酒井氏に義一さんは応じます。
「スピードクラブは、この大会に参加するに当たって、なんら後ろ暗い所などありません。問題になっているエンジンやフレームにしても、競技規則に記されている範囲でのものであることは、あなたも承知している筈です。何より、今回出場するライダー達は、厳しい選考を経てこの日のためにここまで血のにじむような練習を続けて来ているのです。その彼らに、今回のレースは諦めろなどと、とても私の口から言えるものではありません。」
それぞれ立場は違うとはいえ、今後のモータースポーツの発展のため、この画期的な大会を成功裏に終わらせたい、という思いに変わりはありません。
面談の結果、最終的に以下の打開策が双方で合意に至りました。
「ホンダスピードクラブは、国際クラスを除くクラブマンレースの公式戦には出場しない。」
「ただし主催者側は、公式戦の他にホンダスピードクラブ、東京オトキチクラブ、高崎オートクラブの3チームのみが出走する『模範レース』を開催し、その結果を今大会の公式な記録として認定する。」

「・・・残念です。」
面談を終え、宿舎を去る酒井氏に向かい、涙をこらえながら義一さんは言いました。
面談を終えた後、義一さんは主催者の裁定によってチームが公式戦に出場できなくなった旨をクラブのメンバー達に伝えなければなりません。
さぞつらい立場だったでしょう。
しかしスピードクラブの面々は、粛々とその裁定に従って賞典外である翌日の模範レースを走りました。
もし、義一さんがメンバーの信頼厚いリーダーとしてそこにいなければ、どうなったでしょう?
この裁定を不服としたスピードクラブのライダーを火種として、他のクラブチームとの間でこの後さらにもうひと悶着があったかもしれません。
でも、そうはなりませんでした。
台風の襲来という、人知の及ばぬ障害に見舞われたものの、その後大きな人為的トラブルが発生することはなく、この第一回全日本クラブマンレース大会は成功の上に幕を閉じました。
その成功の陰には、「この大会を成功裏に終わらせたい」と思い、そのために自らの犠牲をメンバーに承服させ得た、義一さんの存在があったのだろうと私は思います。
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例の本『サーキット燦燦』に寄れば、模範レースの事は事細かく書かれていませんでした。成る程・・・こんな経緯が有ったのですね・・しかし、酒井氏のご尽力有ればこそ!日本のモータースポーツの発展が有ったのだと、つくづく思う次第です。
2005/11/19(土) 午前 8:22