山崎元のマルチスコープ
【第233回】 2012年5月30日 山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]

刺青、生活保護、飲酒に見る
処罰感情と同調圧力の過剰

厳しい立場から寛容な立場まで
大阪市が実施した「刺青調査」

 大阪市の職員が、子どもに自分の刺青を見せて脅す事件が起きた。これを受けて、橋下市長は、市職員に対し、刺青の有無を問うアンケートを行ない、その結果110人の職員が「自分は刺青を入れている」と答えたという。

 彼らに対して、橋下市長は、「刺青を消すか、刺青が許される場所で個性を発揮すればいい」と言った。発言の後半は、「民間に転職すればいい」と言ったとも伝えられた。その後、橋下氏は彼らを、市民と接触がない部署に配置転換する意向を明らかにした。

 職員を対象としたアンケート調査を行なったこと、刺青は公務員にふさわしくないと述べたこと、さらに、刺青のある職員の配置転換の方針に対して、「当然だ」という意見と「やり過ぎだ」という意見の両方がある。

 純粋に個人の損得の問題として考えると、面接のときにそれとわかるような刺青を入れていることは、公務員でなくても、多くの企業で就職の際に不利だろうし、就職後に刺青を入れて不利になる場合も少なくないだろう。

 それでも、刺青を入れる理由は何だろうか。示威的な目的で入れる場合もあるかも知れないが、本人の美意識や価値観であることもあるだろう。もちろん、入れている刺青の大きさや絵柄、入れる場所などによっても、効果は異なる。

 刺青自体の良し悪しまで話を拡げると論点が絞り切れないので、「公務員の刺青」に話を絞ろう。これに対して厳しい立場から、寛容な立場まで、考えられる対応を並べると、次のような選択肢がある。

(1)刺青は公務員にふさわしくないので、解雇すべきだ。

(2)刺青は公務員の対人的サービスの部署にふさわしくないから、配置転換は妥当だ。

(3)刺青は本人の好みの問題であり、これを「脅し」などに使わないなら不問でいい。

(4)刺青の有無で公務員の採否や職場を決めるのは、個人の趣味に対する不当な介入だ。

 最後の「採否」と「配置」は別の選択肢にすべきかも知れないが、大まかには、こんな感じだ。

刺青による一律の配置転換は
やや強硬すぎないだろうか

 橋下市長は、当初(1)のような勢いを見せつつも、当面(2)くらいが妥当だと判断したように見える。

 仮に、筆者が大阪市長なら、刺青にも程度の差があるだろうし、少なくとも110人も刺青のある職員がいて、これまで具体的に問題になったのが今回の脅しに関わる1件だけなら、刺青を入れた職員は「案外トラブルの元になっていない」と判断するかも知れない。

 しかし、問題が起きたのだから、これに対しては「刺青を脅しに使ってはいけない」、あるいは「刺青を、仕事の場ではなるべく市民に見せないように配慮せよ」といった注意で良いと考えそうだ。

 断っておくが、筆者は個人の好き嫌いとしては刺青が「嫌い」であり、自分が入れようとは思っていない。また、刺青を入れている人を、その人の人柄がわからない時点では警戒する場合が多かろうとも思う。

 しかし、大阪市で言うと、一律の配置転換はやや強硬すぎる措置ではないかと思うが、いかがなものか。刺青だけで判断するのではなく、職務に不適任な職員を配転するのは当然だが、これは個別に判断すればいい。「対人サービスの部署では、刺青は一律にダメ」というルールを今、声高に宣言しなくてもいいように思う。

 生徒の質の悪い高校の校則のごとき対応であり、あるいは、刺青をことさらに問題とすることで「大阪市役所は、ダメな高校生並みの組織だ」と言いたいのだろうか。

 橋下市長は、「レディー・ガガでも刺青していたら市職員には採用しない」と述べたが、筆者が面接官なら、面接で「有能で性格が良さそうだ」と思った候補者なら、刺青があっても採用してしまいそうだ。

 かつての映画に登場する、若き日の高倉健さんや故鶴田浩二さんのような青年なら、市職員としていい仕事をしそうに思うが、どうか。

 ただ、刺青の持ち主に好印象を持つのは、例外的な場合だろうとは思う。就職を目指す人にとって、これは仕方があるまい。「そういった判断を『差別』として禁じよ」と言われると、これは逆方向のやり過ぎではないかと思う。

全職員に1ヵ月間の自粛を要求
福岡市の「禁酒令」は明らかにダメ

 一方、福岡市の高島宗一郎市長は、市職員の飲酒絡みの不祥事が複数起こったことを受けて、市職員に対して1ヵ月間外出先での飲酒を控えよという「禁酒令」を出し、その後1週間以上が経過した。

 こちらの方は、大阪市の問題よりも簡単だ。

 まず、不祥事を起こさず、適切に飲酒している(たぶん多くの)市職員に対して、この禁酒令は幸福追求の権利を侵害している。外で飲むとしても、大方、職員の私生活の時間の中で飲むわけだから、そこに市長の権限が及ぶのかどうかも疑問だ。

 しかし、市の職員にとっては、外での飲酒が明らかになると、自らの人事評価に響くかも知れないという潜在的脅威が、この禁酒令には伴っている。

 高島市長は、「ショック療法も必要。『腐ったミカンのためにどうして』と思うかもしれないが、1ヵ月お酒との向き合い方を考えて欲しい」と、禁酒令を出した5月21日の臨時幹部会で述べたとのことだが、市職員を十把一絡げに見下して連帯責任を取らせる、不出来な教師が指導する部活動のごとき今回の措置は、感心しない。

 高島福岡市長の今回の禁酒令は、無理筋であり、管理者としての同氏の未熟さの表れだと思う。

 しかし、それでも、市に寄せられた意見の中には、「行き過ぎという人もいるが、必要だと思う」とか、「市民に反省の姿勢を見せる意味では、3ヵ月ぐらいやった方がいい」といった賛成意見もあるという。

河本&おかんの
生活保護受給はどのくらい悪い?

