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2000年7月

東アジア経済圏構想

林鍾範/松下政経塾第20期特別塾生

 国家レベルで統合された経済圏の誕生が望まれながら、いまだ東アジアにはそれが存在しない。しかしそれを興そうとする議論は確実に深まっている。最近の経済圏構想をめぐる議論と、望ましい経済圏のあり方について考察する。

 東北アジアは、世界で最も緊迫した政治状況が続いている地域の1つである。北朝鮮と台湾をめぐる政治・軍事的緊張は、冷戦の終結から10年経った今現在も続いている。加えて日本や中国の一部では「日本主敵論」や「中国脅威論」が公然と語られている。しかし、その一方で経済面ではそれなりの協力関係を築き上げている。それがこの地域の特徴である。巨大な資本力と優れた技術力を誇る日本、21世紀最大の市場とみなされる中国、それに韓国・台湾・香港などが緊密な経済関係をつくり、驚くべき経済発展を成し遂げた。産業構造面でもかなり系列化された国際分業体制を生みだしている。
 このように東北アジアには、極度の政治的緊張が存在する反面、それに相反する密接な経済的協力関係が存在する。これは、この地域に経済協力を進めるべき主体としての他国間協力機構がないことと考え合わせると、東北アジア経済圏が経済的必要によって自然発生的に形成されたことを意味する。
 本稿では、東北アジア経済協力をめぐるこれまでの多様な観点を検討し、新しい発展戦略を模索する。そこでまず、現在東北アジア経済圏の政策的枠組みとして注目されている「局地拠点経済圏」の現況を確認し、次に他の枠組みとして議論されている「東北アジア3国間経済圏」、「APEC中心アジア・太平洋経済圏」の構想を検討する。

局地拠点経済圏の現況と限界

 東北アジアの経済協力に関する初期研究は、「局地拠点経済圏」の構想が主流を占めている。この見解は、「EU(欧州統合)やASEAN(東南アジア経済統合)の過程で見られる伝統的な経済統合の方法(注1)が、東北アジアにはそのまま適用できない。他の経済圏は貿易自由化などを中心とする市場開放型であるが、東北アジア経済圏は域内諸国の経済格差が大きいので地域開発型になるべきだ。また、政治制度の違いなどによって、交渉が困難な国家間での協力よりも、地方自治体や民間企業を中心とした協力や統合を図るほうが効果的だ」、と主張するものである。実際すでに、この地域の主要都市間では、環黄海都市会議(北九州、下関、釜山、仁川、蔚山、大連、青島、天津、烟台)、東北自治体会議(日本の13県、韓国の9道、中国の12省、ロシアの11自治体が参加している大規模の協議機構)、環日本海大拠点都市会議(4カ国の10拠点都市間協議会)など様々な国際交流が行われている。

 昨年私は、局地経済圏の現況を調査するために環黄海経済圏(日本の九州地方、中国の東北地方、韓国の南西海岸地方)を訪れた。そこで気付いたのは、東北アジアで局地経済圏構想が注目された背景には、各国の地方開発政策と深い関係があるということである。例えば、日本には比較的開発・発展の遅れている日本海側の問題や、重化学工業の構造調整によって活力を失ってしまった九州地方の再開発などの課題がある。韓国も西海岸地方の経済発展を抱えている。中国は、香港と台湾の積極的な支援で開発されている華南地方のように、東北地方を日本と韓国の経済協力によって開発・推進しようとしている。言い換えれば、局地経済圏構想は「地方開発」という内的要求と「国際協力」という外的要求を合わせて同時に解決しようとする、東北アジア各国の政策的な思惑の産物である。
 この局地経済圏政策は、対象地域の開放と国際化には大きく貢献している。スポーツや文化を通じた様々な交流によって、人々の間に相互関心と信頼が培われ始めた。例えば、福岡市の地下鉄には韓国語と中国語の案内が置かれ、市民の他国人に対する理解も深まっている。中国でも、日本企業の多い大連市(外資進出企業の27%が日本系)や韓国企業の多い青島市(同28%が韓国系)は国際化の水準が高いという。
 しかし、その一方、局地経済圏の核である経済面の協力はなかなか進んでいない。その最大の原因は自治体権限の限界にある。社会主義国の中国はもちろん、官僚の力が強い日本・韓国は、重要な経済政策は中央政府が握っている。ほとんどの自治体は経済協力事業に必要な予算だけでなく、協力を促進する法制度の改正にまで中央政府の認可を必要とする。さらに中央集権の弊害は民間企業にも及ぶ。多くの大企業では、重要な意思決定は中央にある本社が行い、地方には決定権がない。そのため、民間企業の交流は地元企業中心となる。それが資本と技術面の限界となっている。
 つまり、地方経済の活性化と国際経済協力の二兎を追った局地拠点経済圏政策は、中央集権の壁を乗り越えられず空回りしたということである。

