「ヒゲの殿下」の愛称で親しまれ、障害者福祉活動などで知られた寛仁(ともひと)親王殿下が6日午後3時35分、入院先の佐々木研究所付属杏雲堂(きょううんどう)病院(東京都千代田区)で亡くなられた。66歳だった。昭和天皇の弟である三笠宮さま(96)の長男で、天皇陛下のいとこ。本葬に当たる「斂葬(れんそう)の儀」は1週間後をめどに、東京都文京区の豊島岡墓地で行われる見込み。
寛仁さまは昨年12月、あごの右下部にできた腫瘍治療のため、同病院に入院し、今年1月に切除手術を受けた。その後、食べ物の通りが悪くなるのどの通過障害がみられ、3月2日にがん関連の16回目の手術として、のどの軟骨を切り取る手術を受けて入院を続けていた。1日夕に吐血して容体が悪化し、父の三笠宮さまと母の百合子さま(89)も3日夜に2時間近く見舞っていた。訪欧中だった長女彬子(あきこ)さま(30)が6日朝に帰国し、見舞ったばかりだった。
寛仁さまは、終戦間もない1946(昭和21)年1月5日に誕生した。学習院大を卒業した68年から2年間、英国留学。72年の札幌冬季五輪では大会組織委員会事務局に勤めた。
80年11月に麻生太郎元首相(71)の妹で故吉田茂元首相の孫に当たる信子さま(57)と結婚。彬子さま、瑶子(ようこ)さま(28)の2人のお子さまがいる。
障害者問題に熱心に取り組み、身体障害者へのスキー指導では先駆者的存在だった。91年に食道がんで手術を受ける際に、病名を公表。その後も舌の付け根やのどなどにがんが見つかる度に手術を受け、07年夏には、アルコール依存症であることも公表した。
82年4月には、前例のない皇籍離脱を申し出たが、後に撤回。小泉政権当時の05〜06年の皇室典範改正論議では毎日新聞のインタビューなどで女系・女性天皇容認の動きに異を唱えて波紋を呼んだ。
皇位継承順位6位だった寛仁さまの逝去による新たな順位は以下の通り。(かっこ内は年齢)
1皇太子さま(52)、2秋篠宮さま(46)、3悠仁(ひさひと)さま(5)、4常陸宮さま(76)、5三笠宮さま(96)、6桂宮さま(64)