの謀略だと明確に主張するわけでもない」という姿勢が一貫している。ロッキード事件については立花隆らの「田中角栄研究」がCIAによる仕掛けだとする説に言及するので、「おいおい、ちゃんと立花隆にもはなしを聞くんだろうな」と思いつつ観ていたのだが、それっきりである。おそらくは「いや、断言はしてませんから」というのがテレビ局のいいわけで、その際に「!?」という符号がものをいうことになるわけだろう。そういえばミドリ十字と731部隊のつながりについては明言していたのだが、もはやミドリ十字という企業は存在しないから安心、ということなのだろう。

それにしても「戦後60年…」と題した番組でテーマとなったのがアメリカ謀略説だというのは非常に興味深い。もちろん、アメリカが実際に関与した謀略が戦後日本にも少なからずあるのは確かである。また歴代の自民党政権をアメリカ(CIA)が支援していたなどというのは「謀略」というまでもない公然の秘密である。しかしアメリカの思惑を前提としつつ可能な選択肢をひろげてゆく策はとり得たわけであり、アメリカの謀略を強調することは「押しつけ憲法」論と表裏一体の発想だと言うべきである。後者はともかくアメリカ謀略論が左右を問わず人気をもつのは、左右どちらも日本という国家の主体性などあり得ないという「自虐」的な前提にたっているということだ。

Posted: Mon - January 3, 2005 at 12:57 PM ハ