原発事故調査委 菅前首相、自己弁護する場面が目立つ証言
東京電力・福島第1原発の事故を検証する国会の事故調査委員会で28日、菅前首相が証言した。
原子力緊急事態宣言の発令の遅れについて、「結果的に支障はなかった」と釈明し、災害対策本部長たる首相の権限についても「説明を受けた覚えはない」などと述べ、自己弁護する場面が目立った。
菅前首相は「この事故を止められなかったことを、そのことについて、あらためて心からおわびを申し上げたいと思います」と述べた。
28日、国会の事故調査委員会には、当時の政府のトップ・菅前首相が参考人として招致された。
事故翌日、菅前首相は、当時官房長官だった枝野経産相の忠告を振り切り、現地を視察した。
これが、現場の混乱を招いたのではないかと指摘を受けた。
菅前首相は「その責任者と話をすることによって、状況が把握できるのではないかと」と述べた。
原子炉の状況などに関する情報が上がってこないため、視察を行ったという。
菅前首相には「その結果、その行かれた先ほどの目的と、その他についての関係では、どのような成果というか、結論を得られたんでしょうか」と質問がされた。
菅前首相は「現場の皆さんの考え方、あるいは見方を知るといううえでは、極めて大きなことであったと、そこで顔と名前が一致したということは、極めて大きなことだったと」と述べた。
一方、17日、海江田元経産相は「(何で一番時間がかかった?)これは、総理のご理解を得るのに時間がかかったということであります」と述べている。
原子力災害対策特別措置法では、緊急事態発生の通報を受けたら、その時点で緊急事態宣言を出し、対策本部を立ち上げることになっている。
しかし、実際に宣言が出されたのは、東電の通報から2時間以上たってからだった。
菅前首相は「それによって、何か支障があったかということを問われれば、私の知るかぎりは、特に支障はなかったと、このように認識をいたしております」と述べた。
災害対策本部が立ち上げられた際の首相の権限について聞かれると、菅前首相は「くわしい説明を総理になった以降、事故までの間に聞いたという、そういうことは、私が覚えているかぎりはありません」と述べた。
危機管理の専門家で、公共政策調査会の板橋 功第1研究室長は「これはもう、全く理解できない話で。そもそも菅さん自身は、おととし(2010年)10月にですね、原子力総合防災訓練、これで対策本部長を務めているわけですね。実際、自分で訓練をやっているわけですから、知らないはずがないんですね」と語った。
弁明に追われた菅前首相は、事故対応の体験を「私は今回の事故を体験して、最も安全な原発は、原発に依存しないこと、つまり脱原発の実現だと確信をいたしました」と総括した。
原発事故は人災なのか、いまだ食い違いを見せる関係者の証言。
こうした中、福島県の浪江町では、一時帰宅中に行方がわからなくなっていた62歳の男性が、首をつって亡くなっているのを、捜索中の消防隊員が発見した。
男性は「商売を続けることができなくなって、先行きが見えない」などと話していたという。
事故調査委員会は29日、福島県の佐藤知事からの聴取を行い、6月下旬に報告書をまとめることになっている。