以下に挙げるのは、付属のブログでロッキード裁判批判論を巡って書いた文章をまとめたものである。こちらの結論をひとことで要約するなら、「ロッキード裁判批判論のほとんどは無知と誤読と詭弁によるデタラメ」ということである。以下、どれほどデタラメな議論が流布しているかをご覧いただきたい。


小室直樹って…

まだこんなこと言ってたのか、というお話。

宮台真司の『野獣系で行こう!!』(朝日文庫)で宮台真司と小室直樹の対談を読んでびっくり。なんといまだに「田中角栄のロッキード裁判は反対尋問が認められなかった異常な裁判だ」という話しをしているのである。対談自体は10年ほど前のものだが文庫になったのは2001年であり、いまだに売られているのだからその後も公式に撤回してはいないわけである。

すでに忘れておられる方も少なくないとは思うが、「反対尋問」云々は当時いろいろあったロッキード裁判批判のなかでもダントツでレベルの低い代物である。どれくらい低いかと言えば、この説を熱心に唱えていたのが渡部昇一であった、と書けばわかる人には(笑)わかるだろう。これは贈賄側であるロッキード社のコーチャン、クラッターへの嘱託尋問調書が証拠採用された件を指していっているのだが、2人は裁判に証人として出廷してはいない。それゆえ、そもそも反対尋問が問題になることなどあり得ないのである。問題の嘱託尋問調書は捜査段階で作成されたもので、刑事訴訟法上では警察官による尋問調書などと同じカテゴリーに入る文書である。その時点で田中角栄はまだ被告人ではないので、当然被告側が反対尋問をすることなどあり得ない。しかしながら、同じように反対尋問がない(捜査段階なので当たり前)検事調書や警察官による調書が証拠として採用されることは別段珍しくない。証拠として採用するということは直ちにその内容が真実であると裁判所が認めることではないし、必要に応じて弁護側が取り調べにあたった検事なり警察官を証人として申請することによって実質的な反対尋問的効果をあげることができるわけである。同じように、田中弁護団も2人を証人申請するなり、2人に対する新たな嘱託尋問を請求することができたわけだが、実際には結審間近の時期に訴訟引き延ばし策の一環として申請しただけだった。要するに、反対尋問的性格の問いにさらされていない調書が証拠採用されることは日本の裁判では異例でもなんでもなく、それをもってしてロッキード裁判を「憲法違反」などというのはバカとしか言いようがないのである(当時一部のいわゆる「人権派弁護士」が、日本の刑事裁判一般の問題点を明らかにするため、という理由でこの点を突いたのは屁理屈としては一応筋が通って入る。しかしもしそうするなら、大弁護団を結成する資力のない被告の事件でそうすべきであろう)。ついでに言っておけば、クラッター、コーチャン2人の証言は捜査段階では重要だったものの、裁判では2人の証言内容は他の証人の証言によっても明らかにされており、この嘱託尋問調書がなければ角栄が有罪にならなかったということもないのである。

この嘱託尋問調書は、日本とアメリカということなる法体系をまたいで作成されているため、異例のプロセスを経ていることは確かで、その点は真剣な議論に値する。しかしこの裁判を「反対尋問の権利が奪われたので憲法違反だ」とこの期に及んで主張するのは、繰り返すが、バカだけである。

それにしても小室直樹と渡部昇一と言えば、「専門外の分野でやたらと大風呂敷をひろげた本を量産する学者」という共通点があるが、こんなとんでもないミスにほおかむりして(立花隆によって彼らのミスはきっちり指摘されており、それが2人の耳に入っていないはずがない。特に、『朝日ジャーナル』誌上で往復書簡形式の対論までやった渡部昇一が知らないはずはない)すますことのできる神経がなければできることではないのだろう。そりゃあ、人間誰しも間違いはおかす。研究者だって専門分野ですらミスを犯すのだから、専門外のことでならなおさらである。また、間違いを素直に認めたくないというのも人情である。しかし、少しでも言い逃れの余地のあることで突っ張るならともかく、これほど申し開きのしようのないウソを強弁し続ける神経は理解を絶する。突っ張れば突っ張るほどバカに見えるだけだというのに。それとも、「自分の本の読者の大半は立花隆の本など読むまい」とタカをくくっているのだろうか? いずれにせよ、宮台真司もこんなヨタにはちゃんと突っ込まないとだめだろ〜。彼が「自分の師匠は小室直樹と廣松渉だ」と常々いい募るのは、言論界でフリーハンドを確保するための戦略として理解できるのだが、こんなでたらめまで黙認してしまうのは得策ではない。

それにしても、どんな分野にでも保守派、右系の研究者はいるだろうに、なんで保守・右系メディアは渡部昇一なんかを重用するのかなぁ…。まあ左系メディアにもままあることだが、読者受けする粗雑な大風呂敷を専門家はむやみにひろげないからだろうか。

ちなみに、ロッキード裁判批判に関しては、日中国交回復によってアメリカに対して外交上のフリーハンドを確保しようとした田中角栄をアメリカが嫌ったための謀略だという議論が当時からあり、最近ではけっこう根付いているようだ。なるほどアメリカは、中南米なら軍事介入をして自分にとって不都合な政権を(それが民主的に選出されたものでも!)転覆するような国だから、あり得ない話しではない。しかしその場合でも、ロッキード事件そのものがCIAの謀略によるでっち上げだったというケースと、CIAによるリークないしフレームアップだったという場合では事情が異なる(そして、前者だという説は聞いたことがない)。後者の場合、田中角栄の汚職によって「独自外交」という志が否定されてはならないのと同じように、その志によって汚職が正当化されるわけではないから。もしロッキード事件がアメリカによる謀略だったのなら、なおのこと田中角栄(自民党)は罪を素直に認めて、「独自外交」路線の志を絶やさない努力をすべきだった。田中が「闇将軍」として居座った結果かえってその志は風化し、竹下登→鈴木宗男といった具合に矮小化されたエピゴーネンを生むだけの結果に終わってしまったのではないのか?

Posted: Fri - May 14, 2004 at 09:54 PM Apes! Not Monkeys! Bad News Previous Next Comments (3)


>2人は裁判に証人として出廷してはいない。それゆえ、そもそも反対尋問が問題になることなどあり得ないのである。

裁判に証人として出廷していない者の反対尋問が問題になる事がないのは,その調書が証拠として採用されるのではなく,単なる捜査資料になる場合です.

>証拠として採用するということは直ちにその内容が真実であると裁判所が認めることではないし、

だから渡部昇一教授は,法学者の教示を受けて,信用性の話をしているのではない,証拠能力の話をしているのだと言っているのです.

>必要に応じて弁護側が取り調べにあたった検事なり警察官を証人として申請することによって実質的な反対尋問的効果をあげることができるわけである。

“調書は二重の意味で伝聞である”という問題の意味が全く理
Angelix | Email | Homepage | 06.18.04 - 7:12 pm | #

“調書は二重の意味で伝聞である”という問題の意味が全く理解出来ていない者です.
検事や警察官が聞いた話である時点で伝聞(この段階で反対尋問権の確保もへったくれもない),彼らが出廷しない段階で伝聞,だから問題なのです.

>同じように反対尋問がない(捜査段階なので当たり前)検事調書や警察官による調書が証拠として採用されることは別段珍しくない。

その場合,証人は検察側が呼び出して出廷させねばなりません.コーチャン・クラッター両氏も,本来検察側が呼び出すべき証人です.

>しかしこの裁判を「反対尋問の権利が奪われたので憲法違反だ」とこの期に及んで主張するのは、繰り返すが、バカだけである。

最高裁判所は田中角栄の死後,別の裁判で,嘱託尋問調書の証拠採用は認められない,被告人
Angelix | Email | Homepage | 06.18.04 - 7:19 pm | #

の反対尋問権を奪っているから問題だという判決を出しました.

http://courtdomino2.courts.go.jp/promjudg.nsf/0/b0b7999399d1642949256739001ccd65?OpenDocument

最高裁判所は“バカ”なのですか?
貴方の方が,“ダントツでレベルの低い”大“バカ”なだけではないですか?
Angelix | Email | Homepage | 06.18.04 - 7:21 pm | #



追記

「小室直樹って」への追記

立花隆は近年様々なかたちで批判の対象になっているが(そして初期の仕事のなかにもトンデモな箇所が散見されはするのだが)、ロッキード裁判批判への再批判を行った『ロッキード裁判批判を斬る1・2・3』(朝日文庫)は彼の仕事のなかでも最良の部類に属する。少なくとも渡部昇一との「論争」に関する限り、「日本の言論史上希代のデタラメ男が、ついに言い抜けに窮したあげく遁走したと私は満天下に公言する」(前掲書3、83頁)と言う資格が立花隆にはある。

Posted: Fri - May 14, 2004 at 10:40 PM Apes! Not Monkeys! Bad News Previous Next Comment (0)


立花隆、『ロッキード裁判批判を斬る』

小室直樹のホラ話がきっかけでまた読み直してしまった…

すでにいくつかの立花隆批判本が出版されているが、私が最初に違和感を感じたのは、彼のいかにもオヤジ的な女性観である。たしか『エコロジー的思考のすすめ』(中公文庫)だったと思うが、性器の形状を観れば男性が能動的で女性が受動的たるべきなのは明らか、と主張していてあきれてしまった。このロジックに従えば、私があなたの腕に噛み付いた場合、能動的なのはあなたの方だから私がとがめられることはないわけである。「政治的に正しくない」以前に、生物学的にも正しくない発想だ。また、『サル学の現在』(単行本)で、女性の若手研究者に「サルの性行動の観察ばかりして嫌じゃないか?」といった趣旨の質問をしているのもオヤジ雑誌的発想だ。

もっとも、文春文庫に入っている『アメリカ性革命報告』は意外に真っ当なルポになっていて(今となっては古いが)、世代相応のジェンダー観に縛られてはいるがジャーナリストとしての力量はあることを示している。『ロッキード裁判批判を斬る 1〜3』(朝日文庫、品切れ)は『知のソフトウェア』(講談社現代新書)と並んで彼のもっとも良質な仕事であると思う。これが品切れになっているというのは極めて残念だ。

ロッキード裁判批判は保守論壇誌を舞台としながら、いわゆる「人権派」弁護士も加わっているというのが興味深いところである。話題になったのを幸い、日本の刑事裁判のあり方一般を批判しようという政治的な思惑もあったのだろうが、田中角栄というキャラクターが党派を超えて及ぼす磁力のようなものを感じる。ロッキード事件は私にとって「記憶にあるなかでもっとも古い社会的事件」の一つなのだが、事件発覚前には書店に彼の自伝が平積みにされていたのも強く印象に残っている。同世代の男性ならたいてい角栄節の物まねをしたことがあるだろう。子ども心にも「キャラの立ち具合」は一目瞭然だった。また、今改めて考えてみると、クラッターとかコーチャンと言った固有名詞は、欧米の人名としては最初に覚えた10の内に入りそうだ。

さて、本書に登場する裁判批判派のなかで異彩を放っているのはなんと言っても渡部昇一だろう。各種の論争のなかで、これほどまでにデタラメをいいかつそのデタラメが完膚なきまでに叩きつぶされた例はみたことがない。しかも驚くべきは、立花隆に「もはやゴミために捨てられても仕方がないところまできている」と評された裁判批判論を収録した本がまだ売られているという事実である。このあたりは、「自分に都合の良い情報しか目にしたがらない」という人間の性癖(渡部昇一がこれほどまでに醜態をさらした原因であり、またもちろん私も免れているわけではない)が原因であろう。つまり、渡部昇一の読者の多くは、彼に対する批判など読まないということである。彼の場合、イデオロギーによって賛否が分かれるという以前のレベルでデタラメを言っているのであり、本来なら彼の支持者こそがそうしたデタラメに敏感でなければならないのだが。

イデオロギーを越えた渡部昇一のデタラメぶりを批判したものとしては、南京大虐殺をめぐる秦郁彦(歴史家)によるものが有名だ。渡部昇一は田中正明の『”南京虐殺”の虚構』という本にあつ〜い推薦文を寄せているのだが、その本たるや松井大将の日記を大虐殺否定派に都合の良いよう改竄したことで悪名高いものだ(改竄を最初に指摘したのは秦氏ではない)。秦氏はイデオロギー的には右に属する歴史家で、この問題について書く媒体として渡部昇一を重用している『諸君!』などを選んでいるのだが、それでもなお渡部昇一は厳しく批判されているのである。

日本の言論界がもう少しましになるためには、イデオロギー的に親近感をもつ論者をこそ批判的にみる態度が必要だろう(と、自戒を込めて)。

Posted: Sun - May 16, 2004 at 04:25 PM Apes! Not Monkeys! Good News Previous Next Comments (2)


渡部昇一教授が立花隆氏に論破された?遁走した?
どうやって遁走させれば良いのか全く見当もつきませんな.
( http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1028182794/E735228537/index.html にもコメントしておきました.)
“角を縛った法は丸も三角の立花も渡部も縛る”からこそ,石島泰弁護士などが賛同に回るのです.
ある判例が成立すると困るかどうかは,直接の被告人が誰れであれ関係ありませんからね.
そんな事も理解出来ないのですか?
大体,そんなに御粗末な議論なら何故最高裁判所が最後には,渡部昇一教授や小室直樹博士などの論じた通り,反対尋問権が確保されないという点を理由に含めて嘱託尋問調書に証拠能力は認められないという判決を出したのですか?

http://courtdomino2.courts.go.jp/promjudg.nsf/0/b0b7999399d1642949256739001ccd65
Angelix | Email | Homepage | 06.19.04 - 2:51 am | #

http://courtdomino.courts.go.jp/chomei2.nsf/ea145664a647510e492564680058cccc/b2f8534575917ca3492567380029a45a?OpenDocument

を読んだところ,最高裁判決で反対尋問権が問題になっているのは,判決文の判決理由の箇所ではなく,判事の補足意見の箇所でした.(英語の文章を飛ばし読みしていた時には気づかなかった)
で,最高裁判事が認める議論の何がどうバカしか主張しないような議論なのですか?
渡部昇一教授は,”萬犬虚に吠える”所収の論文で,多くの法律専門家が自分の意見に賛同していると書いているのですが,“このあたりは、「自分に都合の良い情報しか目にしたがらない」という人間の性癖が原因であろう。”
Angelix | Email | Homepage | 06.20.04 - 1:14 am | #



角栄裁判記事へのコメントへの再反論(7月18日23時加筆)

ロッキード裁判「批判」への批判を書いた記事にコメントをいただいたので、再反論をば。

いただいたコメントへの直接的な反論の前に、「ロッキード裁判批判」派への一般的な再反論を二つ。

まず第一に、裁判批判派はコーチャン、クラッター両名への嘱託尋問調書を過大評価している。渡部昇一や小室直樹はこの調書が(一審、二審段階で)証拠採用されたことをもってロッキード裁判を「暗黒裁判」呼ばわりしているわけであるが、立花隆が当初から主張していたように田中角栄に関する限りこの嘱託尋問調書は決定的な意味を持つ証拠ではない。なにしろ両名は角栄に直接接触してはいないのである。角栄に金を渡し請託を行ったのは丸紅であって、ロッキード側は角栄の犯罪事実に関して間接的な証言しか行わなかったし、行い得なかったのである。この点は、嘱託尋問調書の証拠採用を斥けた最高裁判決が逆説的に裏付けていると言える。というのも、嘱託尋問調書の証拠採用を斥けたにもかかわらず、被告側の上告を棄却したからである。角栄については被疑者死亡のため公訴棄却とはなっているが、上に述べたように田中の場合嘱託尋問調書の重要性は丸紅側被告よりも低いのであるから、もし角栄が生きていたとしても上告棄却となったことは確実である。渡部昇一、小室直樹をはじめとして、嘱託尋問調書さえ証拠採用されなければ田中は無罪となったと言わんばかりの議論をする論者への再反論はこれで十分である。

第二に、手続き面で疑問のある捜査・裁判は腐るほどある。ロッキード事件の捜査および裁判に一点の瑕疵もないと私は主張しているわけではないが、全体的に見ればその瑕疵はささやかなものである。もっと露骨な問題を抱えた裁判はいくらでもある。そして戦後日本の裁判史上、田中角栄ほど金も権力もいやというほどもっていた被告は存在しないのである。もし日本の司法システムそのものを問題にすることを目的とするのであれば、他にとりあげるべき事件はいくらでもある。角栄擁護派の論者のうち、なぜ他の裁判でなくロッキード裁判をとりあげねばならないのかについて説得力のある根拠を示した人間は寡聞にして知らない。

さて、これからはコメントを寄せていただいた Angelix氏への反論である。とはいえ、氏も認めておられるように最高裁の判決そのものは免責の有効性を否定して嘱託尋問調書の証拠採用を斥けたに過ぎず、いわゆる「反対尋問権」に関わる論点は補足意見として提出されているに過ぎない。ただ、氏の反論は私が反対尋問権云々の議論は「馬鹿しか言わない」類いのものだと評したことに関してのことであるので、これだけでは再反論として十分ではない。補足意見を述べた大野判事への反論を述べねばならないわけである。

「反対尋問権」云々の議論は、問題となる嘱託尋問調書が公判における証言でない以上形式的にはまったく成立しない(それゆえ「馬鹿しか言わない」議論である)のだが、「実質的」な反対尋問の権利と解釈した場合、補足意見の中核となるのは次の部分である。

しかし、前記両証人について、我が国の法廷において、被告人及び弁護人がこれに対質して反対尋問をする機会がないことは、嘱託した当時からあらかじめ明らかであったのである。もっとも、嘱託証人尋問に際しては、証人の依頼した弁護士である代理人が在廷していたが、これは証人の法的利益擁護のためであって、場合によっては共犯者たる証人と利害が対立することのある被告人の法的利益を擁護するためのものではないから、これをもって反対尋問権の保障に資するものであるとは到底いえない。

この議論も実は控訴審以前の段階ですでに立花隆がとりあげているので詳しくは『ロッキード裁判批判を斬る』を読んでいただければすむことなのだが、要するに書類だけで一、二審の経過を知っているに過ぎない判事が的外れな補足意見を述べたに過ぎないのである。確かにコーチャンらが来日して証言する可能性がほぼないことはあらかじめ予見できた。しかしながら、それは両名に弁護側が尋問を行う機会がそもそもなかったことを意味するわけではないのである。田中弁護団は両名への嘱託尋問を請求する「つもり」であると公判において述べ、それに対して裁判官も検察側も「そんなことはできない」とは言わなかった。なぜその嘱託尋問が実現しなかったかと言えば、田中側が請求しなかったからである。全日空ルートの裁判では被告側がロッキードのエリオットから宣誓供述書をとってそれを証拠申請している。田中弁護団にしても本気で「反対尋問」的な証人尋問がしたかったのなら、いくらでもその手段はあったのである。最高裁での補足意見はこうした事実関係を無視しているという点で、やはり「バカ」の意見と言わざるを得ない。法律家であるからといって馬鹿でないということにはならないのである。

この補足意見も含めて、いわゆる「反対尋問権」論のほとんどはやはり嘱託尋問の実施過程の問題とその調書の証拠採用過程の問題とを混同しているように思われる。嘱託尋問は刑事訴訟法226条に基づき捜査段階で行われたものであるから、その過程で田中側の弁護人が立ち会っていないことには何の問題もない。刑訴法も被疑者ないし被告の代理人を立ち会わせることが「できる」としているに過ぎないし、そもそも嘱託尋問が請求された時点で田中は逮捕すらされていなかったのである。したがって問題はひとえに刑訴法321条1項3号に基づいてこの調書が証拠採用されたことの是非にある。しかしながら、刑訴法321条1項を読めば、それが“公判において証言することができない”証人の公判期日外における証言、言い換えれば(もしそれが検察側の証拠である場合)「被告人および弁護人がこれに対質して反対尋問をする機会がない」ような証言を記した調書の証拠採用がどのような場合に可能であるかを規定したものであることは自明である。相手側の対質にさらされない証言が証拠能力の点で瑕があることは当たり前のことだが、その瑕を前提としたうえでなおかつ例外的に証拠採用できるケースを規定しているのである。この条項の運用が多くの問題をはらんでいるのは事実であり、原理的には「例外的」であるはずなのに検事調書などは被告が公判で捜査段階の「自白」を覆せばほぼ自動的に証拠採用されてしまう。日本の刑事裁判が「調書裁判」と批判される所以である。だが上にも述べたように、この点を問題にしたいのであればロッキード裁判以上にふさわしい題材はいくらでもある。にもかかわらずロッキード裁判に関してこの問題をとりあげるというのであれば、それは刑訴法321条1項の全否定につながるロジックによるしかない(これもまたとうに立花隆が指摘していることである)。大野判事の見解が「補足意見」にしかならなかったのにはそれ相応の理由があるのである。

Posted: Sun - July 18, 2004 at 02:30 AM Apes! Not Monkeys! News at Issue Previous Next Comments (5)


反論になっていません.
コーチャン・クラッター両証人の証言が無効なら,罪体(この場合は金の流れ)の証明すら出来ません.

>第二に、手続き面で疑問のある捜査・裁判は腐るほどある。

でしょうとも.故石島泰氏なら,嫌に成る程知っていたかも知れませんね.
で,よく知らない素人が目立った裁判例を批判して何がおかしいのですか?
元の小室直樹発言の正否には全く関係がなく,はぐらかしにしかなりません.

>というのも、嘱託尋問調書の証拠採用を斥けたにもかかわらず、被告側の上告を棄却したからである。

法律審が事実問題にわたって議論して公訴棄却するのはおかしいと,渡部昇一教授に批判されています.
法律審で事実問題にわたって判断するのはおかしいというのも分からないのですか?
まあ,私も,法
Angelix | Email | Homepage | 07.22.04 - 9:03 pm | #

(切れたのでその部分だけ再投稿)
まあ,私も,法律審と事実審の区別もそんなにはつけられませんがね.

http://ishidatic.at.infoseek.co.jp/keiso/7.html
Angelix | Email | Homepage | 07.22.04 - 9:04 pm | #

で,それ以外,貴方は,反論に対して言葉を弄して反論した気になっているとしか言えません.

>この補足意見も含めて、いわゆる「反対尋問権」論のほとんどはやはり嘱託尋問の実施過程の問題とその調書の証拠採用過程の問題とを混同しているように思われる。

きちんと,私は,捜査段階で作られた調書には直接の証拠能力はない,その場合は,証人を公判で呼び出して証言させなければならないと言っているはずです.
伝聞法則があるのも,伝聞の内容について,言ったり書いたりした本人に反対尋問(cross-examination)をして嘘・誤解・偏見について試験(examination)出来ないからです.
Angelix | Email | Homepage | 07.22.04 - 9:05 pm | #

(続き)
E.S.ガードナーの推理小説メ偽証するオウムモで,オウムのメ証言モが反対尋問出来ないので無効だと主人公のペリー・メイスンが異議を申し立てる言う下りがありますが,そういう事です.
なので,調書を証拠採用する場合,捜査段階で作られた調書なのだから反対尋問権が問題になる事がないというのは,全くもって的外れです.
貴方が,ペリー・メイスンファン程度の法律の知識もないだけの話です.

