2012-05-31 14:04:00

Lily☆Angero

テーマ:ブログ

妻、早耶香の妊娠を喜んで下さったすべての皆様へ




この場は元より、5月12日放送の『メレンゲの気持ち』の番組内でも妊娠の発表をさせていただきましが…
楽しい筈のこの場での、このような報告をする事を御許し下さい。

















5月20日(日)


妻がお弁当を作り、家族で茅ヶ崎の海へ…
以前、思い立って!!と書きましたが、実は計画的でした。お腹の中のりりいを海へ連れて行ってあげたかったからです。

茅ヶ崎の海岸は少し肌寒かったですが、それはとっても気持ちの良い♪心地の良いひとときでした。

りりいもママのお腹の中で、海の匂いを感じていたことでしょう。




























5月21日(月)





妻、妊娠6ヶ月(21週と1日)での人工的出産にあたり、以前、不妊治療中に発覚した子宮ケイ癌の手術で御世話になった、大学病院にam10:30入院する。





この日から3日間かけて、1日二度の子宮口を開く処置を開始…


私も二日目に、この処置に立ち会いましたが、かなりの激痛をともなうものなのです。


この3日間は、私は家の事など、ベイビとハニーも居るので付き添いの宿泊はせずに夜中まで妻と病室で過ごし帰宅…













5月24日(木)


妻、am 6:30に分娩室へ…am7:00、一回目の陣痛促進剤の投与を…





am8:00頃に妻から連絡があり、病院に来てほしいと。


私は既に起きていたので、支度を整えベイビとハニーをペットホテルに預け病院へ向かいました。



私が着くと同時位に二回目の陣痛促進剤投与を…




陣痛促進剤は、三時間おきに1日最多で五回まで投与するとの事でした。



通常、個人差はありますが、2.3回の促進剤の投与で大概は出産.分娩に至るそうです。









am 11:00


大阪の実家から、義理の母が駆け付けてくれ、昼過ぎ程には私の両親も病院分娩室に…



そして、分娩室内で五人で過ごし、妻も陣痛の痛みが徐々に増してはきてるようでしたが、私達と話す事で多少は痛みが紛れたようでした。





そして、pm1:00

三回目の陣痛促進剤投与、、、



りりいもママのお腹の中にずっと居たかったんだね…なかなか出てきてはくれないのでした。






その間、処置と診察の度に私達家族は分娩室の外へ中へと行ったり来たり…









そして、pm 4:10

四回目の促進剤の投与を




りりいも少しづつ下りて来てくれてるみたいです。


陣痛の痛みが強くなるたび、りりいとの別れが近づいてきている事を意味していると思うと私達は涙が止まらなかった‥


pm 3:45、破水



破水はしたものの、りりいはまだ出てくるのを嫌がってるようで…





最終的には、りりいはdoctorに誘導してもらい


pm 6:20、りりいを人工的に出産。もちろん、私も立ち会いでの出産でした。




これまでの想像を絶する子宮口を拡げる処置から出産までの痛みに耐えた妻への

doctorの配慮で、胎盤の摘出は静脈麻酔で行って頂きました。


これ程までに痛みに強い、耐えた方は初めてでしたっ!!とdoctorも助産師さんも驚いておりました。

妻には何があっても太刀打ちできません。最高に素晴らしい妻、素敵な莉々生のママです。





そして、









りりいは…























死産でした。











産まれては来てくれましたが…
















元気に産まれて来てはくれませんでした…

















妻は麻酔から覚め、朦朧としているのが落ち着き始めた頃に










助産師さんが、りりいをキレイにしてくれて、私達の元へ連れて来てくれました。やっとやっとりりいに逢えた、、




初対面をしたりりいは天使のようで、帽子をかぶり両手を胸の上に握り組んでいてマリア様のようでした…助産師さんが組ませてくださいました。


初めて見るりりいの顔は、産後間もなくと言うこともあり、少し浮腫んでいましたが、


親バカですみません‥りりいは鼻筋がスーッと通っていて

二重瞼で目が大きく、目尻がスッと切れ長で


瞳がとても澄んでいて、何とも言い様のない!!めちゃくちゃ可愛い顔をしていました




このような形で出てくる赤ちゃんの多くは、目は閉じているそうなのですが、


りりいは目を開けたままに出てきたそうです。一度は、助産師さんが目を閉じてくれたようですが、


時間が経つにつれ、また目が開いてきました。きっとパパとママに逢いたかったんだね‥
パパとママの顔をりりいもしっかりと見たかったんだね‥



その夜、りりいは分娩室のある病棟の冷蔵部屋で過ごしました。





私達は病室に戻り、とにかくりりいの事を語り合いました。何も食べてない1日でしたが、食欲もまったく忘れる程に…ある意味、もちろん大きな悲しみは根底にありましたが、りりいと逢えた事の嬉しさも大きくありました。



そして私は病室に泊まりました。
当然、りりいとひとつ屋根の下に居たかったのと、辛い痛みに耐え抜いた妻の側にも居たかったから。

















5月25日(金)



朝食を妻と共にすませ、私はいったん帰宅…家の事を少しし、シャワーを浴び区役所の出張所へ…前日にりりいの死産届けを病院から受け取り、りりいを自宅に連れて帰るには、火葬許可書を区役所から受理されなければ法律上、病院から出してあげられないのです。




翌日が土曜日で区役所が休みの為、早急に行わなければならなかった申請でした。死産届けを記入している私…書いている自分を何度も何度も疑いました…しかし、やはり現実でした。





