第156回 安易な「バラマキ批判」を批判する (1/3)
現在の日本は、分岐路に立っている。いかなる分岐路かと言えば、ずばり「繁栄する日本」と「衰退する日本」の分かれ道に我々は生きているのである。
筆者は、講演などにご参加頂いた方々から「気持ちが明るくなった」と声をかけられることが多い。とはいえ、同時に「楽観的すぎると思う・・・」という感想を時折、頂戴したりもするわけだ。
ちなみに、筆者は別に楽観主義者ではないし、もちろん悲観主義者でもない。単に、現在の日本の状況についてデータを基に「見える化」し、「こうすれば、日本は繁栄しますよ。しなければ、衰退しますよ」と語っているに過ぎない。当たり前だが、正しいソリューション(解決策)を講じない限り、どんな国家も企業も衰退する。
筆者は中小企業診断士であるが、診断士は基本的に「楽観的」でも「悲観的」でもない。単に「実践主義的」である。すなわち、プラグマティスなのだ。企業の財務諸表を中心に「診断」を行い、ソリューションを提案するのが診断士の仕事だ。診断士が提案した解決策を企業が拒否し、「それでも我が社は成長するのか?」などと聞かれても、「知りません」としか答えようがない。やるべきことをやらずに成長できるほど、現代の企業が置かれている環境は甘くはないし、同時にやるべきことをやってすら、成長の可能性がゼロと断言できるほど厳しくもない。
要するに、国家の将来について「楽観的」「悲観的」といった曖昧な感想を抱いている時点で、他人事として日本を見ており、無責任なのだ。日本国は日本国民が主権を持つ民主主義国家である。自分たちが主権を持つ国家である以上、将来世代に「繁栄する日本」を引き継ぐ義務がある。その義務を自覚した上で、「ならば、どうすればいいのか?」を考えればいいだけの話だ。
日本国の将来について「自分の問題」として受け止めれば、「こうすれば、繁栄しますよ」と語られたとき、実践的に「そうなのか? 本当にそうか?」と考えることが出来るはずだ。「こうすれば、繁栄しますよ」と言われ、「何を楽観的なことを。そんなはずはない」と切り捨てる人は、将来に対する責任を放棄しているか、あるいは日本国が繁栄しない、成長しないと、妙な自虐史観に捉われているとしか思えないのである。
日本国の繁栄や成長を否定する「経済的自虐史観」の持ち主たちは、我が国が「正しい解決策」を講じようとしたときに印象論を振りまき、政府や国民の足を引っ張ることを続けている。典型的な例を挙げておくと、政治家が、
「現在の我が国には巨額のデフレギャップがある。国内の需要不足を埋めるため、政府が世界最低水準の金利を利用し、国債を発行し、公共事業を拡大する必要がある。現在の日本は耐震化やインフラのメンテナンスを始め、巨大なインフラ関連の需要がある。政府が需要を創り出すと同時に、日銀が通貨を発行し、国債を買い取れば、長期金利が上昇することもなく、財政上の負担なしでデフレ脱却を果たせる」
と、「普通のデフレ対策」を主張すると、いきなり「土建国家復活か!」「典型的なバラマキだ!」「旧来型の公共事業か!」「国の借金で破綻する!」と、大手紙がマクロ経済の基本を無視した批判をしてくるわけである。
「土建国家」「バラマキ」「旧来型」「国の借金」などの印象的な用語について、大手紙は決して定義をしようとはしない。というよりも、書いている記者本人が、この種の用語の定義など知らないだろうし、「定義は何だろう?」と考えたことすらないのではないだろうか。
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