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2010年12月16日 (木)

都条例改正案成立に関して追加的メモ

【参照】
「石原の暴力対ポルノの暴力の覇権争いの中で・・・」
「都条例改正問題に関連して最近つぶやいたこと」

書き散らしていないで一度ちゃんとまとめたいなとも思うのだけど、とりあえずメモとして書き散らかしておく。まだ書き足したいことはあるので、途中までだけど。

都条例改正案の成立は、形式の次元で言えば、「子どもに見せなければいいよ」と(改めて)公的に是認したということ。それは推進側の意図せざる効果であると表層的には言えるが、実のところ隠された意図、ダブルスタンダードである。そして、反対派がその形式に内容を与えた。

今回の主戦場では、子どもの欲望のコントロールについて大人が寄ってたかって甲論乙駁し、誰の価値観を押し付けるのかが争われていた訳で、基本的に子どもたちは不在の敗者である。同様に、多くの同性愛者と女性たちも敗者である。同列にはできないが、ポルノ的価値感と格闘している男性たちもまた。

僕はポルノに反対であり、基本的には法的介入を強化する方向性を支持している。但し、それは法律レベルでも条例レベルでも、「子どもの健全育成」であったり「善良な性風俗の維持」であったりを目的としてなされるべきでなく、健全育成条例も刑法175条(わいせつ物頒布等)もスクラップすべきと考えている。また、「表現の自由」への不当な制約を招き入れない丁寧で繊細な方法を考え出さなければならないと思っている。ブログに書いたり、ツイートしたりしているように、全体的な政治・社会状況から「戦時体制・経済」の予感・危機感は持っているし、日増しに強くなっている。そうであるからこそ、今回またも繰り返された事態に対しては、困惑、失望、怒り、不安、恐怖・・・いろんな感情が混じり合い考え込んでしまう。

話を戻す。同性愛者は、一方で石原に公然と罵倒、脅迫され、他方で反対派の前面に立たされ、あるいは象徴として真ん中に引っ張りだされて利用された。女性も、石原・道徳的保守派のミソジニーに今回もまた晒される一方で、それ故に女性の性欲が反対すべき象徴的な理由として見出され、利用された。

もちろん、同性愛者や女性の/のための性表現の中にはセクシズムが密輸入されているものがある。それ故、これらを一括りにして擁護することはできないのだが、象徴的地点として全面的な擁護の言説が飛び交ったことは、やはり同性愛者や女性にとって敗北に数えられる。

ある表現・言論を批判することとそれらを対象とする規制に賛成することとはイコールでなく同一平面上にはない。同様に、規制に反対することとその対象となる表現・言論に賛成することともイコールでなく別の水準にある。ところが、その水準の混同がなされた。全部とは言わないが、しばしば意図的な策動、扇動として。あるいは、隠されたまたは無意識の動機を開示する失錯行為として。

混同はそれだけでない。規制の目的(健全育成か、子どもの権利か、あるいは表現規制・言論統制かといったこと)、規制の内容(18禁・ゾーニングか、禁止・処罰かといったこと)、規制の範囲(特定のマンガ・アニメか、マンガ・アニメ一般か、表現物一般か、あるいは特定の(子ども)ポルノ的表現か、広義のポルノ的表現か、性表現一般かといったこと)などに関して、実際に改正案や現行条例に書き込まれている内容と懸念される波及効果や将来の展開との区別を曖昧にしたまま論じられた。

もちろん、慎重な論者は水準や次元の違いを明確に意識していたと思われるし、その上で懸念が杞憂ではないことを下心なく提起していたとは思う。だが、全体傾向としては、事実と推測、懸念とが思い込みにせよ、確信犯的にせよレトリカルに混同され提示され、善意の論者の議論もそこに巻き込まれ、利用されていった。

表現の自由一般に、マンガ・アニメ一般、あるいは、オタク一般に論点がすり替えられた。もちろん、一連の過程で、元々明らかであったことではあるが、石原らの差別意識や隠された欲望や動機が改めて顕わにはなった。だが、それも論点のすり替えを一層促進するだけであったのではないか。そういった意味で、真剣な、善意の表現の自由擁護論者も、アニメ・マンガ製作者・愛好家も、オタクも敗者の列に連なる。

では勝者は誰か?石原・道徳的保守派など推進派にせよ、同性愛嫌悪・性差別反対と表現の自由擁護を大義名分に自分たちの「ための」性表現を堂々と擁護できた、声の大きい反対派(もちろん皆ではない)にせよ、自分の欲望を、その欲望を支え、再生産する規範を問い直す必要のなかった者たちである。

前にも書いたが、議論そのものが、暴力の反復、再演であり、ポルノ的視線がそこかしこに拡散し、充満した。心ある人たちは性教育、人権教育、メディアリテラシー教育などを強調していたが、議論の場では対抗実践が存在できないまま、ひたすら双方から暴力が繰り出されるという喜劇=悲劇が演じられた。

今晩はとりあえずここまで。上に書いたことの意図ももっと明確にしないとならないと思っている。また、推進派についても、反対派についてもちゃんとしたテキスト・クリティークをするとポイントがより明確になるだろうなと思ってはいるのだけど、すぐは無理かな。ただ、とりあえずの感想レベルのことはもう少し書きたいと思っている。

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