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クローズアップ現代「もう病院で死ねない」 - 在宅医療の名の虐待
昨夜(5/29)のクローズアップ現代-「もう病院で死ねない - 医療費抑制の波紋」は衝撃的な内容だった。政府の進める医療・介護費抑制策のため、歩くこともできない療養中の高齢者が次々と強制的に自宅に送り返されているのである。番組で登場した映像と言葉はどれも凍りつくようなもので、NHKによる説明も常軌を逸しており、テレビの前で絶句させられた。事実上、カネのない高齢者には病院で治療を受ける権利はないと言っている。事実上、一人暮らしの病身の老人には自殺しろと言っていて、介護する家族に要介護高齢者を放置殺人することを奨励している。制度と運用がそうなっている。おそらく、今後、いわゆる「介護疲れ殺人」が急増することだろう。番組は、横浜市立みなと赤十字病院の事例を紹介する。冒頭、80歳の男性が車椅子で病院の玄関を出る。心不全で入院していたが、治療は終わったと言われて自宅に帰される。息子とおぼしき家族が男性を背負い、アパートの階段を上って部屋まで連れ戻る。男性は一人暮らし、一人では何もできず、世話をしてくれる者がいないため、介護ヘルパーが一日一回来ることになっている。次は91歳の女性、1か月前に下血して入院し、寝たきりで鼻にチューブが入った状態だが、腸炎は治ってあとはすることがないと病院に言われ、ベッドから剥がされ、車椅子に寝かされたまま家族が自宅に連れ戻す。


その次は82歳の母親が大腸の手術を受けた例で、母と介護をする娘、医師と看護師の四者面談にカメラが入る。「母は歩いて病院に入ってきたのに、歩ける状態になる前に退院させられるのは医療としておかしい」と、50歳くらいの娘が抗議する。それに対して医者が、「全部をリフレッシュすることは今の国の制度ではできない」と拒否、婦長らしき看護師が、「日本がこれだけ超高齢化社会で、医療費も膨れ上がって、介護保険も破綻寸前の状態で」と、政治家が言うような口上を切り出す。そして、「保険だけの格安の負担でお世話を受けられるところなんて現実にはないんですよ」と冷酷に突き放し、娘の抵抗を押し切って退院を強要するのである。カネの問題だと詰めるのだ。撮影に際してNHKとの間でどういう事前調整がされたのかは不明だが、娘の傍に座っていた患者の母は肩身の狭い立場で、終始うつむいて黙っていた。解説では、1か月20万円の費用を負担できる患者については、次の転院先もしくは有料老人ホームへの入所を面倒みてもらえるのだと言う。支払う能力のない者は自宅介護を選ぶしかない。この看護師(婦長)は、行き場のない高齢者を無理やり追い出すカウンセリングが日常業務で、1か月に150人対応し、面接で退院を受諾させていた。「長くこの病院にもいられないからね。救急車が次から次に来るからね」と。

その次は72歳の男性で、腎不全で入院し、歩くどころかベッドから立ち上がることもままならない状態だったが、形だけのリハビリをやらせ、一方的に期限を切って病院から追い出す。男性は長く一人暮らしで、どうやら家族もなく、家に連れ帰る介助をしたのは病院のスタッフのようだった。先に挙げた80歳の男性も、この72歳の男性も、自宅は古い粗末な木造アパートの2階の一室で、一人では階段を上り下りすることができない。部屋に閉じこもったまま、訪問ヘルパーに頼って生きていくしかないのだ。特に72歳の男性の場合は、様子を気にかける家族がいない。説明によれば、国の医療制度改革により、長期療養者を抱える病院への診療報酬が減らされ、ベッド数も削減され、老人ホームも空きがないため、患者がどんな事情であれ、自宅へ追い返さないと病院経営が赤字になるのだということだった。特に「社会保障と税の一体改革」で、「施設から在宅へ」の政策方針に拍車がかかり、平均在院日数を減らすなど、今年4月から制度が強化されたため、こうした状況が深刻化したと番組は言う。小泉改革の「聖域なき構造改革」の被害が顕著になった頃、2006年から2007年、この問題はずいぶんマスコミで報道された。そして、国民の中から反発が起き、医療費削減への抗議となり、医師会が自民党に造反し、それが2009年の政権交代に繋がった。おかしなことだ。

番組の後半は、もっと驚くべき戦慄の事実が示された。この横浜市立みなと赤十字病院は、追い出した患者のケアに一人の医師を雇い、訪問して往診する在宅医療をさせている。ところが、医師の目的は患者の体調の変化を確認することで、特別な治療は何も行わない。そして介護する家族に対して、容態が悪化しても救急車を呼ばないよう指導するのである。在宅で看取らせるべく家族をカウンセリングで躾けるのが仕事なのだ。病院に高齢の療養患者を運び込まないため、家族に処理を押しつける役割をして、それで地域中核病院から報酬を得ているのである。それが、「社会保障と税の一体改革」の言う「在宅医療の推進」の意味なのだった。ブラックジョーク。病院を退院させられ、在宅で家族の介護を受けている75歳の寝たきりの女性が出た。女性は重度の認知症で、食べる力が衰えていて、食べたものを肺に入れて起こす誤燕性肺炎になる。医師は女性の自宅を定期的に訪問し、介護をしている夫に対して、肺炎を起こすから食べものを与えないように指示をする。しかし、食べものを与えないと餓死する。夫は懸命に妻の咽を通る食事を与えようとする。そして、点滴を受けさせたいから入院させたいと医師に言う。医師はそれを拒絶し、在宅で面倒みろと言う。要するに、医師は夫に妻を殺せと言っているのだ。食事を与えず、そのまま衰弱死させろと。殺せという言葉は出さないが、意味は他にない。