局地拠点経済圏の代案

 東北アジアの地域特性から最も現実的だと考えられていた局地拠点経済圏が停滞したことは、結局経済圏の議論を原点に戻した。そこで、最近東北アジア経済圏の別な枠組みとしてあげられている「東北アジア3国経済圏」と「APEC中心アジア・太平洋経済圏」の構想について検討する。

 まず、東北アジア3国を中心とした経済協力の制度化を進めようとする考え方だが、これには域内貿易依存の面から大きな問題がある。表を見ると分かるように、東北アジアだけの域内貿易依存度は、EUやNAFTAのそれの1/2にすぎない。これでは規模が小さすぎる。一方、ASEANを形成している東南アジア諸国の域内依存度はどうかというと、これも似たようなものだ。だが、両域間の貿易は活発である。そこで両者を合わせてみると、域内輸出依存度は43.9%、輸入依存度は50.6%となる。これでなんとか1つの経済圏としての規模を形成できる。直接投資や国際分業についても同じことがいえる。つまり東北アジアと東南アジア間の経済依存関係は、各々の域内依存よりも遥かに強い。このことを認識すると、この地域の経済圏は東アジア全体を視野に入れて考える必要がある。
 一方、APECを中心に、より広範囲でより緩い形でアジア・太平洋経済圏を構成すべきだという立場がある。これは自由貿易主義と地域経済統合という一見矛盾するものを共存させようというものだが、世界的な貿易の自由化を目指すWTOでも、協定第24条で地域貿易協定(RTA)と関税同盟(CU)は認定されている。その理由は、急激な変化よりも段階的な変化のほうが自由化に寄与できると見るからである。つまり、域内と域外の貿易自由化の速度を調整することで、そのショックを緩和できるというのだ。そして、APECやASEM(アジア欧州連合)は、EU、NAFTA、ASEANなど地域経済圏間の協議ネットワークとして機能する(注2)という。つまり各々の地域経済圏が域外に対し排他的な政策を採らないよう、域内と域外の自由化の差異を徐々に減らすような政策調整役となる。そうすればAPECの強化は東北アジア経済統合の代案とならず、また地域経済圏を前提とした円満な活動も期待される。

 以上の検討から東北アジア経済圏の最も望ましい枠組みは、東北アジアと東南アジアを合わせた東アジア経済圏の形成にあるといえる。しかし、このような多次元的な問題には求心力としての「戦略的中心軸」が欠かせない。そうしたとき浮上してくるのが次の2つである。
 まずひとつは1990年12月にマレ−シアのマハティ−ル首相によって提案されたEAEC(東アジア経済会議)構想である。これは、目下、米国の反発に配慮する日本と韓国によって棚上げされているが、97年から「ASEAN+3(日・中・韓)首脳会談」の形で事実上EAECの会員国が集まる機会が増え、次第に現実的な様相を呈している。
 もうひとつは、1998年の「ASEAN+3」で韓国の金大中大統領が提案した「東アジアビジョングル−プ」である。東アジア13カ国から2名ずつ出された26名のメンバーで構成されるこの機構は、昨年ソウルで第1次会議を開き、以後「中国⇒日本⇒インドネシア(ASEAN事務局)⇒韓国」と5回の会議をもつ予定だ。その意見は、2001年にブルネイで開かれる「ASEAN+3首脳会談」に最終報告として提出される予定である。これは限られた期間を定められた民間機構として限界はあるが、「東アジア協力の未来」、「東アジア経済協力」、「社会、文化、教育、人間、安保、政治など非経済分野での協力」など3つのセッションで運営されており、後の制度的な協力機構の基礎となりうることを示唆している。