また,その例外規定でいう国外にいる証人というのには,最初から海外にいて反対尋問を受ける気のない者が含まれない事は,文理上も作成者の意図からも明らかです.
例外規定は,被告人の反対尋問権を踏みにじるが故に,制限列挙として厳密に解釈されなければならないのです.
Angelix | Email | Homepage | 07.22.04 - 9:06 pm | #

(更に続き)

>なぜその嘱託尋問が実現しなかったかと言えば、田中側が請求しなかったからである。

被告側が反対尋問を請求してその必要無しと却下されているので的外れです.
P.S.
小室直樹博士がロッキード裁判以外の裁判を直接批判した例は私も知りませんが,日本人の法意識に問題があるとして,様々な著作で論じております.
様々な裁判例を網羅して批判するよりも更に大きな点にわたって論じている訳です.
Angelix | Email | Homepage | 07.22.04 - 9:09 pm | #


Angelix氏より再びコメントが…

というわけでさらに再々反論をば。

まずは私が「一般的な再反論」として書いた部分への反論について。

> コーチャン・クラッター両証人の証言が無効なら,罪体(この場合は金の流れ)の証明すら出来ません

もしこれが事実なら、当然丸紅側の被告についても最高裁では無罪になっていなければおかしいはずである(両名への嘱託尋問調書の証拠採用が却下されたのだから)。しかし現実にはそうならなかった。コーチャン・クラッターらの証言がなくても、丸紅側証人(被告も含む)らの証言によって田中が1)5億円を受け取ったこと、2)それが全日空の新規種採用に関してロッキードが有利になるように働きかけるための対価であること、3)その働きかけが首相の職務ないし職務に密接に関連することであること、が証明されれば収賄罪は成立する。外為法違反についても田中にその賄賂の出所がロッキード社であることの認識があるかどうかがポイントなのだから、丸紅側が「あの5億円はロッキード社からでたものです」と証言し、その証言が(他の証拠に照らして)信用できるものであるならロッキード側の証言がなくても立証可能である。前にも書いたように、コーチャンらは田中に直接接触していないのであるから、収賄罪に関する限りコーチャンらの証言は「罪体」の証明に直接かかわらないのである。収賄罪に関する限り、問題なのは丸紅から田中への「金の流れ」であって、ロッキードから丸紅への「金の流れ」ではない。

そうそう、「金の流れ」と言えば、渡部昇一は当初“ロッキード裁判において、5億円がどのように運ばれたのかという肝心な点についてまったく議論されていない”などという珍説を披露して、立花隆にこてんぱんにのされていたということも付記しておこう。

私の「一般的な再反論」へのもう一つの反論は小室直樹が

> 日本人の法意識に問題があるとして,様々な著作で論じております.

という部分であるが、これが「なぜとりわけ田中裁判をとりあげるのか?」という私の批判への反論になっていないことは自明であろう。

さて、それ以外の点について。まずは

> きちんと,私は,捜査段階で作られた調書には直接の証拠能力はない,その場合は,証人を公判で呼び出して証言させなければならないと言っているはずです.

という点について。刑事訴訟法の321条1項3号(クラッターらの嘱託尋問調書が証拠採用された根拠となる条文)をご覧いただきたい。これはまさに「証人を公判で呼び出して証言させ」ることができない場合を想定した条文であることは明白である。証人を出廷させることが可能ならそもそも公判期日外において作成された調書を証拠採用する必要はないわけで、321条はもともと「伝聞証拠排除」原則の例外規定なのである。すると残る問題はひとえに321条の「国外にいるため」が「最初から海外にいて反対尋問を受ける気のない者が含まれない事は,文理上も作成者の意図からも明らか」かどうか、というところに絞られる。まず「文理上」でいえばまったく「明らか」ではない。321条は単に公判期日において国外にいるかどうかだけを問題にしており、捜査段階においてどうであったか、また捜査段階において「公判期日において国外にいる」ことが予見できたかどうかについてはなに一つ述べていない。したがって、Angelix氏にはぜひとも「作成者の意図」がそうでなかったこと、および刑法や刑事訴訟法全体の趣旨に照らした場合に“捜査段階から海外にいた人間は除外すべき”であるとすることの立証をお願いしたい。

なお、

> 例外規定は,被告人の反対尋問権を踏みにじるが故に,制限列挙として厳密に解釈されなければならないのです.

という部分については、一般論としては異論はない。しかし1)すでに述べたようになにもそのために田中裁判をとりあげる必要はなく、2)また直前に述べたように「文理」上は捜査段階から「国外」にいた人間の証言を排除するとは読めず、3)さらに被告人の権利を擁護することは非常に重要(そしてこの件に関して日本社会が大きな問題を抱えているのは事実である)だが、他方で「正義」の実現という目的とのバランスも考慮されねばならない。321条を厳格に解釈するなら確かに調書裁判による冤罪は減るだろうが、他方で金と権力のある容疑者にとって罰を逃れる手段を与えることにもなってしまう。現状より厳格に解釈すべきということであればまったく賛成であるが、ただただ厳格にすればよいというものでもないのである(この点についての更なる問題は後述)。

これと関連することだが、私が田中側にもコーチャンらに実質的な反対尋問を行う道はあったと主張した件について、

> 被告側が反対尋問を請求してその必要無しと却下されているので的外れです.

とあるのも、とうに立花隆によって粉砕された議論である。まず、コーチャンらの嘱託尋問調書は公判における証言であるので厳密にいえば「反対尋問を請求」するということはもともと問題にならない。実質的に反対尋問としての機能を持つ新たな証人尋問を請求した、ということである。この証人尋問が却下されたというのは事実だが、問題はその証人尋問が請求された時期である。嘱託尋問調書の証拠調が終わったのは1979年の3月。田中弁護団が当初「両名への嘱託尋問を請求する予定」としたのもこの時期。しかし結局このときは請求しなかった。却下された証人尋問が請求されたのはそれから3年後の82年で結審間際の時期。しかもその前年まで田中側は結審を急ぐよう要求していた。その方針を(おそらくは政局からみで)覆して裁判引き延ばし策に出ていた段階で請求された証人尋問である。しかも田中側はその尋問の趣旨としてただ「反対尋問です」としかいうことができず、コーチャンらの証言のどの部分にどのような疑問点があるからそれについて確認したいのか、を明らかにすることができなかった(Angelix氏にはそれができる、というのならぜひともお願いしたい)。これでは「必要性なし」として却下されたも当たり前である。憲法37条は「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ」云々と規定しているが、これは必要性の明らかでない証人を裁判引き延ばしのために審問する権利を保障するものでないことはいうまでもない。これまた、金と権力のある被告にとっては実質的に罰を逃れる手段を与えることになってしまう。

またにペリー・メイスンものを援用した反論について。そもそも現実とフィクションの違い、およびアメリカと日本での法体系の違いを無視した「たとえ話」は妥当性を大きく欠いている。したがって反論するつもりなら少なくとも刑訴法321条を踏まえた反論をしてもらいたいものである。321条を読めば明らかなように、刑訴法は実質的な反対尋問が不可能な調書を例外的に証拠採用できる条件を規定している。そうした調書が証拠としては二級品であることは明らかで、だからこそ321条は公判における証言とは違って証拠採用に当たってさまざまな条件を課しているのである。さらに、321条は検察側が証拠申請した調書についてのみ適用されるわけではなく、弁護側が証拠申請した調書にも適用される、という問題もある。コーチャン・クラッターらの調書に関してはたまたま検察が申請した被告側に不利な内容であったわけであるが、いうまでもなく321条に基づいて採用される調書のすべてがア・プリオリに検察側に有利ということはない。現に、全日空ルートの弁護団はエリオットから宣誓供述書をとってそれを証拠申請している。Angelix氏のロジックによればこの供述書も証拠採用すべきではないということになってしまう。つまり321条を過剰に厳格に解釈するなら、「余命幾ばくもなく、数ヶ月後に行われる公判においては到底証言することが不可能であると予想される証人が述べた、被告人に有利な証言を記録した宣誓供述書」もまた証拠として採用してはならないということになってしまうのである。これが被告人の権利の擁護につながらないことはいうまでもない。要するに、ここでも「被告人一般の権利を擁護する」ことと「田中角栄という特定の被告の権利を擁護する」ことの間には食い違いがあり、ロッキード裁判批判派はもっぱら後者にしか関心がないということが露になっているのである。

最後に

> 法律審で事実問題にわたって判断するのはおかしいというのも分からないのですか?

という点について。法的に考えて採用されるべきでなかった証拠に基づいて下級審が有罪としたのであれば、「事実問題」に触れなくても有罪を覆すことができる。コーチャンらへの嘱託尋問調書の証拠採用を否定した最高裁が被告側の上告を棄却したということは、要するに被告の有罪の決め手となった事実認定の根拠となる他の証拠には法的な問題がなかったという判断を下したということである。したがって、ロッキード裁判批判派は嘱託尋問調書の重要性を過大評価しており、この調書さえ証拠採用されなければ田中は無罪になったという主張は誤り、という私の主張を覆すべき理由はない。


Posted: Thu - July 22, 2004 at 01:09 AM Apes! Not Monkeys! News at Issue Previous Next Comments (9)


まず、あなたに質問したい。

コーチャンらに対する証人尋問は捜査であるとあなたは主張するが、その根拠は何?

裁判をするには、法律が必要である。
裁判は法律の規定に従って進行するものである。
その法律は極めて明確でなければならない。
証人尋問と規定されていれば証人尋問であり、
証人尋問を行政権力の行う捜査と同じであるとする
あなたの主張は憲法第三十一条【法定手続の保障】に明確に反する。
あなたの主張は究極的には行政権力が司法を蹂躙する結果となり、上記の条文を空文化する恐れがある。
Mayson | Email | Homepage | 07.23.04 - 12:54 pm | #

憲法31条は、アメリカ合衆国憲法の人権宣言の一つの柱とも言われる「法の適正な手続き」(due process of law)を定める条項に由来し、公権力を手続き的に拘束し、人権を手続き的に保障していこうとする思想の現れである。
刑事訴訟法も当然この条文及び思想を受けて制定されるべきものであり、法運用上もそれに合致しなければならない。

以上から、あなたの「証人尋問」=「捜査」とする主張は全くの憲法無知といわざるを得ない。
なぜなら、このような解釈は公権力の暴走を惹起し、人権侵害の可能性を無用に増大させる結果に結びつき、上記の憲法の思想に全く反するものだからである。それが例え犯罪を防止するためとはいえ、
憲法の精神を侵害してまでの利益は認められない。
Mayson | Email | Homepage | 07.23.04 - 2:00 pm | #

「証人尋問」=「捜査」が間違った主張だとすれば、あなたの一連の主張はすべて間違いだということになる。なぜなら、

「田中裁判では反対尋問権は全く問題にならない。
(ここで、注意をしてほしいのだが、あなたは全否定をしている。問題になることはありえないと主張している。念のため。)なぜなら、コーチャンらに対する証人尋問は捜査であるから。」

といった、あなたの主張の核心は全くの間違いであることは明白だからだ。

以上、わたしのあなたに対する反論はここまでにしたい。他にも多くの矛盾点があるのだが、論点を絞って議論したほうがよさそうなので、まず、最初の質問に対する答えを請うことにする。
長々と申し訳なかった。
Mayson | Email | Homepage | 07.23.04 - 2:22 pm | #

権力者の処分は一般人とは違うものであると言いたいのですか?
呆れて物が言えません.
政治権力者の処分は,刑事裁判ではなく, 国会の問題です.
政界浄化の名の下に,刑事訴訟法を曲げるのは,一般人にとって迷惑な話です.
さて,伝聞例外規定が制定の趣旨に反するという論証をば.
メ萬犬虚に吠えるモ渡部昇一著 徳間文庫教養シリーズ より
> それか,あるかあらぬか,重大な証言がとびだしたのだ.共同通信がスクープした元最高裁判事横井大三氏の証言がそれである(『神奈川新聞』5月28日付).横井氏は,刑事法改正時,GHQ と交渉しながら,「伝聞例外規定」を盛りこんだ当の発案者である.その横井氏が退官に際して共同通信記者のインタビューに応じ,次のように発言をされている.
>「刑訴法第321条1項3号(伝聞例外)
Angelix | Email | Homepage | 07.23.04 - 4:34 pm | #

(切れたので続き)
>「刑訴法第321条1項3号(伝聞例外)の規定は,ある事件について供述した者がその後国外に出たため,日本の法廷に出廷できない場合,伝聞証拠の例外としてその供述者の書面を証拠として採用できるものです.(後略)」
Angelix | Email | Homepage | 07.23.04 - 4:35 pm | #

>またにペリー・メイスンものを援用した反論について。そもそも現実とフィクションの違い、およびアメリカと日本での法体系の違いを無視した「たとえ話」は妥当性を大きく欠いている。

それは,貴方が,法律の裏にある哲学(というか,論理学)とかそういったものについて全く無関心で,証明とは何かという点から法律のあり方について議論する事が全く出来ないという事にしかなりませんね.
その上,反対尋問権とか伝聞法則というのは英米法の考え方なので,その点でも,全く法律を知らない事になります.
法体系が違うとか言うのは,ただただ技術論に逃げ込んで,重要な論点をはぐらかしている訳です.

それと,コーチャン・クラッター両証言が適法手続きに適わない以上,そこから得られた証拠の山も,メ毒の実の果
Angelix | Email | Homepage | 07.23.04 - 4:55 pm | #

>そうそう、「金の流れ」と言えば、渡部昇一は当初メロッキード裁判において、5億円がどのように運ばれたのかという肝心な点についてまったく議論されていないモなどという珍説を披露して、立花隆にこてんぱんにのされていたということも付記しておこう。

クラッター証言の話ですか?
渡部昇一教授は証拠能力がないから考慮に値しないと言っているのですけど?
大体,その5億円をどう用意したのか訊きだす為に,コーチャン・クラッター両証人への反対尋問が必要な訳.
遅すぎるとか,引き延ばし工作だとか言って,被告人にとってこれ以上悪くなりようのない反対尋問の申請を却下する事の意味が全然理解出来ていない訳ですね.
Angelix | Email | Homepage | 07.23.04 - 5:14 pm | #

萬犬虚に吠える p.127(「角栄裁判に異議あり」八(1))
>外為法違反を外せば,つまりコーチャン氏らの嘱託尋問調書を証拠から外せば,ロッキード事件は丸紅事件にすぎない.また,全日空ルート,児玉,小佐野ルートでこの調書を証拠採用したことの整合性もなくなってしまう(VIII・32).やはりコーチャン氏,クラッター氏はこの事件の最重要証人である.

なので,ロッキード事件の罪体の証明には,嘱託尋問調書は不可欠です.
(で,札束を見た人間は法廷に出てきたのですか?)
そして,その違法性故に,毒の実の果実として,他の証拠共々排除されなければなりません.
それが,違法収集証拠排除規則です.
Angelix | Email | Homepage | 07.23.04 - 5:42 pm | #

>現に、全日空ルートの弁護団はエリオットから宣誓供述書をとってそれを証拠申請している。Angelix氏のロジックによればこの供述書も証拠採用すべきではないということになってしまう。

なりません.ああ,アホくさ.
弁護側の出した宣誓供述書に関しては,踏みにじられるのは,被告人の反対尋問権ではなく,検察側の反対尋問権なのですからね.
刑事裁判で裁かれるのは,被告人ではなく,検察側です.
検察側の処罰請求には,毫の疑いもあってはならないというのが,近代刑事訴訟法の精神です.
大体,被告人に有利な伝聞証拠を採用してどう被告人の人権が侵害されると言うのですか?
無差別思考の平板な似非論理としか言い様がありませんな.
Angelix | Email | Homepage | 07.23.04 - 9:32 pm | #


「ロッキード裁判」をめぐってさらに…まずはAngelix氏へ

論点を6つに整理してみた


まず、コメントシステムの制約のためいろいろご面倒をおかけしているようで申し訳ない。読む方としても新しいものが上に来るのでちょっと混乱してしまう(実は昨晩は新しいものが上にきていることに気づかなかった…)のでなんとかしたいのだが。以下、今後の議論の便宜のために論点ごとに(勝手ながら)番号を振られていただく。

(1)

> 権力者の処分は一般人とは違うものであると言いたいのですか?

についてだが、首相の犯罪を一般的な法や倫理でさばいてはならない、というのは小室直樹(とあなた)の主張であって、私の主張ではない。なにしろあなたは

> 政治権力者の処分は,刑事裁判ではなく,国会の問題です.

と主張しているのだから! 権力者の政治的責任を追及するのはもちろん国会の役割だが、刑事責任を追及するのが裁判においてであって何が問題なのか? 私が主張しているのは「政界浄化の名の下に,刑事訴訟法を曲げる」などということではなく、首相の犯罪も一般人の犯罪と同じように追求すべしということに過ぎない(追求の意欲においてはより積極的であってよいが、捜査および公判手続きは同じように守られねばならない、という意味で)。ロッキード裁判においては「刑事訴訟法が曲げられた」ことを認めたうえでなおかつ裁判の結果を承認する、というのであればなるほど大問題であろう。しかし当方はあなたが言うような意味で「刑事訴訟法が曲げられた」という事実はない、と主張しているのである。

(2)

> クラッター証言の話ですか?

違います。渡部昇一はロッキード裁判全体を通じて「金がどういう具合に運ばれたのかが問題になったということを聞いたことがない」と書いて立花隆の失笑を買った。ちなみに

> (で,札束を見た人間は法廷に出てきたのですか?)

についてだが、札束の入った段ボールを運んだ丸紅の(元)秘書課員が証人として出廷している。さらに、渡部昇一は「5億円の動きが裁判で問題にされた(証明された、ではなく)ということをほとんど聞いたことがない」と書いたのだから、コーチャンらの調書に証明力があるかどうかは関係ないのである。

(3)コーチャンらは「最重要証人」か?

まずは余計なアドバイスをば。渡部昇一の著作を援用して議論されるなら、私が援用している立花隆の本も一読しておかれた方がよいかと。渡部昇一の主要な論点はほぼカヴァーしていたと記憶している。

で、「萬犬虚に吠える p.127(「角栄裁判に異議あり」八(1))」からの引用については、まずもって「外為法違反を外せば,つまりコーチャン氏らの嘱託尋問調書を証拠から外せば」というところからして間違っている。コーチャンらの証言がなくても、丸紅側の証言や物証によって金の出所がロッキードであることが立証され、同じく嘱託尋問調書以外の証拠によって田中が金の出所に関して認識していたことが立証されれば(現に立証されたわけだが)、外為法違反でも有罪となる。したがって丸紅側被告、ましてロッキード側と直接接触していない田中の有罪を証明するためにコーチャンらの証言は必要不可欠というわけではないのである。「ロッキード事件は丸紅事件にすぎない」というレトリックはあたかも「丸紅事件」なら田中は無罪であるかのように印象づけようとしているが、たとえ「丸紅事件」であっても収賄罪が成立することには変わりないのである。他ルートで「この調書を証拠採用したことの整合性もなくなってしまう」という議論については、各法廷は証拠採用に関して独立して決定する権限を持つのであるから、たとえ他ルートの裁判で嘱託尋問調書が証拠採用されたのに対して丸紅ルートでは却下されたとしてもなんの問題もないのである。

(4)

> 刑事裁判で裁かれるのは,被告人ではなく,検察側です.

こんどは小室直樹ですな。言うまでもなく刑事裁判における拠証責任は検察側にあるという意味でその通り。しかしながら、それはけっして訴訟手続きのあらゆる側面において刑訴法が検察側に不利に解釈されねばならないということを意味するわけではない。検察側はすでに拠証責任というハンディを負っているのである。刑訴法321条は弁護側の申請した証拠と検察側の申請した証拠とを区別していない。したがって証拠能力の認定に関してダブル・スタンダードをもうける根拠はないのである。この点で敢えて検察側に不利なダブル・スタンダードを設定しなくても、検察側が一方的に拠証責任を負っている限り「検察側の処罰請求には,毫の疑いもあってはならない」という原則を犯すことにはならない(なにより、証拠採用されたからといってその証拠に基づいて事実認定がなされるとは限らないのだから)。そりゃあ、ありとあらゆる側面で検察側に不利な法制度にしておけば被疑者ないし被告の人権擁護という観点からは万々歳であろう。しかしながら、ロッキード裁判に関する限り、「犯罪者の人権」の擁護に熱心とは到底思えないような論者(小室直樹はこれには該当しないと認めてよい)から「被告人田中角栄の人権」を護れという主張が出ているところがいかにもいかがわしいのである。もし、あらゆる刑事裁判において同じような方針を貫けと言うのであれば、それはそれで首尾一貫した議論として認めることができるだろう。だがその場合、日本における刑事裁判の多くで無罪判決が出る(現状では周知のように9割9分有罪)ことを覚悟しなければならない。

改めて述べておくが、私は日本の刑事裁判(および警察の捜査)がさまざまな問題を抱えているという点についてはまったく異論がない。しかしながらロッキード裁判はそうした問題点の好例でも典型でも象徴でもなく、逆に大部分の被告が享受しない手厚い弁護をうけたにもかかわらず有罪になった裁判だ、と主張しているのである。

(5)

> 遅すぎるとか,引き延ばし工作だとか言って,被告人にとってこれ以上悪くなりようのない反対尋問の申請を却下する事の意味が全然理解出来ていない訳ですね.

