作詞・作曲 秋山邦彦4曲
毎度お世話になっております、ごーどんさんの記事へのトラックバックです。 またもや記事に触発されてしまいました。 トラックバック先にある「ホンダスピードクラブの歌」が収録されている歌詞カードです。 この歌詞カードは親父が持っていた資料の中に含まれていたもので、はがき大のわら半紙をホチキスで止めただけのごく簡素なものです。 表紙を見ると、ご覧頂くとおり昭和34年4月に秋山邦彦さんが不慮の事故で亡くなったのち、彼を偲んだ同僚の方々が、秋山さんが生前に録音していた歌と演奏をレコード(恐らくソノシートだったんじゃないでしょうか)にしたものに添付されていたものであったようです。 残念ながら手元にあるのはこの歌詞カードだけで、秋山さんの肉声とハーモニカによる演奏が収められていたと思われるレコードは残っていません。 親父から曲を歌って聞かされたこともありませんから、どんなフレーズの曲だったのかは私にも分かりません。 収録されていた曲は全部で4曲あったようで、歌詞を見ると当時秋山さんが所属されていた完検(完成車検査係)の日常がどんなものであったかが伺える内容になっています。 1曲目、「完検音頭」を見ると、テストで車を走らせていた範囲は埼玉製作所のあった埼玉県大和市(現和光市)をスタートに、熊谷や正丸、更に県境を越えた群馬県の桐生、高崎辺りまでが含まれていたものであるらしい事が分かります。 2曲目、「テストの歌」の3番には、親父も浜松製作所にいた頃携わっていた「2万キロ耐久テスト」が出てきていますね。 当時は浜製でベンリイ、埼玉でドリームの生産が行われていたはずですから、秋山さんが携わっていたのはドリームのテストだった、ということなのでしょう。 前の晩は早く寝よう、と書かれているくらいですから、車にとってはもちろん、これを操縦するテスターにとっても結構ハードな仕事だったのでしょうねえ。 3曲目の「ホンダスピードクラブの歌」の一番最後は、これだと「心は浅間に飛んで行く」と「心はマン島に飛んで行く」のリフレインになっていたものであるようです。 世田谷の豪徳寺で行われた秋山さんの葬儀の際には、クラブのメンバーが揃ってこの曲を唱和し、秋山さんの冥福を祈ったのだとか。 4曲目の「完検の歌」には、荒川河川敷にあったテストコースのことだと思われるテストコースの事が書かれています。 「完全舗装のこのコース」とわざわざ歌われているのですから、当時完全舗装のコースというのは他になかったらしいことが伺われます。 しかし、作詞・作曲からハーモニカの演奏まで趣味でやっていた、ということですから、秋山さんって多才な方だったんですねえ。 ちなみにこの4曲のうち、竹さおさんがご指摘された「アノ子」が「ホンダスピードクラブの歌」も含めて3曲に出てきています。 しかも、お住まいが「城下町」と歌われているなど、割と具体的に相手の方が特定されている感があります。 この当時、秋山さんには思いを寄せる女性がいらっしゃった、ということなのかもしれませんねえ・・・。 追伸:
例によってまたトラックバックのリンクが出てきません。 http://blogs.yahoo.co.jp/gordon_ferley/52879147.html まったくyahooってやつは・・・。 |
FUKUDAさんは・・全く律儀なお方です^^
すみません^−^酔っ払いな身ですから・・気の利かないコメントには
この際”目を瞑ってくださいね☆
いやぁ〜〜秋山氏がこんな才能の持ち主だったとは”目から鱗状態です!!
古賀正男を真っ青です!!ありゃ・・作曲家か・・・(笑)惜しかったねぇ・・・
例のブツは(内緒)明日送りますから・・・期待はしないでくださいな!
2008/1/12(土) 午後 9:44
ごーどんさん、毎度お世話になっております。
律儀、というお言葉はそのままごーどんさんにお返ししますよ。
どんなものが届くのか、楽しみにお待ちしております。
2008/1/13(日) 午前 0:37
ゲストブックへのカキコありがとうございます。今年もよろしくお願いします。
この歌にはホンダに対する思いがあって、いいですね。私もやめてン10年近くになりますが、いた頃のホンダは好きでした。 そうした思いの人が製品をつくっていたいい会社でした。
2008/1/13(日) 午後 0:49 [ こざる31 ]
kozaruさん、こちらこそ本年も宜しくお願いします。
昔のホンダの製品って、これもできるぞ、あれもできるぞ、どんなもんだ、っていう作り手の自己主張みたいなものが前面に出ていたんじゃないかって気がします。
そんな会社のカラーがこの歌にもにじみ出ているような気がしますね。
2008/1/14(月) 午前 1:14