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スポーツ報知>コラム>城田憲子の「フィギュアの世界」

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日本のメダリストのコーチたち~佐藤夫妻(4)

リンクサイドから優しいまなざしで選手を見つめる佐藤信夫氏と久美子氏夫妻(写真提供・今永百合子)

 村主章枝に荒川静香、さらには安藤美姫…。佐藤夫妻が面倒を見てきた選手は、次々と世界に羽ばたき好成績を残した。

 城田「有香ちゃんの世界選手権優勝が94年。その後、先生たちが育てたメダリストといえば、章枝ちゃん(村主章枝)ね。彼女のことは、世界選手権に出る選手になった後、途中から信夫先生に頼んだのよね」

 信夫氏「最初に僕が彼女を預かった頃は、世界で10何番くらいだったね(97年世界選手権18位、99年世界選手権20位)」

 城田「あの頃の女子は、みどりちゃん、有香ちゃんと世界チャンピオンが続いて、世界選手権の3人の枠をずっと持ってた。でもその勢いが一度途切れちゃって、誰を出しても10番以下って時代だったんですよ。そのベスト10の壁をようやく越えてくれたのが章枝ちゃんで」

 信夫氏「最初に僕と世界選手権に行った年(01年)に、7番になったのかな」

 城田「そう。章枝ちゃんも変わった子だから、先生も大変だったと思うけれど(笑)。そこをなんとかお願いしてね」

 久美子氏「章枝ちゃん、変わってるけれども、とても真面目だった。特に最初にうちに来た頃は、まだ若かったしね」

 城田「ちゃんと先生たちの言うこと聞いてた?」

 久美子氏「うん、ちょっと融通の利かないところはあったけれど(笑)、根は真面目だったから。言われたことをとても良く理解して、練習も一生懸命やろうとする。ただ、やろうとするけれど、ちょっとズレてるところはあったかな(笑)」

 城田「その章枝ちゃんが銅メダルを取ったのは、ワシントン(03年世界選手権)でしたっけ?」

 信夫氏「いや、最初は長野(02年世界選手権)。ソルトレークシティー五輪直後のです」

第20回冬季五輪トリノ大会第12日。フィギュアスケート女子ショートプログラムでの荒川静香(右、プリンスホテル)と城田憲子フィギュア強化部長(左)

 城田「その後、03年のワシントンでも銅だったんだ。彼女は連続してメダルを取っているのね。あの頃、ソルトレークシティー五輪の前の全日本なんて、女子の1、2、3位が全員、佐藤先生の教え子だったものね(1位・村主、2位・荒川、3位・安藤)。当時の充実した章枝ちゃんは、精神的にはどんな風でした? 外からは、すごく淡々と練習してるように見えたけれど」

 久美子氏「とてもいい状態ではあったのよ。でも彼女も色々な経験をして、もっと先に進むためにあちこちに出かけていく。そうすると、色々なことを頭で考えるようになってしまったみたい…。それは選手たち、みんなにある傾向だけれど」

 信夫氏「彼女もそうだったし、男の子の選手にも多いけれど、自分の頭で計算して練習するようになってしまう。そこから、ちょっと苦しむこともあるんだね…」

 久美子氏「とは言え、頑張って良くやった選手ですよ」

 城田「章枝ちゃんはトリノ五輪は銅メダルでもおかしくなかった選手よね。ちょっとかわいそうだったな…。トリノの最終グループに日本選手が3人入っていれば、メダル2つもあり得たんだけれど」

 久美子氏「まあでも、終わってしまえばすべて『たられば』ですから。章枝ちゃんもまだ頑張って、選手を続けてるし」

 信夫氏「彼女に話したんですよ。一般的に選手は、このあたりの年齢で一番いい時代が終わる。そこからは、頑張れば芸術性とかの面で少し良くなるかもしれない。スケートの奥深さも出てくるかもしれない。だけど競技では、それよりジャンプやら何やらが前面で評価されてしまうから、トータルで見たらやっぱり成績は下がってしまうかもしれないよ。その点だけは、しっかり理解してやりなさい、と」

 久美子氏「それでも章枝ちゃんは、続けてる。やっぱりまだまだ、もっとやるべきことがある、やりたいことがあるって…。選手はみんな、そう思うのよね。現役で、試合で、自分はもっと出来ることがあるんじゃないか、って。だから最近の選手はみんな、ある程度の年齢が来てもやめないじゃない?」

 城田「本当ね」

 久美子氏「でも、この間も静香ちゃんと話したんですよ。彼女のオリンピックの映像、今でもよく放送されるでしょう? それを見ると、やっぱり元気いっぱいだね、って。『あの頃より、今のあなたの方が上手だし、スケートだってずっときれいよ。だけどあの若さというものには、素晴らしいものがあったわね』って話したの。そうしたら本人も、『そうですよね。やっぱり何を持ってしても、若さには勝てません』って言ってた。『若いうちは、若さという勢いで、下手な部分を隠してしまうことだってできる。でも今の自分には、欠点を隠してくれるものがない。だから若かった頃より、さらに上手に滑らないといけないんだ』って。そんなことを話したの。確かにそうよね。だから選手として競技に出るとしたら、若さか、うまさか、どちらかがないとダメでしょうね」

 城田氏「それが、今も競技を続けてる章枝ちゃん。そして、もう決して若さだけではすまない選手たち―崇彦君や真央ちゃんにとっても、今後の課題になっていくんでしょうね…。でもさすが静香ちゃん、分かっているわね!」

