先日、日本への出張中に、世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級チャンピオンの佐藤洋太選手のストーリーに接した。ホテルの部屋のテレビで見た佐藤選手の人生は、限りなく波乱万丈だった。佐藤選手は底辺から出発したボクサーだった。歓楽街の路地裏を転々とし、試合中に脳振とうを起こして1年間リングから離れた時期もあった。しかし雑草のように再び立ち上がり、1カ月前に世界タイトルを獲得した。満27歳、ボクサーとしては若くない年齢だった。
私が感動したのは、その後の近況だった。テレビ画面には、作業服を着てガソリンスタンドで働く佐藤選手の姿が映し出されていた。チャンピオン獲得後も佐藤選手は、時給1000円のアルバイトを続けていた。上京してからずっと続けてきた仕事だという。佐藤選手は「少し有名になったからといって、変わるつもりはない」と話した。愚かなほど強烈な自己執着だった。
合理性の尺度で見れば「1000円のアルバイト」はばかみたいな行為だ。しかし、目の前の利益よりも自己流を選んだ佐藤選手のこだわりを、私は日本特有の「美意識」と解釈した。ボクサーとしての佐藤選手の生命は、人生の底辺で得たハングリー精神だ。それを失えば、自分の職業の完成度が崩壊するということを、佐藤選手は言いたかったのだろう。
日本には佐藤選手のように「愚直な人」が至る所にいる。いくら有名になっても古びた店を守り続け、次の代に引き継いでいく匠(たくみ)の事例は、掃いて捨てるほどある。ある分野を狭く深く掘り下げる専門家になることが、日本では最高とされる。
一方、韓国は拡大志向だ。限りなく新しい拡大の道を進むのが、韓国では美徳のように思われている。飲食店の経営がうまくいけば、支店を出し、ビルも建て、さらに金を稼ぐ機会を狙う。大まかに単純化すれば、韓国の職業観は力動的で、日本は感動的だ。
どちらが正しいとはいえないだろう。拡大欲求に燃える韓国人の気質は圧縮成長の原動力となった。限りなく新たなチャンスを探す驚くべき成功志向のおかげで、韓国は経済的に日本を追撃した。購買力を考慮に入れた、韓国の昨年の国民所得(3万ドル=約240万円)は、日本(3万4000ドル=約270万円)に迫る勢いで、近く日本を追い越す見込みだ。驚くべき経済的成功に、われわれ韓国人はプライドを持って当然だろう。そのため「日本は大したしたことがない」と見下す傾向まで見られるようになった。