日本の原子力発電とCIAの関係


福島第1原発の事故から15カ月――。日本と原子力発電の関係は劇的に変化した。

Bloomberg News

かつては世界第3位の原発依存国だった日本は、50基の原子力発電所が全て停止した状況にあり、今夏の電力不足が懸念されている。原発の再稼働――政府は経済を下支えするために必要なステップだとしている――については、国民が原発の安全性に対して疑問を呈するなか、政府は政治的に難しい判断を迫られることになる。

約60年前の日本政府も同じような問題を抱えていた。第2次世界大戦で米国が広島と長崎に原子爆弾を投下したわずか9年後だというのに、原発の保有国になるという野望の支持を得るために、どう国民を説得すればよいのか、という問題だ。

早稲田大学の有馬哲夫教授によると、この野望は通常では考えにくい機関からの支援を得て達成されたという。米中央情報局(CIA)だ。
有馬教授はJapan Real Time(JRT)に対し、米国立公文書館で公開されたCIAのファイルに、正力松太郎という1人の日本人がいかに誕生間もない原子力産業の振興に関わっていたかを示す資料を見つけたと述べた。

正力氏は多くの顔を持つ。A級戦犯。読売新聞社主。日本初の民間放送局(日本テレビ)と巨人軍を創設した人物でもある。有馬教授によると、あまり知られていないことは、原発推進のためCIAと一緒に動いたメディアの大物だということだ。

1954年、米国がビキニ環礁で行った水爆実験で日本の漁師らが被ばくしたことを受け、日本では反米・反原発の抗議運動が広まっていた。

有馬氏が発見した資料によると、正力氏はCIAの後ろ盾を得て、自身の影響力を使い読売新聞に記事を掲載し、原発の利点を称えた。有馬氏によれば、日本の再軍備に熱心だった正力氏は、原発がやがては独自に核兵器を開発する能力を日本にもたらすことを期待し、原発を推進したという。正力氏の水面下の動きは他のメディアへの連鎖反応を起こし、ついには世論を変えることになった。

「正力は一人でやったわけではない。ただ正力は政治と経済界と、それからアメリカを結ぶ力を持っていた。駆け引きがうまかった」と有馬氏は話す。有馬氏は自身の発見について2冊の本を書いている。

日本初の商業用原子炉は1966年に稼働した。終戦から21年後のことだ。正力氏は69年まで生きたが、有馬氏によると、CIAとの関係は50年代後半には終わっていたようだ。

しかし、駆け引きのうまい正力氏と彼の後ろ盾となったCIA関係者だけが日本の原発依存態勢を作り上げたわけではない。有馬氏は他の要素も原子力産業が形成されていく上で一定の役割を果たしたと強調する。他の要素とは、今日に至るも原発の議論を巡り影響力を発揮しているものだ。「日本が原発を求めたのだ。日本が豊かな国になり、発展できるように政府が原発を選んだ。石油が不足し、原発は経済的観点から見ると必要だった」

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