出張所からその足でタクシーに乗り、再び病院に戻り…途中、何か食べなければと、コンビニに寄りざるそばを買い妻の病室で食べました。





出産から1日が経ち、妻も徐々には体力的には回復はしてきましたが、精神的.肉体的に一番辛い想いをしている妻を見ていると、本当に胸が痛く心が苦しかった…妻は私のそれ以上です。




この日、私は16:00から仕事の為、妻とりりいから離れなければなりません。15:00前に病院を後にし、仕事先の初台へ向かいました。








そして仕事を終え…







21:30頃には病院に戻る事が出来ました。


一度、妻の病室へ…それから病室のひとつ下の階のりりいの居る病棟へ二人でりりいに逢いに行きました。


助産師さんがりりいと逢う面会部屋を用意して下さり、そこへ我が子りりいを連れて来て下さいました。

1日経ったりりいの顔は、浮腫みもすっかり取れて昨日より更にとても美人さんのりりいでした。


この助産師さんの山崎さんは、妻が分娩室に入る前から産後も妻に付き添って下さり、ずっと妻を励まし支えて下さいました。

山崎さん、本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。




そして、今回の人工的出産にあたり担当して下さったdoctorチームの仲村先生.白土先生.新城先生.三科先生.野村先生に、心より感謝申し上げます。














その夜、りりいと二時間程三人で過ごしました。

私が自宅を出る際に自宅の庭に咲いていた一番小さな、りりいサイズの赤いバラを一輪、りりいに捧げました。





もちろん、りりいの写真、三人の3ショット、動画もたくさん、沢山撮りまくりました。りりいの沢山の記録と思い出を残したかったから…






その夜、私達とお別れした後…りりいは病院地下2階の霊安室に移されました。




そして明日は念願の☆りりいを自宅に連れて帰れるのです♪♪♪



もちろん、この日も私は病室に宿泊…













話が前後してしまいますが、りりいに異常が見っかったのは、4月の初め頃でした。『メレンゲの気持ち』の収録の直前でした。


妻は、大阪の実家近くのクリニックでりりいを出産する予定でした。いわゆる、里帰り出産です。


当時妻は、切迫流産の診断を受けておりゆっくりして貰おうと実家に帰っている最中でした。


その際に、大阪の出産予定の病院に妻の姉に付き添ってもらい、仮予約を入れがてらの診察でりりいに何らかの異常がある事がわかりました




妻から直ぐに私へ連絡が入りました。これから紹介状をもらい、奈良県の胎児の病気に詳しい専門の大学病院を紹介して頂き、その日のうちに大学病院で診察をしてもらいました。


やはり、この病院でもある病名の疑いがあると…







そして次の日、私は妻を大阪の実家へ迎えに行き、実家に一泊し二人で東京に戻りました。




その翌日が『メレンゲの気持ち』の収録日だったのです。





りりいに異常が見つかったという、このタイミングで妊娠の発表をしてもいいのか‥と悩み、戸惑いましたが、奇跡がおきる事を信じて発表を控えるのもネガティブ過ぎると思い、発表に踏み切りました。






翌日、私の知り合いの胎児専門のdoctorの居る病院へ妻を連れ診察に…





少しの確率でも、妊娠の継続とりりいの治療は出来ないものかと





10月3日の出産予定に、何とかりりぃが生きてさえ産まれてきてくれれば…
りりいに障害があろうが、病気の後遺症があろうが、その子の個性だと思えば私達は当然受け入れるつもりでした。





でもやはり、この病院での診断も、他の病院と同じ病名でした‥妊娠の継続は難しいと…doctorからは直接その言葉はdoctorの立場上、発せられませんでしたが、こちらとしては察しました。









今回診断された病名は何万分の一の確率であまり症例がなくインターネットで調べてもほとんど情報がありませんでした。
これは、私の遺伝子か何かに問題があるのでは、、、

自分を深く深く責めました‥


それでもdoctorからは、偶然としか言い様がなく、事故に遭ったようなもの…としか。このような遺伝子的なことの遺伝だったりという事は、現在の時点では医学的には証明された例がないらしいのです。






天国から地獄へ突き落とされたかのような私達は、それでもりりいは助かるかもしれないという想いを捨てきれませんでした。りりいを諦め切れませんでした。







私達夫婦は話し合った結果、世田谷にある、日本で一番と言われている胎児.赤ちゃん.子供の専門に長けている医療センターでりりいを診てもらい、これまでの病院と同じ診断結果であれば

決断をせざるおえないと…




妻の母体の配慮も当然しなければなりません。










そして4月23日(月)、世田谷の医療センターへ…




物凄く、混んでいる病院で受け付けを済ませてからどれくらい待ったのか‥かなり診察まで待ちました。




そして、いよいよ妻の名前が呼ばれ、二人で診察室に…





先ずはこれまでの状況とプロセスを話しエコー検査へ


医療センターのdoctorは、30分程、エコーを見ていました。その間、数名のdoctor達も絶え間なくエコーを見に来てました。



エコー検査が終わり、診察の結果やはり、残念ですがと…




他の病院と同じ病名…診断結果でした。


















私達は1日でも長くりりいと一緒に過ごしたかったので人工的出産が出来るギリギリの6ヶ月(21週)でのりりいの出産を決断しました。決断したというより、他に選択の余地がなかった‥私達には、この選択肢しかありませんでした。




