ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

はてなでテレビの土踏まず このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-02-06

映画「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を観てボロ雑巾のようになる

1月30日に首都圏を中心に上映が開始され、今後徐々に上映地域が拡大されていくという映画「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を観に行ってきました。

ちゃんと面白い。笑える。とぼけた空気が包み込んでいる。ちょっとエロい。しずる感が半端ない。それでいてちゃんと泣ける。あるいは怒れる。ストーリーに呼び覚まされるように暴力的な衝動に駆られる。総じて、ムダに思えるシーンがぜんぜん無い。

描かれているのシンプルで小さな世界。「CGを駆使した大スケール!」とか「豪華キャストが勢揃い!」とかではありません。登場人物もそう多くない。だからこそポンコツのぼくにもストーリー展開は至極わかりやすかったです。

しかしわかりやすい中にも、不条理、抗いきれない誘惑、取り返しのつかない失敗、ドロドロな人間模様など、心の底から惹きつけられるストーリー展開があって、映画見ながら何度か劣情を催したり、「うぅぅぅぅぅ……」と苦しくうめいたのもまた事実です。

6日放送分のTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」の「ザ・シネマハスラー」のコーナーでもこの映画の論評がなされていたのですが、宇多丸は原作の漫画と「180度違う」という相違点に目がいってしまった様子。

論評をぶ厚いものにするために原作を読んでおくのは必須です。でも宇多丸の論評を聞くかぎり、「映画そのものを楽しむ」のが目的なら、原作は読まないほうがいいと思います。ぼくがそうでした。映画をご覧になる予定の方は頭からっぽ推奨です。

以下に完全にネタバレします。


この映画は決して「ダメ」を肯定してはくれない。

峯田和伸演じる田西が主人公。これに松田龍平演じる青山が話し掛けるセリフ。これがいちいちグサグサ刺さってくる。青山は金持ちの息子で、ケンカも強く、大企業に勤めていて、ルックスもいい。ラストの「決闘」シーンでは、そんな青山に地べたに叩きつけられて、マウント取られて、侮蔑される。ボコボコにされる。

「がんばらない奴は勝てねーんだよ」「うすっぺらいんだよ」

こういう映画やドラマでは登場人物に「感情移入できるか否か」云々ってひとつの鍵になると思う。その点、今回は感情移入どころか田西が俺で俺が田西。まるで自分が殴られてる気分だった。正直今も精神的なダメージが拭えません。

しかもこの最後に大逆転! というような座りのいい結末も見当たらない。田西は結局青山に一発も喰らわせることができず、終始ボコボコにされたまま終わる。辛うじてマウント取られたところで小便を漏らして青山のスーツを汚したくらい。

ボコられたアザだらけの顔のままで、黒川芽以演じるちはるが田舎に帰る駅のプラットホームまで、田西は送りにいく。ちはるはまず田西のモヒカンに驚くが、すぐに気づかって汚れた顔をぬぐってくれる。序盤のシーンでテレクラの女から殴られた跡にかわいい絆創膏を貼ってくれた。そのシーンが甦る。

「さよならが言えなかったから、田西くん来てくれてよかった」。一貫する優しさ、純情。しかしその裏腹の、圧倒的な愚鈍。

田西が「負けた」ことに、ちはるは同情をしてくれない。それどころか、本当によりによって「青山さんは大丈夫だった?」。自分に子どもを孕ませた最低最悪のゲス野郎、という感情を、田西も観衆の多くも、もちろんぼくも、おそらく持っているはずの、その青山という仇敵を、ちはるはよりによって気遣うのだ。なんというブーメラン。

青山の会社に勢い込んで殴り込みにいったはいいものの、田西はあまりの緊張と恐怖にその会社のトイレで吐いていた。しかし吐いている間、青山の後輩で、かつて取引先で顔を合わせたこともある、遠藤雄弥演じる内木という男が「ちはるとやっちゃった」ことを同僚にペラペラ喋っていた。田西が吐きながら聞いているとも知らずに。

