2011年10月31日月曜日

おねはんのそうだんかい





総代会だとか

役員会だとか、

得手勝手に「自称;」している・・・


正確には、

「お世話人さんの会」であって

決議をするとか、

議事を諮るとか

そういうものではない・・


ただ、

毎回、決まっている

手順に従って

必要なものをただ取り揃え、

それに必要な

資金を

檀家から集めてくるだけである。


「おじゅっさん、

何回か、また、役員会するんです?」


「いえ、決め事はありませんので

この次は、お涅槃当日だけです。」





「え~っと、、

案内状印刷、おじゅっさん。

線香ローソク、おじゅっさん。

お供え物の買出し、おじゅっさん。

ペットお茶、酒ビール、おじゅっさん。

お膳・お弁当、おじゅっさん。

タクシー、おじゅっさん。

・・・・・」



それで、

お金は?

会計さんが持つ!?





なんのお世話をしてくれているのやら・・・







閻魔さまが

いろいろお世話くださるでしょう・・


フフフ・・・

2011年10月30日日曜日

教えを請う





今では

集団で得度、加行し、

講習会で伝授を受け、

学校教育のような

おじゅっさんのお勉強。


昔の老僧方は

小僧修行の下積みを

懐かしげに自慢するが、、






教えを請うて

弟子となり、

師資相承ということも

無い時代なのか・・・





教えを請うて

弟子入りとなると

相当な覚悟が

必要だったらしい・・



仏弟子となって

あらたに

あみださんのお寺に入った

ご先祖さん。


まずは、

バケツと雑巾を

持たされて・・・

お膳運びと、

布団の上げ下ろしから・・







1泊2日、

極楽ツアーのお客さんですか?