この日から妻と私はどれくらい泣いたのか…
43年間生きてきて私の人生でこれ程までに辛く哀しい事はなかった…
人生で一番辛かった…










5月26日(土)





am 10:00


妻、退院の日…



私が退院手続きを済ませている間、妻はりりいに手向けるLily =ゆりの花を病院近くの花屋さんへ買いに…





そして、霊安室に移されたりりいを迎えに行きました。私達の手で、りりいの状態を保つ為のドライアイスを棺に入れてあげました。一緒に前日にりりいに捧げた、赤い小さなバラとうさぎのガラガラも入れてあげました…










am 11:30


タクシーで自宅に到着…念願のりりいを自宅に連れて帰ることが出来ました♪






りりいの眠っている棺を私達家族が食事をするリビングのテーブルの上に…妻がりりいの棺の周りを可愛らしく☆センス良く飾り、後ろに天使の羽が付いたベビー服と帽子を棺の上に…
ママがパタパタ動いてる間寂しくないようにおしゃぶりを置いて、ボーロや動物ビスケット、それに哺乳瓶にママの母乳を入れて…


そして自宅のリビングも、りりいの状態を保つ為、20℃以下を保たせました。









それより、何よりも自宅で一瞬でも
りりいと過ごせる事が私達は本当に本当に嬉しかった☆☆☆



その日の食事をりりいサイズに盛り付けて、これはパパが作った○○‥
これはママが作った○○だよ。
貝はね、りりいも一緒に行った海にいるんだよ、、
いろんなお話をしながら…。






その夜はリビングに布団を敷き、りりいに添い寝するかのように休みました…


















5月27日(日)



私は早朝からのドラマ撮影の為、5時に起床…






りりいが自宅に居る間、最初で最後でも「りりい、パパお仕事に行ってくるね♪」と一回でも言えて良かったし、嬉しかった☆







撮影現場で、普段通りに振る舞えるのか自信はありませんでしたが…










りりいの事を想い考えていながらも、
何とか普通に振る舞えたようでした。








そして、りりいが撮影現場に私と一緒に来てるみたいでした。






羽の生えたりりいが、私の周りをパタパタと飛んでいるような感じです。なので、パパのお仕事はこういう事をするんだよ♪撮影現場で、みんなで食べるお弁当をロケ弁って言うんだよと…心のなかでひとつひとつ、りりいに説明してあげました。













この日は弊社の所属俳優、吉田光が付き人として、現場に付いててくれました。撮影現場の往復の車の中…時折襲ってくる、嗚咽と涙を吉田に気付かれないよう、堪えるのに必死でした…。








途中、近所の写真屋さんでりりいの大量の写真をピックアップし帰宅…










明日はりりいを空に返さなければいけません‥








その夜は、家族で穏やかに過ごしました。


















5月28日(月)




とうとう、りりいとお別れする日…りりいを空に返す日が来てしまいました。









でも私達はりりいと約束しました。パパとママの所へ必ず帰ってきてね。と…
また、絶対に絶対に逢おうね…。






am 9:30


りりいを空に返す為、私が運転する車で自宅を出ました



自宅から車で3.40分程にある斎場へ







出発前に妻が、「りりいのパパを有名にしてくれた、光GENJIの歌をりりいに聴かせてあげて」と妻からリクエストされました。

光GENJI のベストアルバムを探し、斎場へ向かう車の中で流しました。












am 10:15

斎場へ到着…





通常、赤ちゃんの骨は脆くお骨が残りづらいとの事。


葬儀社の方の薦めで、朝一番で火力が比較的低い斎場を選びました。








りりいのお骨をしっかり残したかったので、ベビー服のボタンなど妻が全部取り除きました。











そして、りりいを空に返す時が来てしまった…








りりいが眠っている棺からドライアイスを取りだし、燃えづらいものを取りだし、天使の羽が付いたベビー服、帽子…折り鶴を三羽、りりいへの私達からの手紙、中の鈴を取ったうさぎのガラガラを棺に収めました。












am 10:30


りりいを空に飛び立たせました…
気を付けてね、りりい…迷子にならないようにね

パパとママのところへ来てくれて
ありがとう‥


パパとママは、いつでもりりいを待っているからね



お空にいったらゆっくり休んでね‥
がんばったもんね、りりい、、、

必ずまたパパとママのところへ戻ってきてね、、、



今度元気に産まれてきた時は楽しい事たくさん、たくさんしよう‥
美味しいものたくさん食べよう‥
いろんなところへお出掛けしようね…








宇宙一愛してる♪りりい…




パパがママを宇宙一愛するように…
ママがパパを宇宙一愛するように…





パパとママはりりいを宇宙一愛しているよ…





りりいはパパとママの一生の一番の宝物だからね‥





ママとパパの子供になってくれてありがとう‥




愛してるよ。大好きだよ。























大澤莉々生(りりい)







2012´5.24生



身長/20.0㎝


体重/174g










名前の『莉々生』は、莉々生の誕生を心待ちにしてくれていた妻の姉の子供…莉亜菜と菜々実から一文字づつ戴き、「生」は妻がパパとも一生繋がってる証、と私の名前から一字入れました。







この命名の色紙の文字は、書道家の金澤翔子さんに書いて頂きました。

急なお願いにも関わらず、快く引き受けて下さいました。

翔子さんと御母様には、心より感謝を申し上げます。






















私達の最愛の莉々生…














めちゃくちゃに可愛いでしょ(^.^)






亡き莉々生の写真をUPする事は不謹慎承知のうえ…お許し下さいm(__)m







こんなに可愛い莉々生を皆様に紹介したかった…。














最後に、





このような結果になってしまいましたが、莉々生を授かった事に喜んで下さった皆様、温かな御言葉と励ましとお見守り下さった皆様に心より感謝申し上げます。


本当にありがとうございました。






そして現在、不妊治療をされている御夫婦の方々…先の見えない根気のいる治療です。経済的にも負担は大きく、更なる不妊治療の進歩と不妊治療への高額な医療費の軽減が、早く国に支援策を取って頂き、不妊治療がより身近なものとなることを切に切に願っております。



























