ロッキード事件Q&A 裁判編
ロッキード事件といえば生まれる前の出来事、という人々もいまや相当数に達しており、事件を記憶している人々の多くにとっても過去の事件になっています。しかしながら、数はさほど多くないものの熱心に「ロッキード裁判=暗黒裁判」説、「ロッキード事件=アメリカの謀略」説を唱える人々が存在しています。その言説には歴史修正主義の特徴がいくつもみられることに鑑み、ロッキード事件に関するQ&Aを「裁判編」「陰謀説編」に分けて作成することにしました。まずは裁判編です。なお、「本館」のこちらやこちらもご参照いただければ幸いです。
Q1 田中角栄は別件逮捕されたというのは本当ですか?
A1 嘘です。
Q2 ロッキード裁判では被告の反対尋問権が奪われたというのは本当ですか?
A2 嘘です。
Q3 ロッキード裁判ではコーチャン(元ロッキード社副社長)最重要証人であったというのは本当ですか?
A3 丸紅ルートに関する限り、特に被告田中角栄に関する限り、真っ赤な嘘です。
Q4 ロッキード裁判は「調書裁判」だったというのは本当ですか?
A4 嘘とは言えませんが、ロッキード裁判を批判する根拠としては無意味です。
Q5 首相には民間旅客機の機種選定に関する職務権限などない、というのは本当ですが?
A5 (おおざっぱな言い方をすれば)嘘です。
Q6 最高裁はコーチャンらへの免責を(ないし免責の上での嘱託尋問を)違法だとしたのは本当ですか?
A6 嘘です
Q7 免責をうけたコーチャンらは嘘をつきまくったに違いない、というのは本当ですか?
A7 嘘です
Q8 「榎本アリバイ」を検察は崩すことができなかった、というのは本当ですか?
A8 嘘です。
Q9 ロッキード裁判の判決はどこで読むことができますか?
A9 丸紅ルートの最高裁判決はこちらで読むことができます。
詳細は以下をご覧ください。
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Q1 田中角栄は別件逮捕されたというのは本当ですか?
A1 嘘です。田中角栄は確かに外為法違反容疑で逮捕されましたが、受託収賄容疑のみならず外為法違反でもちゃんと起訴され、(死亡により公訴棄却となった最高裁を除いて)有罪になっています。また、外為法違反の容疑事実とはロッキード社からの5億円を丸紅経由で受け取ったことであり、これは言うまでもなく受託収賄の容疑とも関わっています。殺人事件において容疑者をまず死体遺棄罪で逮捕しその後殺人についても調べを進める…というかなり一般的な事例と同じです。隣人とのトラブルに「脅迫罪」などの罪名をつけて逮捕し、その件は無視して殺人事件について取り調べを行なう、といったものが別件逮捕と呼ばれるべきケースです。
なお、「別件逮捕説」のバリエーションとして、「当時外為法違反はすでに死に法であった、いやしくも首相の職にあったものを死に法で逮捕するのはおかしい」といったものがあります。これについては面白いエピソードがあります。バリバリの田中擁護者として知られ、後に中曽根内閣で法相となった(これは田中の政治力がロッキード事件によって奪われていなかったことの証拠ですが)秦野章が1976年8月4日、参議院の「ロッキード事件に関する特別委員会」でまさにこの問題に関する質問を行ないました。
秦野氏はまず
田中前首相の逮捕というものが外為法の違反の令状で逮捕されたということでございますが、これに関連して、外為法の問題について少し大蔵省にお尋ねをしたい。外国為替管理の実情ですね。
と切り出します。そしてこう続けます。
外為法の制定はいまから約三十年前、昭和二十四年にできたわけであります。当時は、戦後の荒廃の中で、ドル不足、ドル割り当て制といったような厳しい環境の中で、日本経済の安定、国民生活の向上をどうやって図っていくかという、そういう観点から、厳しい為替管理というものをやっていかなきゃならぬという背景があったわけでございます。また、実質的にも、外為法違反をやったら、その影響は具体的に国民経済に悪影響を及ぼしたという、そういう実態もあったと思います。ところが、その後約三十年たって、今日の情勢を考えてみたときに、その後外貨予算制度も廃止になったし、これは昭和三十九年ですけれども、四十七年の外貨集中制度の廃止とか、言うならば、為替管理の大幅な自由化の方向が進められてきたのは、これはまたひとり日本だけじゃなく、世界の趨勢であったわけです。外貨準備も百六十億ドルといったような現状で、日本も西独や米国と肩を並べるような最高水準にも達しておるわけであります。
外為法が死に法である、という答弁を引き出したいことがよくわかります。大蔵省との間で一般的な状況についてやりとりがあった後、いよいよ秦野氏は本題に切り込みます。
警察庁にちょっと聞きたいのだけれども、外為法違反の最近の取り締まりの概況ですね、概況というものをちょっと知らしてもらいたい。
以下、政府とのやりとりをみてみましょう。かなり長くなりますので、別途HTMLファイルとしてアップロードしました。こちらをご覧下さい。
下線部をみれば当初の意気込みとは裏腹に秦野氏がずるずると後退していることがよくわかると思います。結局外為法による逮捕の「違法」性の主張は取り下げ、別件「的」じゃないか、「歴史的批判」に耐えるのか、なぁんてはなしになってしまっています。
実を言うと、ここでの政府側の答弁は私などからみても嘘くさいところはあります。誰がどう考えても贈収賄が本命であることは明らかだからです。とはいえ、すでに述べたように「死体遺棄で逮捕、殺人について追求」という手法が一般的である以上、ことさら田中角栄についてのみ「別件逮捕」を云々するのはおかしいでしょう。
Q2 ロッキード裁判では被告の反対尋問権が奪われたというのは本当ですか?