私が前回要求したこと(「コーチャンらの証言のどの部分にどのような疑問点があるからそれについて確認したいのか」を具体化すること)をネグっておられるので反論になっていないのだが、一応お答えしておこう。たとえ「被告人にとってこれ以上悪くなりようのない」事柄だとしても、保釈されている被告にとっては裁判を引き延ばすことそれ自体は十分利益になりうる。裁判引き延ばしのための証人申請を憲法および刑事訴訟法が権利として保証していないことは明白なのであるから、コーチャンらへの証人申請がどのような趣旨に基づくものなのかを明らかにするのは弁護側の義務なのである。さらに、田中側がなぜ嘱託尋問調書の証拠調の段階で証人申請を(やる予定と言いつつ)しなかったのか、についても納得のゆく説明をする必要がある。

(6)

ペリー・メイスンの件について。

まずはホモ・サピエンスに属する証人とオウムという物証をひとくくりに論じることができないのは言うまでもない。さらに日本の法体系は純然たる英米法ではなく、戦前の大陸法の流れも受け継いでいる。裁判官が真理の究明にかかわる余地についていえば英米法でのそれよりも日本の方が大きく、この点では大陸法に近いのである。さらに英米法においても伝聞証拠が例外なく排除されているわけではない(この点で立花隆はニューヨーク州刑訴法第70・10条第2項を援用している)。

「法の裏にある哲学」については、私は(断片的にであるが)明確に述べている。すなわち、被告人の権利を保障するために訴訟手続きは厳格に守られねばならないが、正義の実現が困難になるほどまでに刑訴法を検察側に不利に解釈することには合理性がない。また、訴訟手続きはすべての被告人に対して同じような厳格さで守られねばならない。田中角栄についてのみとりわけルーズに適用されたというのは事実に反するし、ロッキード裁判をフレームアップしてその他の裁判を無視することは被告人の権利を守るための運動としてまったく倒錯している。

Posted: Fri - July 23, 2004 at 01:11 AM Apes! Not Monkeys! News at Issue Previous Next Comments (3)


人に読めと言わないで,その部分を引用で示したら?
(2)の証人は,確か,段ボールを見ただけだったはず.証言を示してみれば?
>コーチャンらの調書に証明力があるかどうかは関係ないのである。
馬鹿ですか?誰れが証明力の話なんかしていると言うのです?
それと,起訴事実はロッキード社からの収賄であったはず.それが崩されれば無罪なのが当たり前.
(4)
>刑訴法321条は弁護側の申請した証拠と検察側の申請した証拠とを区別していない。したがって証拠能力の認定に関してダブル・スタンダードをもうける根拠はないのである。
法解釈は単なる国語的文章読解ではありません.第一,私の論理ではなどと言うから,それに答えたのを,このように述べるのは,はぐらかしで不誠実です.
Angelix | Email | Homepage | 07.24.04 - 3:56 am | #

(5)は,嘘八百ですな.
>私が前回要求したこと(「コーチャンらの証言のどの部分にどのような疑問点があるからそれについて確認したいのか」を具体化すること)をネグっておられるので反論になっていないのだが、

全然無視しておりません.

>>大体,その5億円をどう用意したのか訊きだす為に,コーチャン・クラッター両証人への反対尋問が必要な訳.

と,;きちんと答えたはずです.貴方が無視しているだけですな.
大体,反対尋問権という言葉の意味を全然御存知ないから,遅すぎるから必要なしと却下したなどと言えるのです.そもそも,答えられなければ却下は正当だったと言えると思うのが考え違いというものです.
日本法には大陸法系の考えが入っているではないかとは,お都合主義も甚だしい.
フランス法の
Angelix | Email | Homepage | 07.24.04 - 4:00 am | #

フランス法の問題なら,澤登佳人教授が,嘱託尋問調書による裁判は問題外であると論及済みです.
調書の内容を証言として証拠採用する以上,逸れに対して詰問するのは,被告人の人権です.
(6)
人の言っている事がそもそも全然理解出来ていないので問題外です.
調書は物証なのですから,オウムと人とでは話が違うなどと言うだけ笑止というもの.
Angelix | Email | Homepage | 07.24.04 - 4:00 am | #


ロッキード裁判をめぐって。こんどはMayson氏に

どこかで見たようなハンドルだが…(笑)


Mayson氏といえば、某巨大掲示板の「小室直樹☆統一スレッド[パート6]」においてロッキード裁判批判(小室直樹擁護)の書き込みをしていた人物と(最初の一文字が大文字か小文字かという違いを除けば)同じハンドルネームなのだが…。いただいたコメントの内容も同じようなものだし。件のスレでは

> mayson氏はどうしたんだろうか。

> やっと議論が整理されてきたのに

という書き込みもあったというのに、その後まったく音沙汰なしですな。どうせなら開設から3ヶ月近くたってもヒット数が400ちょっとのHPに付属したBlogなどではなく、例のスレでやりあってはどうですか? なかなか好評だったみたいだし。こちらとしては異存もないし、そうしなければまたぞろ231氏が書いたことを書き直さなければならなくて面倒だし。というわけで、Mayson氏が某巨大掲示板の「小室直樹☆統一スレッド[パート6]」に投稿していた「mayson氏」とは別人であり別の議論を展開するのだという宣言をしていただくか、ギャラリーのいる某掲示板に場所を移したいところである。

とはいえ、これだけではいかにも素っ気ないので、某巨大掲示板でmayson氏もこだわっておられた

> コーチャンらに対する証人尋問は捜査であるとあなたは主張するが、その根拠は何?

という点についてのみ、お答えしておこう。根拠は、コーチャンらへの証人尋問が刑事訴訟法(第2章第1編「捜査」に属する)第226条に基づいて請求され、行われたということに尽きる。なにしろ当該の条文には「第1回の公判期日前に限り、検察官は、裁判官にその者の証人尋問を請求することができる」と書いてあるのである。例えば、逮捕に必要な要件や捜査令状の必要性なども同じく刑訴法第2章第1編「捜査」で定められているのであり、文脈上も226条が捜査段階で行われる、例外的に検察の請求により裁判所が主体となって行う尋問であることは明白である。しかもこの証人尋問を行う法廷は“本番”の法廷とは独立しているのであって、ロッキード裁判の一環として嘱託尋問が行われたのではないのである。要するにMayson氏の

> 証人尋問と規定されていれば証人尋問であり、

という主張は某巨大掲示板でのmayson氏の主張と同じく、「ことばが同じだから実態も同じであるはずだ」という主張に過ぎないのである。コーチャンらの証言は公判廷で行われた証人尋問におけるものではなかったからこそ刑訴法321条にもとづいてその調書を証拠採用することの可否が問題になったのである。もし「公判廷での証人尋問と同じだ」というのならなるほど反対尋問の権利も保障されねばならないが(なおその場合でも、関連性のない反対尋問が祖裁判官の訴訟指揮権によって却下されることはありうる)、同時に321条を持ち出すまでもなく証拠採用されてしまうのである。


Posted: Sat - July 24, 2004 at 01:50 AM Apes! Not Monkeys! News at Issue Previous Next Comments (7)


やはり、あなただったか231。
あえてうれしいぞ。
この前はあまりにも論点が多くなりすぎて、
正直、めんどくさくなってしまった。
一応、謝っておく。

さて、反論に移る。

>根拠は、コーチャンらへの証人尋問が刑事訴訟法>(第2章第1編「捜査」に属する)第226条に基づ>いて請求され、行われたということに尽きる。

なるほど、つまり刑事訴訟法の文理解釈から、226条の「証人尋問」は、「捜査」である。と結論するわけだな。
しかし、231よ。ここに重大な誤りがあるとわたしはいいたいのだ。
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 4:07 am | #

あなたは、憲法31条を知らない。
それは、刑事訴訟法を知らないことになる。
刑事訴訟法は、Angelix氏も言うように、
検察(行政権力)を縛るためにあるものである。
それは、従前のデュ‐プロセスの大原則からも、
当然の帰結である。
刑事訴訟法中の「捜査」についての規定も行政権の行使を制限するためにあるのだ。
このように刑事訴訟法の立法趣旨から考えれば、
あなたの主張は検察権力を制限するどころか、逆に
強力にしてしまう(なにせ、捜査である限り反対尋問権などいらない。というのだから。)とんでもない解釈であることになる。
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 4:20 am | #

>「ことばが同じだから実態も同じであるはずだ」>という主張に過ぎないのである。

ここでも、あなたの憲法31条についての無理解を指摘する事ができる。この条文は、
刑罰法規については類推解釈、拡張解釈は認めてはならないことをも包含する。
国民の生命、自由を奪う法律は明確に成文で規定されていなければならないという要請である。
これは当たり前である。
法律でせっかく縛った行政権力をまた解き放ってしまう結果となるからである。
そこで、あなたのような解釈はありえないということになる。
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 4:34 am | #

>「ことばが同じだから実態も同じであるはずだ」>という主張に過ぎないのである。

わたしは、別に実態(実体?)も同じだなどといった覚えは無い。裁判手続きは、明確に規定された法律に基づき進行されるものである。と主張しているのだ。(これは、一応言っておく)

以上の2点から、あなたのわたしの質問に対する答えは全く憲法を知らない者の主張であることがわかる。つまり、
1、憲法31条、刑事訴訟法の立法趣旨に全く反している。
2、憲法31条の要請である刑罰法規明確性の原則に全く反している。
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 4:53 am | #

>これは贈賄側であるロッキード社のコーチャン、クラッターへの嘱託尋問調書が証拠採用された件を指していっているのだが、2人は裁判に証人として出廷してはいない。それゆえ、そもそも反対尋問が問題になることなどあり得ないのである。問題の嘱託尋問調書は捜査段階で作成されたもので、刑事訴訟法上では警察官による尋問調書などと同じカテゴリーに入る文書である。その時点で田中角栄はまだ被告人ではないので、当然被告側が反対尋問をすることなどあり得ない。

これは、あなたの主張である。
226条の「証人尋問」は「捜査」であるから、反対尋問権など問題にならない。というわけだ。
「証人尋問」=「捜査」の根拠は、226条が刑事訴訟法の「捜査」の章に含まれているから。というもの。しかし、この根拠はまる
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 5:07 am | #

(つづき)
その根拠はまるで憲法31条に合致しない。憲法に合致しない刑事訴訟法の解釈は、刑事訴訟法の解釈としては最低のものであり無効である。根拠が無効であればその主張も無効。「226条の証人尋問」=「捜査」ではないことになる。あなたの主張の最大論拠はここに崩れることになる。

刑事訴訟法に「証人尋問」という明文があれば、そこには必ず反対尋問権の存在が無ければならない。
全く問題にならないなどというのは憲法無知の徒の主張に他ならない。「証人尋問」が「捜査」に含まれたらどうなるのか?という想像も出来ないのであろうか?繰り返すが「証人尋問」は「捜査」ではなく、「証人尋問」は「証人尋問」であり、憲法37条から、反対尋問権は認められなければならない。反対尋問権が全く問題にならない
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 5:22 am | #

(つづき)
反対尋問権が問題にならない。などということは断じてありえない。あなたの主張は間違っている。

新たにひとつ質問。
あなたは、コーチャンらは証人として出頭してはいないというが、だったら何者として司法の場にあらわれたのだ?あなたの主張どうり「捜査」であるならば別に裁判所に来る必要は無いではないか。刑事訴訟法規則によれば検察は「証人」として226条の証人尋問に召喚したはずであるのだが、それでも「証人」ではないとする根拠をお聞かせ願いたい。
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 5:31 am | #


Angelix氏のロ裁判批判について

昨夜のコメントについて。また、昨晩書き忘れた論点についても補足。



> 人に読めと言わないで,その部分を引用で示したら?

私が「読んだ方がよい」と言ったのは、貴方が立花隆によってとっくに論破されている渡部昇一や小室直樹の議論を持ち出してくるだけなので、こっちとしては楽である一方退屈だからです。

> (2)の証人は,確か,段ボールを見ただけだったはず.証言を示してみれば?

> >コーチャンらの調書に証明力があるかどうかは関係ないのである。

> 馬鹿ですか?誰れが証明力の話なんかしていると言うのです?

貴方こそ馬鹿ですか? この論点はもともと私が「渡部昇一は当初“ロッキード裁判において、5億円がどのように運ばれたのかという肝心な点についてまったく議論されていない”などという珍説を披露して、立花隆にこてんぱんにのされていた」と書いたのが出発点である(その後確認した結果「まったく」は「ほとんど」に訂正する)。渡部昇一が裁判の経過をろくに知らずに議論をしていることの代表例として立花隆が槍玉に挙げている部分である。したがって、渡部昇一は嘱託尋問調書に「証拠能力を認めていない」などと主張しても言い訳にはならない、と言っているのだ。

> それと,起訴事実はロッキード社からの収賄であったはず.それが崩されれば無罪なのが当たり前.

だから、コーチャンらの調書がなくてもロッキード社からの賄賂であることは必ずしも崩されないのである。丸紅がロッキードから金を受け取ったこと、その金が丸紅経由で田中にわたったこと、その金の趣旨がロッキード社からの賄賂であったこと、はコーチャンらの証言抜きでも立証可能である。裁判はすでに終わっているのであるから、ここでのやりとりは検察対被告のそれとは異なる。「コーチャンらの証言がなければ無罪」と主張するのならその根拠を“具体的”に提示するのは貴方の側の責任であろう。

(4)

> >刑訴法321条は弁護側の申請した証拠と検察側の申請した証拠とを区別していない。したがって証拠能力の認定に関してダブル・スタンダードをもうける根拠はないのである。

> 法解釈は単なる国語的文章読解ではありません.第一,私の論理ではなどと言うから,それに答えたのを,このように述べるのは,はぐらかしで不誠実です.

貴方は公判期日外において作成された調書の採用に関してまさにダブル・スタンダードを主張しておられるではないか。私が主張しているのは、拠証責任を検察が一方的に負っているという点で検察はハンディを負っているのであるから、321条をことさら検察に不利なように読む必要はない、ということである。

> 全然無視しておりません.

>

>>>大体,その5億円をどう用意したのか訊きだす為に,コーチャン・クラッター両証人への反対尋問が必要な訳.

無視したのはこれが反論になっていないから。5億円をどのように用意したかは嘱託尋問調書にちゃんと記載されている。「反対尋問」をしたいというのなら、そこでの記述にこれこれの矛盾(や不明な点)があるから尋問したい、と主張しなければならない。事務所の金庫にあった裏金から捻出しましたと証言しているのにただ単に「どう用意したのですか?」と聞き返すことにどのような意味があるというのだろうか?

 > 大体,反対尋問権という言葉の意味を全然御存知ないから,遅すぎるから必要なしと却下したなどと言えるのです

じゃあ貴方は訴訟指揮権という言葉の意味を全然ご存知ないのですな。尋問の立証趣旨を「答えられなければ却下は正当だ」というのは当然でしょう。じゃあお聞きするが、貴方は被告人の証人尋問はたとえその尋問内容と事件の関連性が不明であっても無条件に認められるべきだとお考えだということか? だとすれば、金と権力を持つ被告にとっては自分が死ぬまで裁判を引き延ばすことが可能になるわけだが、それもよしとされるのか? さらに、嘱託尋問調書の証拠調べの段階で田中側がコーチャンらへの証人尋問を申請しなかった理由について納得のゆく説明をしてほしい、という私の要求は無視ですか?

> フランス法の問題なら,澤登佳人教授が,嘱託尋問調書による裁判は問題外であると論及済みです.

そのことなら私も、その議論が立花隆によって反駁されたということを含めて知っている。

> 調書の内容を証言として証拠採用する以上,逸れに対して詰問するのは,被告人の人権です.

一般論としてその通りであって、私はそんなことを否定してなどいないのである。問題はこの権利がいかなる場合にも侵されてはならないものなのか、それとも合理的な根拠があれば一定の範囲で制約されるものなのかという点、またロッキード事件の場合にはその制約に合理性があったかどうか、という点にある。前者についていえば、もしいかなる場合にも侵してはならないというのなら、刑訴法321条は違憲ということになる(実際、そう主張する論者もいたが)だけでなく、弁護側の証人尋問に関して裁判所は一切の訴訟指揮を行えないことになる。それでよろしいという主張なのだろうか?

あなたがこだわっている「ペリー・メイスン」についていえば、そもそも

> E.S.ガードナーの推理小説“偽証するオウム”で,オウムの“証言”が反対尋問出来ないので無効だと主人公のペリー・メイスンが異議を申し立てる言う下りがありますが,そういう事です.

> なので,調書を証拠採用する場合,捜査段階で作られた調書なのだから反対尋問権が問題になる事がないというのは,全くもって的外れです.

が議論の建て方としておかしいのである。問題の調書が伝聞証拠排除原則への例外として許容されるかどうかが問題になっているときに、伝聞証拠排除原則を持ち出したからといってなんの反論にもならないのは明らかではないか?

フィクションからたとえ話をとるのはかまわないが、そのエピソードが日本の法体系に照らしても意味を持つものであることを示してもらわなければおはなしにならない。もしオウムを「証人」として申請するという話しなのだとすれば、そもそも宣誓することのできないオウムが「証人」として認められるはずもないので現実には成立しない。それゆえ反対尋問をする必要もない。犯行現場の音を「覚えて」いる物証として提出されたのであれば、やはり文字通りには「反対尋問」は問題にならない。その物証の証拠能力と証明力で争えばよいのだ。

さて、前回書き忘れた論点について。

(7)

> それと,コーチャン・クラッター両証言が適法手続きに適わない以上,そこから得られた証拠の山も,“毒の実の果

これは途中で途切れてしまっているが、言わんとすることは予想がつく。しかしこれまた私の「捜査段階の問題と公判段階の問題を混同している」という予想を裏付けるだけだ。仮に調書の証拠採用が不当だとしても、それは嘱託尋問の実施そのものが「適法手続きにかなわない」ことを意味しないのである。やれやれ…。

(8)

元最高裁判事横井大三氏の発言について。これまた立花隆によって反論済みの議論。だからこそ立花隆の本を読んでおいた方が有利ですよ、と申し上げている。もちろん、法律の作成者の意図は法の解釈において考慮に入れられるべきものの一つであるが、同時にすべてでもない。また条文の作成に大きく関与したからといってその人物が立法医師を代表しているわけではない。時間が経てば立法当時に想定しなかったような事態も生じてくる。その場合ひたすら条文の「作成者」の意図に従えばよいというものではないのである。だからこそ私は「刑法や刑事訴訟法全体の趣旨に照らした場合に“捜査段階から海外にいた人間は除外すべき”であるとすることの立証をお願いしたい」とも書いておいたのだ。渡部昇一が憲法9条の解釈に関して、刑訴法321条に対するのと同じ立場をとるとは到底思えないのだが(笑)

Posted: Sat - July 24, 2004 at 10:27 AM Apes! Not Monkeys! News at Issue Previous Next Comment (1)


・コーチャン・クラッター氏への証人尋問について
裁判が長引かされるのは嫌だが,冤罪を防ぐためには,反対尋問の権利はきちんと保障されねばならない.田中角栄氏も同様.
嘱託尋問調書の証拠調べの経過では,初めから証拠能力に問題がありそれで争っていたようなので,すぐに証人尋問が請求されなくても何の不思議もない.

・刑事訴訟法の伝聞例外について
明らかでないとか立証を願うと言って,そちらは,何の証明もしていない.
少なくとも石島泰弁護士は,供述をした後国外に出た者の調書であると解釈している.
で,貴方の方は,法学者として通説について証言すると言う事すらしていない.
Angelix | Email | Homepage | 07.24.04 - 7:35 pm | #


mayson氏へ

まったく代わり映えのしない議論なので、予告とおり…


めんどくさくなってしまった…というわりにはこんな名もないBlogを探し出して熱心に書き込んでいただいてますな。「この前はあまりにも論点が多くなりすぎて」という理由をつけているが、私が論点を整理したにもかかわらずその整理に基づいて議論を拒否し、貴方なりの整理を示すこともしなかったのであって、こんなものは理由にはならない。前回述べたように、あなたとは「小室直樹☆統一スレッド[パート6]」でやりとりするのが筋というものであろう。せっかく楽しみにしてくれているギャラリーもいたことだし。ギャラリーがほとんどいないのをいいことにとっくに反論済みの議論を繰り返されてもやりがいがない。論点が多くてしんどいというのなら、例のスレの339で私が示した整理に従って再び書き込んではいかがか? ここに書き込むのもあちらに書き込むのも手間は同じはずである。339での整理に異論があるというのなら当初から私が言っておいたように貴方なりの整理を提案すればよかろう。

今回のコメントも「小室直樹☆統一スレッド[パート6]」での書き込みと同工異曲なのでやっていられない。よって、貴方の反論の珍妙さを示す一例だけを挙げて、後はスルーさせていただく。もともと大して訪問者のいないBlogであるから書き込みを続けていただくのは別にかまわないが、こちらとしては折に触れて「小室直樹☆統一スレッド[パート6]」での議論から貴方が遁走した事情を(数少ない、事情を知らないであろうギャラリー)に説明するにとどめることにする。もちろん、「小室直樹☆統一スレッド[パート6]」で再開するというのなら喜んで議論に応じるが。

さて、

> 刑事訴訟法中の「捜査」についての規定も行政権の行使を制限するためにあるのだ。

というのは確かにその通りである。そして226条というのはどのようなかたちで「行政権の行使を制限」しているのかといえば、被疑者でもない人間に対して検察が捜査協力を強制してはならないという原理に基づいているのである。ただそれだけでは(関係者や目撃者に圧力をかけることのできる立場にある人間が犯した犯罪の場合)正義の実現に支障をきたす恐れがあるので、捜査の当事者である検察ではなく裁判所に証人尋問をさせるという方法を用意しているわけだ。


> あなたの主張は検察権力を制限するどころか、逆に

> 強力にしてしまう(なにせ、捜査である限り反対尋問権などいらない。というのだから。)とんでもない解釈であることになる。

という部分も貴方の混乱ぶりを明らかにしている。例えば参考人が検察の呼び出しに応じて事情調査を受けた場合、その事情聴取のプロセスで被疑者(被告)の代理人が「反対尋問(的介入)」を行うことはない。被疑者本人の場合、取り調べに弁護士が立ち会うどころか接見すらろくに認められないというのが日本の実情である。後者についていえば私はそうした実情を肯定しているわけではなく、浜田寿美男氏の著作を紹介した記事でも匂わせおいたように批判的な立場をとっている。しかしことさら田中角栄についてのみ被告人の権利が侵されたかのような議論については「そうではない」と主張しているのである。

さて、件の嘱託尋問調書は「小室直樹☆統一スレッド[パート6]」でもさんざん繰り返してきたように第一義的には捜査資料であって、公判において証拠申請することを必ずしも前提としたものではない。だからこそ証拠申請された際には321条に基づいて採用できる証拠であるかどうかが争われたのである。321条は公判において相手側が尋問する機会がない証人の調書をもともと想定してつくられているのである。したがって321条に基づき採用された証拠に関して「調書を取ったときに反対尋問が行われていない」ことを問題にするのはナンセンスとしか言いようがない。正しい論点はこの調書を321条に基づいて採用してよいかどうかであり、この論点にとって「反対尋問的プロセス」がなかったことは前提であって議論の的にはならないのである。

Posted: Sat - July 24, 2004 at 10:31 AM Apes! Not Monkeys! News at Issue Previous Next Comments (9)


>貴方の反論の珍妙さを示す一例だけを挙げて、後はスルーさせていただく。

なるほど、「お前は逃げたのだから、おれもにげる。」ということか。
わたしが以前めんどくさくなったのは、あなたの自分の矛盾を認めず、自分の都合のいい所ばかり主張して後は怪しげなレトリックで煙に巻くその方法についてである。今回も同様。

>捜査の当事者である検察ではなく裁判所に「証人尋問」をさせるという方法を用意しているわけだ。

あなたは、誰の目からみても矛盾した主張をしている。
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 7:27 pm | #

