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箱根への小旅行(46)

キーワードは「椿ライン」の「右コーナー」か…。
弟からの電話を終えて、久しぶりにこれまで揃えた資料を見直してみます。

黒田さんのサイトで拝見した秋山呆榮さんの手記、YAHOOやGOOGLEから頂いた地図と航空写真、プロジェクトXの画面のハードコピー、エクセルで作った方位円とこれを元に加工したフォトレタッチソフトのファイルの数々…。
弟がAさんから伺ってきたという、「椿ライン」の「右コーナー」で、これら数々の証拠と符合する場所は、果たしてどこになるのでしょう?

まずは弟の推理になる、「大観山レストハウス手前の右コーナー」から考えてみました。

イメージ 1

弟がAさんから伺った「大観山のレストハウスのところに待機していた撮影隊の目の前で事故は起こった」という状況からすれば、自動的に大観山のレストハウスに最も近い右コーナーであるここ、ということになります。
言うまでもなく、事故現場の候補としては最有力でしょう。

現場がここだとすると…、というより「椿ラインだった」とすると、「七曲が現場だった」と考えていた時には説明の付かなかった点がひとつクリアされることになります。
秋山邦彦さんの兄君である秋山呆榮さんの手記に記されていた事故現場の状況です。
これは、拙ブログ箱根への小旅行(15)の中で抱いた疑問点でした。

以下引用---
このことは、撮影現場のゴール付近の状況を写せばよく解るのだが、元箱根側から見て、ここは右側にずっと石垣が続き、左側の方は、木々に囲まれてはいるものの、芦の湖を望む崖の連なりになっていて、そこに見物客がへばりつくように群がっていたから、急ハンドルを切れば、自分は助かるかも知れぬが、そのために両側にいる群衆のどちらかにつっこむようになり、大きな犠牲者が出る、それを防ぎ、被害を自分一人に止めようとしたのでは ・・・といわれているからである。
---

事故現場が七曲であったと考えた場合、この記述は明らかに現場の状況と矛盾していました。

手記にある通り確かに石垣と木々に囲まれてはいるものの、七曲は芦ノ湖畔に位置する二子山の芦ノ湖と反対側の斜面にある坂道で、芦ノ湖方面に視野が開けた場所ではありません。
何よりも、(実際に検証はしていませんが)そもそも七曲は芦ノ湖より標高が低い位置にあるようにすら思われますから、七曲からはどうやってもこの記述のように芦ノ湖を望み見ることはできないはずなのです。

イメージ 2
七曲と芦ノ湖の位置

イメージ 3
矢印が芦ノ湖方面

これまでの記事の中では、これについてどう解釈するのか明確な記述をしていませんでした。
これも、そもそも「てっぺんにお茶屋さん」というAさんの証言によって、「まず七曲ありき」という結論を導き出してしまったことによります。
事故現場が七曲である事は揺るぎない事実なのだから、大変失礼ながら、秋山呆榮さんの手記が誤っていたのだろう、という結論を私自身は下していたのです。
ご遺族の心情を思うと、誤るに至ったとしても無理はない、と私には思えたからでした。

この記述が行われるに至った理由は、呆榮さんが事故現場を訪れたのが事故からある程度の時間が経過した後だったと思われることと、恐らくご自身が車を走らせるなりして現場を訪れたのではなく、事故の現場を知る他の誰かの案内でその場所に「連れて来られた」ことによるのだろう、と私は思っていました。

この手記を綴った兄君の呆榮さんは、事故の起こった当時北海道で教鞭を取っておられたとのことで、すぐに事故現場を訪れることはできない状況にあったのでしょう。
邦彦さんの葬儀の際も、「弟急逝」の報を受けて取るものも取りあえず帰省し、慌ただしく通夜・葬儀を終えてすぐ帰る、といったスケジュールだったのではないかと思われます。
その後も、新盆や各回忌など、節目となる機会は法要などで時間を割かれ、なかなか実際に事故の現場を訪れる機会は巡って来なかったのではないでしょうか。

実際の事故の現場がどこだったのか。
恐らく呆榮さんご自身には土地勘がないために分からず、現場を訪れるには、実際に現場がどこだったのかを知る人に連れられてでなければならなかった、とも考えられます。
あるいは、父君であり、事故の現場に居合わせいて、家族の中ではその状況を最もよく知っていたと思われる時芳さんが、実は「現場に行きたがらなかった」ということも考えられる、と私は思っていました。

「妻の勲章」のレースシーンの撮影の際、秋山さんの父君である時芳さんは、そのレースシーンの技術監督という立場で撮影隊に参加していました。
そして、そのレースシーンのスタートの合図を、レースコースのスタート地点で待つスピードクラブの面々へゴール地点から送ったのが、他ならぬ時芳さんその人だったと言います。

事故が起こった際の時芳さんの心情というのは、果たしてどんなものだったでしょう?
ご遺族の心情を勝手に推し量るのは甚だ不遜であることは重々承知の上ですが、恐らく相当に激しくご自身を責められたのではないかと私には思われます。
「私があの時合図を送らなければ、あの事故は起こらなかった…。」
しかも、その事故で命を落としたのが、愛する自分の息子だったとしたなら…。
その衝撃と悲しみは、余人が推し量るには余りあるものだったのではないかと思います。
秋山さんの事故とその事故の起こった現場は、時芳さんにとって「思い出したくない過去」あるいは「二度と訪れたくない場所」になっていたとしても何の不思議もありません。

恐らくはこういった事情で、なかなか呆榮さんご自身が事故現場を訪ねる機会は訪れず、事故から数カ月後、あるいは数年後であったかも知れませんが、やっと当時の状況を知るどなたかに連れられて、初めて現場を訪れる機会が巡って来たのだと思います。

そして恐らくは案内する方の車に乗せられ、右へ左へと切り返す厳しい峠道を経て現場へ到着したが故に周囲の状況を把握する事ができず、到着したその場所が「芦ノ湖を望む道の連なり」であったと感じられてしまったのだろう、と…。
そんな風に考えていたのです。

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