マウリシオの話がなぜか好評。
ということで、どうでもいい話から。
ロサンゼルスの道ばたで、彼が急に
「パスポートないんだけど!」とか言い出して、
「ポケットは〜?車ん中じゃねーの?あそこのカフェで落としたんちゃう?」などとお気軽に心配してみたんだけど、「ない!ない!やっぱない!」って焦ってるので、僕がカバンの中から自分のパスポートを出して「もしからしたらこれじゃねーの?」と振ったところ(最低!)、「あーそうそうこれ、まじありがと〜…って俺は日本人じゃねえ!色は赤くねえ!」という相当ナイスなリアクション。とりあえず、メキシコにもノリツッコミが存在することを僕は皆さんに声を大にして言いたいと思います。
ほんっとにどうでもいい話だな、これ。すいません。
(ちなみに車の座席の下にありました。)
あと、彼と一緒にやったイベントの模様がアップされています。
http://www.art2102.org/pages/exhibitions/27_m&m.html
ところで、僕の本拠地、福岡のアートスペーステトラは、いろいろやってんのなー。みんなすげえ。この企画とか、直球すぎる。 だがそれがいい!
http://www.as-tetra.info/data/2007/07/post_33.html
僕もその日の夜に到着予定なので、スーツケース引きずって参加したいです。ぐったりまったり焼酎飲むぞー。
ということで、まずは告知。
http://www.fecalface.com/calendar/calendar.php?mode=view&id=3099
シルバーマンギャラリーというところで、ブブさんに関する映像作品3作を上映します。一つはダムタイプの伝説の公演「S/N」全編。もう一つは「Seeking a map which shows where is the map」というブブさんのライフヒストリーとベルリンでのパフォーマンスを収めたビデオ、最後が「BUBU de la Madeleine - works and interviews」というブブさんが過去の活動を振り返って話している映像。
ブブさんをはじめ、
ご協力頂いた皆様、本当にありがとうございます。
この展覧会では、ダムタイプ〜ソロ・アーティストというブブさんの過程をみることが出来るわけですが、もう一歩進んで、現在ブブさんが働いているMASH大阪の話も、テクストを通して紹介しようと思っています。MASH大阪はこれです。
http://www.mash-osaka.com/
ブブさんが現在、ソーシャルワーカーとして日々働いているという事実を、どのように受け止めれば良いのか、ということを僕自身が思考したいという欲望があり、それを素直にキュレーションに落とし込んでいます。
サンフランシスコでの僕のキュラトリアル・プランについて書く前に、「なぜブブさんなのか」という前提的な部分から入ります。僕は古橋氏が死去するまでのダムタイプおよびその周辺がどのような状況だったのかに強い興味があります。東京に滞在する際にいつも家に泊めて頂いている木方幹人さん(ありがとうございます!)から当時の話や貴重な映像を見せて頂き、いろいろなことを考えさせられました。高嶺格さんとブブさんとの仕事を通して「そのときに発生していたとても大事なさまざまなこと」を感受したいという気持ちがあり、同時にお二人が誠実で真摯で真剣な態度を持ちつづけていることを、誰よりもリスペクトして、受けとめて、それを支えられるような人間でありたいな、と強く思っています。初期ダムタイプ周辺で起こっていた様々なことは、現在の僕らの状況でもう一度考え直す必要がある、と声を特大にして言いたいと思います。
ちなみに高嶺格さんとのイタリアでの仕事の模様はここです。
http://rhythmendo.jugem.jp/?day=20060508
さて、ここからはサンフランシスコでの僕の活動方針についての解説(自己反省)です。
僕がとった方針は、
1. サンフランシスコの政治的・社会的・文化的特徴・固有性を掴む。この都市でしかありえないことを考える。
2. 大阪から作家を招待する。
3. それらの政治的・社会的・文化的諸運動の中に入り込み、招待した作家とそれらの運動が相互影響を与えあうような状況を作り上げる。
という3点。
1に関して僕は「音楽」と「社会運動」が固有性を持っている、と仮定しました。これについてはどこかに書いた気がします。少なくとも「アート」よりはサンフランシスコ独自の原理で動いています。つまり、「どこにいっても同じような振る舞いでアートに臨む」のではなくて、その場でしかありえないアートについて考えたい。そのためにはアートシステムを外から規定するそのまわりの社会的諸言説・諸権力に着目する必要がある。その言説・権力とアートの「関係」だけを扱う、というようなことです。
2に関しては、サンフランシスコと大阪が姉妹都市だというのはさておき、西海岸的な空気と関西的な空気を混ぜ合わせてみたかったという感覚的な理由です。この意図はあまりうまく説明できません。