>2人は裁判に証人として出廷してはいない。それゆえ、そもそも反対尋問が問題になることなどあり得ないのである。

裁判所が「証人尋問」するのだろ?
だったらコーチャンらはどう考えても証人だろ?
裁判所が介入する時点で被告対原告の対審構造が必要になるだろ?
「証人尋問」には反対尋問権が問題になるだろ?
226条の「証人尋問」は「証人尋問」だろ?
そもそも、あなたは考えられない主張をしている。
行政権力が司法に捜査協力を「させる」などと何を根拠にしたらその主張が出てくるのだ?
あなたはやはり憲法を読んだことがないようだ。
これは、司法の独立に明確に反する主張だ。
行政権が司法権に「捜査」をさせる?
根拠を聞きたいものだ。
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 7:50 pm | #

>という部分も貴方の混乱ぶりを明らかにしている。

別に混乱などしていない。
わたしがどこをどのように混乱したのか、あなた得意のロジックを駆使して説明してくれ。

>例えば参考人が検察の呼び出しに応じて事情調査を受けた場合、その事情聴取のプロセスで被疑者(被告)の代理人が反対尋問(的介入)を行うことはない。
 
それは「捜査」のはなしだろ?
わたしが論点としているのは226条の証人尋問かどうかである。論点を無用に増やすのは前の二の舞になるのでやめてほしい。
226条は「証人尋問」であることは以前にも、今回もくどいほど論証した。「捜査」であることを論証するのがわたしに対する反論だろ?
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 8:06 pm | #

>被疑者本人の場合、取り調べに弁護士が立ち会うどころか接見すらろくに認められないというのが日本の実情である。後者についていえば私はそうした実情を肯定しているわけではなく、浜田寿美男氏の著作を紹介した記事でも匂わせおいたように批判的な立場をとっている。

わたしは、日本の裁判の実情を問題にしているのではない。あなたの主張が憲法を知らずに裁判を語る者の主張だと批判している。あなたが日本の裁判にどんな意見を持とうとも論点とはまるで関係ない。
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 8:11 pm | #

>第一義的には捜査資料であって、公判において証拠申請することを必ずしも前提としたものではない。

あなたは三権分立を知らない。
226条が「捜査資料」を集めるためのものであるのならば司法権が行政権にパシラれたことになる。
三権分立の一角が崩れることになる。
226条に基づく証人尋問嘱託調書は裁判資料を前提として作られているものであり、あなたの主張は憲法無知、いや、三権分立から知らない人間の主張である。
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 8:30 pm | #

>321条は公判において相手側が尋問する機会がない「証人」の調書をもともと想定してつくられているのである。

ならば、コーチャンらは「証人」であることになる。あなたは自分の矛盾に気づいていないのか?
相変わらずの方法である。
なにやら意味不明の主張をしておいて、
さりげなく従前の主張を変更するやり方である。

>これは贈賄側であるロッキード社のコーチャン、クラッターへの嘱託尋問調書が証拠採用された件を指していっているのだが、2人は裁判に証人として出廷してはいない。それゆえ、そもそも反対尋問が問題になることなどあり得ないのである。

ここでは「証人」ではない。といっておきながら、
今回は、「証人」である事を当然のように321条解釈である。こういうやり取りが特にめんどくさいの
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 8:43 pm | #

「前提のなりたたない議論は意味がない。」
とは、あなたの言であった。

以前もあなたが憲法を知らず、裁判を語ってることが判明したため、前提を欠く議論は成り立たないし、あなたの矛盾を認めない態度に辟易してしかとすることにしたのだが、今回、ある機会に恵まれあなたと再会できたわけだ。あの後もあなたが反論しているのは知っていたが、もうわたしの中では決着がついていた議論である。
しかし、今回、あなたが未だに会いも変わらない主張をしているので違う方法で矛盾を指摘しようと思ったのである。
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 8:58 pm | #

>ギャラリーがほとんどいないのをいいことにとっくに反論済みの議論を繰り返されてもやりがいがない。
>今回のコメントも「小室直樹☆統一スレッド[パート6]」での書き込みと同工異曲なのでやっていられない。

この二つのあなたの主張は完璧にウソである。
あなたにはわかっているはずだ。
以前の議論では、第三十七条【刑事被告人の諸権利】における議論からあなたの憲法無知が発覚したわけだが、(まあ、それまでも矛盾だらけだったがあなたが認めなかった。)今回はあなたの憲法三十一条無知を指摘しようというのである。「同工異曲」などとはとんでもない。やりがいがない などといいながら、前と同じやり方で2番目の質問をごまかそうとしているではないか。
Anonymous | Email | Homepage | 07.24.04 - 9:08 pm | #

まあ、あなたが「逃げた逃げた」といいはるのなら
それについて議論する気はないから、前回と今回で
ドローということにしておくか。
後はあなたの判断にゆだねる。

それと、自ら選んで書き込みをしているのに,

>どうせなら開設から3ヶ月近くたってもヒット数が400ちょっとのHPに付属したBlogなどではなく、

という、この発言はあまりにも失礼じゃないか?
前の掲示板では、ずいぶん気を使っていたではないか?ギャラリーに最後のご挨拶までしていた人間とは思えない発言だな。
Mayson | Email | Homepage | 07.24.04 - 9:23 pm | #


mayson氏の逃げ口上について(23時35分過ぎに一部更新)

「ドロー」とは笑わせてくれますな。


> なるほど、「お前は逃げたのだから、おれもにげる。」ということか。

おはなしにならない。こちらが言っているのはもともと議論していた場所に戻ろうということだ。現にAngelix氏のコメントについては今後もここで返答を続けるつもりである。貴方は逃げたけどこっちは待っているからいつでも戻っておいで、という誘いなのである。あなたこそここになら書き込めるが小室直樹スレではできないという理由でもあるのか? 要するにギャラリーの目が怖いから逃げているということではないのか? こちらはギャラリーのいるところで続けようと言っているのである。そもそも小室直樹スレでは

> あえて邪推する。

> 正直、あなた、きついだろ。

> もう切羽詰ってるだろ。

などと言っておきながらその後断りもなく姿を消し、にもかかわらずこちらでは「正直、めんどくさくなってしまった」というのはいったいどういう神経なのか? かつて私が指摘したように、あなたこそが逃げ腰をさらしたということではないか。

> まあ、あなたが「逃げた逃げた」といいはるのなら

> それについて議論する気はないから、前回と今回で

> ドローということにしておくか。

こちらは別にBlogをたたむと言っているわけではない。いったん逃げ出したくせに人目につかないところではまたぞろ同じような議論を繰り返す人間の相手をするつもりはない、と言っているだけだ。勝手に「ドロー」にしてもらっては困る。こちらは小室直樹スレであれば議論を継続する用意があるといっているのだ。

> それと、自ら選んで書き込みをしているのに,

(中略)

> という、この発言はあまりにも失礼じゃないか?

小室直樹スレでは予告もなく姿を消しておいて、ここでは当方の正体に気づいてもなお書き込みを続ける貴方こそ鉄面皮だとは思わないか? ギャラリーのいないところで心置きなくやりたいと言うならそれでもよいが、その場合せめて小室直樹スレの339で私が提案した論点の整理に基づいて議論を仕切りなおすというのがBlog主たる私への礼儀というものではないか?

> 前の掲示板では、ずいぶん気を使っていたではないか?ギャラリーに最後のご挨拶までしていた人間とは思えない発言だな。

これも的外れ。「ずいぶん気を使っていた」のは確かだが、誰かがやめろというまでは続けさせてもらうとも書いておいた。そして誰一人「スレ違い、やめろ」とはコメントしなかった。むしろやりとりを歓迎するコメントが複数あったのである。そして339での整理もまた私が「気を使っていた」からであるが、これはやりとりを続けることそのものではなく、必要以上に投稿が長くなり、かつ途中から読み始める閲覧者には事情が分かりにくくなっていたことを考慮したからだ。

あなたのコメントが「同工異曲」だと評したのが気に入らないようなので、「同工異曲」ぶりを示す例を一つだけ指摘しておこう。

> 裁判所が「証人尋問」するのだろ?

> だったらコーチャンらはどう考えても証人だろ?

> 裁判所が介入する時点で被告対原告の対審構造が必要になるだろ?

あなたの主張は要するに「証人尋問」ということばが同じだというただそれだけのことに依拠したものに過ぎないということは小室直樹スレでも書いたし、ここでも指摘した。にもかかわらずまたしてもこんなとんちんかんなことを繰り返しているわけだ。もちろんコーチャンらは証人である。しかしロッキード裁判の公判における証人ではない。そしてこれまた何度も繰り返し述べたように、嘱託尋問が請求された時点で田中角栄は逮捕すらされていなかったのである。その段階で「被告対原告の対審構造が必要になる」わけがない。嘱託尋問が行われた法廷ではいかなる刑事裁判も行われていなかったのである。すでに刑訴法228条を援用してご教授さしあげたように、226条に基づく証人尋問において被告なり被疑者なり被疑者になる可能性のある人間の代理人を立ち会わせることは必要不可欠な条件ではないのである。はっきり言って、「226条に基づいて田中が逮捕される以前に請求された嘱託尋問においても、それが証人尋問である限り被告対原告の対審構造が必要であり、その証人尋問において反対尋問が行われねばならなかった」などという珍妙な議論はかの渡部昇一ですらしていないのではないか。田中の逮捕前に請求された証人尋問において田中側の代理人が立ち会っていないのは別段おかしなことではなく、ほとんどの人間は嘱託尋問においては反対尋問的プロセスが存在しないことを前提としたうえで、その調書を証拠採用することの是非を論じていたのだ。小室直樹スレを読みなおしてみてはいかがか。ここに書いたことはほぼそっくりすでに指摘されている。

そうそう、もう一つだけ付け加えておくと、

> 行政権力が司法に捜査協力を「させる」などと何を根拠にしたらその主張が出てくるのだ?

という部分もまったくの誤解ないし曲解に基づく議論である。私が言っていたのは、「226条は検察に強引な捜査をさせないための規定だ」ということである。検察は裁判所に捜査協力を「させる」のではなく、「してもらうよう要請できる」ということである。ちなみに、226条の冒頭は「犯罪の捜査に欠くことのできない知識を有すると明らかに認められる者が」となっている。さて、226条はいったいなんのために存在しているというのだろうか?


Posted: Sat - July 24, 2004 at 11:09 PM Apes! Not Monkeys! Bad News Previous Next Comments (35)


Angelix氏にも反論しているようで、大変そうであるので、手短に反論しよう。

1、別にどこで議論をしてもよいが、矛盾を認めず  これ以上議論をしてもしょうがあるまい。

>もちろんコーチャンらは「証人」である。しかし ロッキード裁判の公判における証人ではない。

>これは贈賄側であるロッキード社のコーチャン、クラッターへの嘱託尋問調書が証拠採用された件を指していっているのだが、2人は裁判に「証人」として出廷してはいない。それゆえ、そもそも反対尋問が問題になることなどあり得ないのである。

これは両方ともあなたの主張であり、誰がどうみてもあなたの主張は矛盾する。一般人の常識を有していれば前者の主張は「ありえない」
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:03 am | #

しかし、とんでもない意見が出るものだ。

>もちろんコーチャンらは「証人」である。しかし ロッキード裁判の公判における証人ではない。

わたしは今、「ハトサブレ」を食べていたのだが、思わずキーボードのあいだに噴出してしまった。

「証人」は証人尋問のために存在するものである。
「証人尋問」においては反対尋問が問題になる。

コーチャンらが公判の証人でなければ、反対尋問権は問題にならないのか?
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:19 am | #

>あなたの主張は要するに「証人尋問」ということばが同じだというただそれだけのことに依拠したものに過ぎないということは小室直樹スレでも書いたし、ここでも指摘した。にもかかわらずまたしてもこんなとんちんかんなことを繰り返しているわけだ。

あまり人をばかにするものじゃない。
憲法31条の意味を理解している者からみれば、
あなたの意見のほうがとんちんかんである。
法文に「証人尋問」と規定してあれば「証人尋問」として取り扱わなければならない。あなたのように妄想を膨らませて「捜査」の一環であるだなどとそれこそ「馬鹿としか言いようがない」
あなたは罪刑法定主義も知らないらしいな。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:31 am | #

「別にどこで議論をしてもよい」のなら小室直樹スレに復活してはどうか? もしここで続けるというのなら以前に私が行った整理に基づいて議論を仕切りなおすことを要求する。どちらの要求にも応じないというのなら、チキン野郎であると認定し、コメントは無視したうえで随時あなたが遁走した経緯を記載することにする。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:32 am | #

「コーチャンらは証人であるがロッキード裁判における証人ではない」と「コーチャンらはロッキード裁判に証人として出廷していない」の間にはなんの矛盾もない。同じことを別様に表現しているに過ぎない。「矛盾」の意味をご存知なのだろうか?
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:35 am | #

>すでに刑訴法228条を援用してご教授さしあげたように、226条に基づく「証人尋問」において被告なり被疑者なり被疑者になる可能性のある人間の代理人を立ち会わせることは必要不可欠な条件ではないのである。

ここであなたはさりげなくまた自分の主張を変更しようとしている。

第228条 前2条の請求を受けた裁判官は、証人の尋問に関し、裁判所又は裁判長と同一の権限を有する。
2 裁判官は、捜査に支障を生ずる虞がないと認めるときは、被告人、被疑者又は弁護人を前項の尋問に立ち会わせることができる。

この第2項を反対尋問権と呼ばずしてあなたは何だというのだ?
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:37 am | #

> コーチャンらが公判の証人でなければ、反対尋問権は問題にならないのか?

その通りである。もしとにかく「証人」であれば田中側はその証人に反対尋問する権利があるというのであれば、ロッキード事件とはまったく関係のない「証人」に対しても反対尋問権をもつことになってしまう。反対尋問権が問題になるのは、当該の公判で証言した証人に対してなのである。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:38 am | #

要するにあなたは憲法31条を誤解しているうえに刑訴法321条も理解できていないのだ。
確認させてもらおう。あなたは刑訴法321条が違憲だと主張しているのか、それとも嘱託尋問調書の証拠採用が321条に違反していると主張しているのか?
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:41 am | #

前回の「31条」は「37条」の間違い。
さて、37条における「すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ(ノ)る権利を有する」という表現と、刑訴法228条の「被告人、被疑者又は弁護人を前項の尋問に立ち会わせることができる」という表現の違いがお分かりか? 立ち会わせることが「できる」ということは、立ち会わせないこともできるし立ち会わせなくてもよいということである。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:45 am | #

2、あなたは、
>これは贈賄側であるロッキード社のコーチャン、クラッターへの嘱託尋問調書が証拠採用された件を指していっているのだが、2人は裁判に①「証人として出廷してはいない。」それゆえ、②「そもそも反対尋問が問題になることなどあり得ない」のである。問題の嘱託尋問調書は捜査段階で作成されたもので、刑事訴訟法上では警察官による尋問調書などと同じカテゴリーに入る文書である。その時点で田中角栄はまだ被告人ではないので、当然被告側が③「反対尋問をすることなどあり得ない。」
上記の①,②,③について既に主張が矛盾している。
①コーチャンらは証人尋問に「証人」として出廷し たものだし、
②228条では、(あなたはまた根拠もないことを言 って反論するだろうが)反対尋問は充分問題にな 
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:47 am | #

「裁判に」は証人として出廷していない、ということと「捜査段階での証人尋問に」証人として出廷していない、ということとの間にどのような矛盾があるというのか? では、「証人」とは例外なく「裁判」において証言を行った者を意味するとする根拠を示してもらいたい。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:51 am | #

要するに、あなたは「証人」として証言した以上、その証言の場は検察対被告という対決構造を備えた裁判でなければならない、という思い込みにしがみついて珍説を繰り広げているわけだ。これが刑訴法をその構造を踏まえて読めばおはなしにならない主張であることは明白。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:54 am | #

もう一度問う。あなたは刑訴法321条が違憲だと主張しているのか、それとも嘱託尋問調書の証拠採用が321条に違反していると主張しているのか? どちらをとるかは議論の前提にかかわることなので、この質問をスルーされたのでは議論が成立しない。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:58 am | #

②反対尋問権は228条で問題になっている。
③228条をみればわかるとうり田中側が反対尋問す ることは十分ありうる。
以上は、憲法31条、37条から「当たり前」に導き出されるべき結論である。

そういえば、あなたは以前、
「憲法には「刑事被告人」としか書いていないから田中には反対尋問を認めなくても合憲である。」
などと主張していたな。
おそらくわたしが法文を重視するものだから、「してやったり」と思ったことだろうが、これなどは憲法無知を公然と認めたことに他ならない。
知ってる人間が聞いたらすぐにわかることだ。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 2:59 am | #

だんだんお行儀が悪くなってきたではないか。231
「チキン野郎」とは冷静なあなたらしくない発言だ。まあ、そうゆうのも嫌いではない。

なるほど分が悪くなったら、仕切りなおし。
相変わらずの戦術ではないか。
あなたの主張はもう誰がどう見ても破綻している。
前の掲示板に戻っても同じ結論になるのがわかっていて仕切りなおしとは、あなたのほうが「XXX野郎」なのではないかな?
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:06 am | #

やれやれ。こちらは元の舞台に戻るか、あるいは以前の私の整理に基づいてここで仕切りなおすかを主張しているのであって、その両方を要求しているわけではない。あなたこそ、ギャラリーがいれば己のデタラメぶりが露になるし、かといって論点を整理されれば逃げ道がなくなるのでどっちも選べずにいるのであろう。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:12 am | #

>「コーチャンらは証人であるがロッキード裁判における証人ではない」と「コーチャンらはロッキード裁判に証人として出廷していない」の間にはなんの矛盾もない。

これは、、、。

絶句ものである。
コーチャン等の嘱託証人尋問はいわゆる「ロッキード裁判」の証拠として提出されたものである。つまり、コーチャン等は「ロッキード裁判」において、紛れもなく「証人」として出廷したものである。
論理的に考えてあたりまえだろ。
いまさら、どこの裁判の証人だというのだ?
もう、メチャクチャだな。前もそうだったが、、。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:16 am | #

>もしとにかく「証人」であれば田中側はその証人に反対尋問する権利があるというのであれば、ロッキード事件とはまったく関係のない「証人」に対しても反対尋問権をもつことになってしまう。

あなたはいったい何の話をしているのだ?
とにかく「証人」でありさえすれば反対尋問させろ
などといった覚えがない。
あなたの妄想だろ。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:21 am | #

これは、、、。

噴飯ものである。
公判期日外において作成された調書が証拠として採用されれば、その調書の証言者は公判において証人として「出廷」したことになるというのか!! いや〜すごいロジックですな。もしそうなら刑訴法321条は大幅な書き直しを余儀なくされるはずだがノ。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:22 am | #

>とにかく「証人」でありさえすれば反対尋問させろ
>などといった覚えがない。

つもりがあろうがなかろうが実質的にそう主張していることになるのである。なぜなら、コーチャンらはロッキード事件丸紅ルート公判における証人ではないのであるから。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:24 am | #

>確認させてもらおう。あなたは刑訴法321条が違憲だと主張しているのか、それとも嘱託尋問調書の証拠採用が321条に違反していると主張しているのか?

何言ってるんだ?
あなたの主張が違憲だと言ってる。
むやみに論点を増やすなよ。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:24 am | #

ますます無知と誤解をさらしてくれてあきれればいいのか感謝すればいいのかノ。

私人たる私の発言はどのようなものであれ「違憲」たり得ない。憲法とはなにかをご存知か?
さらに私の問いは論点を整理するためのものであって「むやみに増やす」ためのものではまったくない。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:27 am | #

>刑訴法228条の「被告人、被疑者又は弁護人を前項の尋問に立ち会わせることができる」という表現の違いがお分かりか? 立ち会わせることが「できる」ということは、立ち会わせないこともできるし立ち会わせなくてもよいということである。

あなたの主張のように、226条の「証人尋問」が
「捜査」の一環であり、反対尋問が問題にならないのなら、228条2項はそもそも不要ではないか。
あなたは「矛盾」していることに気づいていないのか?
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:28 am | #

>要するに、あなたは「証人」として証言した以上、その証言の場は検察対被告という対決構造を備えた裁判でなければならない、という思い込みにしがみついて珍説を繰り広げているわけだ。これが刑訴法をその構造を踏まえて読めばおはなしにならない主張であることは明白。

これはすごい。
被告が無くても証人尋問が出来るとは始めて聞いた是非、あなたの珍説をお聞かせ願おう。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:31 am | #

>もう一度問う。あなたは刑訴法321条が違憲だと主張しているのか、それとも嘱託尋問調書の証拠採用が321条に違反していると主張しているのか? どちらをとるかは議論の前提にかかわることなので、この質問をスルーされたのでは議論が成立しない。

ほんと相変わらずだな。
わたしはあなたの意見が憲法知らずの意見だと主張している。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:34 am | #

>あなたこそ、ギャラリーがいれば己のデタラメぶりが露になるし、かといって論点を整理されれば逃げ道がなくなるのでどっちも選べずにいるのであろう。

結果は同じだって。
あなたは憲法を知りもしないのに法律、裁判語ってんだから。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:36 am | #

>あなたの主張のように、226条の「証人尋問」が
>「捜査」の一環であり、反対尋問が問題にならない
> のなら、228条2項はそもそも不要ではないか。

逆である。226条に基づく証人尋問が公判における証人尋問と同じように扱われねばならないのなら、228条2項は不要なのである(憲法37条、刑訴法157条で足りてしまう)。この第2項があることがまさに公判における証人尋問との違いを証明しているのだ。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:38 am | #

>公判期日外において作成された調書が証拠として採用されれば、その調書の証言者は公判において証人として「出廷」したことになるというのか!! 

くだらない揚げ足とりはあなたらしくない。
その部分がどうであれ、コーチャンはロッキード裁判の証人であることに代わりは無く。
あなたの主張が矛盾していることに変わりはない。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:38 am | #

>つもりがあろうがなかろうが実質的にそう主張していることになるのである。なぜなら、コーチャンらはロッキード事件丸紅ルート公判における証人ではないのであるから。

これは細かい根拠を提示する必要があるだろ。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:40 am | #

> 被告が無くても証人尋問が出来るとは始めて聞いた是非、あなたの珍説をお聞かせ願おう。

証人尋問である以上被告が存在するはずだ、とする根拠は?

>あなたは憲法を知りもしないのに法律、裁判語ってんだから。

私人の発言を「違憲」とする人間にそんなことを言う資格があるのか(笑)

>くだらない揚げ足とりはあなたらしくない。

揚げ足とり?? 現に引用箇所の次の一文でまさにそう主張しているではないか。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:42 am | #

>私人たる私の発言はどのようなものであれ「違憲」たり得ない。憲法とはなにかをご存知か?

