箱根への小旅行(26)
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二つの写真の太陽の方角は特定できましたが、まだ肝心なことが一つ残っています。 二つの写真がいつ、何時頃撮影されたものなのか。 これが分からないと、影の方向がどちらを向いているのか、比較する意味がありません。 まず私の撮影した方の写真の撮影日時は、と見てみますと、ファイルに付されているタイムスタンプが2008年4月27日14:53となっています。 いやいや、こういう時にデジタル機器というのは便利だと思いますねえ。 撮って来た写真がいつ、何時頃撮影されたものなのか、特に何も意識しなくとも必ず残っているのですからね。 では、事故直後のスチル写真の方はどうでしょうか? 黒田さんのサイトにある秋山呆榮さんの手記によれば、秋山さんが亡くなられたのは1959年4月1日の午後3時であった、と記されています。 奇しくも私が七曲の上り最終コーナーの写真を撮影してきた時間とほぼ同じ。 ただ、秋山さんは事故で即死だった訳ではなく、事故後近隣の病院だった箱根診療所へ運び込まれ、そこでお亡くなりになられたと書かれています。 ということは、事故が起きたのはそれより前の時刻だったことになるでしょう。 実際に事故が発生したのが何時頃だったのか、ネットを徘徊しながら探し回ってみたところ、恐らく当時の新聞に掲載されたベタ記事であろうニュース記事が公開されているサイトを発見しました。 こちらに、秋山さんの事故がいつ何時に起こったかが記載されているのですね。 このサイトを運営されている方がどなたなのか、サイトを拝見している限りでは残念ながら分かりません。 掲載されている記事を引用させて頂こうと「あとがき」に記載されていたメールアドレスにご連絡を差し上げたのですが、あるいはスパムメールに浸食されて事実上使えないアドレスになっているのか、残念ながらご回答が頂戴できませんでした。 黒田さんに引き続いてまたしても無断リンク・引用になってしまいますが…。 サイトを運営されておられる方、申し訳ございません。 以下、引用=== ■高橋貞二の身代わり事故死 昭和34年4/1午後1時40分、神奈川の箱根町元箱根の国道カーブで、松竹京都「妻の勲章」のオートレースのゴールシーンを撮影中、高橋貞二の代役でスタントをしていた本田技研の秋山(24)は時速50キロでオートバイを飛ばしていたが、静岡市西千代田の材木商のトラックに衝突、秋山は死亡した。 === こちらのサイト、もともとは昭和の歌謡史を綴ったサイトであるようなのですが、当時の時代背景や風俗を伝えるものとして、恐らく新聞か週刊誌の記事なのでしょう、これを抜粋したものが多数掲載されているのです。 拝見して「これは素晴らしい」と思いました。 今から約50年前の出来事を追いかけていると、その当時周囲ではどんなことが起きて、当時の方々がどんなことを考えていたのか、を知りたくなる局面が出てくるのですが、そんな時に恐らく非常に重要な示唆を与えてくれるものになるのではないかと思います。 宜しければぜひお運びを。 この記事によれば、事故が発生したのは昭和34年(1959年)4月1日午後1時40分。 事故を起こした時の速度は時速50km、ぶつかった相手のトラックは、静岡県西千代田の材木商の所有するものだったことが記載されています。 いや、これはすごい。 ベタ記事とはいえ、(ベタ記事だからこそ、とも言えますが)実に簡潔かつ具体的です。 時間に多少の前後はあるかもしれませんが、ほぼその時刻のあたりに事故が起こったことはほとんど疑いがありません。 と、いうことは…。 秋山さんは事故を起こして病院へ担ぎ込まれ、事故から約1時間半後に息を引き取られた、ということになるのでしょう。 死因は頚骨骨折、ということのようですが、さて、果たして事故後秋山さんに意識はあったのかどうか…。 改めて事故の痛ましさに思いを巡らせてしまいます。
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判りました、太陽は、ほぼ南西で、50度上方向にあります。
2009/1/18(日) 午前 6:48
竹さおさん、素晴らしいヒントをありがとうございます。
頂いたコメントをヒントに、日照の方位を教えてくれるサイトがないかを探してみたら、ありました。
もっとアバウトな方法を考えていたのですが、おかげ様でかなり高精度な検証ができそうです。
2009/1/18(日) 午後 2:14