見ながら、神経がおかしくなりそうだった。この医師も、先ほどの看護師と同様、特に自分が間違ったことをしているとか、人道や倫理に反しているという自責の意識がないのだ。番組はそれを「看取り」と言ったが、看取りという言葉の意味とはずいぶん違う。看取りというのは、手を尽くしたけれどどうしようもなくなった患者が、最後に息を引き取るのを、傍で家族が静かに見守ることを言う。番組が言っている「看取り」は、患者が死ぬように介護家族が手を下すことだ。これは、患者に対する死の強制であり、医師の不作為による殺人であり、介護家族に対する要介護家族への殺人の教唆だ。病院の健全経営を動機とした合法的な大量殺人ではないか。殺人という表現がオーバーであれば虐待であり、少なくとも人権侵害だろう。高齢の患者にも生きる権利はあるはずだ。これが、政府と「一体改革」の言う「在宅医療」なのか。医師法の第19条には、「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」とある。「正当な事由」の解釈については、ネット上に情報がある。上の75歳の女性の事例で、入院させて点滴治療を受けさせてくれと求めた家族に対して、それを拒否し、食べものを与えないようにしろと指示した医師の行為は、医師法違反の要件を構成する犯罪ではないのか。この行為によって女性が衰弱死した場合は、刑法の業務上過失致死が適用されて当然だろう。

異常なのは、番組が問題を説明する仕方だった。この回は森本健成が担当したが、この状況を告発する姿勢が皆無なのである。不条理な出来事が起こっていると視聴者に訴える報道ではないのだ。こういう時代だから、こういう制度と趨勢だから、高齢者も介護家族も覚悟をする必要があるとメッセージしている。番組の結語は、国民に対する覚悟の要請だった。政府を批判しない。2006年から2007年の頃、ワーキングプアの特集があった頃だが、同じ社会問題は、小泉政権の「聖域なき構造改革」がもたらした災禍に対する批判として放送されていた。財政削減による医療崩壊の問題は、国谷裕子が率先して取り上げた問題だった。そこから特集番組が組まれ、済生会栗橋病院副院長の本田宏などが論者として颯爽と登場し、政府の医療費削減の政策路線に真っ向から切り込む場面があった。2009年の衆院選は、医療の崩壊をどう立て直すかも重要な争点の一つであり、このまま社会保障費の削減(毎年2200億円)を続けるか、それとも充実させるかが問われた選挙だった。マニフェストには、「診療報酬(入院)を増額する」という文言がある。これが民主党の公約だったが、政権を取った途端に転換し、公約を反故にして、元の厚労官僚の「聖域なき構造改革」に戻るのである。看板を掛け替えたのが「社会保障と税の一体改革」だった。日本医師会は今年2月に見解を発表し、在院日数の短縮化のみに走る方向に懸念を表明している。

同じ問題を取り上げながら、5年前と違って、NHKは政府の政策を批判せず、事態を異常視せず、状況をただ紹介し、これが時代の流れだとして国民に覚悟を求める。ネットでも、マスコミでも、事態を深刻に受けとめる声が上がらない。無理もないと言うか、その「社会保障と税の一体改革」の「社会保障改革に関する集中検討会議」には、宮本太郞と湯浅誠と赤石千衣子が参加し、彼らが議論をリードする「調整」の場で制度設計の概要が決められているのだ。この悲惨な姥捨山の現状に、脱構築左派から批判が上がらないのはそのためだ。欺瞞に憤って言葉もない。番組で登場した80歳の心不全の男性も、72歳の腎不全の男性も、75歳の認知症と肺炎の女性も、共通して、NHKのカメラが入った自宅はみすぼらしいものだった。パナホームとかセキスイハウスのCMで出てくるような豪奢な住居ではなく、テレビのドラマに出てくるようなピカピカした高級マンションではなかった。そういう住居で生活する人々は、「在宅医療」だの「在宅介護」だの「在宅看取り」とは無縁なのである。「在宅」から自由なのだ。資産のある裕福な人々は、広い自宅で高齢者の病人を介護する余裕があっても、その負担から自由でいられる。「在宅医療」や「在宅介護」は貧乏人の問題なのだ。カネがないから押しつけられ、その手で厄介者を始末しろと強制されるのだ。小泉改革の後も状況は同じだったが、そのときは理念がまだ社会に生きていて、あのような冷血で酷薄な看護師や医師が登場することはなかった。

介護保険制度ができ、介護保険料を月々きちんと納め、その負担は払ってきたのに、いざと言うときに、なぜ、「保険だけでお世話するところなんてありませんよ」と切り捨てられるのだろう。それでは介護保険の意味がないではないか。正直者がバカを見ただけではないか。保険というのは、貧しい者も、富める者も、皆が平等に負担して、給付を受けざるを得なくなった者を支え合う制度ではないか。


by thessalonike5 | 2012-05-30 23:30 | Trackback | Comments(1)
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Commented by ホロン at 2012-05-30 19:03 x
この番組は私も見ていて、ものすごい衝撃を受けました。悲しいというか、恐ろしいというか、まさに「神経がおかしくなる」感覚。もっとも恐怖を覚えたのは、おっしゃるとおり、NHKの報道姿勢でした。
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