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目指すは身近な弁護士

苦労した経験生かし牛久に法律事務所 小室光子さん(44)

「自分の経験からも少しのアドバイスでもあったら心強かったと思うから、この仕事がしたかった」と小室光子弁護士

 JR牛久駅の近く、車窓から見える建物の1階に事務所を構えて半年余り。最近、仕事帰りのスーパーで、偶然会った依頼人に声をかけられた。かごの中の値引き品を見られるのは少し恥ずかしかったが、「身近な弁護士になれているのかな」とうれしくなった。

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 「弁護士ってどこにいるんだろう」

 17年前、生後間もない長男を抱え、途方に暮れていた。夫は会社を辞め、家に寄りつかない。収入はなく、家中かき集めても現金は3000円ほど。図書館で借りた本を読みあさり、ようやく離婚すれば福祉が受けられると知ったが、どれも「弁護士に相談」とある。しかし一生縁がないと思っていた、見たこともない「弁護士」は怖かった。誰にも頼れず苦しんだこの記憶が、道のりを支えた。

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 県内出身の両親のもと、東京で生まれ育った。高校時代から舞台女優を夢見て劇団にも所属し、バンドも組んだ。早稲田大学第二文学部を卒業後は、音楽関係の仕事や披露宴の電子オルガン奏者をした。元夫とは大学時代に知り合った。

 どうにかこうにか別れると、職業訓練校で経理を学び、税理士事務所に就職。独立を目指し、税理士試験の勉強を始めた。すると、必須科目に消費税法などの法律もあった。法律書なんて開いたこともなかったが、「法律家なら仕事の幅も広がるし、苦労した経験も生かせる」。目標を弁護士に変えた。

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 30歳で事務所を辞め、司法試験予備校の通信講座で学び始めた。長男の世話をし、実家の商店を手伝いながら勉強する日々。独学では壁は高く、旧司法試験は7回失敗した。

 その頃、法科大学院制度ができた。奨学金で学費と生活費を賄えるめどが立ち、2007年、中央大学法科大学院に入学。仲間ができると、独学では口に出して言うことのなかった「債務不履行」などの法律用語が自然に日常会話に上るようになった。求めていた環境だった。

 新制度の司法試験は1回で突破した。司法修習後、法曹資格を得るための卒業試験は再試験で合格。法律の勉強を始めてから13年以上。試験に落ち続け、「もう諦めたら」と親に言われてもずっと味方をしてくれた長男は、高校生になっていた。

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 先輩弁護士の助言もあり、牛久市で開業した。ゼロからのスタートだったが、徐々に仕事は増えてきた。依頼人が茨城弁だと、2年前に亡くなった父を思い出し、何となく気持ちが和む。

 依頼人と接する度に思い出すのは、誰にも相談できなかった昔の自分だ。「人は置かれた状況が苦し過ぎると、弁護士や警察に相談しようという発想さえできない」。そんな時に目に入る、気づいてもらえる存在でありたい。17年前、自分が求めた「弁護士」だ。

(渡辺加奈)

2012年4月15日  読売新聞)
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