「英語教師の見た『小佐野裁判』」を読む
渡部昇一、「英語教師の見た『小佐野裁判』」、『諸君』、1984年7月号 ロ裁判批判派が珍しく田中以外の被告に言及した例。しかし書かれていることではなく書かれていないことに注目すると…
嘱託尋問調書でのクラッター証言におけるいわゆる "midday" 問題で自ら小佐野控訴審で自ら証人として出廷した渡部センセイ。ごくかいつまんで言えば、クラッターは小佐野とあって20万ドルを渡したのが "midday' ころだったと思う、と証言しているのに対して、小佐野が当日アメリカに到着したのが夕方4時過ぎだったことが後に明らかになり、証言との矛盾が問題になったという件である。一審、二審ともこの日の金銭授受を認定したのだが、"midday" については「クラッターの記憶違い」とみたのである。その根拠は、まずクラッター自身はっきり "midday" と断言したわけではなく「ころ」「だったと思う」といった表現を用いていること、「誰といつどこで会った」という記憶のうち時間に関する記憶は一番曖昧になりやすいということ、そしてなによりも他の証拠が金銭の授受を裏付けている、ということだった(一、二審の判断を区別せず記述)。ところが、一審ではこれに加えて、"midday" を夕方4時過ぎまでをも含む時間帯を表現したものとして解する余地がある、という理由も挙げていたため、渡部証人の出番となったわけである。
この語義問題に関する限り、立花隆もいう通り渡部証人の鑑定に問題はない。この論文でそれを解説している部分についても同様である。しかしながら、あたかも "midday" の一語に有罪・無罪のすべてがかかっているかのような議論は、裁判の実態をあまりに無視したものと言わざるを得ない。そもそも人間が嘘もつかず間違ったことも言わないのなら、裁判官の仕事は非常に楽なものである。実際には嘘をつくこともあれば記憶違いで間違ったことを言うこともあるわけで、だからこそ他の証拠、証言と照らし合わせながら証言内容を吟味してゆく作業が必要になるわけである。一、二審ともそうした吟味のうえで "midday" を記憶違いと判断したのであり、根拠もないのに「記憶違いの可能性だってあるのだから」という理由でそうしたのではない。
そしてなにより、もし小佐野弁護団が被告の無罪を確信して弁護活動を行っていたのだとすると、なんとも解せない点がある。その日、小佐野とクラッターが "midday" 頃に会ったということはあり得ないことだ。もしクラッターが "midday" という記憶に自信を持っているのだとすると会った相手を間違ったか会った日を間違ったか、という可能性が出てくる。また、会ってもいないのに会ったという嘘をついたから、時間に関して矛盾が生じたという可能性もある。すると弁護団としてはなんとしても "midday" の語義を明らかにしたうえで、この証言の矛盾が生じた理由を追及する必要があるわけである。そのために一番良い方法は何か? 渡部センセイに語義の鑑定を依頼することか? それも結構だが、クラッターに問いただすのが誰でも思いつく最良の方法だろう。渡部センセイも「暗黒裁判」論ではクラッター等に反対尋問をすればウソが明るみに出る、と主張していたはずである。にもかかわらず、弁護団はクラッターへの証人尋問を申請していないのである。田中弁護団と違い、申請するふりさえしなかったのである。渡部センセイはこれを不可解だと思わなかったのだろうか? 私は思う(笑) やる気さえあればいくらでも手があったことは、全日空弁護団がエリオットへの証人尋問を請求し、結局エリオットから宣誓供述書をとってそれを証拠申請したこと、小佐野控訴審で検察はクラッターおよびもう一名から宣誓供述書をとり、そこで「間違いなく小佐野と会った。"midday" は記憶違い」と改めて証言させたことから明らかである。小佐野側はやってもやぶ蛇になることがわかっていたからクラッターに問いただすことはせず、渡部センセイの語義鑑定で乗り切ろうとしたわけだ。田中に関してはあれほど嘱託尋問調書への反対尋問をやれと言っていた渡部センセイがこの件について何も言わないのはいったいどういうことだろうか。
前々から、なぜロ裁判批判派は田中以外の被告についてほとんど語らないのか、という疑問を抱いていたのだが、要するに田中以外の被告に言及するとやぶ蛇になるからではないか、と考えるようになってきた。例えばロ裁判の被告のうち、一番弱い立場にいるのは丸紅側の被告、特に大久保被告である。全日空が会社ぐるみで若狭以下の被告を護ろうとしたのに対し、丸紅側の被告は退社している(裁判費用は丸紅が負担した)。さらに嘱託尋問調書は田中よりも丸紅側の被告にとってより重要な意味を持つのである。丸紅側にとっての争点の一つは、贈賄にあたってイニシアティヴをとったのがロッキードなのか丸紅なのか、というものであったし、ロッキード社と直接接触したのは田中側ではなく丸紅だからである。反対尋問権を問題にするならなによりも丸紅側の被告について主張すべきなのである。なぜロ裁判批判派が他の被告については口をつぐむのか、当初私もよくわからなかったのだが、立花隆のロッキード裁判傍聴記などを読んでいるとだんだん事情がつかめてくる。田中側と丸紅側とは同じ法廷(丸紅ルート法廷)で裁かれたが、両者の主張、利害は必ずしも一致していなかったのである。丸紅側被告は捜査段階での供述の一部を公判でも認めており、特に大久保被告は大筋を公判でも認めている。つまり5億円を渡したことそれ自体では争わず、5億円の趣旨とロ社との役割分担の問題(丸紅メッセンジャー論)で争うというのが基本戦略だったわけである。ところが田中側が全面否認してしまったために、丸紅側と田中側の言い分が食い違うことになってしまったのである。
そりゃあ大久保被告には言及できないはずだわ。もし言及しようとするなら、丸紅側被告の法廷証言だけ(つまり検事調書を無視しても)でもある程度金の流れが裏付けれてしまうことにも言及しないといけないものなぁ。