統一教会批・判告発理論派ちゃぬさんが新説を説いている。
かんご氏の40デイとは新生トレーニングの事ではないか。と言うものだ。
引用しよう。
>私ちゃぬの場合で言うと、同じく80年代で2Day、4Day、新生トレ(泊り)、入教、献身の順でした。
で、小説の中の高橋博氏の場合、「入教を断った」となっています。
このことから、この「40デイ」と言うのは新生トレではないかと推測されます。
ちゃぬの裏韓国日記
かんご氏のいう40デイは新生トレ?
http://ameblo.jp/chanu1/entry-11259224648.html
1981当時は未だビデオセンターも十分確立されていない時代であった。
徐々に普及し始めている頃である。
この頃確かに2day 4day 新生トレーニング 実践トレーニングと行われていた。
ただちゃぬさんの仰る新生トレーニングは21日間だったと記憶している。実践トレーニングは40日だったはずだ。
改めてかんご氏の記述を見て見る事にしよう。
親派というのを説明しておくと、81年、私は伝道されて統一教会に行ったが、教会員となる事を拒否したのでした。当時すぐ献身のまっ最中でしたから、40デイに参加した後、私も勧められましたが、断わりました。
理由は「文鮮明師が本物の再臨主か、否か?確証がもてない」からでした。
教会長と霊の親を前にして、その旨を告げると彼らは驚いて、何とかして考えを変えようとしていましたが、私はよく考えた結論なので変える気はありませんでした。
霊感商法問題とは?
http://kurokango.blog50.fc2.com/blog-category-1.html
伝道されたのが1981年。この頃はビデオセンターの黎明期でありかんご氏がビデオっ子なのか黒板講義で受講したのかがはっきりしない。もしビデオセンターで受講したビデオっ子ならばちゃぬさんの教育課程どおりで40デイなるものは実践トレーニングと考えられる。
上記の(当時すぐ献身のまっ最中でしたから、40デイに参加した後、私も勧められましたが、)の「すぐ」は(40デイ終ったら)すぐ献身と言う意味だろう。そうすると新生トレーニングでは無理がある。実践トレーニングならば40日と言うことと献身準備のトレーニングであるから直ぐ献身と表記されている記事と符合する。ゆえに実践トレーニングと見るのが整合性があると考える。
>新生(上級)トレーニングに参加。更に深く教理を学びます。伝道実践(路傍でのアンケート活動)が入って来ることもあるようです。21日間位。
各論1:統一協会
http://www.geocities.jp/cultseminar/uc.htm
>新生トレーニングが終ると、実践トレーニング。いよいよ、実際の活動が多くなってきます。路傍でのアンケート活動が主ですが、その他、「経済活動」と呼ばれるものも行います。これは、宝石、毛皮、絵画、健康食品などの展示会に誘ったり、市価よりも数倍も高い値段での訪問販売をしたりします。それは、サタン世界にあるお金(万物)を神側(統一協会側)に移す(復帰する)ということで万物復帰とも呼ばれます。40日間位。
各論1:統一協会
http://www.geocities.jp/cultseminar/uc.htm
ただもう一つの選択肢3gay 7dayと修練会受けたのならば40修ということだ。
なぜなら7dayでは献身をプッシュするからだ。
いずれにしろ原理を聞いて新生トレーニングなり実践トレーニングなり40デイなり受けて一回は伝道も路上で行ったと思われる。万物復帰も行ってるはずである。そして「落ちた」若しくは「躓い」て「離れた」のだろう。
>理由は「文鮮明師が本物の再臨主か、否か?確証がもてない」からでした。
と勇ましく書いているが何のことは無い「教会生活が辛くて逃げた」それだけの事だったのだ。
そして12年後確信持てたかんご氏は文先生は本物であると認めることになるのだが教会生活のトラウマか再び原理を受講するまでには至らなかった。
1993年に本物と認めその後1年の間をおいて1994年に『民族根源罪障の清算』の原稿を書き上げている。ここで面白いのがまだ本は出来ていないにもかかわらず「本」と表現している。
>92年「神様との対話」の期間の最後に日本民族のルーツや610年反復歴史を知った私は、一年間内容を整理する期間を経て、『民族根源罪障の清算』と言う本を書きました。それが1994年の話です。
パラダイムシフト
原理を離れた自由はないコメントより
http://hiroshi-kobayashi.at.webry.info/201112/article_1.html
本なのか?原稿なのか?小生は原稿と考える。本にするにはお金がかかるからだ。東京まで行くお金もポッケにジャラジャラと小銭しかなく自転車で21日間かけて行くかんご氏が自費出版でも数十万とかかる費用を工面できるとは思えないからだ。本にしたのではなくワープロで書いた(ブログではパソコンで入力して頂いたと書いているが1994年当時は今のウインドウズはない。ましてパソコンのOSはDOSである。WIN3.1はあったのはあったのだが。文章を書く主流はワープロであった。シャープの書院 NECの文豪 キャノンのキャノワードなどである。)文章を綴じただけの原稿ではなかったのかと考える。しかもそのワープロも入力は奇特な人が入力している。
以上の事から原稿を本と表現するのは如何なものだろう。もし「本」ならばかんご氏にとって最初の本である大切に持っているはずである。画像を見てみたいものである。
まとめ
今回40デイなる修練会が実践トレーニングとの仮説で話を進めてみた。諸兄の感想は如何だろうか。ただ本にもなってない原稿を本と書いたりワープロをパソコンと書いたり正確に表現してほしいものだ。
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黒田かんご氏なる人物を研究すると面白い。いずれ「教義」を調べて見る事にする。