中沢の飯場跡 ここを圏央道が通ります。
更新 2007・5・15 圏央道の建設が進む中沢のトンネル部分 撮影2007・4・21 この伐採されたところに朝鮮人の人たちが住んだ飯場がありました。 撮影2007・5・19 過酷な津久井隧道トンネル工事
相模川河水統制事業計画図 神奈川県企業庁史より 畑久保の八木さんが描いた絵図に一部を加筆しました。 ピンクのラインは圏央道のコース 昭和17年6月末、厚生省所管の中央協和会の作成した朝鮮人労働者の全国一覧によると 熊谷組与瀬作業所 400人 与瀬町 大倉組沼本作業所 473人 内郷村 熊谷組相模川作業所 407人 川尻村 計 1280人 の朝鮮人労働者が働いていました。与瀬の作業所(飯場)は今の相模湖交流センターの所で、熊 谷組作業所は川尻村(現相模原市城山町)の畑久保地区と中沢地区に分散されていました。
相模川の砂利をこの沢伝いにインクラで運搬しました。 インクラの鉄塔があった跡 この斜面に導水路から掘り出した土や岩石を置いた。 撮影2006・11・25・26 導水路工事の入り口跡 日本一番のウラジロガシ 親方・上役夫婦が住んだ住居跡、 右側にインクラの鉄塔があった。 中沢飯場跡に続く道 石祠 大正十一年十月建立 山本助作 この道を通って工事現場に行った。 ここに水力を利用した繭の乾燥場があった。 中沢に架かる土橋 往時を偲ばす地蔵菩薩像 山王様を抜けると三井や名手へ 甲州裏街道とも呼ぶ 中沢飯場跡の石組み、貯蔵庫か 飯場の土台部分 中沢飯場跡に散乱していた茶碗など(屋根のない博物館で保管しています) 屋敷の庭跡か不明 中沢
中沢山王道の切通し 畑久保の飯場跡
記念碑の証(あかし) 中沢に残るコンクリート枡
相模ダム等の年譜
参考 津久井歴史ウオーク 前川清治著 東京新聞出版局 発行2003・3 広報紙 なかざわ自治会 第1号 平成14年7月2日 発行 神奈川県企業庁史 昭和38年3日 発行 相模湖町史歴史編 相模湖町史編さん委員会 H13・3 発行 神奈川県の戦争遺跡 神奈川県歴史教育者協議会編 1996・6 発行 戻る |