3ですが、梅田くんとは「音」を通して可能になる様々なプロジェクトをしました。これに関しては、このブログで書いた通りです。地元の音楽イベント、美術大学でのプレゼンとパフォーマンス、舞踏公演での演奏、子供たちへのワークショップ、ドークボットへの参加、フィールドレコーディング、地元の素材を用いた楽器制作など、音楽/美術/メディアアート/パフォーマンスなどの境界をさらさらと越えつつ、やれることをやりました。それを通して、様々な音と音楽をめぐる仕組みと、梅田くんの行為が遭遇する様子を見てみたかったのだと思います。
ブブさんとのプロジェクトのオリジナル案は、サンフランシスコのセクシュアル・マイノリティをめぐる様々な活動、運動、団体などをリサーチするというものです。リサーチというよりも、創造的対話や共感に基づく相互作用といったことをイメージしていました。既に、ゲイ・レズビアン・トランスジェンダー問題に取り組んでいる団体、人物、運動を調査してリストアップしていましたし、地元の関係者の方々にも様々な準備をして頂いていたのですが(ノリの良い、「クィア」な方々ばかりで元気が出ました)、ブブさんが多忙になってしまったことと(MASH大阪が始まったばかりで非常に大変なようです。僕が言うのもおかしな話ですが、皆様ご支援ご協力宜しくお願い致します。)、僕自身もARCUSディレクターへの就任でアメリカ滞在を1ヶ月短縮したことから、中止・延期となってしまいました。その代わり、当初、ブブさんプロジェクトの秘密基地として使用するはずだったシルバーマンギャラリーでビデオの上映会を開催することにしました。これはこれで、大変意義のあるものだと思っています。
さて、この梅田くん&ブブさんプロジェクトは、展覧会という形式を基本的にはとっていません。とったとしても、それは最終的な目的ではなく副次的な生産物になります。アート業界のみに情報が流通するわけでもありません。具体的なサンフランシスコの諸活動のダイナミズムと二人の活動の間に、橋を架けるというイメージを僕はもっていました。その橋は、揺れたりするかもしれず、壊れたりするかもしれず、建設がものすごく困難なのかもしれないし、できてもへんてこなモノになってしまうかもしれません。でも、そこに橋が架かったら素敵だと思ったから、やる。そんな感じです。
僕は、こういったプロジェクトの進め方自体がに興味があります。キュラトリアルかどうかは、わかりませんが、アート・プロジェクトとしてやっています。しかし、実際はどうなんだろう?やっぱりアート業界で認知されないとキュラトリアル・ワークにはならない部分が絶対あります。それと、このやり方は、やってみると自分自身の未熟さ、しかもキュレーターとしてのというよりも人間としての未熟さに気付きまくるという結果も伴っており、しんどすぎます。できなかったことが、本当にたくさんあり、まだまだ先は長くて深く、言葉にならないくらいです。
付け加えて言いたいのですが、展覧会という形式を見限っているわけでもないんです。作品という単位も、とても重要です。だからブブさんの映像を展示するのは、代案だから意味がなくなるというわけでもなく、まったく違う方法論と作業内容によって素敵なものになりうると考えたからやっています。展覧会という形式が機能する仕組みに自覚的であり、それを認めながら、そうではないこともやりたいという、我が儘というか破綻した活動方針です。でも、アートをめぐる様々な矛盾をみせる、アートシステムの内部と外部の往復運動に形式を与える、というだけで今のところはいいんじゃないかなー、と僕は考えます。それは僕の現在の立ち位置の正確な反映でもあります。「答えはこれだ!」とか「これが正しい!」とかじゃなくて、矛盾があるからそれを明確にする。ぐわぐわと迷走するキュレーション。ただそれは、無邪気で盲目的で自己満足的なアートシステムに対しては、批評的に機能するのではないかと。
ということで、このブログのまとめ的な内容を書こうと志したのですが……うまくまとまったのかなあ。うーん。こんなことを書くよりも、何かを一緒にやって、良いところと悪いところをみてもらって、そこで恊働的に何かを高めあう、という方が断然生産的だな。これを読んでいる方で、こいつアホやなー、おもろいなー、だめじゃん、うーん、こうしたらどうよ?などと思っている方は、微塵のためらいもなく僕にメールを送って下さい。あるいはARCUSに来て下さい。でもって一緒になにかやりませんか?と声を超特大にして言いつつも、ふと気付くとこのブログも次でたぶん最終回です。
思考および実践の(たわいのない)過程をオープンにする。
気楽な文体でやる。
他者が入り込む余地を可能なかぎり大きくする。
というのがこのブログをやる前に決めた前提。
それを通して、若くて無名なインディペンデント・キュレーターの一症例を示す、というプロジェクトにしてしまう。というプランだったわけですが、いまにして思うと、無謀でした。こんなに恥ずかしいことになるとはなー。
でも、ニコニコ風に言えば「後悔はしていない」と思います。「もっと評価されるべき」とは思いませんが。
ではでは。