田西は息を潜めて個室から出ると、その男をカウンターパンチで打ちのめした。唯一スカッとする場面といえば、それくらいだったかも知れない。

ちはるは完全に遊ばれていた。鬼畜なことだ。またホイホイとついていったちはるもちはるだ。しかも青山のことを気づかっているのだ。田西が殴り込みに行ったのは誰のためなのか。何のためなのか。だんだん誰にもなんだかよくわからなくなってくる。

田西の会社でちはるが企画したにも関わらずボツになった商品案が、青山の会社であらためて商品化されて、大ヒットした。その商品案はちはるのものだった。会社間の競争。リリーフランキー演じる社長も、田西にボクシングの稽古をつけたアル中気味の小林薫も、田西を応援する。青山の上司も売られた喧嘩を買うと言っていた。ここで浮かび上がる「サラリーマン活劇」としての要素。

殴り込みにあたって田西は会社に辞表を提出している。受理されるかどうかはわからない。その殴り込みで勝とうが負けようが会社のためにはならない。会社もクビになるだろう。サラリーマンであることは田西にとって重要なアイデンティティではない。

しかもちはるにその殴り込みの旨を勢い込んで話しても、応援されるどころか延々と嫌われ続けたままなのだ。こんなの八方塞がりだ。あげく決闘の場で青山が言うところによると、「サラリーマンアッパー」という田西唯一の秘策を、なんとちはるは青山に漏らしていた。ちはるはなぜ、孕まされた上に堕胎させされた青山の肩を持つのだろう。この不条理はどうしたことだ。

別れの電車を待つホームで田西は感情が抑えきれない。なぜ青山の肩を持つ。なぜ青山もその後輩とも君とヤれて、俺とはヤれないのか。キスだけでも、いや、せめてフェラチオくらいはいいんじゃないか? ほとばしり続けてきた身も蓋もない肉欲を、本人にぶちまけた。もうすぐ電車が来る。ちはるはその熱情に浮かされるように半泣きで「フェラくらいはいいよ? トイレでしよっか?」。

違うんだ。そんなんじゃないんだ。そういうことを言いたいんじゃないんだ。

電車が到着した。ちはるはここにきてようやく田西の想いを理解しかける。しがみつく。田西が追い求めていたちはるだ。もともと相思相愛になりかけた仲ではなかったか。電車の扉がプシューと開いた。ここで物語が取り得る選択は、抱擁、キス、トイレに行ってフェラしてもらう、田舎に帰るのをとりやめて一からやり直す。さまざまなラストシーンを一瞬で夢想する。

しかし田西はちはるを電車の中へドン!と突き放すように突き飛ばした。さまざまな答えの出口をふさぐように扉は閉まり、ちはるは田舎へと向かう電車に乗って行った。

エンディングテーマが流れ始める。ちはるを突き飛ばした田西は「ボーイズ・オン・ザ・ラン」の音楽に乗せて走り出した。ちはるは戻ってくるかも知れないし、もう二度と戻ってこないかも知れない。その行方はわからない。最後の瞬間に、散々に鬱屈した、どうにもならない、叫び出したくなるような気持ちだけがあった。それを指して純愛というのかも知れない。どこに走り出したのかわからない。すべては田西の小さな世界の中で循環している。


この映画を見た後のぼくになにができたかといえば、発泡酒を飲みながら「キャンパスナイトフジ」をぼんやりと見て、眠りこけ、土曜日を無為にやり過ごすことだけでした。怠惰な現実。青山に虫けらを見るような目で蔑まれるしか道はないのかも知れない。

「ちはるはビッチか否か?」

今さっきそんなことを悶々と考えながら部屋の中を歩いていたら、半開きだった引き戸に頭をぶつけました。


ネットカフェで読みたい

rutherrarutherra 2010/02/16 18:38 俺も今日見てきたー。
フィクションの女性に対するビッチか否かの二元論は
終わりが見えないうえに不毛だと思った。

はてなユーザーのみコメントできます。はてなへログインもしくは新規登録をおこなってください。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/tvhumazu/20100206/p1