フフフ・・・

2011年10月29日土曜日

声明伝授






事相マニアの中でも

「法会」と「声明」ほど

目の色を変えて

ムキになって

上手下手、知識の有無を

論議して

「3歩進んで、2歩下がる。」を

ドやかましく

偉そうに言う。


おじゅっさんほど

愚かしいものはない・・


草庵の方丈で

中曲理趣三昧や

涅槃・常楽会や

聞いたことも見たこともないような

立派な法会を

「本式のホンちゃんで!!」

などと、

訳の分からんことを言って

せつくろしい内陣で

隣のおじゅっさんの

袈裟や袖を踏み合い

引っ張り合いながら

みっともないことも

分からずに

喜んでいる・・・


講習会でろくに歌いもせずに

「声明」伝授を受けて

許可証をもらって

「おれも、大阿闍梨になって

伝授してひともうけするっ!」

などと夢見ているようだが、、

危なっかしくてしょうがない・・・









『校正四座講式叙』に

普門院・理峯師は、





19歳にして京師に遊学するが

病にかかって

山に帰って3年養生した。

少し良くなったとはいえ

気力もまだ元のようではなかった

書を読むことをやめて

心のままにする。

かつて習った声明を

時々唱えて

自ら楽しんでいた。

一念発起して、

声明を勉強しようと

当時の名匠であった

宝塔院・栄融師の下で

学ぼうと

アシャラの講式を携えて行った

すると、師は、


「講式の音を学ぼうと思うのなら

まず、四座講式をしなさい。

もし、これに通ずれば

そのほかは自ずから得られよう」


「もとより願うところでございます

しかし、それはむつかしいことかと思い

ボチボチにしようとしていました。

もし、お許しくださるのならば幸甚でございます」



そして師はおとなえになり

一唱すれば

その音は大にして静。

絶妙で素晴らしかった。

師は懇切丁寧に

教えてくださり

私は一生懸命に学んだ。

月を経て、歳を累ねたが

学び得ることができなかった・・

深く憂えたが、

師はそれを知って


「それ、百家衆伎道の極まれるは

意を得るに在り。。。

わたしは、声明を先師・融傅から受けたが

師は、性急で気高かった。

門弟はよくわからないところがあって

質問しても教えてはくださらなかった

たとえ教えてくださったとしても

耳を貸すこともなく

チャチャっとしていたので

学び得た者は、ほとんど稀であった・・

だので、わたしは聴く時は

慎重で、丁寧に考え、

寝食を忘れるほどだった

そして、豁然としてその意を得た。

ここに於いてまさに知った、

音伎といえども

その極まりは即ち、

唇吻で伝えることができるものではない。と

我が弟子、勉めよ

勉めてわからなければ

必ず得るところがあるだろう」



そこで、私(理峯)が言った、、

「ただ、謹んで命を奉じ

なおそれでも、

未だよくわかりません・・

どうしてかと言えば

師の声は、清雅で朗々とし、

私の音は

生まれつき短小です。

たとえ、意を得たとしても

どうして同じようだと言えましょう」


師は言った

「そうではない。

人の声の大小、好悪というのは

これは異熟であるから

卒に転じることは出来ないが

今、私とお前と

曲調が同じでないのは

ただ、その音の源に達すると

そうでないのとにある。

その原に達したら

韻は、宮商に協し

律呂に中る。

どうして、声の大小好悪を

論じようというのか

いわゆる、

音の原とは

程遠いものではない

私たちが日々用いているものだ。

意を得る時には

則ち、適として

妙曲ならざることは無し。


ああ、梵唄の業、

その来ることは遠く

その伝わることは遠い。

私がもし死んだら

誰が後世に伝えるだろうか・・

我が弟子、勉めよ。」


私(理峯)は、慈訓を蒙って以来

ひたすら勉強して

衣を師の室に掛けること

30年に及んだ。。


ある夜、

師の寝る横に侍って

枕席にて

私のために一曲お唱えくださった。

その音韻は、高妙にして

私の心肝に響いた。

この時、

忽然として、その旨を得た。

退室して

歌の本を開いて

譜に従って、歌ってみた・・

正変甲乙、、

調べをなさざることはなかった。。

積年の疑情がすっかり氷解した。

これは師匠の恩恵が

そうさせるところである。

決して忘れるものではないだろう。




******************



あれやこれやと勉強することが多い

おじゅっさんの世界ではあるが

大道からそれることなく

目的を見誤らず

真摯な態度で

おしえを受け伝えて

行かなくてはならない。。

2011年10月28日金曜日

恩師






中川善教先生は

最初、奈良で法相を

学ばれていたらしい



弘法大師様も

唐へ渡って

恵果和尚に半年くらい

就いて学んで

真言宗の正統な

「伝承者」となった。。


6月、7月、8月の灌頂は

異常なほどの間隔であった。


入門したばかりの

直参者が、

並み居る高弟を押しのけて

先師の碑文をこしらえる。

皇帝陛下からも

いろいろなプレゼントを

してもらって

不思議極まりない。


それだけ、

お大師様の才能が

桁外れにすごかったのだろう。。


まるで、

世界で活躍する

イチローのようだ。




「師資相承」とは言いながら

恩師のいない真言宗システム。


しかしながら、、

ひとたび教えを受け、

たしかに「拝師」したものなら

その、期間の

長い短いは

関係ないようである。


実に「以心伝心」。

写瓶の如しである。




講習会とは違う何か、

オトモダチ勉強会とは違う何か、

何か目には見えない

深いつながりが

そこには、

何かあるような、、


そんな気がする・・・

仏道を学ぶということ






最近のおじゅっさんは

画一的な教育で

専門の道場で

大勢が一返に

教えてもらう形式が

ほとんどであるようだ・・


指導員から

見えないところで

わからないことをしていても

咎められることもないし

間違えていたからといって

どうということもない・・


加行中に

「九字を切る」。

見たことも、

聞いたこともないような

チチンプイプイを

使っている。

怪しい「修行者たち」・・

教祖様候補者のような

そんな人たちも

ときどき

修行にやってくる・・


修行が完成して

一人前(?)になると、、

今度は

「講習会」で

様々な「伝授」を

受けようとする。




「君の師の名は、なんという?」

と尋ねられても

ハンコひとつの師匠には

ほとんどご縁もない状態・・


「師資相承」を建前とする

真言密教のはずが・・・


カセットテープ(古いか・・)

DVDや動画で

一通り学んで

一人前に

立派なおじゅっさんに

なるのが

どうやら、

一般的なようだ・・


先生から教わることもせずに

お友達から、

あるいは、

「あっ、もう、

知っている事だから・・」

などと言って

教わる態度を

はじめっから放棄している・・


お大師様ですら

肘行膝歩して

知らざるを学んだというのに・・






いろいろな師について学び

見識を深めることは

重要なことだが、、

走りすぎれば

大道を見失ってしまう・・


仏道も中道でなければ

迷いの路に

転がり込んでしまう

危険性をはらんでいる











「君はこれまで、

何を学んできたのかね?・・」








あみださんや

お大師さんが

異口同音に

お尋ねになる・・・
















笑い飛ばされる

だけなのか・・?




