「また逢う日まで」の大ヒットで知られ、長いもみあげが印象的だった歌手の尾崎紀世彦(おざき・きよひこ。本名同じ)さんが5月31日午前0時5分、肝臓がんなどのため、東京・港区内の病院で死去した。69歳。神奈川県出身。葬儀・告別式は1日午前中、同・桐ケ谷斎場で近親者のみで済ませた。尾崎さんは圧倒的な声量と歌唱力で1971年「また逢う日まで」で日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞。NHK紅白歌合戦にも3度出場した。ただ、ここ数年はがんとの闘病が続き、昨年秋からは入院生活を送っていた。
彫りの深い顔立ちに特徴的なもみあげ。それ以上に、聴いた人に衝撃を与える圧倒的な声量と張りのある歌声。1970年代当時の歌謡界に大きなインパクトを与えた尾崎紀世彦さんが、静かに天国へと旅立った。
関係者によると、尾崎さんは末期のがんだったという。昨年秋にはすでに決まっていた仕事をキャンセルするため、自ら関係各所に足を運び「自分は末期がん」と明かして降板を申し入れたという。そして「とにかく病気であることは知られたくないので、黙っていてほしい。最期は人知れず、ひっそりと天命を全うしたいから」とお願いしたという。自分の死期を覚悟し、静かに天国に旅立つことを望んでいたのだった。
ここ数年は、がんとの闘病が続いた。一昨年には肝臓にがんがみつかり、その後も胃、肺、腎臓に転移し、手術を受けた。元気な時にはライブ会場などへ顔を出すこともあり、今年2月にはハワイ旅行も楽しんだが、ほとんどの時間を病院で過ごしていた。最後の仕事は、昨年の年明けに行った群馬県富岡市でのステージだった。
また、今年4月には、都内の自宅は廃墟のようで関係者に何も告げないまま姿を消したとして、一部で失踪とも報じられた。その時も、都内の病院でがんと最後の闘いに挑んでいた。
尾崎さんはグループサウンズのメンバーとして活躍後、ソロ歌手に転向。71年3月発売の2枚目のシングル「また逢う日まで」(作詞・阿久悠、作曲・筒美京平)が約100万枚(オリコン調べ)を売り上げる大ヒットとなり、その年の日本レコード大賞と日本歌謡大賞を受賞してNHK紅白歌合戦にも出場した。
当時はレコード大賞と紅白は大みそかに放送され、レコード大賞を受賞したことで番組の一番最後に歌唱。そのまま会場を移動して紅白には白組トップバッターで登場したが、あまりの慌ただしさに「息も切れて、頭の中が真っ白になった」と、一昨年の紅白出場歌手による企画コンサートに出演した際、懐かしそうに語っていた。
プライベートでも波瀾(はらん)万丈だった。72年にはハワイ生まれの日米ハーフと結婚して2児をもうけたが、10年ほどで離婚。その後、一般の女性と再婚して女児が誕生したが、公にはせず06年に2度目の離婚が成立して再婚していたことが発覚した。また、バイクが好きだったが、95年には運転中に事故を起こして右足を骨折。車いすでステージを務めたこともあった。
お酒が大好きだった尾崎さんは、それが原因で体を壊した。糖尿病を患っていたとの声もあり、多くの仲間が「酒を飲み過ぎなければ」と悔やんでいた。
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