これは、申し訳なかった。
確かにあなたのいうように「違憲」はないな。
ご寛恕をこう。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:42 am | #

さて、寝酒の肴としてついついつきあってしまったが、これ以降は当初の予定とおり、「もともとの舞台に戻るか、当Blogの主たる私の整理に基づいて議論をするか」のどちらかを選んでもらおう。もちろん、アク禁にしたりコメントを削除したりはしないが、上の条件を呑まないならチキンかつ粘着と認定してそれなりの処遇をさせてもらう。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:45 am | #

>逆である。226条に基づく証人尋問が公判における証人尋問と同じように扱われねばならないのなら、228条2項は不要なのである(憲法37条、刑訴法157条で足りてしまう)。この第2項があることがまさに公判における証人尋問との違いを証明しているのだ。

だからと言ってこれが、226条の「証人尋問」が「捜査」と同じで反対尋問が全く問題にならない(全否定)というあなたの主張の根拠にはなりえない。
むしろこの条文の存在が、「あなたの反対尋問権は問題となるはずがない」と言う主張を否定する根拠となる。2項は反対尋問権について規定したものである。憲法の思想から当然である。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:48 am | #

>証人尋問である以上被告が存在するはずだ、とす る根拠は?

ここに憲法無知極まれり。

第三十七条【刑事被告人の諸権利】
1 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
(以下省略)

「証人尋問」であるかぎり被告がいるのは当たり前だろ。この質問があなたの憲法無知を決定付ける何よりもの証拠。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 3:57 am | #

>寝酒の肴としてついついつきあってしまったが、これ以降は当初の予定とおり、「もともとの舞台に戻るか、当Blogの主たる私の整理に基づいて議論をするか」のどちらかを選んでもらおう。

寝酒の肴としてはずいぶん付き合ってくれたな。
もうこれでわたしの目的は充分果たされた。
あなたの主張は矛盾だらけであることが論証できたし、それに対するあなたの有効な反論はどこにも見あたらない。そして何よりもあなたの憲法無知が充分証明された。(別にギャラリーがいてもいなくても、最初からわたしとあなたの問題だ。)
ゆえに、あなたの申し出をうけても意味はない。
ここでわたしは堂々凱旋することにする。
231よ、では、また。おやすみなさい。
Mayson | Email | Homepage | 07.25.04 - 4:06 am | #

 2 以上を要するに、我が国の刑訴法は、刑事免責の制度を採用して
おらず、刑事免責を付与して獲得された供述を事実認定の証拠とすること
を許容していないものと解すべきである以上、本件嘱託証人尋問調書に
っいては、その証拠能力を否定すべきものと解するのが相当である。

◆ H07.02.22 大法廷・判決 昭和62(あ)1351 外国為替及び
外国貿易管理法違反、贈賄、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律違反
http://courtdomino2.courts.go.jp/schanrei.nsf
qqq | Email | Homepage | 09.23.04 - 10:32 pm | #



「撤退」を「転進」と言い換えるメンタリティについて

さすがロッキード裁判批判派らしく、かつて『朝日ジャーナル』で立花隆と公開討論をやった際の渡部昇一そっくりの逃げ方である。


「堂々凱旋」なんだそうである。第二次世界大戦の末期、じりじりと撤退を続けながらそれを「転進」と言い繕った大本営発表並みの強がりである。「強がり」であることは、「321条そのものが違憲だと主張しているのか、それとも321条は合憲だが嘱託尋問調書が321条の規定を満たしていないと主張しているのか」を明らかにせよという要求に決して応じようとしないことからも明らかである。このどちらかを選んでしまえば論点が極めて明確化されてしまい、自分の粗雑な議論が通用しなくなることが分かっているからなのであろう。

事情をご存じない方にはわけが分からないであろうから簡単に経緯を述べておくことにする。このBlogで小室直樹のロッキード裁判論を批判したのとほぼ時期を同じくして、某巨大掲示板の小室直樹に関するスレッドで同趣旨の書き込みをしたところ、それに噛み付いてきたのがmayson氏なのである。あまり進行の早くないスレであるため一時期投稿のかなりの部分を我々のやりとりが占めるほどだったが、やりとりに好意的なコメントがいくつかついたのに対して「別にスレをたてたら?」という提案が一つあっただけ、と全体的には論争(実際には論争の体をなしていなかったのだが)を歓迎ないし静観するという雰囲気であった。

しかしながら、後ほど証明するようにmayson氏は法律についてもロッキード裁判についてもろくな知識しかもっていないうえに論理的思考力にも乏しく、議論が必要以上にのびてしまうので、特にいわゆる「反対尋問権」問題の論点を次のように整理して一つずつ片付けていくことを提案したのである。

1.コーチャンらへの嘱託尋問の時点で田中側が反対尋問をしていないことの是非

2.嘱託尋問調書が証拠として採用されたことの是非

3.嘱託尋問調書が証拠採用された後、田中側がコーチャンらへの証人尋問を「許さ

れなかった」というのは本当かどうか

ところが、論点を整理してしまうと言を左右にして逃げる余地がなくなることを察したのか、氏はこの提案を一蹴し、この提案の翌日の書き込みを最後に姿を消してしまったのである。その後どう探したものか当Blogを発見しコメントを始めたわけであるが、自分が論点の整理を拒否しておきながら、逃げ出したことについて「この前はあまりにも論点が多くなりすぎて、正直、めんどくさくなってしまった」と釈明する神経とはどういうものなのか、理解に苦しむ。そして、ここに書き込む気があるのなら元の舞台に戻ってはどうかと提案しても、それには応じないのである。考えてみれば、某掲示板の小室直樹スレは小室直樹のファンというか愛読者が主な投稿者、閲覧者なのだから本来ここよりも氏にとって有利なフィールドのはずであるのに…。

さて、mayson氏の論理的思考能力について論評する前に、ロッキード事件における「嘱託尋問調書」について少し解説しておきたい。ロッキード事件がアメリカ上院のチャーチ委員会で明らかになり、日本でも真相究明を求める世論がわきあがった。捜査のためには当然贈賄側であるロッキード社の関係者(主としてコーチャン、クラッター両名)への尋問が行われることになるが、コーチャンらは出頭を拒否。そこで検察は刑訴法226条にもとづいて、裁判所に両名の証人尋問を申請したのである。ところがコーチャンらは日本の裁判所の管轄内には居住していないため、証人尋問はアメリカの裁判所に嘱託されることになった(Angelix氏もmayson氏も触れていないが、当時はこの嘱託の可否も問題になった)。この時点では丸紅ルートの後の被告は誰一人逮捕されていない。そしてアメリカの法廷で行われた証言(いわゆる「免責」の問題をめぐって手続きが長引いたため、証言の一部は田中の逮捕後になってしまった)を記録したものが「嘱託尋問調書」なのである。証人尋問が請求された時点で、田中を含め丸紅ルートの被告はまだ起訴どころか逮捕もされていないことに留意されたい。この証人尋問で被告側が反対尋問をしなければならない、という主張の滑稽さがお分かりだろう。

さて、この調書が問題になったのは、それがロッキード裁判の公判において証拠申請されたからである。裁判というものは公判における証言、および公判に提出されたその他の証拠に基づいて行われるのが大原則である。大原則であるとはいえ、多くの原則がそうであるようにここでも例外はある。それが刑訴法321条の規定である。321条はいろいろなケースを取り扱っているのだが、この調書に関連する部分に絞って言えば、「公判に出廷できない証人が、公判とは別のところで証言を行ってそれを文書化している場合、一定の条件を満たせばそれを証拠とすることができる」という趣旨の規定である。この調書の証拠採用をめぐって激しい議論がいくつもの論点で展開されたが、いわゆる「反対尋問権」論とはこの調書の証拠採用が被告側の反対尋問権(憲法37条に根拠をもつ)を実質的に侵すことになるのではないか、というものである。ここで留意していただきたいのは、問題になったのは調書の証拠採用であって、調書の作成段階で田中側が反対尋問を行っていないことそれ自体ではない、ということである。少なくとも、まともな論者の場合はそうである。前にも述べたように、証人尋問の申請時点で田中は逮捕すらされていないのであるから当然であろう。

さてmayson氏の議論の総括に移るが、ひとことで言えば「証人尋問」とはすべからく公判における「証人尋問」のことである、という思い込みから出発した珍論である。こちらが議論を尽くしても、煎じ詰めれば「とにかく証人尋問なのだから被告の反対尋問がなければおかしい」というだけなのである。226条にもとづく証人尋問では被告が存在しない場合どころか、被疑者が誰かすら判明していないこともあり得るのに、その証人尋問で被告は反対尋問をしなければならない、というのである。笑ってしまうではないか。どれくらいこの思い込みが根深いかは、氏の某掲示板での(mayson名義での)初の投稿が「検察の調査段階で、被告が誰かもわからずに証人から証言て取れるの?」というものだったことからも分かる。226条はまさにそうしたケースを想定した条文であるが、それが理解できないのである。なぜ理解できないのかというと、証人がいる以上被告がいて、証言は公判で行われるはずだと思い込んでいるからなのである。

そこで私は、いったい何を根拠に「証人尋問はすべて公判における証人尋問なのか」と問うた。それに対する答えがこれである。


> 第三十七条【刑事被告人の諸権利】

> 1すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。

> 2刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求> める権利を有する。

> (以下省略)

>

> 「証人尋問」であるかぎり被告がいるのは当たり前だろ。この質問があなたの憲法無知を決定付ける何よりもの証拠。

これを見て私は爆笑しつつ、「やはり」とも思った。これは論理学の教科書をひも解けばたいてい載っている、誤謬推理の見本のようなものである。形式化すれば「AならばBである」と「Bである」という二つの前提から「A」であるという結論を導く、「後件肯定の虚偽」である。「被告人が存在する(A)なら証人尋問(B)が行わればならない」、「(コーチャンらへの)証人尋問(B)が行われた」、故に「被告人が存在する(A)のでなければならない」というのである。この推論のばかばかしさはAを「東京23区民」、Bを「東京都民」と置き換えてみればすぐに分かる。ある人物が23区民であれば彼は同時に東京都民でもあるが、ある人物が東京都民だからといって23区民でもあるということにはならない。被告人が存在すれば、証人に対して十分な尋問を行わねばならない。これはいい。しかしそのことから「証人が存在するなら被告が存在するはずだ」ということは決して帰結しないのである。

実はこれと同じような混乱を某巨大掲示板でも氏は呈している。私はコーチャンらの嘱託尋問調書は捜査段階で作成された調書であり、刑訴法321条(1の)1項3号に基づいて証拠採用されたという点で警察官調書や上申書の類いと同じである、と主張した。ところが氏は「警察官による調書は調書、証人尋問は証人尋問、だから同じじゃない」と繰り返すだけであった。言うまでもなく、「同じ」か「違う」かは「どのような点で」という限定を付けない限り意味を持たない区別である。これに関して私は氏の論理的思考能力について次のようにコメントしておいた。

>「フグとタイとは高級魚という点で同じである」という主張に対して、

>「お前はフグとタイとは同じだと言っている。フグには毒がある。

> ゆえにおまえはタイにも毒があると主張している」と言っているようなものだ。

(前後を省略のうえ改行位置変更)

お分かりのように、これもまた「東京都民は23区民」論法と同じような構造をもつ論理的誤りなのである。その他、私の議論が「首尾一貫していない」と非難したかと思うとその後まもなく「同じ議論の繰り返しだ」と非難してみせるのも、氏がいかに場当たり的な投稿をしてきたかの証拠であろう。

さてそろそろまとめを。コーチャンらの嘱託尋問調書は反対尋問的検討を経ていない証言の調書だから、それを証拠採用することは被告の反対尋問権を実質的に奪う…という議論は、もしこれを田中裁判だけに適用するのでなく321条に基づいて調書が証拠採用される裁判(いくらでも例がある)に対して広く適用されるならば、そしてそれが最終的には321条違憲論に向かうことを承知のうえで展開されているならば、それなりに検討に値する議論ではある(結局間違っていると私は考えるが)。しかしながら、コーチャンらへの証人尋問はとにかく証人尋問なのだから反対尋問がなかったのはおかしい、というのはおそらく渡部昇一ですら(少なくとも論争の後期には)していなかったのではないか。氏は小室直樹を読みかじった人間によくあるように「我こそは法学の神髄を極めたり」という自負が強いらしく、やたらと「お前は憲法を知らない」とか「デュー・プロセスくらい知っておけ」といった大風呂敷をひろげたがる。しかしながら、田中裁判批判派の大半は実は「被告人の権利」に大して関心などもっちゃいないのだ。重大な人権侵害が行われている多くの刑事裁判に彼らが無関心なのがその証拠だ。むしろ「人権」という理念に対して冷笑的な論者すら含まれているというのが実態である。いくら大風呂敷をひろげようとも、あくまでロッキード裁判という土俵でしか、しかも田中角栄を擁護するという目的でしか憲法や刑訴法を考えてみようとせず、しかも論理的思考能力に欠けているので、なんとも珍妙な議論が出来上がってしまったわけである。

Posted: Sun - July 25, 2004 at 11:09 AM Apes! Not Monkeys! Bad News Previous Next Comment (1)

ちょっと補足を。「フグもタイも有毒」論法は厳密には氏の主張そのものではなく、氏が私の主張を曲解する際に登場したものである。当方が、「AとBはどちらもCである(が、Dという点では違っている)」という主張に対して、Cを無視して「お前は同じだと言っている」としたのである。

Apes! Not Monkeys! | 07.26.04 - 3:10 pm | #


ちょっと補足を。「フグもタイも有毒」論法は厳密には氏の主張そのものではなく、氏が私の主張を曲解する際に登場したものである。当方が、「AとBはどちらもCである(が、Dという点では違っている)」という主張に対して、Cを無視して「お前は同じだと言っている」としたのである。
Apes! Not Monkeys! | Email | Homepage | 07.26.04 - 3:10 pm | #


そろそろこの議論もおしまいなのだろうか…

前回の記事に対してはAngelix氏からは短いコメントが一つあったきりだったので、続きがあるのかと待っていたが…。ひょっとしてこちらの返答を待っているのだとしたらいけないので。


さて、もう一方の系列での議論とは違って大分論点は煮詰まってきたようである。Angelix氏が被告の恣意的な裁判引き延ばしを容認しない方だということが確認できた。とすればAngelix氏は当然、立証趣旨のはっきりしない被告側の証人尋問は却下されてもしかたないということを認めるはずである。

とすると残る問題は

・実際の証人申請が遅れたことをどう評価するか

・弁護側の証人申請を「必要性なし」とした裁判所の判断は妥当だったか? いいかえれば田中側は証人尋問の必要性を具体的に明らかにしたか?

の二つに絞られることになる。

ここで嘱託尋問調書をめぐる一審の流れをまとめておくと

1977年1月 初公判

同年10月 検察が嘱託尋問調書の証拠調べを請求

1978年12月 丸紅ルート法廷が証拠採用を決定

1979年2月 証拠調べ開始

同年3月 弁護側、「証拠調べが終了した段階でコーチャンらへの嘱託尋問を請求するつもり」と表明

1982年2月 嘱託による反対尋問を請求

同年5月 請求を却下

同年12月 事実審理終了

1983年10月 判決

ここで、嘱託尋問調書をめぐる動きに長い空白期間が二つあることに注目していただきたい。77年10月から78年12月は嘱託尋問調書の証拠採用をめぐって争われた期間である。79年3月から82年5月までの空白は、田中側がコーチャンらへの証人尋問を申請する、と言ってから実際に申請するまでの期間である。申請するつもりと言ってから実際に申請するまでの時間が(裁判全体の流れを考えれば)異様に長いこと、そして申請が結審間近であったことがお分かりいただけるだろう。Angelix氏は

> 嘱託尋問調書の証拠調べの経過では,初めから証拠能力に問題がありそれで争っていたようなので,すぐに証人尋問が請求さ

>れなくても何の不思議もない.

としているが、証拠能力をめぐる争いは78年12月にすでに終わっている。翌79年から証拠調べが始まったのにそれから3年(申請すると表明してから数えても3年近く)の時間が経っている。81年2月に検察側の立証が終了してからさえ、丸一年が経っているのである。公判に出廷する証人の場合、反対尋問をする意思があるなら主尋問が終わってすぐにその意思を表明するのが常識である。だからこそ主尋問に対する反対尋問と呼ばれるのだ。その証人への尋問が終わり、しばらく経ってからまた尋問したいというのなら、それは新たな証人申請なのである。公判の全期間に占める3年という空白の重み、結審間近という時期、この二つを考えれば「すぐに証人尋問が請求されなくても何の不思議もない」という弁解など成り立つ余地がないことは明白であろう。

さて、どれほど時期外れの請求であっても、それが真相の究明(被告の弁護)に決定的な重要性をもつ証人尋問なのであればやはりやるべきである、という主張なら私にもまったく異議はない。そこで二つ目の論点が問題になってくる。ところが、これについてAngelix氏は「その5億円をどう用意したのか訊きだす為に,コーチャン・クラッター両証人への反対尋問が必要」としか主張しないのである。5億円をどう用意したかは嘱託尋問調書にちゃんと書かれている。もちろん、弁護側として「それを鵜呑みにはできない」と主張するのは分かる。だからといって「これこれこういう具合に用意しました」と証言している証人に対して「どう用意したのですか?」と聞き直してどうするというのか。「とにかく聞き直してみれば違う証言をするかもしれない」という程度の根拠で証人を申請できるのなら、限りない引き延ばしが可能になってしまう。調書でのあなたの証言は他の証人の証言とこれこれの点で食い違っていますとか、調書の証言それ自体にこういう矛盾がありますとか、証言はこの物証と矛盾します…といったことが指摘できて初めて証人尋問の必要性を説くことができるのである。

ただ実を言えば、今の時点で弁護側になり代わって証人尋問の必要性を論証することが極めて困難であることは私にはよくわかっているので、「それができなければあなたの負けだ」という気にはなれない。ロッキード裁判について当時書かれた本の多くはすでに品切れで入手が困難になっている。嘱託尋問調書そのものや判決文を含む法廷での記録は、よほどの労力をかけない限り断片的なかたちでしか参照することができない。仮に立場が逆だったとすれば、報酬のある仕事だというのでもない限りとてもやる気にはなれない作業である。だからこそ、おそらくは渡部昇一や小室直樹の著作を通じてのみロッキード裁判論争に触れているのであろう氏に対して立花隆の『ロッキード裁判批判を斬る』(単行本時のタイトルはたしか『論駁』だった)を読んでみてはいかがか、と提案しているのだ(図書館でなら閲覧可能なはずだ)。当方は渡部昇一の本に目を通すだけの手間はかけたのである(売り払ってしまって手元にはすでにないが)。立花隆の側から論争を眺めてみれば、少なくとも渡部昇一の議論のうちまだなんとか議論として成立する部分と箸にも棒にもかからない部分(あなたの主観には正しい部分と苦しい部分、と映るかもしれないが)の区別くらいはつくはずである。

さてもう一つの反論、

> ・刑事訴訟法の伝聞例外について

> 明らかでないとか立証を願うと言って,そちらは,何の証明もしていない.

について。まずここでの論争は裁判とは異なるので、判決支持派が一方的に拠証責任を負うわけではない。むしろ、判決に対して批判を始めた側がまずは拠証責任を負うのである。321条の「国外にいる」が証言後に出国したことを意味するというのなら、それを立証するのはまずもって裁判批判派の責任なのである。批判派がその責任を十分に果たして初めて裁判支持派に拠証責任が移る。

さて、321条の条文それ自体からは「証言後に出国した」場合と限定して読むべき理由は出てこないことはすでに述べた。だがこちらは別にそれでけりがついたなどと主張してはいない。したがってAngelix氏にさらなる論証を要求したのである。それに対する返答が「元最高裁判事横井大三氏」「石島泰弁護士」への言及である。おそらく後者も渡部昇一からの孫引きなのであろう。だが、「こう主張している人がいます」と書いたからといって、それが直ちに論証にならないことは言うまでもない(渡部昇一が偏愛する論法であるが)。私が「通説について証言すると言う事すらしていない」などと言っているが、一、二審の判決を下した裁判官がまさに「当初から国外にいた場合も含む」という判断を下しているのである。まずはこれにきっちり反論するのが先であろう。

Posted: Sun - July 25, 2004 at 11:58 AM Apes! Not Monkeys! News at Issue Previous Next Comment (0)


もひとつダメ押し(mayson氏の誤謬推理について)

ギャラリーのいる場での論争であれば、やがてどちらかを支持する投稿が増えていって、通りすがりの閲覧者にも議論の帰趨が分かりやすくなる。しかしmayson氏はギャラリーのいる場での議論を拒否しているうえに、捨て台詞だけは達者なので、ひょっとして斜め読みした人が「なるほどmayson氏は鋭いな」などと思ってしまわないとも限らない。それではたまらないので…。


前回、mayson氏の議論が二つの誤謬推理をベースにしていることを明らかにした。

「被告人が存在するなら、証人への尋問は十分にされねばならない」と「証人尋問が行われた」という二つの前提から「被告人が存在するはずだ」という結論を導く「東京都民なら23区民である」論法。形式的には後件肯定の虚偽に当たるが、これは非常にポピュラーな誤謬であるので、氏の他の詭弁も形式的にはこれのヴァリエーションであると考えることができる。

前回紹介したもう一つの例は、「AとBはどちらもCである(が、Dという点では違っている)」という主張に対して、「お前は違うものを同じCだと言っている」というタイプの議論、「タイはフグと同じで毒をもつ」論法である。今回ダメ押しに紹介するのはちょうどこれの裏返しに当たる。

さて、この数日のやりとりをご覧いただければお分かりのように、mayson氏は私が「コーチャンらは嘱託尋問における証人ではあるが、ロッキード公判における証人ではない」と主張したことが「矛盾である」と言ってだだをこねている。そもそも氏が「矛盾」の意味を正しく理解しているのかどうか怪しいので念のために補足すれば、矛盾とはある命題とその命題の否定を同時に主張することである。したがって、誰かが「コーチャンらは証人である。そしてコーチャンらは証人ではない」としたならばなるほど矛盾を犯したことになる。しかしながら、「コーチャンらは嘱託尋問における証人である」という命題の否定は「コーチャンらは嘱託尋問において証人ではなかった」である。これと「コーチャンらはロッキード事件公判における証人ではなかった」とがまったく異なることは言うまでもない。したがって私の主張に矛盾などないのである。意図的な詭弁としてはあまりにお粗末であり、上に紹介した前例もあることから、やはりいま紹介したごく簡単なロジックが理解できないのであろう。

氏の誤謬の核心は、「○○における証人」を「証人」と等号で結んでしまうところにある。有毒タイ論法と同じく、「どのような点で」という限定を無視して「同じか、違うか」を論じているのである。有毒タイ論法では「違う」と主張していたのにこちらでは「同じ」だと主張しているのが違うだけだ。なるほど、ある人物が証人として裁判所で証言を行った経験を持つか否かを問題にしているのなら、「○○における証人」を「証人」で置き換えてもかまわない。しかしながら、今問題になっているのは被告人田中角栄がある証人の尋問に関してどのような権利を有しているか、である。その場合、どのような場での証人であるかが肝心なのであって、「とにかく証人には違いない」というのはナンセンスもいいところである。ロッキード事件はいくつかのルートに分けて裁判が行われたが、例えば全日空ルートでの公判にある証人が出廷して証言したとしよう。この証人は丸紅ルートでは証人として出廷していないと仮定する。さてそうすると、田中側(丸紅ルート公判で裁かれた)は反対尋問権などもたない。だがmayson氏の主張しているのはこうしたヨタなのである。たしかにその証人に対して新規の証人尋問を行うよう申請する権利は持っている。そしてそうした権利であれば、田中側はコーチャンらに関してちゃんと行使しているのである。

