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【復刻】菊地容疑者に元恋人が出頭呼びかけ

92年11月、東京国際女子マラソンに出場したオウム真理教陸上競技部の菊地直子容疑者
92年11月、東京国際女子マラソンに出場したオウム真理教陸上競技部の菊地直子容疑者

 特別手配中で逃走を続けているオウム真理教信者菊地直子容疑者(24)の“元恋人”岩井軽氏(38=ペンネーム)が日刊スポーツの取材にこたえ「早く出てきてほしい」と菊地容疑者に強く出頭を呼びかけた。岩井氏は、菊地容疑者と一緒に出家する直前、約1カ月間同せい生活を経験。菊地容疑者の料理の味も知っている人物だ。「ストレスに弱く葛藤(かっとう)の中にあるはず」という菊地容疑者に対し「早まるな」と訴えている。

 岩井氏は現在、“第3の選択”を強く心配している。

 岩井氏 今後は逃げ続けるか出頭するかしかないわけです。しかし彼女の性格から自殺の心配が残されている。彼女はストレスに弱い。自分を追い詰め、落ち込むタイプなんです。オウムの教義では自殺を積極的に禁じていないし“殉教”の思考回路が働いてもおかしくない。

 オウム手配犯は北村浩一容疑者(28)をはじめ今月に入って3人が逮捕された。埼玉県所沢のアジトマンションには菊地容疑者も直前までいたとされ、「もう出たい」とのメモも見つかった。

 岩井氏 彼女の性格だと相当まいっているはずで、すぐにでも出頭したいはず。だがオウムでは警察の取り調べに対する強烈な恐怖を信者に植え付けている。そのはざまですごく葛藤しているはず。

 関西大商学部卒の岩井氏は1988年(昭63)6月、オウムに入信。90年(平2)5月菊地容疑者と一緒に出家した。直前の90年4月から約1カ月間、菊地容疑者と同せいしていたからだ。

 岩井氏 きまじめだったが、時々吉本流のギャグを言うこともあった。どこか古風なところのある彼女にいつしか情が移り“疑似新婚生活”が始まったんです。

所沢のアジトには、作りかけの野菜いためや、菊地容疑者の寝袋が残されていた。

 岩井氏 わずかな金をやり繰りして毎晩食事を作ってくれた。肉と卵抜きのベジタブルお好み焼きがおいしかった。出家直前にはペアのリュックサック、寝袋、ウインドブレーカーを大阪のデパートで買った。あれはその時買った寝袋かも。

逃げ続けている菊地容疑者も出家後、しばしばオウムをやめる寸前まで追い詰められていたという。

 岩井氏 例えば90年末、熊本県波野村で子供班にいた彼女は、いうことを聞かない子供にストレスがたまり「(信仰を理解してくれない)両親のところでもいいから今すぐ帰りたい」とボソッとつぶやいたことがある。

 岩井氏は91年7月「ついていけないものを感じ」、菊地容疑者には何も告げずに在家信者に戻った。同年6月に会ったのが最後だった。一方、菊地容疑者は出家生活を続けた。岩井氏は95年8月以降、オウムとのかかわりを完全に絶った。

 岩井氏 あいつ(麻原被告)さえ現れなかったら……と思うことがある。彼女には“早まったことを考えずに、早く出てきてオレと話し合おう”と強く言いたい。実は12月9日は彼女の誕生日なんです。その日あたりに出頭するんではないかとひそかに……。

 岩井氏は出頭呼びかけとマインドコントロールを早く解いてもらいたい目的で、来月にも「私が愛した“走る爆弾娘”菊地直子へのラブレター」(仮題)という本を出版したい意向だ。

◆菊地直子(きくち・なおこ)容疑者 1971年(昭46)12月9日生まれ。大阪の有名進学高校3年の時入信。陸上部時代のけがの治療のため通ったヨガ道場がオウムだったという。90年4月、大阪教育大に入学したが、直後の同5月に出家。出家後、東京国際女子マラソンなどいくつものマラソンに出場。教団厚生省に所属。地下鉄サリン事件のサリン製造関与や都庁爆弾テロ関与の疑いから“走る爆弾娘”と呼ばれる。北村容疑者が潜伏していた所沢のマンション内に「もう出たい」「林(泰男容疑者)さんに会いたい」などと揺れる心境をつづったメモを残していた。今月11日ごろまで同マンションにいて、その後西武線西所沢駅から東京方面に逃げたとみられている。【1996年11月29日付 日刊スポーツ】

 [2012年6月3日22時17分]







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