 久美子氏「あの人はやっぱりすごいですよ。なんでもちゃんと分かっている」

 城田「しっかりしている。きちんと計算できるところもあるし(笑)」

 信夫氏「静香は自分を良く知ってるんですよ」

 城田「静香ちゃんのことも、最後の最後、トリノ五輪の前に先生たちのところに頼んじゃったのよね。タラソワがやめて、モロゾフはいてくれるけれど、やっぱり女の人がついてないといけない、って。先生たち、なかなかOK出してくれなかったけれど。最初に久美子先生に『静香をお願い』って言った時は、『主人がオーケー出さないと…』みたいなこと言って(笑)。で、信夫ちゃんに言えば、先生は先生で『うーん…』とか渋って」

 久美子氏「だってあの頃は、章枝ちゃんもいたし! やっぱり主人に手伝って貰わないと、私だけでは何も出来ないしね」

 城田「そうよね、大変だったのよね。それでも最後には久美子先生がしっかり引き受けてくれて。あの時の久美ちゃんの力がなかったら、やっぱり静香ちゃんの金メダルはなかったですよ」

 久美子氏「そんなことはないでしょうけど(笑)。でも私もね、トリノが初めてのオリンピックだったから」

 城田「え、そうだったの?」

 久美子氏「うん、いつもはオリンピックにはお父さんが一人で行って、私はお留守番だから。だからコーチ業初めてのオリンピックで、いきなり金メダル」

 城田「ええっ! それはすごいじゃない(笑)」

 久美子氏「一方でお父さんは、まだオリンピックの金メダルは無いからね。だから私の方が偉いんです(笑)」

 城田「なるほど(笑)。そんな静香ちゃん、章枝ちゃんたちの時代。あの頃は本当に、みんなで一緒にスケーターを押し上げようとしてましたよね。表彰台の上に日本選手を上げるために、コーチも連盟も、みんなが一つになっている、そんな時代があったのよね。そして選手たちも、やっぱりすごいメンバーなのよ。先生のところでメダリストになった章枝ちゃん、静香ちゃん。それから、メダルには届かなかったけど世界選手権の4番までいった中野友加里ちゃん。先生のところを出てからだけれど、2回世界チャンピオンになった美姫ちゃん」

 久美子氏「この間もそんな話をしたけれど、やっぱりね、巡り合わせなんですよ。章枝ちゃんにしても、静香ちゃん、友加里ちゃん、美姫にしても…。そんな選手に出会えてきたこと。そのことが私たちにとっては幸せ。『もし次に生まれて、もう1回スケートのコーチをやったとしても、こんなラッキーな先生にはなれないかもしれないね』って、この間もお父さんと話したの」

 城田「みんな『佐藤学級の生徒』と呼んでいい、基礎の巧さを持ってるのよね。卒業した選手たちだって、今でもみんな先生の教え子、って感じでしょう? 先生たちの世話になって、なんのかんのあってもやっぱり佐藤学級で学んだから、それぞれの道に進んで行けた」

 信夫氏「いやいや、僕なんて静香にこき使われてますよ(笑)。この間もモスクワのグランプリの帰りに…」

 久美子氏「お父さん、静香ちゃんの靴を預かって、持って帰って来たのよ!」

 信夫氏「僕が安請け合いしたんだけどね(笑)。『この後すぐ、海外のショーに行かないといけない。でも靴はメンテナンスしなくちゃ…』って言うから、『じゃあ、そのくらい簡単だよ。いくらでもやってあげるよ』と」

 久美子氏「まあ、お互いさまで(笑)。私たちも変わってるけれど、やっぱりトップのクラスの子たちって、みんなどこか変わってるじゃないですか」

 城田「そうね、みんな変わってる(笑)」

 久美子氏「普通の子はいない。普通では、チャンピオンになれない。そんな子たちとこうして巡り合えること自体が、普通じゃなかなかないことだね、って思うのよ」

 城田「そんな選手たちを立派に育てて、信夫先生もフィギュアスケートの殿堂入り。今年、表彰式もあったのよね(2月、米コロラドスプリングスの四大陸選手権)。改めておめでとうございます」

 信夫氏「ありがとうございます(笑)」

 久美子氏「これだけの選手たちに出会えたからこそ、お父さんも殿堂に入れて貰えたのよ。うちの小さな生徒たちなんかね、『信夫先生は電動で動いてるの?』なんて言う(笑)」

 城田「『でんどう』違いね(笑)」

 信夫氏「『先生は乾電池で動いてるの?』って聞くから、『違う、僕はアルコールで動いてる』って(笑)」

 城田「お酒に助けられて、信夫先生もいつも元気でいてくれるから(笑)。だから私も、いつも難問を押しつけちゃうのよ。『信夫先生、お願いします』って。今はまた、ずいぶん大きな難問を抱えているわけですけれど…」

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(2012年5月12日18時12分  スポーツ報知)

著者略歴 城田 憲子(しろた・のりこ)

 1946年7月4日、東京都生まれ。立大卒。選手時代はシングルとアイスダンスで活躍し、全日本選手権ダンス部門2連覇。現役引退後は日本スケート連盟で選手強化を手掛け、長野五輪からトリノ五輪までフィギュア強化部長を歴任。また、国際審判員とレフェリー資格を持ち、五輪をはじめ多くの国際試合でレフェリー&ジャッジも務める。

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