 さらに、人気お笑いコンビ・次長課長の河本準一氏の母親が生活保護を受給していたことが週刊誌で報じられ、その後、片山さつき氏や世耕弘成氏など自民党の議員たちがこの問題を取り上げるなど、大きな話題になった。

 扶養義務を持った息子に十分な収入がある状況で、母親が生活保護を受給するのは道義的にも良くないし、支給を可とした行政の判断にも問題があると論ずることはできる。

 不正受給が起こりやすい仕組み、他方で多くの有資格低所得者が生活保護を受けていない実態、受給希望者の調査や指導にかかる手間とコスト、大き過ぎる行政の裁量、支給額の適否、年金との制度的兼ね合いなど、生活保護を巡って検討すべき問題は多い。

 これらを、河本親子問題の話題化を1つのきっかけとして議論することまでは良かろうと思うが、筆者が違和感を持ったのは、国会議員たちが河本準一氏に「説明責任」を迫って、この問題を河本親子の問題としても引っ張り続けたことだ。

 河本・母の生活保護受給は不当である可能性が大きいと筆者も思うのだが、芸人であり、本件で大きなダメージを被った河本氏をいつまでも晒し続けるのは、率直に言って、いささか可哀相ではないか。

 先のような議論は、河本親子のケースに依存しなくても十分可能だ。もう一歩踏み込んで言うなら、河本氏を晒し続けることによって議員達自身が注目を集めようとしているような、「あざとい」感じがする。

生活保護は程度の問題では?
他人処罰感情と同調圧力の過剰

 河本親子の生活保護の問題の少なくとも一部は、「程度の問題」だ。程度の判断によっては、河本親子が「悪い」のだとすると、一方では「徹底的に糾弾されるべきだ」という価値判断があり得るし、他方では「もっと寛容に対処するのが妥当だ」との判断もあり得る。

 筆者が、河本問題を取り上げている議員たちについて、おおむね上記のような感想をブログに書いてみたところ、議員たちが河本氏を追求することは妥当であるとして、「国会議員が個別の説明責任を追及できないなら、当然年金運用詐欺のAIJ社長も証人喚問されるべきではないとの立場でなんでしょうか? 教えてください」というコメントをいただいた。

 ブログ以外にも、ツイッターでも、議員たちの行為への批判ないし嫌悪は不適当だという批判を多数いただいた。

 一方で、こうした方の言い分もわからなくはない。「悪い」可能性があるなら徹底的に追求すべきだ、という立場は論理的にあり得る。

 しかし、虚偽の運用成績を報告して、これに基づいて巨額の成功報酬を得ており、1000億円を超える損失を企業年金にもたらしたAIJ投資顧問の浅川社長(詐欺や横領にならないのだろうか?)と、せいぜい数年か十数年分の生活保護を不正に受給した河本親子(こちらが法的にクロかどうかは微妙だ)とでは、悪質さも影響の大きさも大きく異なる。

河本親子とAIJの社長をなぜ比べるか?
「寛容」を意識するほうが冷静になれる

 河本親子をAIJ投資顧問の浅川社長くらい悪い、と言おうとする先のような意見の中には、処罰を求める感情がいささか過剰にあるのではないか。

 それが、知名度と経済力のあるタレントである河本準一氏に対する嫉妬によるものなのか、生活保護受給者に対する納税者としての怒りに起因するのか、不正受給に対する倫理的憤慨なのかはわからないが、河本親子(特に息子)に対しては、行き過ぎの処罰感情だと筆者は思う。

 もちろん、これが不正受給の容認でも、河本親子に対する擁護を意味するものでもないことは、本欄の読者ならよくおわかりだろう。

 また、刺青を入れた職員に対する不寛容な反応にも、「そういう奴は、懲らしめてやれ」という処罰感情を見ることができるし、「市役所職員に刺青を入れることは好きでない。この機会に一律に止めさせたい」とする、同調を強制する圧力を感じる。

 福岡市での飲酒不祥事を起こした組織に対する過剰な連帯責任の要求や、そうした処置への支持にも、過剰な処罰感情と同調圧力を見ることができる。

 もちろん筆者は、生活保護の不正受給が許されるとか、公務員のファッションとして刺青が好ましいとか、飲酒による不祥事を不問に付せ、と言いたいのではない。

 いずれも一部は程度の問題なので、判断は人それぞれかも知れないが、処罰感情や同調圧力がやや過剰なのではないかと思うのだ。

 今回は、これらの感情の原因まで探る余裕はないが、価値観として「寛容」を今よりも強く意識する方が、世間はより生きやすくなるだろうし、それぞれの問題に対しても、冷静でより深い対処ができるようになるのではないかと思う次第だ。