莉々生が産まれ1週間が過ぎました。未だ、私達の心の痛みと苦しみが癒える気配はありません。約3年にも及ぶ不妊治療の末に授かった莉々生なので、莉々生に対する想いも無限大です…今も、もぬけの殻…抜け殻状態です。









ですが、泣き言は言いません。自暴自棄なんかになったりしません。必ず立ち直ります。

私達と同様の想いをされた方、もっと辛い想いをされた方…いらっしゃいます。




そしてこの現実から逃げず、しっかりと向き合う事が莉々生の親としての努めだと思っております。








そして今…ご妊娠をされている方々、近くご出産予定の方々、いらっしゃると思います。どうか!どうか!!母子共に健康で、元気な赤ちゃんを産んで頂けるよう御祈りしております。


私達は莉々生の病気を通じ、胎児.赤ちゃんの病気が物凄くあることに驚かされました。私達にとっては、赤ちゃんが元気に産まれて来てくれる事の方が奇跡です☆どうか、元気な赤ちゃんが産まれてきましたら、最大級の愛を注いであげて下さい。そして、大切に大切に育ててあげて下さいm(__)m
私達が今、強く想うのは、流産.死産…赤ちゃん.子供に関わる事件.事故が、この世から本当に消えて無くなって欲しいっ!!










すべての皆様へ感謝…。










大澤樹生

早耶香

零次

莉々生















【頑張ってるぜ東北!!繋がってるぜ日本!!】


Lily ☆ Angero 私達の天使,永遠に‥








































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コメント

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1917 ■かわいいです

私は写真を載せるのは良いと思いました!
こんなに素敵な子、りりいちゃんの為にも、みんなで本当にかわいい子だねってお空に送ってあげたいじゃない?
りりいちゃんかわいくてずっと見ていたい位!21週の赤ちゃんがこんなにしっかりしたキレイな顔をしているなんてビックリしました。
亡くなっているとは感じられません。
本当にキレイな目で、りりいちゃんも、パパとママをしっかり見てお空に行こうと思ったんだと思います。また同じパパとママの所に帰ってくる為に!
今は辛いと思いますが落ち着いたら、また頑張ってほしいです☆りりいちゃんも応援してるはず

1918 ■ご冥福をお祈りします

可愛い可愛いりりぃちゃんパパとママを選んで来てくれたんですもん。また絶対絶対にパパとママに会いに来てくれますよ。

私の回りにも不妊治療や死産を経験している人が沢山います。
みんな本当に強い!
夫婦の絆もすごく強く感じます!

だから大沢夫妻も深い絆と愛情があるのでゆっくりゆっくり前進してください。

1919 ■こんばんは

又必ず会えますように、お祈りしてます。

1920 ■無題

すごく涙がとまりません。りりいちゃんの綺麗なお顔。。今までみたことのない天使のようなお顔のベビーちゃん。
他人の私さえ涙がとまらないです。

1921 ■必ず

娘さんは、元気な姿でまた来てくれるはずです。どうか、娘さんが悲しまないようにご自分を責めるのは止めてください。こんな素敵なパパママの事を天国から微笑んでくれているでしょう。

1922 ■涙。

私は、一度流産しました。30歳過ぎて、まちに待った妊娠でした。

悲しくて、放心状態になりました。

いつも、天国の赤ちゃんに話かけました。


見守っているようでした。

私を選んできてくれた、そのことが、嬉しかった。勇気になった。


必ず、何かの形で戻ってきてくれると思います。


私もそうだから。


赤ちゃんにありがとう。

1923 ■無題

素晴らしいママ、パパのところに産まれてきてくれたこと、たくさん愛されて幸せだと莉々生ちゃんも感じていますよ。きっとまたママパパの元へ戻ってきます☆
そして莉々生ちゃん可愛すぎます!

1924 ■無題

心強い旦那様がついていてくれて、奥様は幸せだ、と思いました。

私も生後間もなくして第1子を亡くし、まだ2カ月ほどです。本当に、元気に産まれてきてくれることの方が奇跡だと感じます。

人生でこれ程辛い事はないです。経験したものにしかわからない感覚ですがこの辛さはどうにか乗り越えようというものではないんですよね。一緒に生きていく、そんな感覚です。


1925 ■きっと

きっとりりいちゃんは、パパとママの元にまた来てくれると思います。

りりいちゃんの瞳とても綺麗ですね、そして本当に可愛い

少しの時間だけどパパとママと過ごせてりりいちゃんも幸せだったと思います

私も切迫早産で出産しました
命って本当かけがえないですよね

1926 ■無題

mixiニュースで記事を拝見し、ブログにお邪魔させて頂きました


すごく悲しくなりましたが、暖かい気持ちになりました
お子さんもきっと幸せだったと思います

母は強いですよね
わたしはいま妊娠5ヶ月です。

不安ですが、勇気をもらいました。

奥さんも、体を大事になさって、
ご夫婦にも幸せが訪れることを願ってます

1927 ■無題

ニュースで読んでこちらへ飛んできました。いてもいられずコメントさせていただきます。
りりぃちゃん、かわいい本当にかわいいです。
お空で間違いなくアイドルです
赤ちゃんは生まれる前に神様から使命を授かってママのお腹に来るそうです。
りりぃちゃんの次にママのお腹に来る子に
『パパとママは優しいから心配しないでね』と伝えてくれるはずです。