フフフ・・・

2011年10月27日木曜日

おじゅっさんと魔法の杖





昨日、歩き遍路を見かけた。




橋の上を歩きながら

杖をついて歩いていた・・・



最近、

歩き遍路も増え

「遍路は、歩きでなければ意味がない」

と、

思い込んでいる人が多い割に

「橋の上では

杖を突いてはいけない」

というおしえも、

予備知識も

持ち合わせてはいないようだ・・・


お大師様や

行基菩薩の時代には

おじゅっさんは

井戸を掘ったり、、

橋をかけたり、、

道を整備したり、、

はたまた、、

巨大な溜池を建設するという

インフラ整備が

おじゅっさんの

慈善事業の一環だったようだ・・


もったいなくも

ありがたいおじゅっさんに

作っていただいた

橋を

突いて歩くなど、、

もっての外であったに違いない・・





バスや車で

速く行くことも

速疾でよいこと。


不要なようだが

転ばぬ先の杖があれば

助かることもある。。




「突かば槍、振らば剣」!!



身を守る

一本の杖。


使い道や、用法を

しかっり勉強しておかなくてはならない・・



フフフ・・・

2011年10月26日水曜日

最初に真言の師に従って・・




「最初に真言の師に従って

一度その真言陀羅尼の

口授を受け得て

しかして後に

これを念誦すべし

しからざれば

師資相承の法規を守らざる

罪を得て

かえって

真言神咒の功徳を

失するのみならず

法罰恐るべきなり

近時、往々この厳戒

あることを知らずして

恣ままに乱誦するものあるを見る

これ慎むべきの至りなり。」



~~~~歓喜天勤行法則より~












情報化社会で

便利になり

秘密の教えも

画像やインターネットで

簡単に検索できる時代です。


マニアも

かなり、、、マニアになってきて

研究者よりも

いろいろな知識を

持っているような感じです・・


マニアックなおじゅっさんが

いらっしゃることは

頼もしい限りですが、、


「入門者」として

ヒミツの世界に足を踏み入れた者は

教わる態度を

示さなければ

向上心もなくなり、

ヒミツのおしえも

授けられることはないだろう・・


天の導きも

天の加護もなく、

目に見えない

不思議な導きも

なくなるはずだ。


浄厳和尚は

最初に宿題を与えて

それからでなければ

光明真言も佛菩薩の

ご真言も

授けることはなかったという・・


大法螺窟の

自受法楽のブログを

覗いたからといって

「教えを受けた」

ような気になって

師資相承を

簡単に思っているものも

いるようだ・・


師資相承は

「面授」である。




文は瓦礫、糟粕・・・




摩訶毘盧遮那が

加持し給た

「しんごんのおしえ」

この絶妙な

不可思議が理解できぬうちは

手順を踏まねければ

落とし穴

に気づくこともないだろう・・




フフフ・・・

2011年10月25日火曜日

課誦






さあ、

早くも年末モードか・・


法事の予定も

あと、

半年くらい

何も入ってません・・・


ぼ~っと、、

ひたすら瞑想するしか

ない日々が

延々と続きます・・・



日課百遍。

と言われても

なかなかできるものではありません


千返、万返を

増減したりするよりも

コツコツと

小さな事を持続するほうが

有為と無為の

狭間で

悶えることも

少ないように思う・・

2011年10月24日月曜日

楽しい秋祭り2






おおぼらをふきに

行ってきました。



年に一度の

柴灯大護摩の法螺役で

およばれに預かり

ひさしぶりに

出張です。


怪しすぎる「正装」に

皆さん方

くぎづけです。。


「千体地蔵流し」の秘儀

にて、

一連の儀式も終了です。





終了後、、

おかあちゃんのサトで

お祭り。


うちの方のお祭りとは違って

結構派手だ。


これでも、

ずいぶん、寂しくなったのだとか、、





ウチの方では年明けの「お涅槃」に

お金を集めて回る人が

「お寺の役員さん」

などと言って、自称:して


おじゅっさんに

頭を下げて

「おねがいしてまわれ!」

みたいなことを平気で言って


特に何をするわけでもないのに

集まって

「決議」をしなければならないように

思い込んで、、

ややこしいことだけして

集めたお金は

自分たちのもの::

などという

法律も何も無視した

暴挙に出て


仏教のおしえも、宗教法人も

全く無視した

行事・・・


おじゅっさんの

収入もなし、


おじゅっさんの