以上をわかりやすい例に置き換えてみよう。ナベツネは読売ジャイアンツのオーナーではあるが、近鉄バッファローズのオーナーではない。当たり前の話しである。だが、私がこう主張するとmayson氏は「矛盾している」と言うのである。「オーナーであることには変わりがない」というのである。そしてそれを元にして、ナベツネはジャイアンツに対してもつ権利と権限をバッファローズに対してももっていると主張するのである。まあ、ナベツネ本人も実は同じように考えている節がある(それどころか、プロ野球全体のオーナーであるかのように振る舞っている)。というわけで、氏のこの論法をナベツネ論法と呼ぶことにしよう。

以上で明らかなように、mayson氏は意図的にか意図せずしてか、上記のような極めて初歩的な論理的誤謬を議論の出発点に据えてしまっているために当方の反論をまったく理解することができず、かえってこちらを「矛盾している」だの「破綻している」だのと非難しているのである。後件肯定の虚偽が虚偽であることを理解できない人物に論理を語る資格などないのであるが…。

Posted: Sun - July 25, 2004 at 01:59 PM Apes! Not Monkeys! Bad News Previous Next Comment (0)


「反対尋問権」論の虚構性について

ロッキード裁判批判におけるいわゆる「反対尋問権」問題について、ちょっとこれまでとは別の角度から述べてみる。


コーチャンらはロッキード裁判公判に出廷した証人ではないので、厳密な意味では「反対尋問権」が問題にならない(そもそもそれに対応する主尋問が存在しないのであるから)ということはこれまでにも何度か述べたが、仮に嘱託尋問調書を主尋問とみなしてそれに対する反対尋問権を議論した場合にも、実は裁判批判派の議論は著しく説得力を欠いている。調書の証拠調べ(主尋問に当たる)が終わってから嘱託尋問の請求があるまで3年もの時間が経っているからだ。通常の証人喚問であれば主尋問が終わった段階で反対尋問をする意思の表明がある。田中側もたしかに意思があるという表明はした。ただ通常の反対尋問の場合とは異なり、形式的には調書の証拠調べは証人尋問(主尋問)ではないから、田中側からさらにコーチャンらへの証人尋問の申請がなければ尋問は行われない。そして田中側はそれを3年ネグったのである。とすれば、3年後の証人申請は到底(比喩的な意味ですら)反対尋問とは言えず、新規の証人尋問と考えるのが妥当であるはずだ。憲法37条には「公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する」と定められており、この場合(議論の趣旨に照らせば)実はどっちでもたいした違いはないのである。ただ、「反対尋問権」(これは先ほど引用した部分の前段を根拠とする)とした方が不可侵性を印象づけやすい、という戦略なのであろう。

さて、問題はなぜ田中側が3年間も証人尋問の申請を怠っていたか、である。これについてAngelix氏やmayson氏にといただしても「何の問題もない」と開き直られるか質問をネグられるかのどちらかである。立花隆ははっきりと「尋問してもなに一つ有利な結果を導けないどころか、かえってやぶ蛇になる恐れがあるからだ」と指摘している。これを援用してもけっして批判派は受けいれまい、と思ったのでこれまで触れてはこなかったが、3年間ものブランクについて批判派がろくな弁解もしない以上、追い打ちとして立花隆の主張を簡単に紹介しておこう(『ロッキード裁判批判を斬る』第1巻の84〜88頁、および同巻第11、12章)。

ロッキード事件では丸紅ルート以外にもいくつかのルートで審理が行われた。立花隆が問題にするのは小佐野ルートの裁判である。小佐野被告にとって、コーチャンらの調書、特にクラッターの証言部分は田中の場合に較べて格段に大きな意味を持つ。なぜなら、コーチャンらは田中には直接接触していないのに対して、小佐野はクラッターから直接金を受け取っているからである。さらに、嘱託尋問調書には小佐野側に有利な矛盾があった。小佐野と会ったのは "midday" ころだったと証言されているのに対して、小佐野が当日ロサンゼルス空港についたのが午後4時過ぎだったことが明らかになったのである(嘱託尋問の実施時点では判明していなかった)。夕方になってアメリカに着いた人間と "midday" に会うことができるのか? ということで弁護側はかの渡部昇一教授を証人として呼び、"midday" を“夕方までをカヴァーする”時間帯を指すものと解することはできない、と証言させたのである。この経緯については渡部昇一自身が書いている。

だが、結局第一審では「他の証拠から金の受け渡しがあったことは明らかで、"midday" という表現については記憶違いと見る余地がある」として弁護側の主張は斥けられてしまう。これでまた渡部センセイはいきり立ったのであるが、ちょっと考えてみていただきたい。弁護側は小佐野の無実を主張するためにクラッター証言の矛盾をついたのである。そのためにはなるほど "midday" の語義を云々するのも結構だが、もっと手っ取り早くしかも確実な方法がある。クラッターにもう一度問いただしてみる(反対尋問をしてみる)ことである。それによって「午後4時過ぎまでをも含む意味で "midday" と言ったのではない」という証言をとることができれば、別の証拠との矛盾ははっきりするのである。にもかかわらず、小佐野弁護団はクラッターへの証人尋問を申請しなかった。なぜか? そして証人として弁護側とも接触があった渡部昇一はそのことを不思議に思わなかったのか?

要するに、上のような証人尋問は弁護側が被告の無罪を確信している場合にしか使えないからである。実際には両者がアメリカで顔を会わせているのなら、"midday" という証言は記憶違いでしかあり得ない。実際、検察は控訴審でクラッターから宣誓供述書をとり、「小佐野とは間違いなく会って金を渡した。"midday" というのは記憶違い」と確認させ、証拠として提出したのである。アメリカ側の証人から宣誓供述書をとるという手法は全日空ルートの弁護団も使ったものであり、当然小佐野弁護団にも可能であった。しかし小佐野側はそれをしなかったのである。やってみようとしたがうまくいかなかったというのではない。やってみようともしなかったのである。これは小佐野弁護団がよほどの間抜けであるか、それともやぶ蛇になることを恐れたからかのいずれかとしか考えられない。同様の推定は田中弁護団についても成り立つ。もし弁護団のミスだというのなら裁判所や検察を批判するのは的外れで、渡部昇一初め裁判批判派は被告の弁護団をこそ糾弾すべきである。そして「やぶ蛇」説が正しいのだとすれば、田中側によるコーチャンらへの証人尋問は「したいのにできなかった」のではなく、「するつもりもないのにやるという格好だけはしてみた」ということに過ぎないのである。

Posted: Sun - July 25, 2004 at 05:46 PM Apes! Not Monkeys! Bad News Previous Next Comment (0)


ロ裁判落ち穂拾い(その1) (一部修正あり)

コメントシステムで書いてすませたことも含め、詳しく言及できなかった論点について。

ところで、mayson氏のハンドルはやはりAngelix氏お気に入りの「ペリー・メイスン」からとられているのだろうか。「刑事コジャック」派であった私ごときから尻尾を巻いて逃げ出すようではメイスンの名が泣くと思われるが…。


ロッキード裁判について書かれた本を集中的に読んだのは15年くらい前の学生時代の頃で、ほとんどの本は(立花隆の『ロッキード裁判傍聴記』や、『ロッキード裁判批判を斬る』の親本『論駁』も含めて)酒代として消えてしまった。いま手元にある『…を斬る』はその後文庫版で買いなおしたものである。もったいないことをしたものだ。なにしろほとんどのコメントが小室直樹や渡部昇一の本を下敷きにしているので、手元にあればもっと効率的に反論できるからである。まあそれにしてもほとんどがこちらの予想の範囲内の反論なので手応えがない。最も意表をつかれたのは「後件肯定の虚偽」レベルの誤謬推理を平気で侵しまくるmayson氏の混乱ぶりであった(笑)。こちらが主として依拠しているのが立花隆の議論であることは(こちらも隠していないし)両氏にもわかっているはずである。もっとも立花隆の本は控訴審が始まる前後に執筆されているので、最高裁の判決を受けた議論などは自分で組み立てる必要があったし、相手のレトリックが違えば議論も違ったかたちで独自に組み立てなおす必要がありはしたが。

ここで考えさせられるのは、やはり人間は「見たいものしか見ず、聞きたいものしか聞かない」ということである。もちろん私とてその弊を免れているわけではなく、渡部昇一や小室直樹の裁判批判論のすべてに目を通しているわけではない。というより、この議論における立花隆のクレディビリティを試すために斜め読みした程度ではある。だがこうした性癖のために議論というのはなかなか煮詰まらないのだなぁと実感した。それでも両氏におすすめしておく。立花隆の議論を読んでおいた方が論争において遥かに有利である、と。そうしてもらわなければこちらとしてもやりがいがない。

さて、本題の落ち穂拾いをば(落ち穂拾いが本題というのも妙だが)。まず例のペリー・メイスンの件。ちょっと調べてみたがさすがにどのようなエピソードなのか、具体的には判明しなかった。Angelix氏からもこの点についてはその後言及がない。そうそう、その後調べてみると刑訴法には「宣誓の趣旨を理解することができない者は、宣誓をさせないで、これを尋問しなければならない」という規定があるので、宣誓できないことは証人としての適格性を失わせるものではないようだ。ただいずれにしても、オウムを「証人」として採用することが可能だというはなしは寡聞にして聞いたことがない。環境問題に関する訴訟の原告適格に関してはなるほど野生動物や森を原告として認めよという主張があるわけだが、証人となるとまた話しが違うのである。万が一犯行現場で飼われていて犯罪の経緯を「覚え」ていると思われるオウムが証拠として提出されることがあるとすれば、防犯ビデオやテープレコーダーによる記録と同じカテゴリーに属することになるのであろう。すなわち、問題となるのは「オウムがどの程度犯行の場面を正確に記憶しているのか」「そもそもオウムが記憶しているのは間違いなく犯行の状況なのか」という点であると思われる。反対尋問権の問題として持ち出すのは、フィクションとしては面白くても現実の裁判に関する議論においては的外れであろう。

いずれにせよこれについては詳細がわからないので効果的に反論しにくいのだが、最初期のコメントを読みなおしてみると反対尋問権云々については

> "調書は二重の意味で伝聞である”という問題の意味が全く理解出来ていない者です.

> 検事や警察官が聞いた話である時点で伝聞(この段階で反対尋問権の確保もへったくれもない),彼らが出廷しない段階で伝

>聞,だから問題なのです.

というのが出発点になっている。だがこのレトリック(「二重の意味で伝聞」)は一見それらしいものの、中身はないのである。調書が伝聞であるのはその通りである。そしてその調書において証言を行った証人が公判で証言を行わなかった場合、その調書の証拠としての価値が一段落ちるのもその通りである。情報理論的に言えば「伝聞」とはエントロピーを増大させる要因だからである。しかし証人が公判に出廷しなかったからといって、そのことによって調書の情報価値がより下がるわけではない。もともと情報としての価値は一段低いのであって、一段低いものとして扱われる。それだけなのである。

これに関連して、Angelix、maysonの両氏がどうしても認めようとしていないのが、刑訴法321条は公判で証言できない証人が公判期日外に行った証言を記録した調書を採用できると規定している、ということである。条文の文言では「その供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき」である。原則論としては証人には公判において証言させなければならない。それは確かである。ただ、証人が公判で証言するならば捜査段階で取られた調書の出る幕は本来ないのである。この原則一本やりで行くのも一つの考え方ではあるが、実際問題としては証人に圧力をかけることのできる被告人(や目撃者が公判前に死亡してしまうという幸運に恵まれた被告)が圧倒的に有利になってしまう。早いはなしが、捜査段階で事実を話した目撃者なり共犯者を消してしまえばいいわけだ。そこで例外として、公判での証言のように対質プロセスを経ていない調書を証拠採用するためのルールを定めているのが321条なのである。321条の条文を読めば、法廷には出てこない証人の調書を証拠として採用できるケースがあることは火を見るより明らかで、いったいどういう神経でなにがなんでも出廷していなければだめなのだ、と主張するのかはっきり言って理解できない。別にこれはコーチャンらの嘱託尋問調書に固有の問題でもなんでもなく、刑訴法があらかじめ想定していた事例の一つに過ぎないのである。したがって、正しい議論の建て方は

・321条そのものが違憲である

・「国外にいるため」は証言後に出廷した場合に限られる要件である

・コーチャンらの調書はいわゆる3号書面の「特信状況」要件ないし「必要不可欠性」要件を満たしていない

のいずれかでしかあり得ないではないか。証人が出廷して証言するのが原則であることは刑訴法を読めば明らかであり、こちらもとうに承知している。それなのに「法廷で証言しなきゃだめ」と原則論を念仏のように唱えられても困ってしまう。いったい「その供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき」という一節をどう理解しているのか? 死人を叩き起こして証言させろとでも言うのだろうか。

実を言えば、丸紅ルート公判での裁判に関してコーチャンらの嘱託尋問調書の証拠採用を斥けるロジックとして最も有望なものの一つは、「必要不可欠性」要件を欠いているという主張なのである(現に、田中側の控訴趣意書はそう主張している)。なにしろロッキード側は田中角栄と直接接触していないので、コーチャンらは田中の犯罪の構成要件に関してなに一つ直接体験を語ることができなかったからである。ところがそうすると、「田中角栄は嘱託尋問調書が不当にも証拠採用されたために有罪になった」という主張もまた崩れてしまうのである(笑)

そういえばmayson氏はかつて321条を恣意的に引用し、321条1の1項が問題になっているのに321条3項を持ち出して反論したつもりになっていた。これも当初はなぜこんなミエミエの論点ずらしをやるのか理解に苦しんだのだが、いま思えば3項には「その供述者が公判期日において証人として尋問を受け」という一節があるので自分の勝手な思い込み(公判に出廷した証人の調書しか証拠採用できない)を論証できると思ったのかもしれない。

Posted: Sun - July 25, 2004 at 11:33 PM Apes! Not Monkeys! Bad News Previous Next Comment (0)


ロ裁判落ち穂拾い(その2) (一部修正あり)

嘱託尋問は三権分立に反するか? について


ところでmayson氏はどこに「凱旋」したのだろうか? 私の目の届かないところで大本営発表でもしているのだろうか…。

さて、某巨大掲示板でのやりとりでもここでも私があまり本格的には扱ってこなかったmayson氏の論法に、

> あなたは三権分立を知らない。

> 226条が「捜査資料」を集めるためのものであるのならば司法権が行政権にパシラれたことになる。

というものがある。これまたロッキード裁判批判論でおなじみのものだ。本格的に取り扱ってこなかったのは議論の中心がもっぱら「反対尋問権」問題にあったからなのだが、この際だからとりあげておこう。

ただしこれについては論点を二つに分けねばならない。まずもってmayson氏はコーチャンらへの嘱託尋問が「捜査段階」で行われたものであるということをどうしても認めないのである。その背景が「証人尋問」という概念についての氏の「後件肯定の虚偽」に基づく思い込みにあることはすでに示したが、もう一つの背景がこれに関係している。要するに嘱託尋問が「捜査」の一環であるならそれは三権分立に反するから、なにがなんでも裁判の一環でなければならないというのである。したがって226条に関する私の解釈が正しいことが明らかになれば、mayson氏はまたしても議論の立脚点を失うことになる。こちらとしてはすでに沖縄も確保しておりmayson氏にはもはや「本土決戦」しか手だてが残されていないのに、大本営発表に基づいて「戦略的撤退、否、転進だ」と叫んでいるという感じであるが。そうそう、「後件肯定の虚偽」といえば、法科大学院の発足にともなって論理学への「需要」が高まっているようである。以前に較べて教科書の類いもずいぶん増えているから、格段に学びやすくなっているはずだ。もっとも「後件肯定の虚偽」はシステマティックなトレーニングを受けなくてもよくよく考えれば間違いだとわかる類いのものに過ぎないのではあるが。

さてまずは例の嘱託尋問が「捜査段階」のものであるということについて。これについては刑訴法226条の条文を読み、またその刑訴法全体のなかでの位置づけを考えれば答えは自明であって、これまで何度も指摘してきた。226条は第一回公判以前にのみ請求できる証人尋問について規定している。第一回公判以前ということは起訴以前、逮捕以前ということもあり得るわけであり、実際ロッキード事件では田中の逮捕以前に請求されている。誰がどう考えても起訴前や逮捕前なら「捜査段階」ということは明らかなのだが、証人尋問はすべからく公判においてなされるものだという思い込みにとらわれているmayson氏はこれが理解できない。田中角栄は起訴どころか逮捕すらされていない(さらにいえば、証人申請の時点では被疑者としてはっきり目されていたわけですらない)。いったい誰を裁く法廷だというのだろうか。某巨大掲示板でも指摘したことだが、mayson氏は司法関係者にプレコグたることを要求しているのである。さらに226条は刑訴法のなかの「捜査」と題された章に属し、逮捕状の請求や身柄の拘束といった警察および検察の捜査活動を制約ないしオーソライズする規定のなかに並んでいるのであり、この点でも捜査に関する規定であることは明らかである。

このように誰がどう考えても226条は「捜査段階」での証人尋問について規定しているという自明の理をmayson氏が受け入れられないもう一つの理由が、「三権分立」論である。ところが、この議論はひとえに「司法権が行政権にパシラれたことになる」というレトリックに依拠しており、実質的な中身はないのである。

問題の226条では「検察官は、裁判官にその者の証人尋問を請求することができる」となっている。なぜこのような規定があるかといえば、これまたすでに何度も述べたように捜査段階で(被疑者以外の)証人に証言を強制する権限を検察に与えるのはよろしくない、という発想が背景にある。とはいえ、例えば被疑者に借りのある証人なり被疑者に脅された証人が証言を拒否するということは簡単に予想できることであり、検察の権限の制限と犯罪の摘発という二つの目的を均衡させるためにこの226条があるのである。すなわち、検察にそこまでの強制力を持たせるのではなく、捜査の当事者ではない裁判所に証人尋問をさせるという発想である。注意していただきたいが、ここで「させる」の主語は検察ではなくいわば刑訴法である。別に検察が裁判所をパシリ扱いするわけではない。検察にできるのは「証人尋問を請求すること」である。いいかえれば「させる」のではなく「してもらうよう頼む」のである。「請求することができる」だけである以上、裁判所はその尋問の必要性を認めなければ当然却下することもできる。決して「司法権」が「行政権」によってなにかを行うよう強制されたりするわけではない(敢えていえば、その請求の妥当性を検討し判断を下すことを強制されるに過ぎない)。繰り返すが「させる」のは刑訴法(ないしその背後にある法の精神)であって検察ではない。他方、「してもらうよう頼む」のが検察である。「させる」のではなく「頼む」に過ぎず、しかもその請求が却下されうるという関係を「パシリ」と表現するのは通常の日本語能力の持ち主なら到底許容できないことであろう。もっとも誤謬推理がお得意なmayson氏のことであるから、「させる」と「してもらうよう頼む」は矛盾している! とでも言うのだろうか。言うまでもなく、この二つの述語は主語を異にしているのであるから矛盾などしていないし、さらに言えば基本的には同じ事柄(検察の権限を制約すること)の二つの表現なのである。

ちなみに氏のコメント中の「226条に基づく証人尋問嘱託調書は裁判資料を前提として作られているものであり」もまた単なる思い込みである。違うと言うなら根拠を示してもらいたいところだが、不可能なことはわかっているので要求するのはやめておいてあげよう(笑)

Posted: Sun - July 25, 2004 at 11:46 PM Apes! Not Monkeys! Bad News Previous Next Comment (0)


ロ裁判落ち穂拾い(その3)

Angelix氏はお忙しいのだろうか。まあ、当方も(コメントシステムのしょぼさのためとはいえ)一カ月近くコメントへのレスポンスを怠っていたという経緯があるので気長にお待ちすることにしよう。

で、今回は裁判批判派の動機について。


ロッキード裁判批判論を特徴づけているのは、世間的には「右派」と分類される論客といわゆる「人権派」「左翼」の法律家がタッグを組んでいることである(タッグといえば、Angelix氏とmayson氏が互いのコメントに対してだんまりを決め込んでおられるのも解せないことである。議論を相互にリンクさせていただければこちらとしても別々にコメントする手間が省けるのだが)。この事態を肯定的に評価すれば「イデオロギーの対立を越えた法学論議」ということになるだろうし、否定的に評価すれば「最終的な目標は異にするが目先の目標は同じくする党派同士の野合」ということになるのだろうが、いずれにしてもロッキード裁判論議の評価を困難にしている要因の一つではあろう。

この点に関して私は「ロッキード裁判批判派がそれ以外の(そしてそれ以上に問題をはらんだ)刑事裁判に関心を払っていないこと」を批判し、それをもって裁判批判派は被告人の権利ではなく要するに田中角栄の利益にしか関心がないのだ、と批判してきた。この点に関する限り、Angelix氏の率直さは評価できる。こちらとて別段さまざまな刑事裁判に目を配り冤罪撲滅のために粉骨砕身しているとは到底いえない。せいぜい、冤罪が噂される裁判における弁護側の著作を(新品で)購入して印税いうかたちで貢献しているに過ぎない。とはいえ、見逃せないのが浜田寿美男氏の著作へに関する記事への Angelix氏の

> 私が小室直樹派で,目立って議論されているのがロッキード裁判だからですけど?

というコメントである。これはもともと私の記事に対して

> それより,田中角栄だけ特別扱いしてロッキード裁判批判派を攻撃する心性の方が余程問題ですな.