ご家族のみなさま、くれぐれもご自愛くださいますよう。

1928 ■無題

ブログ読みました。

私も死産の経験があり、同じように人工的出産をしました。

今はきっと誰からの言葉も励ましも耳に入らない、ただただ茫然とした毎日だと思います。

でも時が必ず解決してくれます。

応援してます。

1929 ■リリイちゃんのパパとママと家族皆さんへ

大沢さんが、ブログにリリイちゃんとこの世で最後に過ごした日々のことを書かずにおれなかった気持ち少しですが分かります・・・私は、大沢さんとほぼ同世代で、8月に43歳になりますが、昨年11月に結婚8年目で娘を授かりました。5年前に、母が肺癌で余命を宣告された頃、2年ほど不妊治療を受けましたが授かりませんでした。母が旅立って10ヶ月ほどで、娘を期せずして懐妊したことが分かりましたが、今度は父が末期がん宣告。更に、15週目の健診で浮腫がみられ、遺伝子異常の可能性が高いとの診断。私も、ありとあらゆる可能性を知りたくて、何日もネットを彷徨い続けました。大沢さんが、たくさんのお医者さんに意見を求められ、少しの可能性を望まれた心境よくわかります。ぎりぎり、娘の誕生を見られるかと思っていた父は、残念ながら、妊娠8カ月で他界しました。主治医の先生に遺伝子異常の可能性を聞いたら「モニターでは分からない異常を持って生まれる可能性はいくらでもある。ここまできたら、自信を持って産むしかない」と励まされました。37週1日目に破水し、陣痛が来なかったので、私も子宮口を広げる薬と陣痛促進剤を投与されました。陣痛促進剤での陣痛、無茶苦茶痛かったです。まだまだ、身体の準備ができていない20週での同じ処置、奥さまのその時の痛み、想像できません・・・そして、生まれてきた子の可愛さ・・・リリイちゃんは、ひいき目なしに可愛いですが(さすが、ハンサムなパパと美人なママの子ですね)普通だったら、もっと、ずっと一緒にいられるのに、すぐに離れ離れにならなきゃならい辛さ、深い悲しみ(表現できる言葉が見つかりません)リリイちゃんは、ずっと、傍にいますよ。私の両親も、ずっと傍にいてくれていると思ってます。嬉しい時も、悲しい時も・・・そして、いつか、私がこの世で、娘と別れなくてはいけない時が来る。それを思うと悲しくて、切ないけど・・・勇気を持って、前に進んで、生きて行くしかないですね。いつか、別の世界に行ってしまった最愛の人達(私の場合は愛猫も含む)に会えますように・・・リリイちゃんの家族の深い悲しみが一刻でも癒えて、大沢さんのこれからの活躍を祈ってます!スペイン・アンダルシアより

1930 ■ご冥福をおいのりします

りりいちゃん、しあわせです。こんなに一生懸命パパが自分のことを伝えてくれている。愛してくれている。それだけでりりいちゃんが生まれてきた意味大きいですね。天使になって見守ってくれているりりいちゃんのためにも前向きに歩いて行ってください。時間はかかると思います。りりいちゃんを見守るパパがいるように、パパを見守るファンがいます。天国からいつでも見えるようにこれからもたくさん活躍してください。

1931 ■☆天使☆

ニュースを見て初めてブログにおじゃましました。
私も24週で赤ちゃんを亡くした経験のあるものです。
つらいですね。
つらいけど、かわいくてしかたないんですよね。
まだまだ日が浅い中、こうして人目に触れるお仕事を続けていかなくちゃならないパパ、パパを待つママさんのこと、想うと胸がいっぱいになります。
りりいちゃん、とてもかわいいお顔ですね。
天使になった赤ちゃんは、スーパー赤ちゃんです、
パパとママがどこにいっても一緒についてきます。
ときどきどこかに遊びに行っても、想えばすぐにそばにきてくれると思います。
大沢家のスーパー赤ちゃん、りりぃちゃん、うちの天使ちゃんとよかったらおそらで遊んでください。
お体お大事になさってください。
これからを応援しています。

1932 ■無題

りりいちゃん素敵なパパとママの間に生まれて本当に幸せだったと思います。

1933 ■今読みました

りりいちゃんのご冥福をお祈り致します(泣)。
私は出産経験がありませんが、りりいちゃんかわいいです。
きっとりりいちゃんはお腹の中で必死になって「生きたい!!」って訴えていたと思います。
りりいちゃんの分までみんなで生きてほしいです。

1934 ■無題

こ冥福をお祈りします。


りりいちゃんとてもとても頑張っていたと思います。
子供がいてる毎日をもう一度感謝して、日々過ごしていこうと思いました。

体も心も疲れたと思います。
りりいちゃんの為にも、ゆっくり体調戻してくださいね。

1935 ■きっと帰ってきてくれますよ!