「お礼」も無し、




柴灯大護摩の

お寺の住職さんは

檀徒たちの「礼」を

泰然として

お受けになられていらっしゃった。。


なるほど、、

おじゅっさんは

ペコペコ

返礼をいちいちしてはならないようだ。


ひとつ、

勉強になりました。

福満寺式銅鐸





うちの近所の遺跡から

発掘された銅鐸。

の、

レプリカ複製品です。。


ほんとは、

矢野遺跡式というらしい・・





なかなか子供の

歴史教育教室と言っても

税金をかけて

すごいこといろいろやってます・・


大学生くらいの

マニアも

小さな子供に混じって

やってたり、、


両親も

ここぞとばかり参加していたという・・

2011年10月23日日曜日

勾玉と銅鏡作り






昨日は

子供を連れて

「琥珀勾玉」を

作りに行ってきました。


今日も

銅鐸を作りに行くようです。。


古代グッズが

安価でいろいろ集まる・・


マニアには

驚きだろう・・

2011年10月22日土曜日

合掌です







雑誌を見ていて

よく、

合掌したモチーフの

アクセサリーを見かける


そういえば、、、

「合掌バッチ」

を、

何か、どこかで

貰ったような気がした・・



怪しすぎる

バッチで

どことなく

某新興宗教の

会員バッチのようだ・・


裏には

「高☆山

真言宗」と、書いてあった



シルバーアクセサリーのように

「きれいだな」

「つけてみたいな」

と、

思うような

へんなもんグッズを

開発して欲しいものだ・・




宗教も、布教も

やはり、、、

センスの問題だろうか・・・?

2011年10月21日金曜日

大日如来!





無色透明、無味無臭。

結縁灌頂も傅法灌頂も

加行の本尊も

大日如来を拝んでも

拝んでも、拝んでも、


両部不二だとか、

金胎の大法だとか、

どうも、ピンと

来ないようだ・・・


最高の秘法を

最初に渡され

戸惑いもあるようだが、、


わからんうちから

笑っているようでは

大日の光も

見えてはこない・・・







阿弥陀も金で光る。

大日如来も、金で光る!!





白ではない・・


フフフ・・・

石帯(せきたい)



(本プラスチック製です)



カダフィが死んだようです・・

仏教徒としては

ただただ合掌です。


残酷なシーンや

画像がアップされて

「勝った。勝った!」と

喜んで小躍りしている

アメリカ人や

関係ない一般人の

慈悲のない行動が

理解できない・・









おじゅっさんの衣装には

「石帯」と呼ばれる

腰帯で締めるものがある


「空衣」や「素絹」などが

それである。


修行僧は

この帯の中に

「ゼニ」を貯め込んで

いつでも、

お寺から出て行かれるように

心しておかなければならないという・・


装束の「束帯」は

中央アジアから

シルクロードを通って

やって来た

ラピスラズリや金銀・宝石を

散りばめた

「ベルト」である。


シルクロードの

終着駅:大法螺窟。。


仏教は、やがて、

どこへ向かうのか、、、


本来無東西 何処有南北・・・








フフフ・・・

2011年10月20日木曜日

孔雀明王秘法





「修法」とか「行法」とか

そう呼ばれているものには

何かしら、、

パワーを感じて

何かしら、、

魅力を感じるようである・・・


この方法によって

でなければ

佛菩薩、明王諸天等も

おかげが少ないように

思い込んでいる

おじゅっさんもいるようだ・・







高野山の伽藍には

孔雀堂があるからか、、

「小供養法」や「灌頂加行」

など、

いくつか孔雀法に

関係するものがある。


「孔雀経転読」などは

あまり見かけないが

大法、御修法などの

「公請」がなかった。

というので、

中院流では

華やかな大行事は

伝えられてはいないようだ・・


灌頂加行では

「孔雀明王の勤。」

と書かれて示されてはいるが、

孔雀明王の修法次第というのも

ほとんど伝えられてはいない・・


伽藍常備の次第書は

その殆どが

十八道だてで、、

奥書もなく、

おそらく近世のものであろうが

「練行」「供養」

には、

十八道立てが

最も相応しい


別行立てや、

ややこしい大法立て

むつかしそうな観想があって

見たこともない

秘印がある。

そんな、アクロバットで

飛んだり跳ねたりが

憧れであるようだが、、



「大師・明神の所作」

のごとく、

花一膳で、礼拝して

念誦百遍というのが

単なる、付け足しだとか