A2 嘘です。この種の裁判批判は、コーチャン、クラッターらロッキード側の証人に対して行なわれた嘱託尋問の調書が証拠採用されたことを問題にしています。コーチャンらはロッキード裁判の公判に証人として出廷したことがありませんので、公判での主尋問に対する反対尋問はもともと問題になりません。したがって、嘱託尋問調書の証拠採用が実質的に被告の反対尋問権(憲法37条2項)を奪うことになったかどうか、が問われなければなりません。
この嘱託尋問調書は刑事訴訟法321条1項3号に基づいて一審、二審では証拠採用されました。刑訴法321条はそもそも「公判前に証言を文書のかたちで残した証人が公判に証人として出廷できない場合」にその文書を証拠として採用できる要件を規定した、刑訴法320条の原則に対する例外規定なのです。したがって、件の嘱託尋問調書が刑訴法321条1項3号の要件をみたしている限り(そして一、二審はみたしていると判断しました)、被告の反対尋問権を侵害することにはなりません(これについては最高裁の判例もあります)。
また、嘱託尋問調書の証拠採用を認めたとしても、弁護側が申請したコーチャンらへの(反対尋問を趣旨とする)嘱託尋問請求が却下されたのだから、やはり反対尋問権が侵害されたのだ、という主張もあります。しかしこれについては、その嘱託尋問請求が公判のどの段階で出されたものかを知っておく必要があります。嘱託尋問をめぐる丸紅ルート法廷での動きは次の通りです。
1977年1月 初公判
同年10月 検察が嘱託尋問調書の証拠調べを請求
1978年12月 証拠採用を決定
1979年2月 証拠調べ開始(同年3月終了)
同年3月 弁護側、「証拠調べが終了した段階でコーチャンらへの嘱託尋問を請求するつもり」と表明(しかし実際には請求せず)
1981年3月 検察側立証、終了
1982年2月 嘱託による反対尋問を請求
同年5月 請求を却下
同年12月 事実審理終了
1983年10月 判決
つまり検察が証拠採用を申請してから1年にもわたってその可否をめぐる論争があり、そのうえで証拠採用が決まって調書が朗読されてからさらに3年ちかくたってから、検察側の立証が終わってからでも1年近くたってからコーチャンらへの嘱託尋問が請求された、というのが実情なのです。これはとても「反対尋問」と言えるものではありません。そして、新たな証人尋問であればその立証趣旨(コーチャンらへの尋問によりなにを明らかにしたいのか)を示して請求することが必要になるわけですが、弁護団は説得的な立証趣旨を示すことができませんでした。この当時田中側がとっていた裁判引き延ばし作戦の一環として行なわれた証人申請であることは明白なのです。そのような証人申請が却下されたところで、被告人の反対尋問権が侵害されたことになどならないことは言うまでもありません。
もう一つ、刑訴法228条2項にまつわる問題がありますが、これについては後述します(→Q6)。
Q3 ロッキード裁判ではコーチャン(元ロッキード社副社長)が最重要証人であったというのは本当ですか?
