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日本赤軍乱射事件から40年
5月30日 4時2分

中東を拠点に数々の国際テロ事件を繰り返した日本赤軍が、1972年、イスラエルの空港で自動小銃を乱射し、100人を殺傷する事件を起こしてから、30日で40年になります。
しかし、今もメンバーのうち7人は国際手配されたままで、日本の警察当局は、専従の捜査チームを維持し、追跡を続けています。

日本赤軍は、1971年、当時の過激派「赤軍派」の幹部らが、海外に活動拠点を求めてレバノンに渡り、結成したもので、パレスチナの武装グループと連携し、70年代から80年代にかけて、数々の国際テロ事件を引き起こしました。
最初に起こしたのが、40年前=1972年5月30日の「テルアビブ・ロッド空港事件」で、岡本公三容疑者(64)らメンバー3人が、イスラエルの国際空港で、自動小銃を乱射したり手りゅう弾を投げつけたりして、客ら24人を殺害し、76人に重軽傷を負わせました。
3人のうち2人は手りゅう弾で自爆して死亡しましたが、岡本容疑者は逮捕され、イスラエルでの服役などを経て、現在は「政治亡命」が認められ、レバノンにとどまっています。
亡命が認められた背景には、イスラエルで事件を起こした岡本容疑者を、アラブ・パレスチナの人たちが「英雄視」してきたという事情があるものと、日本の警察当局はみています。
日本赤軍では、岡本容疑者に加え、坂東國男容疑者(65)、佐々木規夫容疑者(63)、松田久容疑者(63)、奥平純三容疑者(63)、大道寺あや子容疑者(63)、仁平映容疑者(66)の、メンバー合わせて7人が、各国でハイジャック事件や大使館を占拠する事件などを引き起こしたとして、今も国際手配されたままです。
これらのメンバーは偽造旅券を使いながら国内外に潜伏しているとみられ、日本の警察当局は今も専従の捜査チームを維持し、追跡を続けています。

国際手配犯の足取りは

日本赤軍は、1970年代から80年代の後半にかけて、アジアやヨーロッパでハイジャックや各国大使館の占拠など国際テロ事件を次々に引き起こしました。
その活動の特徴は、メンバーが他人名義の偽造旅券を使って各国を行き来し、犯行を繰り返していることです。
警察の調べによりますと、2000年に大阪府内で潜伏中に逮捕されたリーダーの重信房子受刑者は、偽造旅券を使って中国などへの渡航を繰り返していたことが分かっています。
また、これまでの捜査で、国際手配されているメンバーのうち、佐々木規夫容疑者と奥平純三容疑者の2人が、1998年、他人名義の旅券を不正に取得するため東京を訪れていたことが明らかになっています。
2001年、リーダーの重信受刑者は日本赤軍の解散を宣言しましたが、数々の事件に関与した7人が今も逃亡し、国際手配されています。
その足取りについては、政治亡命が認められレバノンにとどまっているとみられる岡本公三容疑者を除いて全般的に情報が乏しいものの、一部のメンバーがアジアやヨーロッパの国々に潜伏しているという断片的な情報も寄せられているということです。

当時の捜査担当者は

テルアビブ・ロッド空港事件について、当時、日本赤軍の捜査を担当していた山田英雄元警察庁長官は、「海外に根拠地を求めてテロを行うのは初めてで、『こういうことをやるのか』という驚きがあった。自分が死ぬことを前提にしたテロも初めてだった」と振り返っています。
また、山田元長官は、日本赤軍に対する捜査について、「ハイジャック事件や外国の大使館などを狙ったテロに直面し、海外の治安機関との連携を考えたが、当時の日本警察には海外捜査を展開する態勢が整っていなかった。その後、専門の担当者を置いて、各国の警察と情報交換を始め、今はそれが進化して広がっている」と話しています。
一方、逃亡を続けているメンバーについては、「追跡する場所が外国や地球規模にまで広がると捜査は難しいが、目立たないところで専従の捜査チームはひたすらに動いており、結果を出してくれるものと期待している」と話しています。

遺族“テロ組織を憎む”

テルアビブ・ロッド空港事件から40年となるのを前に、犠牲者の遺族のうち、父親を亡くしたイスラエル人のアブラハム・カツィールさん(70)が、テルアビブの自宅でNHKのインタビューに応じました。
カツィールさんは当時、母親と一緒に空港に父親を迎えに行き、事件に巻き込まれたということで、「発砲のせん光が見え、銃声が聞こえたので、すぐに横にいた母を床に伏せさせました。銃撃がやんで、父に駆け寄ると、すでに亡くなっていました」「深い知性と愛情を持った父を失った傷は、今も癒えていません」と話しました。
そのうえで、実行犯のうち、現在も隣国のレバノンで亡命生活を送っているとみられる岡本公三容疑者(64)について、「彼は指示を受けて動いた歩兵にすぎません。私が憎いのは、その背後にいるテロ組織です」と述べ、今なお日本赤軍やパレスチナの武装グループなどに対し憤りを抱いていることを明らかにしました。
事件現場となった空港のターミナルは、現在は閉鎖されていますが、事件は、犠牲者の多さと、実行犯が日本人だったという特異性から、40年がたった今もイスラエルの人々の記憶に刻まれています。

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