と氏がコメントしたことに端を発するやりとりである。しかしながら、当Blogをご覧いただければわかるように、私がロッキード裁判(およびその批判論)について言及したのは、たまたま宮台真司の本を読んでいてそこに収録された小室直樹のロ裁判批判を読み、「いまだにこんなことを言っているのか!」と驚いたからにすぎない。ことさら田中角栄をフレームアップする意図があったわけではなく、ただただ驚いたからなのである。それに対してわざわざ(どういうルートをたどってかは知らないが当ブログの存在を突き止めたうえで)コメントするという労をとったのがAngelix氏なのである。当方としては例の対談で小室直樹がロ裁判に言及していなければいまさらほじくり返そうとは思っていなかった問題である。私が田中角栄だけを「特別扱い」していないことは以上のような経緯によっても、また法学的な問題に触れた他の記事(例えばイラクでの日本人人質問題に触れたものなど)の存在からも明らかであるはずだ。だがAngelix氏は人質事件に関する私の記事にも、年金(未納)問題に関する記事にも反応せずにただただ角栄裁判に関する記事にのみコメントを寄せたのである。ロッキード事件を特別扱いしているのはどちらであるかは、自明ではないだろうか。


Posted: Mon - July 26, 2004 at 02:14 AM Apes! Not Monkeys! Bad News Previous Next Comment (0)


原理原則を重んじることについて

ロ裁判問題落ち穂拾いの番外編


この2ヶ月ばかり、ロ裁判批判派とやりあっているうちに、その基本的な戦略が飲み込めてきた。刑訴法320条の伝聞法則(伝聞証拠排除原則)や免責が明文の根拠を欠くことにこだわっていること、これらに象徴される一種の原理原則主義である。そしておそらくこれがロ裁判批判のもつ「魅力」なのであろう。ロッキード裁判の捜査および裁判(1、2審)には明文の根拠をもたないプロセスがあったこと、原則に対する例外に依拠した部分があったこと、これは確かである。このことは私も否定していないし、私の議論の主要なソースである立花隆の議論でも否定されていない。「いや、このケースは確かに例外だが、許容される例外なのだ」とか「いや、確かに明文規定はないが法の精神に照らせば違法ではないのだ」といった議論に較べれば、「反対訊問権が保証されねばならないのは大原則だ」とか「明文化された根拠もないことをやるのはおかしい」といった議論の方が一本筋の通った、カッコイイ議論に見えるのは確かだろう。なるほど原理原則をつらく事は大切であり、またそうした態度が日本社会ではないがしろにされがちであることも事実だからである。だからこそ時の最高権力者を擁護することがあたかも反体制的態度であるかのような奇妙な事態が出現したのである。

だが、認知科学における「フレーム問題」を考えればわかるように、そもそもあらゆる事態を想定した明文規定をつくることは不可能である。また原理原則は言語的に表現される際には極めて簡潔なかたちをとるのが通例であるから、それを字義通りにかつ厳格に解釈するならば現実の複雑さに対応できなくなってしまうものである。現実というものがしばしば人間の想像を超える多様な姿を呈することを考えた場合、過剰な「明文」尊重主義、過剰な原理原則主義はかえって明文規定や原理原則と現実との乖離をひろげてしまうことになり、結果として原理原則を窒息させてしまうことにつながるだろう。もちろん、あまりにも融通無碍な解釈もまた明文規定や原理原則を踏みにじることにつながってしまうのは確かだが。原理原則一本やりでもなく、融通無碍でもない「合理的な範囲での柔軟な運用」という方針はなにしろ定式化することができないためにどうしても議論のしかたが野暮ったくなるし、ケース・バイ・ケースの検討を強いられるという意味でカッコよくもなければスッキリ胸のすくような立場ではない。しかし近年におけるプラグマティズムへの再評価の流れはそうした方針の妥当性を証していると言えるのではないか。

以下、当初「新資料を読んでの雑感 その1」(7月29日)に書いたものをこちらに(一部補足のうえ)転載する。

立花隆の「ふたたび『角栄裁判批判』に反論する」には次のような一節がある(73頁)。

 これ〔ロッキード裁判の裁判官。引用者〕と著しく対照的なのが、角栄裁判批判者たちの立場である。彼らは、そこにあった具体的な現実を無視して、あくまで、一般論、抽象論に固執して議論を組み立てていく。

 一般に、一般論、抽象論のほうが、個別論、具体論より論理的整合性を保った議論を構築するのが容易である。(中略)そこで、論理的整合性に目を奪われてしまうと、前者の方が正しいように思われてくるかもしれない。しかし、その正しさとは、実は頭の中の世界における正しさに過ぎず、この現実世界においては、後者の方が正しいことはいうまでもない。

これに近いことは「原理原則を重んじることについて」に書いておいたのだが、実は別のところでやはり同じようなことを主張している人がいたのを発見した。私がmayson氏と最初にやりあった「小室直樹☆統一スレッド」のご先祖にあたる「小室直樹」 というスレッドにおいて、やはりロッキード裁判批判論をめぐるやりとりがあった。2001年9月の「350」以降である。今回の議論と論点はほぼ変わらないのだが、小室支持派(裁判批判派)はしきりにデュー・プロセスを強調し(「あなた、デュープロセスってご存知ですか」といったどこかで聞いたような書き込みもある)、「嘱託尋問は違法だったのだから無罪」と主張している。これに対して「最高裁判決は証拠能力を否定しただけであって違法だとは言っていない」「万一、嘱託尋問が違法だったとしても、検察の提示した証拠に一つでも違法性があればただちに無罪になる、などというのは珍説」といった反論が出ているのだが、やはり議論が煮詰まってゆかない。もちろん、後者の反論も有罪の根拠になるのが違法に収集された証拠だけだったり、違法性の程度が重大である場合に無罪になるということに異論を唱えているわけではないにもかかわらず、である。こうした事態をうけて、「496」や「508」のような投稿があった。ツボとなる部分を引用するなら(改行位置を修正)

小室の議論で嫌というか、気をつけるべきなのは、わりと常識的な論点を、「これがポイント。これさえ押さえておけばすべてがわかる。これを押さえてない議論は全部ダメ」みたいに、誇大に持ち出す点でしょう。

読者のほうは下手をすると、それで全部理解したつもりになって、事実や論点をきちんと詰めていこうとする態度を放棄してしまう。このスレのデュープロセス氏の一連の書き込みはその典型でした。「信者」と揶揄されるのも、それなりの理由があると思います。

ここで問題になってるのは、小室信者が好きそうな「原則と例外の関係」とか「原理的思考の有効性」なんて一般的な問題じゃありません。当たり前すぎる一般論を振り回して具体的な論点をないがしろにする態度を取らないこと。ロッキード事件について論じるなら判決はきちんと読んどくこと。

となる。私の印象も立花隆、496氏と同じである。読んでいてまさに「我が意を得たり」という心境であった。裁判批判派はしきりと憲法37条や「デュー・プロセス」を強調し、「お前は憲法知らずだ」といった非難を浴びせるのだが、およそ裁判を論じる場合に伝聞証拠排除の原則や適正手続きの重要性、より一般的には被告人の権利の重要性を無視した議論をするはずがない。たとえ内心では「怪しいやつはがんがん拷問にかけて有罪にしてやればいいんだ」と思っているような人間でさえ、議論に勝とうと思うなら被告人の人権が充分尊重されねばならないことを前提として議論するものである。「お前は憲法を尊重するのか?」「人権という理念を尊重するのか?」といった問いは石原慎太郎級の反人権主義者相手でなければ意味を持たないのである。本当の問題はその「充分」とはどの程度をもって言うのかという点、そして具体的な裁判に即してどのような事実があり、それがどの程度被告人の権利を侵害しているのか、を具体的に議論することである。原理原則だけを論じるなら「憲法37条は大切です。12条の制約の範囲内で尊重されねばなりません」で終わりなのである。裁判批判派が具体的な事情に踏み込んで論じてくれない限り、先のスレッドでも述懐していた人がいたように、いつまでも立花・渡部論争の反復に終わってしまう…。

某巨大掲示板でのやりとり、そしてここでのやりとりを通じてよくわかったのは、mayson氏にしてもAngelix氏にしても小室直樹や渡部昇一といった裁判批判派の文献だけを読み、両者の主張を裁判の実際の経過や判決文、主要な反「批判」論である立花隆の主張とすりあわせて評価するという努力をほとんどしていない、ということである。もちろん、人間が持つリソースは有限であるから、自分が信頼している著者の文献を読む際に検証努力をある程度はしょる(とりあえずは信頼できるものとして扱う)、ということはあってよいだろう。しかしながら小室直樹にせよ渡部昇一にせよ、刑事裁判については(立花隆と同じく)専門家ではないのだから、両者の専門分野における発言に較べればシビアに評価したうえで読まねばならないはずだ。まして、こちらは一貫して立花隆の主張を紹介しつつ小室直樹や渡部昇一の主張を反駁しているのである。論戦を有利に進めるためにも、また知的誠実さをアピールするためにも、ロッキード裁判にまつわる事実関係や立花隆の主張についてある程度のことを調べておくのは当然だと思うのだが…。田中側によるコーチャン等への証人尋問申請の件について、こちらがその申請の時期や当時の情勢をいくら説明しても「時期は問題じゃない」と原則論に固執し、では田中側が示した立証趣旨はなんだったのかと問えばまともに答えられない。コーチャン等の調書が採用されなければ田中らは無罪になったはずという主張に対するこちらの反論にもまともに答えない。今日、立花隆の『ロッキード事件とその時代』全4巻を古書店で入手してきたので改めて確認できたのだが、丸紅側の被告人は公判でも起訴事実の大筋を認めているのである。細かな点では検事調書における供述を否定しているものの、少なくとも田中に5億円を渡したという点については丸紅側被告の証言によってバッチリ立証されている。特に大久保被告はほぼ全面的に検事調書における供述を肯定しており、これだけでも田中の収賄は9分9厘立証されていると言えるのである。こうした事実を無視して「コーチャン、クラッターらの調書が証拠採用されなければ無罪」と主張するのは滑稽でしかない。

小室直樹や渡部昇一を盲信するにしてもそれを自分の内心にとどめておくのならまだいい。しかしいかにマイナーなブログとはいえ原理的には何億人という人間が目にする可能性がある場において(実のところ、Googleで「ロッキード裁判」をキーワードに検索すると当ブログはかなり上位にヒットするのである)裁判批判論を展開する以上、自分が依拠している小室直樹や渡部昇一の議論のクレディビリティを検証する姿勢がないというのはいかがなものだろうか。まさに「信者」と揶揄されるのも無理はない、という496氏の言うとおりである。

Posted: Mon - July 26, 2004 at 11:21 PM Apes! Not Monkeys! News at Issue Previous Next Comment (0)


ロッキード裁判をめぐって 今後の予定(20時過ぎ、28日1時過ぎに付記)

地道に続けてゆく価値がありそうだ…。


田原総一郎が2002年に『諸君』でロ裁判批判の論文を書いているようだ。多くの人間にとってロッキード事件が昔話になりつつある一方、裁判批判派はいまだにこだわり続けていることがわかる。もちろんロッキード事件そのものの全体像は必ずしも明らかではないのであって、新資料や過去の資料の再検討によって事件をみなおすことは必要だろう。しかし、あまりに低レベルな裁判批判論がくすぶり続けるのを放置したのではいつ大きく燃え上がらないとも限らない。最高裁判決以降の裁判批判論で低レベルなものといえば、例えば「最高裁は嘱託訊問を違法と判断した」といった誤解がある。だが最高裁は免責に明文の根拠がないことなどをもって嘱託訊問調書の証拠採用を斥けただけであって、判決でもはっきり証拠の違法収集とまでは言えない、と述べている。つまり、捜査段階での嘱託訊問そのものが違法とされたわけではないのである。したがって、この調書での証言をもとに集められた証拠が「毒の実の果実」(Angelix氏のコメントより)だというのもあたらないのである(いま気づいたが、「毒の実の果実」ではなく「毒の樹の果実」であろう)。

こういう事情もあるし、乗りかかった船という気分でもあるので、今後も少しずつ資料を集めてロ裁判批判をチェックしていくことにする。

付記:上で述べた論文を基にした部分を含む田原総一郎の『日本の政治—田中角栄・角栄以後』を書店で見かけたのでパラパラとめくってみた。問題の部分は第一部に含まれているのだが、その表題が「ロッキード裁判は無罪である」だったので脱力してしまった。場合によっては買おうと思っていたのだが。たしかに日本語の助詞「は」はインド・ヨーロッパ語におけるような主語を導くわけではないので、このフレーズでも「ロッキード裁判では被告は無罪である(べきだ)」と読むこともできる。しかし、ロッキード裁判の妥当性をめぐる議論という文脈におくなら、このフレーズは「ロッキード裁判は(暗黒裁判などではなく)無罪(の、ちゃんとした裁判)である」とも読めてしまう。編集者はなんとも思わなかったのだろうか…。

(以下、28日の追記)

なお、今後も当BlogにAngelix氏、mayson氏からコメントをいただくかどうかはわからないがでは、過去のコメントについてはご本人から撤回の意思が表明されない限り必要に応じて(ロッキード裁判批判論の一例として)言及させていただく。ただし、私は両氏について当Blogでのコメント(および某巨大掲示板での小室直樹スレでの投稿)以外では両氏について(実生活での情報はおろかネット上での活動も含めて)情報をもっていないので、両氏に関する言及は両氏のロッキード裁判批判論に限定して理解していただくようお願いしたい。

Posted: Tue - July 27, 2004 at 10:49 AM Apes! Not Monkeys! News at Issue Previous Next Comment (1)


なんだ、、、。
あの後もずいぶん投稿していたのだな231.
今日見てびっくりしたよ。
私に対する反論はもうしないものだと思っていた。
反論をしてくれてありがたいのだが、
わたしには、やらなければならない事ができた。
土日も投稿できるかどうか、といったところだ。
「お前なんか相手にしていられない。」
などと言うつもりは毛頭ない。
これからもあなたの矛盾を指摘していくつもりだ。
まあ、あなたはこの議題をこれからも続けるつもりだそうだから、今すぐの反論はやめにする。
いつかまた、やりあう機会はあるだろう。
まあ、あまり、頑張りすぎるなよ。231.
(別に他意はない。ほんとうに。)
では、また。231.
Mayson | Email | Homepage | 07.27.04 - 7:35 pm | #


立花隆、『「田中真紀子」研究』、文藝春秋

早坂茂三元秘書も認めていたロッキード事件


一つ前の記事で言及した田原総一郎の本の近くに置いてあったのを見かけたので購入。立花隆の著作(インタヴューを起こした形式になっている)を買うのは久しぶり。田中真紀子ブームにもバッシングにもあまり関心がなかったのでスルーしていたのだが、ロッキード事件某略説の根拠としてよく引き合いに出される、郵便物誤配事件(ロッキード事件の暴露につながった資料が、もともと郵便物の誤配によってチャーチ委員会に届いたという説)に言及しているというのを最近目にしたので、機会があれば書店で探していたのである。

実を言えば、個人的にはロッキード事件にも田中角栄にも特に思い入れがあるわけではなく、思い入れがあるのはロ裁判批判論の方である。批判論にしても例えば321条そのものの批判などは(ロ事件をフレームアップしているという点を除けば)それなりに傾聴に値すると思うし、その他まともなものであればどれだけ流通していてもかまわない。「総理大臣の犯罪を一般市民の道徳で裁くな」という小室直樹の議論についても、私はまったく間違っていると思うが、議論としては存在していてよいと考えている(ちなみに、小室直樹読者であるはずのAngelix氏が「権力者の処分は一般人とは違うものであると言いたいのですか?」とコメントしているのは、私への反論としてちぐはぐである(こちらは単に権力者の犯罪についても「法の下の平等」が貫かれるべきだと考えているだけ)だけでなく、小室直樹否定論になっているのではないのだろうか?

しかしながら、『トンデモ本の世界 S & T』へのレビューでも書いたように、この裁判に関してまさに「トンデモ」な言説が流布しており、それをネタとしてではなくマジに受けとっている人が少なくないことは見過ごすことができない。そしてそうした「トンデモ」言説の代表が「反対尋問権が奪われた暗黒裁判」論なのである。「アポロは月に行っていない」説くらい飛び抜けたトンデモ説ならまあたいした影響力を持ちえまいと楽観できるが、ロ裁判の場合はそうとも断言できそうにないからである。

さて、ロ事件について立花隆は明確に某略説を否定している。某略説の起源はアメリカの新聞の誤報で、その後アメリカでも日本でも訂正記事が出ているとのこと(ただし扱いはあまり大きくなかったそうだ)。チャーチ委員会のメンバーに直接取材した記事(『文藝春秋』に掲載されたもの)から、誤配説をきっぱり否定した証言も引用されている。郵便物誤配説を信じている方は調べてみられるとよいだろう。ただ、「もし本当にチャーチ委員会にそんなものが誤配で届けられたとしたら、誤配とすぐ気づいてそもそも中も見ないで返送するだろうし、たまたま開封したとしても同じでしょう。中を見てから誤配と気づいたのに、これ幸いとガメて、資料として利用してしまうなんてことがアメリカ上院の調査委員会で起こるわけがないでしょう」という説明はそれ自体かなりの説得力を持つ。また、明言はしていないが、ある種の謀略的側面があったとすればライバル飛行機会社からのリークだったのではないかと匂わせているが、これまたあり得るはなしである。

「田中真紀子」研究とうたってはいるが、内容的には田中角栄に言及した部分が多い。田中真紀子の名前に「 」がついていることからも伺えるようにこれは意図的な構成で、田中角栄の「遺伝子」、すなわち生物学的な遺伝子を受け継いだ田中真紀子を角栄の政治的遺伝子を受け継いだ田中型政治の歴史という文脈の中で問題にしようとしている。

面白いのは、立花隆自身「はじめに」で書いているように、田中角栄に対する視線がずいぶんと柔らかなものになっていることである。曰く、「この本を書いていて、角栄に対し、なんともいえないなつかしさというか、人間的な親しみをおぼえてしまっていた」とのこと。これは田中角栄の存在がが立花隆のキャリアにおいてもつ意味の大きさを考えれば無理もないことであるし、またさまざまな関係者の証言が物語る角栄の人間的魅力の現れでもあるのだろう。他方、田中真紀子については否定的評価と肯定的評価がかなりはっきりと分けられている。人格的な側面、特に彼女の対人関係能力については非常に厳しく批判されているのに対し、角栄型金権政治への批判に代表される政治理念については相当高い評価が与えられている。もっとも前者については生育環境を考慮すれば同情の余地があることを匂わせ、他方後者については角栄の個人資産の相続にあたってかなり強引なことをした点を批判するという具合に、込み入った評価ではあるのだが。

さて、問題のロッキード事件(裁判)について。最も驚いたのは、田中角栄の秘書であった早坂茂三が著書の中でロッキード事件における収賄を認めているという記述。またおなじく秘書であった榎本敏夫が1983年2月8日に放映されたテレビ朝日「モーニングショー」でのインタビュー取材で、法廷供述をほぼひっくり返し5億円の受けとりを認めていた(いわゆる榎本アリバイも否定してしまった)とのことである。いずれも本当だとすれば角栄「無罪」論はともかくとして『無実」論を根底から覆す記述である。また田原総一郎のロ裁判批判には直接の言及がないものの、共通するトピックにいくつか触れており実質的には田原総一郎への反論として読める部分がある。面白いのは、田原総一郎も立花隆もともに控訴審の弁護団は一審の弁護団の戦略が間違いであったと考えていたいう記述をしていることである。もっとも田原総一郎の議論は法律論ではなく、検事調書が想定していた事件のストーリーには矛盾があるという趣旨のようなので、素人が検証するのはなかなか骨が折れそうではある。

他方木村喜助(榎本被告の弁護人)のロ裁判批判論については「これまでの裁判でコッパミジンに粉砕された主張をならべただけ」と手厳しい。田原総一郎の本でもとりあげられていたはなしだが、秘書の榎本は逮捕されて4日目に「田中、5億円受領認める」という新聞の見出しを検事に見せられて「話しを合わせるために」自分も5億円の受領を認めてしまった、という説がある。ところが立花隆によれば実は榎本は逮捕されて早々に5億円の受領を認めてしまっており、しかもそのことを弁護団にも田中角栄にも被告人質問が始まるまでの4年間隠していたというのである。そのため被告人質問で検察側が逮捕直後の自供をばらしたとき、「みんな口アングリです。弁護団全員、痴呆状態におちいったみたいでした。(中略)田中は顔を真っ赤にして怒りでブチ切れそうになっていた」という。そのため、木村弁護士は「田中弁護団の中でも面目丸つぶれの弁護士の筆頭」であり、「自己弁護のためにもあんな本を書いたんだと思いますね」と手厳しい。このあたりは当方で裏を取ることもなんとかできる点なので、近いうちにやっておきたい。

もっともこのエピソードをめぐっては、日本の刑事裁判が抱える問題点がひとつ露呈している(ロッキード裁判に固有の問題でないことは強調しておきたい)。というのは、榎本が逮捕直後にゲロッた供述を記録した調書を検察は被告人質問の時点まで開示しておらず、「4日後に新聞を見せられたので受領を認めた」ということを何度も榎本に確認させたうえでその調書の存在を暴露した、という点である。検察側が証拠を小出しにしか開示しないことは被告の弁護権という観点からも裁判の長期化という観点からもしばしば批判されている。このエピソードにしても、それこそペリー・メイソンものの脚本に使えばさぞドラマティックにはなるだろうが(笑)、現実の裁判のやり方としては問題を波乱でいると言えるだろう。

その他、弁護側が榎本三恵子の「ハチのひと刺し」証言への反対訊問を放棄したこと、また榎本アリバイに関する榎本被告(証人)への検察側反対訊問を拒否したこと、という興味深いエピソードも記されている。『ロッキード裁判とその時代』にいずれも載っていたろうと思われるはなしだが、すっかり忘れていた。これも裏を取っておこう。もし事実だとすれば、前者については榎本三恵子の証拠能力をそのまま受け入れたことを意味し、後者については榎本アリバイの立証を放棄したことをそれぞれ実質的に意味する、すなわち事実上無罪の主張を放棄したに等しいエピソードである。

それにしても改めて文藝春秋は田中角栄で随分と儲けたものだと思う。立花隆の出世作である金脈研究も文春であるし、他方ロ裁判批判論も文春系メディアに随分と掲載された。そしてまた立花隆が文藝春秋から刊行の本でロ裁判批判論をばっさり切り捨てている…とまるっきりマッチポンプである。

Posted: Tue - July 27, 2004 at 08:56 PM Apes! Not Monkeys! News at Issue Previous Next Comment (1)

ロ事件の最高裁判決補足意見についての付記。

補足意見を述べた大野裁判官の経歴を調べてみたところ、弁護士出身の最高裁判事で、いわゆる「人権派」弁護士として知られている人物のようである。ということはロ裁判批判に加わった弁護士と同様、自分なりの理念と戦略に基づいた補足意見であったということであり、「バカ」呼ばわりしたことはお詫びして撤回したい。ただ、意図は理解できるにしてもやはり倒錯であると私は考える。

Apes! Not Monkeys! | 07.27.04 - 10:24 pm | #


ロ裁判落ち穂拾い(その4) updated version

次にロ裁判に関して更新する際には、渡部昇一の書いたものに即してやる予定。昔の消臭剤のCMではないが「クサい臭いは元から断たなきゃダメ」という意味もあるし、ネット上で目にするロッキード裁判批判論が基本的には渡部昇一の所説の反復だということがわかってきたためでもある。


mayson氏に関しては「元の土俵に戻るか、こちらの論点整理に基づいて議論するか」の条件を呑まないなら相手にしないと宣言したものの、寝酒の肴にコメントシステムを使って少々やりとりを続けたので、その後始末をしておこうと思う。基本的にはすべて「mayson氏の逃げ口上について」についたコメントを対象としているが、なにしろ閲覧しにくいシステムなので他の訪問者の方の便宜を図るという意味もある。また、おおよそ時間系列(コメント欄では下方から上方)に沿ってとりあげる。

> 1、別にどこで議論をしてもよいが、矛盾を認めずこれ以上議論をしてもしょうがあるまい。

この後で「指摘」されている「矛盾」なるものがなんら矛盾ではなく、かえってmayson氏の誤謬推理の産物であることは「もひとつダメ押し(mayson氏の誤謬推理について)」で明らかにした。存在しない「矛盾」など認めようがないではないか。「矛盾」を指摘するというのなら、私がAという命題をある場面では肯定し、別の場面では否定していることを指摘しなければならない。この場合、肯定の場面と否定の場面での命題Aは(表現に少々違いはあったとしても真理条件については)同一でなければならない。「嘱託訊問の証人である」と「ロッキード公判の証人ではない」についていえば、嘱託尋問がロッキード公判に含まれるプロセスでない以上、後者は前者の否定ではないのである。

> あなたは罪刑法定主義も知らないらしいな。

これもまたmayson氏の場当たり主義というか支離滅裂ぶりをよく表している。これはコーチャンらへの嘱託尋問が捜査段階のものであるという当方の主張についてのコメントである。問題はひとえに刑訴法226条である。なんでこんなところで罪刑法定主義が出てくるのか、さっぱり理解できない。まあ、以前に分析しておいたような、「大風呂敷」好みの現れなのであろう。こういう具合に誰が見ても近代法の大原則とわかる原理を私が知らないという批判を浴びせておけば通りすがりの人は「なんと馬鹿なブロガーか」と思ってくれるだろう…と期待したのかもしれないが、こんなところで罪刑法定主義を持ち出しても何の意味もないのである。

ついでに言っておくとその少し上にある

>「証人」は証人尋問のために存在するものである。

も噴飯ものである。じゃあ、ロッキード事件に関しても行われた国会での「証人喚問」には「証人」が存在しなかったというのだろうか。ここでもやはりmayson氏が「証人=証人尋問に出廷して証言する人間=(被告が存在する)公判において証言する人間」と思い込んでいることが判明する。やれやれ…。

> この第2項を反対尋問権と呼ばずしてあなたは何だというのだ?

