津布工の人格
は とは止むなく同級生となったものであって、15の春泣くより18の春見返せということで、不本意な関係であった。被害者は高校時代より口ひげ・茶髪・リーゼント・ポマード・ガクラン・ボンタンのDV男で乱暴者の体裁であった。被害者は授業の合間に掃除道具入箱を突然拳で殴り付けストレスの解消を図る癖があり、クラスでも被害者を恐れていた級友は数多く、被害者は原告の通報によりパー券事件で中途退学となった者達の代わりにお礼参りを生涯に渡って果たすと公言(卒業式終了後クラス担任へ学校側の事件の解決方針へ散々苦言を呈暴力事件の話題を何時間も論争していたー他大学受験予定の原告は卒業後の進路指導を受けるために論争の終結迄待たされた)してはばからなかった。沙汰に好色であって警察への口利きを怠らない人格であった。短絡的判断を専らとする乱暴者であった。被害者は原告の差し出した郵便葉書記載内容に心当たりがあり、そこを突かれて罪悪感と恐怖心を増幅させていた。その一方被害者は潰しのきかない特別な職業に就いており、夏季休暇を一ヶ月半与えられその間の給与を丸々受け取っている。養護教員となった理由は腹違いと種違いの兄姉がいて、その片方はロンブローゾの指摘する頭骨にパラノイアの特徴がみられる養護学校出がいる。器量からいっても贖罪としての免罪符を求めて養護教員に就いたものであって、いわゆる不適格教員である。
真の被害者は である。
高等学校在学中に、原告が級友たる不良グループから受けたイジメ事件について大量処分者を出すに至る事件の発端は、本件被害者と称する同級生津布エ浩が加入している校外の任意団体アメリカン・フットボールチーム「 」へ、原告の大学進学を阻む目的で強い調子で津布エ浩の手により強制加入させられ、クラス内でベスト10の圏内に絶えずあった原告の学力が低下し、親大学への推薦入学が危うくなったところを理由に退会したところを以って、同級の不良グループより「天誅」の名目で殴る蹴るなどの暴行を連日受け続けた以外にも、不良グループの「使い走り」をさせられるなどの被害があった。本件の被害者と称する津布エ浩からも暴言を吐き付けられたり、胸倉を掴まれながら売り言葉に買い言葉の最中顔面を殴られて前歯を折られるなどの被害もある。
しかも原告の父親は ではあるが大学卒業の学士である以上、その たる の大学進学は当然でもあるので、猛勉強の末「 」へ入学し、 入会、その後 への進学と 、転じて 学修了、各種資格取得などの経歴を持つに至った事ですらも調べ上げもせずに、ましてや憲法21条の保護を受ける著述業を営んでいることに至っては寝耳に水であったろう。 警察の逮捕取調送検は津布エ浩の暴行傷害強要を正当化するに等しく断じて許すことはできない。
被害者と称する津布エ浩が深刻な事態へ至る前の被害届(イジメっ子は昔イジメた相手に対して常に神経質となっているので、当事者外からの被害も全部関係付けてしまう供述)であるとの当時の捜査主任の陳述書中での供述は不自然な点が数多い。まず「 」などとの電話程度で本当に殺される確率が高いのかどうか疑問である。しかも実際に わけではない。その上相当な理由もなく電話や郵送物送付したわけではない。その理由は訴状以下準備書面(本書面も含む)に散々書き散らしているとおりである。「 」というセリフは被害者と称する津布エ浩自身が原告と同級であった時にも、格闘家のボブ・サップがかつてフットボーラーであったのと同じフットボーラーである被害者と称する津布エ浩自身から原告へ対して何回も聞かされている言葉であって、被害者と称する津布エ浩は へ対して「お前を殺す」と脅し続けたことは、当時を知る同級生を始めクラス担任も暗黙の了解事項となっている言葉である。被害届を額面どおり受け取れば恐ろしい事件かも知れないが、被害者と証する津布エはかつて不良であった事実からの免罪符を既に手に入れており、勝ち逃げにて自分だけが良い子に収まろうとしている。本件は最高裁までやらせてもらう。