省略、簡略なのではないということ。


真言を唱えるということ自体が

既に、三密行なのだということ。









まさに、「近きを捨てて、

遠くを求む・・」



いや、

仏法は、

遥かにはあらず・・・


フフフ・・・

2011年10月19日水曜日

延命の法





三井英光老師の

「小作法集」に

延命の法があったと思う。






高野山の御影堂の隣には

准提堂があるが

高野山で得度するときは

むかしは

このお堂を使って

誰もが

得度したという


一説によれば

ひょっとしたら、、、

お大師様のご念持佛

だったのではないか・・?

という・・


聖宝尊師など

後世では

如意輪観音としたため

両壇参拝次第では

准提真言のあとに

如意輪も誦える


かつてご縁があって

准提堂をしばらく

拝ませていただいたことがあるが

隣のお堂からも

ご念持佛からも

お大師様を

強く感じたものだ。。。











招魂の法や

延命の法などが

真言密教には伝えられているが

付法伝などを読めば

金剛智三蔵や

不空三蔵が

皇帝の目の前で

「黄泉がえり」の秘術。

を使って、

実際に死人が

閻魔大王の元へ行き、

蘇生した話は事実であって

生々しい・・



ある大阿さまも

招魂法を使ったという話を

密かにしてくださった。



魂の世界を信じていない

おじゅっさんたちも

法事や、お葬式で

何やら作法をしているようだが、、、

いのちのせかいの不思議を

知らないようでは

効果は疑わしい・・・

2011年10月18日火曜日

今日は楽しいお祭りだ!






10人ほどの

老人たちが集まり、

軽トラに

御神輿と宮司さんが乗って

トントン、とんとん。



しずかに

村の中をめぐる・・







・・・・・・





明日は、

我が身か・・・?!


若い人たちは

関係ないから、、と思って

寄り付きもしない・・



今朝の新聞にも

掲載されていたが

「伝統文化にふれて

お百姓家さんに感謝して・・」

などと、

思い違い、

「月指の迷」・・・



イタダキマスは、

お父さん、お母さんに

まず感謝して、

食物の「いのち」を

いただくことを

感謝するのみ。


なぜに、、

農家のオジサンだけに

恩義を

思わされなければ

ならないのか!!?



そもそも、、

お宮のお掃除奉仕に

そんな連想は

どうもおかしい・・・





「お数珠を持つ意味」

が解らないという

最近の人たちでは

お祭りをしたり

お寺の大法事をする

という意味が

解らなければ

参加も、御布施も

しないというのだろう・・・


なかなか、

合理的なようだが、、

その意味が

理解できた

いまわのきわには

おじゅっさんも

お寺も

あみださんも

不可得の彼方・・・






「一切皆空」

を思い知ることであろう・・

2011年10月17日月曜日

誰にも知られず功を積め





「積善の家には必ず余慶あり」



福徳・智恵の二資糧を

積集することこそ

大乗の目的であるが、


「陰徳」を心がけ、

ほかから窺うことのできないよう

しなければならない



























「おじゅっさん、

今日のお経は、なんですか?!」




フフフ・・・


ひ・み・つ・・・

We are the 99%






「出家に家なし!!」



雨漏りのしない、

積水ハウスが欲しい

今日このごろですが・・


玄奘三蔵も

「積翠宮」という

りっぱなセキスイハウスに

お住まいだったようだ・・











ホームレスたちに

厳しい戒律を設けて

組織的に統率した

おしゃかさまは

貧困をなくし、

孤児たちを救い、

「富の再分配」を

完璧なまでに果たした。。


仏教に学べ!

仏教を学べ!

2011年10月16日日曜日

三十七尊住心城






「橋」を

ありがたいもの、と、

言う意味が

わからず、、



「野宿こそ、遍路修行の醍醐味」

などと、

お大師様を

こじき坊主に仕立てようと

よこしまな

たくらみをなす者たち・・・




「本覺讃」

をお唱えしたことが

ないようである・・・











奥の院の

御廟前の「無明の橋」


三十七枚の

橋板の裏には

金剛界三十七尊の

種子が刻まれている





「皈命本覺心法身 常住妙法心蓮台

本来具足三身徳 三十七尊住心城」


「普門塵数諸三昧 遠離因果法然具

無辺徳海本円満 還我頂禮心諸佛」