A3 丸紅ルートに関する限り、特に被告田中角栄に関する限り、真っ赤な嘘です。
なぜなら、コーチャンらは田中たち政治家には直接接触していないからです。5億円はコーチャンから丸紅にわたり、田中側には丸紅から渡されました。したがって、丸紅側被告、榎本被告、その他証人の証言によってロ社から田中への金の流れとその趣旨が立証できれば、収賄罪と外為法違反は成立するのです。コーチャンは丸紅と田中の接触、田中の全日空へのはたらきかけについては全て伝聞で知っているに過ぎません。このような証人が「最重要証人」であることなどあり得ません。
また、後述するように(→Q6)丸紅ルート最高裁判決は嘱託尋問調書の証拠採用を斥けましたが、それでも榎本、檜山両被告に有罪の判決を下しました(田中は死亡のため公訴棄却、他の被告は上告しなかったため最高裁判決を受けていない)。つまり嘱託尋問調書抜きで有罪としたわけです。これもまた、コーチャンが最重要証人などではないことの証拠になります。
なお、「贈賄の主犯であるコーチャンを免責しておいてその他の被疑者を起訴したのはおかしい」という裁判批判もあります。しかしながら、5億円という金額、その送り先を決め、出し渋るコーチャンを説得したのは丸紅でした。もしこの事実認定が正しいなら贈賄の主犯はむしろ丸紅側被告であると考えるべきであり、「主犯を見逃した」ことにはなりません。
Q4 ロッキード裁判は「調書裁判」だったというのは本当ですか?
A4 嘘とは言えませんが、ロッキード裁判を批判する根拠としては無意味です。「調書裁判」とは日本の刑事裁判を批判する際によく指摘されることです。その限りで、ロッキード裁判もまた調書裁判であったということはできるかもしれません。しかしながら、このことをもってロッキード裁判を批判する論者が失念しているのは次の3点です。まず、丸紅の大久保被告は公判でもほぼ検事調書通りの証言をしました。つまり、田中が有罪とされた背景には公判証言の裏付けがあります。ロ社が5億円を日本に持ち込むために利用したブローカーも出廷して5億円を届けた旨、証言しました。第2に、有名な「ピーナツ領収書」をはじめとしてこの事件には物証があります。第3に、調書と公判での証言とを比較したうえで具体的に検事調書が信頼性を欠く(検事の勝手な作文ないし自白の強要である)とする議論を裁判批判派はできたためしがありません。漠然と調書裁判を批判しても、それは「日本の刑事裁判批判」にはなり得てもロッキード裁判批判としては無意味なのです。
Q5 首相には民間旅客機の機種選定に関する職務権限などない、というのは本当ですが?
A5 (おおざっぱな言い方をすれば)嘘です。この争点は最高裁に至るまで弁護側が完敗していますので、ネット上で見かける裁判批判・田中擁護論でもほとんど触れられていないようですが、念のため言及しておきます。
そもそも判例では請託の内容が法的根拠をもつ職務権限の対象であるケースだけではなく、より幅広く職務に関連する場合に収賄の成立を認めてきました。最高裁判決が職務権限論での弁護側所論を斥けたのみならず、この判決についた5つの補足意見のうち4つが職務権限の問題にまつわるもので、そのいずれもが弁護側の主張を斥けています。
Q6 最高裁はコーチャンらへの免責を(ないし免責の上での嘱託尋問を)違法だとしたのは本当ですか?
A6 嘘です。最高裁はなるほど嘱託尋問調書の証拠採用を斥けました。その理由は「我が国の刑訴法は、刑事免責の制度を採用しておらず、刑事免責を付与して獲得された供述を事実認定の証拠とすることを許容していないものと解すべきである以上、本件嘱託証人尋問調書については、その証拠能力を否定すべきものと解するのが相当である」というものです。ここで留意すべきなのは、証拠能力が否定されたからといって嘱託尋問そのものが違法とされたわけではない、ということです。嘱託尋問調書に関して弁護側により有利な補足意見を書いた大野判事ですら、「捜査機関が国際的犯罪の捜査資料を収集するために、アメリカ合衆国において合法として行われた強制捜査手続について、重大な違法があるものということはできない」と述べているのです。尋問調書の類いに証拠能力が認められるためにはさまざまな要件があり、別に違法な手段で作成された調書でなくても証拠能力を否定されることはいくらでもありうるのです。大野判事も言っているように、「捜査の端緒ないし捜査資料の収集として右のごとき嘱託証人尋問をし得るということと、その結果得られた資料を我が国の刑事裁判上事実認定の証拠とすることができるということとは別個の問題」なのです。
なお先に言及した補足意見で大野判事は、嘱託尋問に際して田中側の弁護人が立ち会っていないことをもって「公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ事案の真相を明らかにすべきことを定めている刑訴法一条の精神に反するものといわなければならない」としています(憲法37条2項の精神に反する、とはされていないことに留意しましょう)。刑事訴訟法228条2項は、刑訴法226条に基づき第一回公判前に行なわれる証人尋問について、捜査の妨げとなるおそれがなければ被告、被疑者の弁護人を立ち会わせることが「できる」と定めています。結論だけを述べれば、「できる」であって「立ち会わせねばならない」ではないこと、また贈収賄という事件の性質上、田中側の弁護人が立ち会っていないことにはなんの問題もないと言わざるを得ません(そもそも、嘱託尋問が始まった時点で田中はまだ逮捕されていなかったのです)。詳しくはこちらやこちらを、またこちらもご覧ください。
余談になりますが、最高裁判決をふまえて考えると、一審判決後のロッキード裁判論争において立花隆が語っていた「嘱託尋問調書を刑訴法321条1項3号ではなく328条にもとづいて証拠申請する」という戦術が興味を引きます。328条は事実認定の証拠ではなく、他の証拠の証明力を争うための証拠を採用するための規定で、321条や324条の規定を満たさない書面でも328条によってなら採用される場合があります。検察が321条ではなく328条に基づいて証拠申請し、嘱託尋問調書によって丸紅側証人の証言(および調書)の証明力を補強するという戦術をとっていれば、最高裁もこれを斥けなかった可能性があると思うのですが、まぁこれは素人考えにすぎません。
Q7 免責をうけたコーチャンらは嘘をつきまくったに違いない、というのは本当ですか?