素敵なご夫婦の元に授かってりりいちゃんは、幸せだったと思いますこんな素敵なご夫婦だからこそりりいちゃんは、大沢家を選んできてくれたんだと思います。私は、第一子を8ヶ月の時に里帰り先の産院で異常が見つかり、そのまま大学病院へ紹介され、検査の結果死産もしくは、産まれても短命との診断でした。幸せな日々からの全く想像もしていなかった診断に、あの時は…神様を恨みました。でも、この子を授かった事で夫婦としても、自分にとっても学ぶことが沢山出来て、今となっては感謝しています。大沢さんのご夫婦の状況が、あまりにも自分の時に似ていて、コメントさせていただきました。我が家の子は、18トリソミーと言う染色体異常で、妊娠41週に促進剤を使って出産しました。お腹の赤ちゃんは、心臓に疾患があることが解っていたので、お腹の中では元気でも、自発呼吸になったら難しいと言われていました。産まれるギリギリまでお腹で動いている我が子を出産で失う辛さは、今でも切なく涙が止まりません。でも最後の最後まで一緒に頑張ってくれた我が子には、感謝しています。親は、子供から学ぶことが沢山あります。
私達夫婦は、まだまだ未熟な夫婦ですが、この子を授かり夫婦の絆は、深くなりました。忘れることなんてありません!!我が子ですもん!!いつもそばについていて、私達を見守ってくれていると信じています

私達も娘の写真や3人で思いでの写真も撮り、短い時間でしたが親になる時間を過ごせました。
今でも間違いなく思えることは、私達を選んで産まれてくれてありがとうって思ってます。まだ奥様も体が辛い時期ですよね…。
私は、産後の普通なら嬉しいはずの胸の張りが辛く悲しかった、お腹の膨らみがないのに赤ちゃんがその場に居ない切ない気持ち…。時間がたつにつれて増してきます。そんなときには、旦那様のサポートがなによりです!!私達夫婦は、していなかった結婚式をしようと主人が提案してくれて、心配をかけてしまった両親や仲間達にも元気な姿での感謝の気持ちも込めて、結婚式をしました。そんな日からかれこれだいぶ年月も過ぎました。

1936 ■りりいちゃん

心よりご冥福をお祈りいたします。
本当に美人さんなりりいちゃんですね。素敵なパパとママの間に産まれてこれて幸せですね。これからも一番近くで見守ってくれることでしょう。
りりいちゃん、またパパとママに抱っこしてもらいに帰って来てねぇ。

1937 ■ご冥福をお祈りします

みきおくん、読みました。私も五年前に12歳の息子を亡くしました。息子は、生まれつき障害をもって生まれました!12年間、入院退院をくりかえしながらも、私達に勇気をもらいました!みきおくんのお子さんも、きっと、幸せだとおもいます

1938 ■大沢ご夫婦様へ

読んでいて涙が止まりませんでした。
大沢ご夫婦様の莉々生ちゃんに対する無限の愛情を強く強く感じました。
とってもかわいぃ莉々生ちゃんのお顔を見ていると、『パパママありがとう。』という気持ちが表情にでている…と思いました。

とっても素敵なご家族です。

私には今10ヵ月の息子がいます。近くで成長を見ることができることに感謝し、大事に育てていきます。

莉々生ちゃんのご冥福をお祈りいたします。

1939 ■無題

不謹慎だなんて思いませんよ!
りりぃちゃんとってもかわいぃですね☆
本当に目が綺麗☆☆

1940 ■無題

りりいちゃんとても可愛いです。
ご冥福をお祈りいたします。

1941 ■心より‥

言葉になりませんが‥
心より、愛娘様のご冥福をお祈りさせていただきます‥

素晴らしい、パパとママだと思います。
莉々生ちゃん、とても可愛いお顔ですね。大澤様ご夫妻のもとに縁あって生まれ愛され慈しまれ‥宇宙一、幸せだと思います。
大澤ご夫妻様、どうぞ、ご自愛くださいますように。

1942 ■無題

りりいちゃん頑張ったね
会いたかったから産まれてきてくれたんですね
ありがとう
御冥福をお祈り申し上げます

1943 ■はじめまして

インターネットのニュースで知りました。
りりいちゃん、あまりにも綺麗で、とってもかわいいなぁと思いました。

泣き言を言わないとか本当に強いですね。でも大沢さんも奥様もどうか無理なさらないでください。

これほどまでにお子さんを愛されている大沢さんご夫婦。ぜったいりりいちゃんにまた会えると思います。


私の姉も9ヶ月で死産を経験しました。子供が生まれて来る事は私も奇跡だと思っております。


話が変わりますが昔光GENJI大ファンで、大沢さんとっても好きでした。自伝も持ってます。あの頃は本当に沢山の元気や笑顔をいただきました。ありがとうございます。

どうかお体にお気をつけください。応援してます。

1944 ■無題

御夫婦と同じように、不妊治療で授かりました。
2週間後に、妊娠判定をいただき、それからもブログを読ませていただいていました。

検診で、胎嚢、心拍確認と段階を経て、少しずつ姿を見せてくれる赤ちゃんの姿を、大沢さん御夫婦と同じように喜び、過ごしてきました。

りりいちゃんがお空に帰ってしまったこと。
とても御家族にとっては、辛く悲しいことだと思いますが、暖かく、優しい言葉で綴られていて、涙が止まりませんでした。

命を授かり、育て、産まれてくることは、ほんとうに素晴らしく、そしてほんとに奇跡なんだということをあらためて気付きました。


そして、りりいちゃんが教えてくれた、命の尊さ、忘れません。
りりいちゃんは、たくさんの人に、こうして伝えに来てくれたんですね。

どうか、ご自分を責めずにお過ごし下さい。
これからも、応援しています。

1945 ■本当に天使のよぅ

りりいちゃん 本当に美人ちゃん。 大澤家のご自慢のお姫様ですね。
おめめをぱっちり 開けていたのは、きっと ずっとずっと 愛して、大事に大事にしてもらった パパとママの お顔を見たかったから。次に戻って来るときに 迷子にならないよぅにのパパとママのお顔を覚えたかったんだと思います。 妊娠することも、無事に元気に産まれて来てくれる事も 当たり前の事ではなく 奇跡そのものなんだと、ブログを読ませて頂き改めてて 実感させて頂きました。 我が子に会えた瞬間の喜びをいつまでも忘れず 大事に子供を育てて行こうと教えて頂きました。 ありがとうございます。
大澤さん 今は無理せず我慢もせず泣きたい時には二人で泣いて下さいね。
その涙の数はりりいちゃんへの想いの証ですよ。
奥さま、どうか お身体 お大事にしてくださいね。 りりいちゃんがお空で元気に遊んでいる事を願って。。。

1946 ■はじめまして!