■世界の経済統合別域内貿易依存度
  東北アジア NAFTA EU AFTA
貿易 輸出 輸入 貿易 輸出 輸入 貿易 輸出 輸入 貿易 輸出 輸入
1990年 13.6 12.5 14.8 36.8 41.4 33.0 64.7 66.2 63.3 16.5 15.8 14.7
1994年 17.9 14.7 22.1 41.1 47.6 36.9 62.3 61.7 60.1 19.5 22.7 16.5
(単位:%)
出所:IMF,Direction of Trade Statistics 1995

新しい東アジア経済圏を目指して

 以上、東北アジア経済圏をめぐる様々な構想を検討し、東アジア経済圏への志向が戦略的中心軸になるべきことを確認した。では、東アジア経済圏は具体的にどのような形で現われるべきであろうか。ここで「自由貿易協定」と「円通貨経済圏」について少し触れてみたい。

 「自由貿易協定(FTA)」はWTO協定から認められている最も一般的な経済圏の仕組みである。1999年現在WTOに登録されている地域貿易協定はおよそ150件に達する。そのため東アジア地域にも自由貿易協定の可能性が検討されている。だが、自由貿易協定が現実的なものとなるには、まず貿易不均衡の問題をどう扱うかが示されなければならない。ある韓国の研究者によると、日・韓・中3国間FTAの締結によって生じる貿易収支の変化は、日本、韓国がそれぞれ400億ドル、100億ドルの増加に対し、中国は500億ドルの減少だという。このような不均衡を解決するためには片務的自由貿易などの調整対策が必要である。
 「円通貨経済圏」は以前から時々提案されてきたが、アジア金融危機以後、再び議論されるようになってきた。最近日本の対東アジア貿易は円建て決済が50%を超え、すでに基軸通貨として立ち始めたと見る向きもある。問題は、日本が国際通貨基軸国としての特権(seigniorage)に伴う責任を果たせるかどうかである。また、円高によって輸出競争力の向上を享受してきた開発途上国に、どんな反対給付が与えられるのかも見逃せない。
 つまるところ、東アジア経済圏の形成においては、この地域唯一の先進国たる日本の役割遂行と、それに対する地域諸国の評価、さらにそれからどのように相互信頼を築いていくかが中心課題といえる。経済圏の形成は、市場原理を中心とした経済的問題だけでなく、同時に政策調整能力に牽引されていく、極めて政治的課題でもある。日本が市場原理をも超え、いかに東アジア経済圏の統合を目指すか、それが解答の鍵になるだろう。そのためには経済的な利害関係を超えた政策的観点と努力が必要である。

 このような政策的努力は他の東北アジアの国、韓国・中国にも当てはまる。現在、東北アジア3国は個別に国内経済の活性化を急いでいる。だが、これら3国が東アジア経済圏という視点で自国の経済を眺望しないと、真の意味における経済改革の推進やその成果は期待できない。日本経済のソフト化とハイテク化も、韓国経済の高度化も、中国経済の開発も東アジア経済圏の協力と統合によってのみ根本的な解決が期待できる。東北アジア3国は自国問題の国際性を理解し、自国中心の一方的な思考をやめ、協力によった解決策を模索すべきである。東アジア経済圏はこのような地味な努力の結果としてのみ現われるだろう。
(本文で使われている地域区分は次のとり。東北アジア3国=日本、韓国、中国。東北アジア=東北アジア3国+北朝鮮、ロシア、モンゴル、香港、台湾。東アジア=東北アジア+東南アジア。東アジア13カ国=ASEAN(10カ国)+日本、中国、韓国)

(注1)Balassa(1969)は、地域経済協力の過程を自由貿易地帯、関税同盟、共同市場、経済同盟、完全な経済統合の5段階で示した。これが、地域間経済統合の典型として取り込まれている。
(注2)現在議論されているTAFTA(欧州と北米間の自由貿易地帯)まで形成されると世界の3大経済圏間ネットワークが完成されることになる。

2000年7月執筆
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