パラダイムシフト 〜アヒルがウサギに見える日〜

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help RSS 「命懸け」という言葉は使えない

<<   作成日時 : 2012/05/31 22:05  

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今回は伝道に限らず、信仰全般の話です。私は神様に対して、「命懸けで○○をやります!」という言葉は使えません。そのような祈りをしたことがありませんし、そのように祈れません。理由は、2つあります。

1つ目は、神様に対して失礼だと感じるからです。神様は、生きた私を通して氏族的メシヤを勝利させ、天一国を実現されようとしています。それなのに、「何かができなかったら死んでもいいです(命懸けとはそういうこと)」というのは無責任だと思うからです。

まだまだ寿命があるのに、その寿命で果たすべき責任を放棄しているように感じます。神様は「私が天寿を全うしつつ、責任を果たしてほしいと願っている」と思うからです。

2つ目は、簡単に私の命を奪うことができる力を、神様が持っているからです。「私が出会った神様(1) 」で書いたように、そのことは痛切に感じています。、「3日間禁煙」という蕩減条件を果たせなかっただけで、雷に打たれそうになりました。

万能の神様は、ちっぽけな私の命など、いとも簡単に断つことができるのです。本当は死ぬ勇気もないくせに、軽々に「命懸けで○○をやります!」と言って、本当に神様が私の命を断とうとしてきたら、思いっきり後悔します。

ですから、私は問題を解決するために条件を立てるときでも、「命」よりも軽いものを懸けるようにしています。通常は、食物(断食)とか睡眠時間などです。


今までの信仰生活で、最も深刻な信仰的課題に直面したのは、約20年前です。このときは、「さすがにこれは命懸けでやるべきだろう」という本心の声がしました。そこで、「もしこの問題が解決できなかったら、どうやって死のうか」とシミュレーションしてみました。ここらへんが科学者の悪いくせです。(-_-;)

ペテロは、「イエス様と同じ姿で十字架にかかるのは申し訳ない」と、逆さ十字架で殉教しました。「真の父母様と共に生きてみ旨を歩まなければならない私が、こんな問題も解決できないで死を選ぶのだから、もっと悲惨な死に方でないと申し訳ないだろう」という考えになります。

「それは、どんな死に方だろう」と、いろいろとシミュレーションしてみました。「やっぱり、簡単に一瞬で絶命したら申し訳ないだろう、苦しみ喘ぎながら死ぬべきだろう、まず目玉を……」と考えていくうちに、とても怖くなりました。最後は「やっぱ、命懸けは無理だなあ」という結論に至ってしました。(-_-;)

では、どうするのか? 考えた末、左手の小指1本を懸けることにしました。もし問題を解決できなければ、小指を1つ切り落とすのです。命を懸けるよりは、ずいぶんとハードルが低くなりました。

しかし、指を切ったことがないので、切り方が分かりません。そこで、また科学者の悪いクセで、まずは調査しました。どこらへんを切り落として、直後にどのような処置をしたら死なずに済むか、念入りに調べました。

切り方は分かりましたが、練習しておかないと、いざというときに失敗して死んでしまうかもしれません。そこで、道具をそろえたうえで、実験してみました。切るべき個所を、ちょっとだけ切ってみたのです。

痛いのなんの! ちょっとだけ切ったのに、激痛です。血も涙も止まりません。結局、病院に行って治療してもらう体たらくです…。

それでも、これだけ準備して、やっと小指1本を懸ける決意が固まり、問題解決に取り組みました。今も左手は5本の指がありますので、おかげさまで結果は「問題を解決できた」ということです。

もし、「命懸けで○○をやります!」という言葉を使う人がいらっしゃいましたら、ぜひこのようなシミュレーションをお勧めします。別に嫌味で言っているのではありません。このくらい具体的に考えてみると、言葉の「重み」、「深刻さ」が分かると思うからです。

そして、このように具体的に準備をしているうちに、決意って固まっていくものだと実感しています。さらに、このようにして決意が固まったら、もう問題は解決しているのです。「出発の決意、すでに勝利」です。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
確かに「命懸け」は軽率に使えない言葉ですし、神様の領域なので人が口にするべきものでないと思います。

私はそこまで具体的に命に向き合って懸けた事がないので、差し迫った真実味に欠けますが、昔死にたい思いに駆られた時に生命の起源を追求したことがあります。
到った結論は、私の命は神様の所有だという一点でした。
創造の動機と願いに反逆する行為が、最大の罪であると直感しました。
このような観点では、命の価値は何かの代償として懸けるものではないと悟れます。

でも、ある面 人は誰しも限られた期間の地上人生を生きています。
ですから、その限定時間に命を懸けている状態でもあると言えると思います。
「光陰矢の如し」ですので、早々に決意を固めて霊界に旅立てる具体的内容を備えておきたいものですね。
光太朗
2012/06/02 00:04
明日は尾瀬霊園で第30回全国聖和祝祭です。先駆けて霊界にいらっしゃる方々の中には、地上人生を途中で終え、悔いを残しながら行かれた人もおられると思います。そのような方々のことを思えば、地上にいる我々はもっとしっかりしないといけないですね。

明日は全国に生中継します。弊社も例年通り、中継用の映像撮影、写真記録、記事取材、そして書籍販売などを担当しています。ぜひ、所属の教会にて共に式典に参加してください。
小林浩
2012/06/02 21:09

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