ブログ拝見させていただきました。
りりいちゃん可愛いですね☆

わたしの息子も胎児の時に病気が見つかり、よりによってなんでわたしの子が病気なの?、いっそ一緒に死んでしまおうか、そんな事ばかり考えていました。
世の中にはもっと辛く、悲しい現実を受け止め立ち直っている人達がいるんだと思い産む事を決めました。
元気な子供に会えた時、わたしはなんて考えをしていたんだと反省しました。
4回の手術にたえ近く退院の日を迎えます。
ちなみにわたしも世田谷の病院です。

とても辛いと思います。
ですがりりいちゃんの為にも、立ち直り頑張っていってほしいです。
お空から見守ってくれていると思います。
ご冥福お祈り致します。

1947 ■2度の死産。

私も2度、死産を経験しました。
書かれていた記事と全く同じ処置だったので
色々思い出しました。

死にたくなりました。

出産は、我が子に会える楽しみがあるからあの辛い痛みも乗り越えられられるけど、

死産とわかっていての出産はつらいものがありました。

過呼吸にもなりました。

でもようやく立ち直り、元気な娘が一人います。

どうかお気を落とさずに。
元気な赤ちゃんがやってきてくれますように。

1948 ■ホントに天使のよう…

blogを読ませて頂きました。
私も昨年 5ヶ月で流産しました。出血・陣痛・破水…家族みんなが楽しみしていました。りりいちゃんの様に、まだはっきりと綺麗なお顔はしていませんでしたが、私達には天使でした。凄く辛くて何もやる気になれなかったです。でも、私達家族もまた会おうね。と、約束をしお別れをしました。そして、その約束が果たせる時期が近づいて来ました。りりいちゃんと同じ10月3日が予定日なんです。不謹慎かもしれませんが、この偶然を凄く嬉しく思ってしまいました。でも、大沢さんご夫妻にもまた会えると言う事を確信して頂きたく、コメントさせてもらいました。これからも、お仕事頑張って下さい。そして、ご家族仲良くお幸せに…

1949 ■無題

ブログを読んで、私も2年前に死産した時のことを思い出し涙が出ました。私も添い寝をして子守唄を歌い、手紙や折り紙、おっぱいを含ませた布を棺の中に入れて…。
しばらくは脱け殻のようでしたが、今、あのお空へ帰った時期と同じ時期に出産予定となりました。
あの時、私も天使の羽をつけた服を納めました。

ご家族のことを見守っていると思います。

1950 ■涙が止まりません

こんばんは。


立派なお父さんとお母さんですね。とても感動しました。

私は2か月の女の子と6歳の男の子の母です。


辛いのにとても詳しく書いてあり、お気持ちを察すると涙が止まりません。

慰めには決してなりませんが、私の長男が3歳の時に教えてくれたことがあります。
ある山道を車で通っていました。とても天気が良くて、木の隙間からキラキラ太陽の光がさしている山道です。

「ママー。僕ここ知ってるよ。僕小さいとき、ここで遊んでたら神様に呼ばれてママのお腹に行きなさいって言われたの」と急に言いました。


大沢さんご夫妻を神様がこの人達ならってきっと思ったんですよ。

私も大沢さんのブログを見て明日からまた子育て頑張ります。
イライラしたら、想い出します。

本当に強い人ですね。尊敬します。

1951 ■無題

本当に綺麗な瞳の娘さんですね。
パパ似かな?
メチャクチャ可愛いです♪
きっと必ず、もう一度出逢えますよ!

1952 ■無題

悲しい。
本当に悲しい。
涙が止まりません。

りりいちゃんが優しいパパとママのところへまた戻って来れます様に。

1953 ■ご冥福をお祈りいたします

御両親がりりいちゃんを愛しているように、りりいちゃんも御両親が大好きだったと思います。
そしてまたいつか、お父さんとお母さんのところに戻ってくるからねって写真を拝見させていただきましたが、りりいちゃんが言ってくれているように感じます。
きっと戻ってきてくれます。
育ててあげられなくて、産んであげられなくてごめんね。
わたしは二度子宮外妊娠で卵管が破裂してしまいましたが、わたしの元にもいつか必ずと信じています。
りりいちゃんのご冥福をお祈りいたします。

1954 ■無題

何度も読みました。。

涙があふれてきます。。
りりぃちゃん、本当に可愛い。。

私も不妊治療中です。
痛いとか、うまくいかないとか落ち込む事ばかりですが、
私なんか、まだまだだと思いました。。

大沢さん、奥様おつらいでしょうね。。
少しでもお元気になられるように、お祈りします。

私も、また頑張ります。

1955 ■無題

りりちゃんとても可愛いですね

1956 ■初めまして

赤ちゃん可愛いです

大切な赤ちゃん見せて下さってありがとうございます。

赤ちゃん見ると本当に幸せな気持ちになります。

幸せなんて言葉使ってはいけないと思います。ごめんなさい。

でも、リリイちゃんのお顔見てすごく可愛らしくて、またご両親の愛情の深さに幸せをいただきました。

1957 ■無題

りりいちゃん6ヶ月頑張ったネ
偉いョ


ママお疲れ様です
無理せずに
自分を大切にして下さい
ゆっくり休んで
悲しい時は我慢せず泣いてネ


自分を攻めたりしないで…
誰も悪くないョ



スゴくスゴく可愛い子ですネ
会えて嬉しいかった




生まれ変わって
パパとママに会いに行ってネ


心よりご冥福を申し上げます

1958 ■無題

涙が止まりません。
莉々生ちゃんの写真かわいいです。
莉々生ちゃんは幸せだと思います。
お空でみてると思います。
自分があたりまえのように
生まれてあたりまえのように
毎日をすごしているのを
こんなに感謝したのは初めてです。
莉々生ちゃんに教えてもらいました。
頑張っていきましょう。