A7 嘘です。もちろん、コーチャンらが嘱託尋問において真実を本当に述べたのかどうかは「神のみぞ知る」事柄ではあります。しかしながら、免責を受けたのだから嘘のつき放題だった、というロジックは明らかに間違っており、その原因は「免責」に関する誤解にあります。
嘱託尋問において問題になった免責は、米国法では「自己負罪特権」(憲法修正第5条)の剥奪というかたちをとります。何人も自己に不利な証言を強制されないという原則を逆手にとり、証言を強制する代わりにその証言に基づき証人を告発することはしない、ということなのです。実は当時のアメリカでは外国の政治家に対する賄賂は犯罪ではなかったので、コーチャンらはもともとアメリカにおいて贈賄で立件される恐れはありませんでした。しかし例えば商用で来日した際に日本の当局によって逮捕されるといった可能性は残るため、日本側の免責がない限り証言しない、という立場をとったのです。これに対して日本の検察は、起訴便宜主義(刑訴法248条)を活用して実質的な免責を与えることにしました。
ここで重要なのは、嘱託尋問は日本の裁判所の嘱託によりアメリカの裁判所で行なわれた、ということです。証言によって訴追される恐れがない以上、コーチャンらは自分の犯罪について宣誓証言を求められます。したがって、もし証言において嘘を言えば(やったことをやってないと言った場合も、やってないことをやったと言った場合も)偽証罪に問われる可能性があった、ということです。偽証罪が事実上死に法化している日本とは異なり、アメリカでは偽証罪はきちんと機能しています。これに対して、もし免責がなければコーチャンらは証言を拒否することもでき、また嘘をつくことも可能だったのです。
嘱託尋問調書の証拠採用を認めなかった最高裁判決ですら
刑事免責の制度は、自己負罪拒否特権に基づく証言拒否権の行使により犯罪事実の立証に必要な供述を獲得することができないという事態に対処するため、共犯等の関係にある者のうちの一部の者に対して刑事免責を付与することによって自己負罪拒否特権を失わせて供述を強制し、その供述を他の者の有罪を立証する証拠としようとする制度であって、本件証人尋問が嘱託されたアメリカ合衆国においては、一定の許容範囲、手続要件の下に採用され、制定法上確立した制度として機能しているものである。
と述べ、「嘘のつき放題」などではないことを認定しています。
Q8 「榎本アリバイ」を検察は崩すことができなかった、というのは本当ですか?
A8 嘘です。崩すもなにも、弁護側は「榎本アリバイ」を立証できなかったのです。このアリバイに関しては先日亡くなった後藤田正晴などの国会議員を含め多くの弁護側証人が出廷しましたが、現金の授受があったとされる時間に(別の場所で)榎本秘書と会っていたことを明確に証言した証人は一人たりともいませんでした。
Q9 ロッキード裁判の判決はどこで読むことができますか?
A9 丸紅ルートの最高裁判決はこちらで読むことができます。また、判決に添えられた補足意見はこちらから「平成七年二月二二日大法廷判決 昭和六二年(あ)第一三五一号 外国為替及び外国貿易管理法違反、贈賄、外国為替及び外国貿易管理法違反、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律違反各被告事件」という項目を探すと、「判決、主文、理由」に続いて掲載されています。
また、丸紅ルート高裁判決はこちらで読むことができます。一審判決については私が知る限りネット上で読むことはできないようです。ただし、東京新聞特別報道部編の『裁かれる首相の犯罪』第16巻に主文と理由(要旨)が収録されているほか、有名な争点に関する部分は刑事訴訟法、刑法などの解説書にしばしば引用されています。立花隆の『ロッキード裁判批判を斬る』(朝日文庫、全3巻)でも適宜引用されていますので、断片的に読むことは可能です。印刷された裁判例集に収録されているかどうかについては現在調査中です。
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