法的支援の死角に 行政の理解得られず悩む 私は、「外国」である「日本」で、「外国人」のまま生きていくことの難しさを折々感じてきました。が、ここ「母国」である「韓国」で、「在日韓国人」の難しさを、より強く感じています。 住民番号がない たとえば、在日(在日×在日夫婦、在日×韓国人の夫婦)とその子どもは、日本の特別・一般永住権があるため、韓国で暮らしていても、韓国に住む住民とはみなされず、韓国の住民番号はありません。 かわりに、在日に与えられるのが、「居住申告番号」です。この番号では、納税していても韓国政府からの支援は受けられません。住民番号のある韓国人の子、韓国と外国籍者の二重国籍者の子は受けられる支援(多子女支援、障がい者支援、保育料支援など)でも同じです。 さらに、小学校からの入学通知も私たちの子には来ません。私が子どものときに日本で受けたのと同じ不利益を、「母国」であるはずの、韓国で、今、私たちの子どもが受けているのです。 また、住民番号がないので、「住民登録謄本」には記載されません。在日×韓国人の夫婦の謄本には、番号のある韓国人の片親の記載だけで、番号のない子どもと在日の片親は記載されません。 家族の全構成員が載った謄本は、役所でその都度手続きが必要です。これに対して、韓国人×外国籍夫婦の場合には、その子どもたちは、ふつうに記載されています。 二つの国籍を持つ、二重国籍の子は謄本に記載され、在日とその子は、韓国籍という一つの国籍しかないのに、謄本に記載されないのです。 韓国で生活するなら、在日であるより、帰化して「日本人」として生きていくほうがいいのでは、という思いもよぎります。しかし、日本ではなく、韓国で、在日として生きていくのが難しいなんて、この「ねじれ」を正さなくては、とも思うのです。 日本の永住権を放棄して住民番号を取るという手段もありますが、それは、私たち在日の歴史性・存在性、日本というもう一つの故郷までも捨てることではないのか。 在日のまま、韓国で暮らしていくこと、それが、そんなに難しいことなのでしょうか。 今、韓国では、「多文化支援」が強調され、韓国語や韓国文化に疎い「外国人」が受けられる言語的支援―学校から親へのプリントを翻訳してくれるサービスや、小学校での放課後補講授業(親が韓国語に精通していないと子どもの勉強も遅れがちなため)など―が実施されています。 在日家庭は「韓国籍」のため、これも全く受けられません。3世以降の在日の母/父親の中で、韓国語・韓国文化に精通している人がどれほどいるでしょうか。 一方、日本に帰化した在日を含め外国籍同胞は、「多文化支援」を受けられます。あるオモニは、「『同胞』という点で同じような人達や、『同郷』という点で同じような人達が受けられる支援を平等に受けられずにいるのは、どこかおかしい」と指摘しています。 民団が関心を 悲しいかな、私たち在日は、どんなにがんばっても韓国語が拙い異邦人で、永住権を捨てたところで、「完全無欠」の「韓国人」にはなれません。 たとえ、住民番号のある「韓国人」になっても、異質性への支援―「多文化支援」はなく、かといって在日のままでも何の支援もなく、まさに孤立状態にあります。 ここまで韓国籍を維持してきたのに、母国・韓国であきらめたくない、と考えるオモニたちと在日問題を考える大学教授たちで、行政への改善請求を続けています。また問題をできるだけ広く知ってほしいとマスコミにも働きかけています。が、在日の状況について知る人は多くありません。 次世代の在日オリニへの支援という意味でも、在日韓国人の権益擁護団体である民団が関心をもち、改善へ積極的に働きかけてくれることを期待しています。 (2012.5.30 民団新聞) |