心からご冥福お祈りいたします。

1959 ■無題

こんな可愛い赤ちゃん見たことない!凄く可愛いですね。
私はまだ子供を産む年齢ではないですが、ブログを拝見して母性本能というものなのか、りりいちゃんが愛くるしくて堪らなくなりました。
同時に自分の母に感謝の思いでいっぱいになりました。
全く関わりのない遠くに住む私の気持ちを動かしてくれたりりいちゃんは本当に天使ですね。
今一度産んでくれた感謝を母に伝えようと思います。

りりいちゃんありがとう。ゆっくり休んでください。

1960 ■無題

あたしも、二年前に、21週と5日で愛息子をお空に還しました。
21センチで320グラムでした。

あたしの子宮内膜症のコト、羊水が少ないコト…妊娠を継続するのが難しいと言われました。

人生のどん底を見ました。
毎日泣いて、今でもときどき泣いて…
まわりの何気ない言葉で泣き…


とても、他人事とは思えなく、りりいチャンの姿を見て、少し息子とかぶらせてしまいました。
色白でクリクリのお目め!!!
すっごくかわいいですね。

ぜひ、天国でうちの息子とお友達になってあげてください!!!

失礼なコト言ってたらごめんなさい。

同じ天使ママパパとして、あたしも前向きに生きていこうと思います。

1961 ■気持ちが伝わりました

私には3人の子供がいます。ですが2回流産し、先天性の病気を持ち生まれた子、低出生体重児で生まれた子、いろいろあり泣いて泣いて涙ってこんなに出るんだっていうくらい泣きました。それと同時に神様なんていないんだ…と恨んだものです。ですが、大沢さんのりりぃちゃんのblogを見て、子宝に恵まれたこと、子供と今一緒に過ごせてることに感謝し、おもいっきり愛情を注いでいきたいとさらに強く思い、気づかされました。大切にします!
大沢さん、奥様、息子さん…今はまだ何事にも耐え難い苦しみだと思います。
りりぃちゃんはずっとずっと見ています。ずっとずっと一緒です。

1962 ■無題

はじめてブログにお邪魔させて頂きました。
りりいちゃん、とってもかわいいお顔していますね。
間違いなくこの世に芽生えた、りりいちゃんという1人の赤ちゃんの人生を全うした強さを感じます。

私にも息子がいます。
息子は病院の不手際で生まれた時は仮死状態でした。生まれて姿を見ることも、抱くこともできない状態でした。
初めて見た姿は管だらけで、顔もむくみきっていた。
それからしばらく呼吸を人工的に止めて治療しました。
その結果、幸いにも今は元気にしています。

私は息子がおなかに宿る前に1人流産しています。
その直後に息子がおなかに来ました。
きっとお空に忘れ物を取りに行って、また戻ってきたんだなって思っています。

簡単なことじゃないって思います。
でも、きっと、りりいちゃんはまたおなかに来てくれると思います。

りりいちゃんは重大な忘れ物に気づいて、今お空に取りに帰ってるだけで、その忘れ物を持って、元気に帰ってきてくれると信じています。

1963 ■無題

涙がとまりませんでした。
莉々生ちゃんの顔、きれいですね。
ご冥福をお祈りいたします。

1964 ■りりいちゃん

皆さまのお辛い気持ち、痛いほどお察しします。記事読ませていただきました。

大沢さん、
ブログを通して伝えたかったこと、ちゃんと受けとりました。とても重く深い内容に心が揺れました。また、大沢さんご家族の計り知れない愛情が溢れていて心が温かくなりました。

私には6ヶ月の息子がいます。五体満足、毎日笑ってくれる我が子。当たり前ではないのですね。主人にも大沢りりいちゃんの話をし、改めて【生まれてきてくれてありがとう】と息子に伝えました。

今日夕方、我が子と空に向かってお祈りしました。またサヤカママのお腹に戻っておいでね。あなたのパパママだけじゃない、パパが発信したメッセージを受け取ったみんながあなたを待ってるよ。急がなくていいよ。またいつかねと。

本当に幸せな娘さんですね。いつかまた、今度は元気な産声とともに再会できることを心からお祈りしております。産後の体はとても疲れています。どうか奥さまのお身体お大事になさってください。

1965 ■無題

りりいちゃん、
かわいいですね(*^^*)!
とっても愛されていた
りりいちゃんは
きっとパパとママの
そばにいるはず。
日本中の人が
ずっとずっと応援
しています!

りりいちゃんの
ご冥福をお祈りします。

どうか、大沢さん家族に
再び幸せが訪れるように
神様お願いします。

1966 ■無題

はじめまして。
私も光GENJI世代の者です。

奥様、大沢さんのお気持ちを考えたら胸がしめつけられるような思いで涙がとまりません。

大沢さん。
一ファンとして影ながら応援しています。

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