ここで「第2項」と呼ばれているのは刑訴法228条における「裁判官は、捜査に支障を生ずる虞がないと認めるときは、被告人、被疑者又は弁護人を前項の尋問に立ち会わせることができる」という規定のことである。mayson氏が虚心にこの条文を読めば自分の主張がいかに滑稽かがわかるはずである。「捜査に支障を生ずる虞」と書いてある以上、228条および226条が捜査段階のプロセスについて規定していることは小学生でもわかりそうなことだ。さらに、これまたすでに述べたことだが、尋問に立ち会わせることが「できる」という表現もまた、それが憲法37条にもとづく反対尋問権に直ちに結びつくわけではないことを明らかにしている(被告ないし被告になる可能性のある人間の権利を合理的な範囲で保護することを目的とするという意味で、無関係ではない)。もし「反対尋問権」を保証した条文であるならここは「裁判官は(…)できる」ではなく「裁判官は(…)立ち会わせねばならない」とか「被告人、被疑者又は弁護人は(…)立ち会うことができる」と書いてあるはずなのである。繰り返すが、嘱託尋問が請求された時点で田中は被疑者ですらなかった(実際に証言が行われるまでの過程で被疑者になっていったが)。

>「憲法には「刑事被告人」としか書いていないから田中には反対尋問を認めなくても合憲である。」

> などと主張していたな。

> おそらくわたしが法文を重視するものだから、「してやったり」と思ったことだろうが、これなどは憲法無知を公然と認めた

>ことに他ならない。

「反対尋問」は「主尋問」と対になる概念である。つまり検察対被告(民事なら原告対被告)の対決という構図があって初めて成り立つ概念である。226条に基づく証人尋問にはそうした構図が存在しないのである。氏はそもそもコーチャンらへの嘱託尋問が日本の検事によって行われたと勘違いしているのではないか? 226条に基づく証人尋問は裁判所によって行われるのである(実際に質問を行ったのはアメリカの検事であったが)。「反対尋問」という言葉をルーズに使ったとしても、その証人尋問に基づく調書が実際の公判において証拠申請がなされて初めて問題になることなのである。「憲法無知」と大風呂敷をひろげているが実は刑訴法226条のことなどろくに知らずに裁判を批判していたことは以前の記事で明らかにしておいた。

さて、226条による証人尋問が裁判官によって行われるというところでひっかかった方がおられるかもしれない。226条は捜査段階のはなしなのに裁判官が出てくるのはおかしい、司法が行政の味方をしたことになるのではないか、と。実を言うと粗雑なロッキード裁判批判の多くもここのところで誤解していることが多いのである。詳しくは「ロ裁判落ち穂拾い(その2)」で述べておいたが、捜査段階でも捜査当局の活動を制約ないしオーソライズするために裁判所が介入することはよくあることだ(被告ないし被疑者の求めに応じて証拠保全を行うために介入する場合もある)。刑事ドラマでおなじみの捜査令状の発行もそうした介入の例である。これは司法が行政をチェックするという三権分立の理念に基づくことであって、三権分立を侵しているというのはまったくの誤解である。

> なるほど分が悪くなったら、仕切りなおし。

このあたりは負け惜しみなのか妄想なのかちょっと区別がつかなくなってきた…。「仕切りなおし」は某巨大掲示板において私が示した論点整理に基づいて議論をすることを指しているのだが、その整理そのものは私がすでに某巨大掲示板でmayson氏が逃亡する前日に提示したものなのである。それからしばらく経って氏の方がわざわざ当Blogでコメントを始めたのである。「分が悪くなったら」もなにも、氏がここに登場する遥か以前にこちらが主張したことなのである。自分がその整理を拒否しておいていまさらこんなことを言うとは…。

> コーチャン等の嘱託証人尋問はいわゆる「ロッキード裁判」の証拠として提出されたものである。つまり、コーチャン等は

>「ロッキード裁判」において、紛れもなく「証人」として出廷したものである。

これに対して当方が

> 公判期日外において作成された調書が証拠として採用されれば、その調書の証言者は公判において証人として「出廷」したこ

> とになるというのか!!(後略)

とコメントしたところ、氏は「くだらない揚げ足とり」だと返答した。しかしながらこれはmayson理論(笑)の中核に位置する問題である。氏の主張はコーチャンらがロッキード裁判公判の証人でなかったとすればその根底から崩壊するのである。そしてその通り崩壊したわけであるが。

> いまさら、どこの裁判の証人だというのだ?

というコメントも笑わせてくれる。何度も述べたように「証人=公判の証人」という思い込みの深さがよくわかる。氏によれば国会の証人喚問も裁判の一プロセスなのであろう。それとも「喚問」と「尋問」は違うと言い抜けるのだろうか。

> あなたの主張のように、226条の「証人尋問」が

> 「捜査」の一環であり、反対尋問が問題にならないのなら、228条2項はそもそも不要ではないか。

> あなたは「矛盾」していることに気づいていないのか?

これについてはすでにコメントシステムを使って反論しておいたのだが、論理自慢(笑)のmayson氏がやたらと私に投げかける「矛盾」という非難の無意味さをよく表しているので、改めてとりあげておこう。

ここで氏が言わんとしているのは、228条2項は226条に基づく証人尋問における被告の反対尋問権を規定したものだ、ということである。それゆえ226条による証人尋問は捜査段階のものではない、と言いたいのだ。しかしながら、公判における証人への反対尋問権については憲法37条が(より直接的には刑訴法157条が)保証している。わざわざ刑訴法228条2項が存在するということは、むしろ226条による証人尋問には憲法37条(および刑訴法157条)の規定がそのまま適用されるわけではないことを示しているのである。そうでなければ228条2項はまったく存在意義をもたないのである。単に念を入れるために重ねて保証しているのだというのもあたらない。なぜなら、228条は「裁判官は(…)立ち会わせることが出来る」という、37条や刑訴法157条より弱い権利しか保証していないからである。

> これはすごい。

> 被告が無くても証人尋問が出来るとは始めて聞いた是非、あなたの珍説をお聞かせ願おう。

氏は本当に刑訴法226条や228条を読んでいるのだろうか。読んでいればこんなことは書けないはずである。氏が自ら引き合いに出した228条2項に「被告人、被疑者又は弁護人」とあるのをどう理解したのであろうか? この部分だけでも「被告が無くても証人尋問が出来る」ことは明白である。さらに226条を読めば被疑者すら存在しない段階でも証人尋問ができることは明白である。なにしろ226条は「犯罪の捜査に欠くことのできない知識を有すると明らかに認められる者が、第223条第1項の規定による取調に対して、出頭又は供述を拒んだ場合」の証人尋問を規定しているわけだが、ここで言われている「場合」は被告人の存在をまったく前提としていないからである。

ここで、ロ裁判批判における渡部昇一のエピゴーネンのふるまいの原理について、新たな可能性に思い至った。これまで、ロッキード事件や裁判における事実経過や関連する法律についての知識不足、そして論理的思考能力の不足によって、とっくに論破された議論を平気で繰り返すのだろうと思っていた。だがひょっとすると論理的思考能力が問題なのではなく、単に自分に都合の悪い情報を無意識のうちに排除してしまっていることが原因なのではないかと思うようになった。226条や228条には「被疑者」や「捜査」といったそのものズバリの表現があり、両者が被告の存在を前提とした条文ではない(もちろん被告が存在する場合も想定してはいる)ことは生まれて初めて刑訴法の条文を読む人間にとっても明白なのである。自ら228条をひきあいに出しながらそれに気づかないというのは、228条を読む際に「捜査」や「被疑者」といった単語を「抑圧」しているのだとでも考えなければ理解不可能である。おそらく、私の投稿についてもなんとか噛み付けそうな部分を探すだけでまともには読んでおらず、都合の悪いところは「抑圧」してしまっているのであろう。

> ここに憲法無知極まれり。

「極まれり」という以上、ここでの氏の主張を覆せば「憲法知らず」という氏の私への非難のとんちんかんさも「極まれり」と言えるわけである。ところがここで氏が提示しているのは、「証人尋問である以上被告が存在するはずだ、とする根拠は?」という私の問いに対して憲法37条を引き合いに出すという議論なのである。私が先に「後件肯定の虚偽」として完膚なきまでに叩いておいた議論である。

> あなたの主張は矛盾だらけであることが論証できたし、それに対するあなたの有効な反論はどこにも見あたらない。そして何

>よりもあなたの憲法無知が充分証明された。(別にギャラリーがいてもいなくても、最初からわたしとあなたの問題だ。)

> ゆえに、あなたの申し出をうけても意味はない。

> ここでわたしは堂々凱旋することにする。

> 231よ、では、また。おやすみなさい。

これがmayson氏の「凱旋」宣言である。ここまでおつきあいいただいた方には氏のいう「充分証明された」の実態がよくおわかりいただけたと思う。また、氏と私の主張を(某巨大掲示板での分も含めて)較べるなら、氏の方がやたらと「憲法」とか「デュー・プロセス」といった大風呂敷をひろげていることも確認していただけただろう。一見すると氏の方が近代法の原理原則を大事にしているように見えるが、その実態は議論の対象である裁判や争点となる刑訴法の条文についていい加減な知識と理解しかもっていないことの現れなのである。こうした半可通の裁判批判が、かえって方の原理原則を危うくさせてしまうことについては「原理原則を重んじることについて」で触れておいた。

また、ギャラリーがmayson氏の勝ちと判断したならともかく、このようなマイナーな場で「わたしとあなたの問題」として議論するのなら私が負けを認めない限り「堂々凱旋」が氏の脳内認定でしかないことは明白ではないか。勝手に「凱旋」宣言をして退場するのなら「わたしとあなたの問題」ではなくてmayson氏のマスターベーションでしかなかったということになる。

Posted: Wed - July 28, 2004 at 01:07 AM Apes! Not Monkeys! Bad News Previous Next Comment (0)


「クサい臭いは元から断たなきゃダメ」で、渡辺さんを槍玉にあげるというのは、ロッキード裁判においては、おかしいでしょう。
あなた自身渡辺昇一は専門外の人なのだからとかなんとか言ってるし。

ロッキードというのはようするに日本の首相がアメリカという外国から出てきた証拠でひっぱられた裁判ですよ。

で、その出だしが「アメリカ」というところに「アメリカの謀議」という疑惑があって、しかし、あくまで「疑惑」でしかないから、小さな問題点でも徹底的につついて公につつくしかないという、そういう問題ですがな。

だからもっともっと大きな課題設定せなあかん。立花対渡辺とか個人の間の戦いに矮小化させるなよ。
Anonymous | Email | Homepage | 08.10.04 - 8:51 pm | #



ロ裁判論争資料を入手

『諸君』と『朝日ジャーナル』のバックナンバーを図書館で探してきた。


今回準備したのは『朝日ジャーナル』の1985年8月30日号〜同年11月8日号、および『諸君』の1984年1月号〜3月号、7月号〜9月号である。前者は立花隆の『ロッキード裁判批判を斬る』第3巻の冒頭に立花隆分だけが収録された誌上公開論争の、両者各5回の論文と読者の反応等を収めた総括特集、計11回分である。後者については次の各論文が収録されている。

1月号 渡部昇一、「『角栄裁判』は東京裁判以上の暗黒裁判だ!」

3月号 渡部昇一、「角栄裁判・元最高裁長官への公開質問七ヶ条」

7月号 立花隆、「立花隆の大反論」

同 渡部昇一、「英語教師の見た『小佐野裁判』」

8月号 匿名法律家座談会、「立花流『検察の論理』を排す」

同 伊佐千尋・沢登佳人、「『角栄裁判』は宗教裁判以前の暗黒裁判だ!」

9月号 立花隆、「再び『角栄裁判批判』に反論する」

いまのところまずは「『角栄裁判』は東京裁判以上の暗黒裁判だ!」をとりあげ、その後『朝日ジャーナル』への渡部昇一寄稿分をとりあげる予定である。『諸君』のその他の資料は『朝日ジャーナル』での「論争」を適正に評価する必要上用意しておいた。『文藝春秋』で行われたロ裁判批判についても資料を集めておく予定である。

さて、バックナンバーを繰る過程でロ裁判関係以外の記事も当然目にはいるわけであるが、『朝日ジャーナル』で面白かったのは10月16日号以降。85年といえば阪神タイガースが19年ぶりに優勝した年であるから、これ以降毎号のようにタイガース関連の記事がある。10月16日号には柄谷行人・高橋源一郎・渡部直己の鼎談「阪神優勝を『哲学』する」が収められている。また、単行本は文藝春秋から刊行されていたアート・バックウォルドのコラムの邦訳が『朝日ジャーナル』に掲載されていたのも意外であった。

また、『諸君』の9月号には「『角栄裁判』論争をどう思いますか?」と題するアンケート特集がある。「論争」の初期のアンケートであるからその後立場を変えた人もいるかもしれないが、大まかに陣営分けをしておくと

ロ裁判批判派

山本七平

林修三

会田雄次

谷沢永一

浅利慶太

小堀桂一郎(末尾に、立花隆が批判した支離滅裂なー確かにそうだったー主張あり)

勝田吉太郎

屋山太郎(ただし立法府で田中金脈問題について超党派の調査団をつくることを主張しており、田中「無実」論ではない)

小室直樹

ロ裁判擁護派

猪木正道

杉森久英(ただし「人権」より「正義」が大事との立場)

中間派

村上兵衛(批判派寄り)

松村暎(批判派寄りだが、立花隆ではなく専門家の裁判擁護論掲載を望むという立場)

岡田英弘(田中角栄には批判的だが裁判には関心がないとのこと)


Posted: Thu - July 29, 2004 at 01:07 AM Apes! Not Monkeys! News at Issue Previous Next Comment (1)


そもそも,私ははっきり田中角栄は無実だと言っている人間なんて,弁護人の木村喜助弁護士以外知りませんな.
渡部昇一教授についても,はっきり無実だなんて言っている文章など見た事もありません.
小室直樹博士は,田中角栄が無実かどうかは知った事ではないと言っている位で,他の田中角栄論考はともかく,裁判批判の件では,刑事裁判のあり方を外れていると批判しているだけです.
Angelix | Email | Homepage | 07.29.04 - 12:44 pm | #


ノドに刺さった小骨がとれた気分

横井大三元最高裁判事の発言を根拠にした、嘱託尋問調書証拠採用批判論を駁す


刑訴法321条にもとづくコーチャンらの嘱託尋問調書の証拠採用をめぐる議論に関して、私はあるべき論点を次のように整理した(「落ち穂拾い (その1)」)。

・321条そのものが違憲である

・「国外にいるため」は証言後に出廷した場合に限られる要件である

・コーチャンらの調書はいわゆる3号書面の「特信状況」要件ないし「必要不可欠性」要件を満たしていない

これらのうち第一点についてはAngelix氏、mayson氏とも立場を明らかにしていない。特にmayson氏に対してははっきりと321条を違憲とする立場なのかそうではないのかと問うたが、返答はなかった。また第三点についても実質的な議論はなかった。主に『諸君』を舞台としたロ裁判批判論ではいずれもとりあげられていた論点である。

残る第2点が実際に議論の対象になり、なお当方が完全には反駁し得なかった(ほとんど唯一の)論点である。これは刑訴法321条が調書の証拠採用の要件としてあげている「供述不可能性」のうち、「国外にいるため」が単に公判期日において国外にいることをもって満たされるのか、それとも公判前の証言の時点では国内におり、証言後に出国した場合にのみ限られるのか、という問題である。もし前者ならコーチャンらは「供述不可能」の要件を満たし、後者なら満たさないということになる。ここでAngelix氏が援用したのが刑訴法321条の作成にも関与したという横井大三元最高裁判事の発言である。

これに関して、私はまず条文の解釈はその発案者の意思によって100%規定されるわけではないことをもって反論した(これに対する再反論はない)。もし100%規定されるなら集団的自衛権はおろか自衛隊の存在すら憲法9条違反であることは明白だが、渡部昇一はそんなことを認めないだろうという皮肉つきでである(通じなかったようだが)。また、立花隆も横井氏自身の著作を援用して「証言後出国に限定」説に反論しているのだが、これについては資料が手元にないためウラをとれていない。今回、『諸君』の1984年8月号に掲載された「匿名法律家座談会」を見てみたところ、横井氏の発言が引用されていた(51頁)。Angelix氏は

「刑訴法第321条1項3号(伝聞例外)の規定は,ある事件について供述した者がその後国外に出たため,日本の法廷に出廷できない場合,伝聞証拠の例外としてその供述者の書面を証拠として採用できるものです.(後略)」

という部分を引用していたが、問題は「(後略)」の部分である。そこには「ただロ事件の場合は、ロ社幹部が初めから国外、つまり米国にいたわけだから、こうしたケースにまで同項の適用が許されるかは難しい問題」とある(『諸君』での引用では下線ではなく傍点)。なるほど「難しい」とは述べられているが「許されない」とも「そうしたケースは排除するつもりで条文を作成した」とも語られてはいない。ところが、数行後の法律家「C」氏の発言ではそれが「この条項は、横井さんがはっきり言っているとおり、もともと後発的(証言後に国外に出たということ。引用者注)なものに限るということであった」と化けてしまうのである(下線は引用者)。「C」氏自身の引用をどう読んだところで、「後発的なものに限る」ということなど「はっきり」語られてはいないのである。単に「難しい」と言われているに過ぎない。もちろん、これは「後発的なものに限る」の婉曲な(「はっきり」ではない)表現であると解することもできる。しかしながら立花隆が解釈しているように、単に刑訴法321条の作成時点では証言を行った証人がその後公判で証人として呼ばれるまでの間に国外に出るといったケースが当事者の想像を超えていた(いまのように学生でさえ気軽に海外渡航できる時代ではない)、と解することも充分可能である。とすると、ここでの匿名法律家の主張は(そしてそれを孫引きしたロ裁判批判論は)321条作成者が「後発的なものに限る」ことを意図していた、ということを(可能性としては示しているにせよ)証明してはいないのである。

というわけで、

・「国外にいるため」は証言後に出廷した場合に限られる要件である

という論点に関してもAngelix氏の立証は不十分である(皆無とは言わない)ことが明らかになった。

Posted: Thu - July 29, 2004 at 01:58 AM Apes! Not Monkeys! Bad News Previous Next Comments (3)


もう疲れていて,これ以上書く気も失せて来ているけど,少しだけ.
つまり,嘱託尋問調書に関して伝聞法則適用の問題があるという事でしょう.
だから,横井大三氏も,最高裁の判断を待つべき問題と言っている訳で.
私が略したのは,制定者の意図はこうだと言うためだったからだけど,自分で引用していておかしいと思いません?
後,その後に,
>加えて横井氏は「反対尋問権が保障されないまま証拠に採用された嘱託尋問調書の合・違憲性について最終的には最高裁の判断が必要になることもありうる」と指摘しておられる
と書いてあり,反対尋問権が問題になるのも明らかです.(これも略したなあ.)
Angelix | Email | Homepage | 07.29.04 - 12:45 pm | #

それと,刑事訴訟法の伝聞例外の例の条文をGoogle で検索する限り,検察は,供述者が国外に出ようとするのを放置すべきではないとか,そういった,供述後国外へ出た者という解釈を前提にした議論しか見つけられません.
国内で供述を取って,その後供述者を国外に出す策略的利用は許されないノとかね.

http://www.google.co.jp/search?q=%E4%BC%9D%E8%81%9E%E4%BE%8B%E5%A4%96+%E5%9B%BD%E5%A4%96&ie=UTF-8&hl=ja&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja

石島泰氏は,文理的に,死んだ,国外にいるなどは,同じ情况を並列したもので,だから,供述後国外に出たのだと述べているけど,実際の議論の状況もその通りだという事.
P.S.立花氏が挙げている NY州刑事訴訟法の伝聞例外条項って何の事?
伝聞例外があるのは予想出来る(自分の誕生日などについての証言とか)け
Angelix | Email | Homepage | 07.29.04 - 12:46 pm | #

P.S.立花氏が挙げている NY州刑事訴訟法の伝聞例外条項って何の事?
伝聞例外があるのは予想出来る(自分の誕生日などについての証言とか)けど,一体具体的に何?
P.S.
毒の樹の果実はその通りでしょうね.
P.S.
大野最高裁判事を馬鹿ではないと言った時点で,
メこの期に及んでモ以下の下りは,間違いであると認めた事になりますね.
P.S.
憲法において一番重要なのは,国民の権利に関する規定であって,9条ではないというのが,小室直樹博士の趣旨です.
渡部氏も多分同様に答えるでしょうね.
Angelix | Email | Homepage | 07.29.04 - 12:50 pm | #