被害者から事情聴取をした際に被害者の「盲学校教師」(かつての不良が免罪符取得目的で入手ー教員免許を取得するのは容易だが、その免許を生かして教職に就くには非常に難があり、普通科どころか職業科教諭にも就けず養護学校教諭に就いたのは被害者と称する津布エ浩の人格と能力に非常に劣る点があるのがその理由)との肩書きのみに目を捕らわれ、相手方には恨みを多数買うだけの人物であって、警察沙汰を自らの悪業解消の手段として利用しようとしているのも知らずに、 警察は原告から逮捕以前の早い段階でその事情や経緯に一切耳を傾けることなく、津布エ浩のオベンチャラに盲従追随し、不良の旧友(奴の当時のセリフに「傷付け合うのが愛」とするものがあるー警察沙汰を敵討ちなどという権利侵害の手段として利用)なので警察沙汰で敵を討つなど、原告を凶悪犯であるかの如く犯人像を描き続け立件したのは、いくら に (前科はないー全て 処分)があっても不充分な捜査による逮捕であることは間違いがなく、被害者と称する津布エ浩の被害妄想へ追随する捜査担当官の過度の正義妄想である。事件当時は一年間に事件の発生件数の少ない2月に逮捕令状を執行しており、刑事課内のひとつの班4〜5名が1件を取り扱うのに専任しても、一ヶ月3件程度の取り扱いが限度である。一ヶ月平均7〜8件程度の告訴がある。その割には余りにも軽微な事件でもあり何ら凶悪性や危険性の乏しい言論表現活動を「脅迫」だのと、雑事件の立件にて同業者の便宜と被害者と称する津布エ浩の二十数年前の敵討ち(当時赤穂浪士討ち入り400年)に加担するなど、意思決定に瑕疵がある刑事手続きを抵抗できぬ強要行為に利用したり、 警察は当時暇を持て余していた事実も窺える。
しかも原告は当時 を受講中でもあり、他方 との民事裁判を 地裁 支部にて審理継続中でもあり、罪証隠滅や逃亡の怖れは全くなく警察の捜査不充分さが見え隠れしている。 警察による原告に対する民事介入暴力として処断する緊急性・必要性が高い。
刑事法学で云うところの「破れ窓理論・割れ窓理論」を警察に適用すれば、かような警察の違法行為(警察沙汰を敵討ちなどという権利侵害目的で逮捕取調送検新聞発表に利用)をひとつでも見逃すと次々と警察が同様な違法行為を繰り返す危険性が高い。特にマスコミが挙って小さな雑事件を次々と延々と30分も放送したり、紙面に大きく掲載する、などは「巨悪を眠らせない」とのかつての東京地検特捜部の捜査方針に反する雑魚報道を興味本位で繰り返している。小泉純一郎総理逮捕収監であるとか、石原慎太郎都知事逮捕収監などのニュースが報道される気配ですら窺えぬ。このことからすると、日本警察は罪刑法定主義が確立されたマグナカルタ制定以前の弱肉強食(強きを助け弱きをくじく)の段階へ逆送した。真の被害者を取り締まり巨悪たる津布エ浩を咎めることなく、毎晩安心させて寝付かせる非常識をまりとおす危険を犯し、絶対に許すことはできない。
当該事件被害者たる男性とはかつて同じ学校の同級の関係にあり、男性はかつて暴力生徒の一員であって、当時原告が「パー券事件」「暴力事件」の発生を生活指導教諭に通報したことが契機となって大量処分者を出す事件となった。ところが原告が行った表現行為は、当該男性に疾しい心当たりがありその責任追求が止まぬので、やがて罪悪感を増幅させ恐怖心を持つに至ることとなった。当該事件の責任から回避させぬと、原告の事業のひとつである著述業による創作活動の一環として、教侮させるべく糾弾を行ったものである。つまりその男性には疚しい過去があるので、現在盲学校(オウム事件松本智津夫の如き生徒を卒業させる劣悪な教育環境下にある)教諭の立場へ至った(高校大学時代が優秀であったのならば普通科教諭になれるハズであるー養護学校教諭の職を選んだのも職業科教諭ですら教職に就くのには無理があるのが理由ー大学卒業に6年間も費やしたのは教諭として不適格な証拠)ところを以って糾弾した、こちらの表現行為が相手方にはかつての非行についての免罪符たる他に潰しのきかぬ養護教員の立場を奪われる心配から、警察への口利きから頻繁に警察相談を繰り返した結果、表現行為を材料に使って沙汰を好物とする相手方が無理やりにも事件にしたものである。津布エは原告による表現行為を利用した責任追求の手から逃れようとした。それは明白かつ現在の危険もないものを、不適切な記述が一部ある点を理由に、情報の自由な流通を妨げようと警察権力を利用し弾圧したものである。携帯電話やインターネットを利用した情報の流通には驚くべきものがあり、本件請求に掛かる原因事件の表現活動もそれと同じ情報流通のひとつである。津布エの悪事へ対する戯言を利用した教侮行為である。
本件原因事件たる津布エ浩との紛争に付いては、原告は であるので観光・ショッピング以外に地理・風土に馴染みのない横浜へ 受講のために通うこととなって、横浜界隈に津布エの自宅だか勤務先があるのは察知していた。そこで津布エは過度に不安を増幅させ続けこれを理由として20何年来の恨み・憎しみを決着する絶好の機会と待っていた。その理由は高校時代に校外の任意団体たる(実態は日本大学の不良学生が母体として運営している喧嘩集団)「アメリカン・フットボール・チーム」への入会を強要されたことにより、不良グループから目を付けられた上に、自分の意思(親大学法学部への推薦入学達成から他大学法学部受験)の貫徹に重きを置いたので、学校を裏切ったとの感傷論をチームを退会した一連の経緯を理由として置き換え、嫌がらせや暴力沙汰の事件の原因を発生させた津布エに、そもそもの責任がある。このように考えるに付いては次の具体例がある。 署に勾留中にJR山の手線新大久保駅で盲人がホームから転落した際に、救助するべくホームから降りた救助人が電車に跳ねられ死亡した事件が発生し、人道的に当然のことを「英雄的行為」などとマスコミが賞賛したその背景には、盲学校のひとつである津布エの勤務先たる「横浜訓盲学院」が、各方面へ働きかけ国民的話題として大々的に取り上げさせた、との事後談を校長へ確認したところ「そのとおり」との回答を得た。これも津布エが盲学校教諭となったその経緯からすると、かつての不良が免罪符入手目的でしたことは高校時代の奴を知る原告には明白であり、その上今回の事件を新聞社へ被害者として名乗りを上げて、記事(本件訴訟勝訴後に訂正記事の出稿請求を予定している)にすることまでする悪質な性格と歪んだ人格の持ち主である。しかも身体的にハンディーを背負っている子供の教育をしているなどという美名で、養護学校教員の立場を錦の御旗として振り回し、これを免罪符として濫用・悪用し特別扱いを求めるなど、もともとの津布エの人格の特徴たる凶暴性・凶悪性・危険性がベースとして存在するからこそである。その津布エ浩の生育地は大阪で言うところの東大阪や岸和田と同じ環境の大田区蒲田糀谷(津区布エの父親は都バスの運転手ー他方原告の父親は の人事部に所属する職員の教育研修担当教官)で生育している。津布エの粗暴な性格や乱暴な反応にはその「免罪符」獲得が急務であり、その方便が養護学校教諭への就職であった。教員免許取得はそれ程困難ではないが教職へ就くのは非常に難がある。横浜訓盲学院は幼稚園から小学部・中等部・高等部までの一貫教育をする教師の免許について、一種類の免許だけで全ての部類を教育させる教員免許上の抜け穴を利用して、教員を採用し教育に当たらせている。津布エのかつての台詞に「傷付け合うのが愛」とするものがある。乱暴者が自己を正当化するのに最も適した台詞である。原告は高校時代の暴力事件を解決するのにおよそ1年間を費やして解決した。今回津布エは僅か3ヶ月間の出来事を即警察へ持って行った。これは津布エの短絡的な判断である。しかも新聞社へ記事にさせるなど針小棒大な扱いである。津布エが教師であろうとも「不適格教員」であるのは自明である。その証拠に教諭の立場にあるのならば、捜査結果を受けて行為者の特定以後に自らの学識を用いて諭すであるとか、注意書き返信であるとか、署員を利用して参考人聴取の際に「始末書」を書かせるだとか、当事者が旧知の間柄ではそれが可能である。津布エは20何年前の事件を執拗に根に持って「敵討ち」「仇討ち」(その頃丁度赤穂浪士討ち入り400年)など、教育者にはおよそ不適格な方法にて決着を図る、教育者としての資質に欠ける人材であったことが、今回事件の結果判明した。このような人材には先天的ハンデを背負った子供の教育は無理であり、体罰に偏重するなど最近の教育現場で問題となる「不適格教員」である。しかも津布エが「点字」の読み書きを憶えた、「盲導犬」の使い方を指導できるなどとの嘘偽りも程々にして頂きたい。その津布エが事件解決を依頼した警察署は、戦時中の治安維持法違反の取り調べを行い、最近になって再審決定が下された「横浜事件」の捜査を担当した「 警察」であった。