高野山では

奥の院の橋を

わたる前に

本覺讃の半句を

お唱えして拝んでから

三十七尊を超えて

渡ると

観想するのである。





どうやら、

ここでは

お大師さんは

野宿は

していなかったようである。。



フフフ・・・

迷故三界城、悟故十方空。






ご縁日です。

浴油供のお申し込みも

お待ちしています。






檀家の若いしが

「遍路は、自分のため。」と、

思い込んでいたのを

「人のためになりますよ。。」と、

教えてあげたら

早速、、

グッズを取り揃えて

回ることになり、


とりあえず、

お寺の方で

「お見立て」して

注文したグッズが来たので

「どうぞ。」と、

お寺で広げて「一つ一つ、

意味があるんですよ。」

などと、

説明していると、


ちょうど、

業者がやって来た。。



買い足しの注文やら、

「表装は、出来る?」

などと、

いろいろ聞くこともできた。。






・納経帳・掛け軸・白衣

の、3点セットに

「ご朱印」を

いただくというのが

基本であるが、、


最近では、ご朱印もいただかずに

観光がてら

八十八ケ所を回ったり、

キャンプ目的で回ったり、

あるいは、、

「こじき遍路」で

お接待をもらうこと目的

だけで、

回る人たちも

増殖中のようだ・・・



自分たちだけの

「イベント会場」だと

思い違いをして

「自称:修行者」だから、、

などと、

訳の分からん

自分勝手な宗教を

ガチガチにゴリ押しして

他の迷惑を

一切顧みない

「自称:お遍路さん」も

出現しているようだ・・・




金剛杖は、「お大師さん」

橋の上では

杖をついてはいけない。

お大師さんが野宿をしているから

などと、俗説を信じ込む人が

多いようだが、、


彼岸に渡してくれる

大切な「架け橋」を

棒で突いて歩く

などという

ばちあたりな仏教徒では、、

さとりも、彼岸も

あったものではない・・


「石橋を叩いて渡る」

ような、、

不信心では

仏教のおしえも

大師のおしえも

信用できないに違いない・・



白衣を着て

「死に体」で、

不惜身命の決意をもって

遍路を回らねばならない。。





遍路宿に着けば

杖は、「傘立て」に

挿したりはしない・・・


きちんと浄巾で拭いて

「床の間」に

「お大師さん」として

据えなければならない。。



道具一つ一つに

深い意味や

お作法しきたりがある。


「おじゅっさん、

車で回るから、

笠はかぶらなくて

いいですよね。。」






・・・・・・・







お大師さんに

「あたま」は

護ってもらわなくてもいいのか・・?






フフフ・・・

2011年10月15日土曜日

理趣経加行






あすは、ご縁日ですね。

だんだんと、

お堂に入りきらないほどの

お参りになってきているようですが、、

まだ、

どうにか、

若干の余裕は

ありそうです。


自動車でお越しの方は

事故に気を付けて

迷わないよう、

また、近隣の迷惑にならないよう

駐車してください。







先日、

仏具屋さんに

用事があり、

お店の人に

ほとけのおしえを説いて

法話をしていると、、


若い女性の方が

「理趣経」を

2冊、、

買い求めていた・・・


まあ、

よその商売を

邪魔するつもりもないので

黙って見ていたが、


仏具屋で売っている

おじゅっさん専用の

経本を

どう見ても

一般人らしい

怪しい雰囲気の人が

時々買い求めているようだ・・



以前、

「おじゅっさん、

真言宗ですが、

どのお経本が

一番いいですか?」

と、

尋ねられたので、


「もちろん、この、

中川善教先生の

常用諸経集が一番です!!」

と言って

おすすめしてあげた。。






中院流には

「理趣経加行」があり、

伝授、加行をしていないものは

「理趣経」は

見ても、読んでもならない。


四度加行を済ませて

諸尊法や、「理趣経法」を

近頃では

まず、学ぶようになっているが、

安流や、小野流では

秘法部になっていて

普通には

授けないことになっていたようだ。。


いまでは、

地方の行事や

自行などで

とりあえず、

「理趣経法」を修して、


とりあえず、

法事やお葬式で

理趣経をお誦えしているようだが、、


軽々しく

お唱えできるお経

ではないようである・・・




大般若経なども

会所を変え、

大自在天の王宮でも

説法されたという。。



神様たちの

不思議、不思議な

ありがたいお経。。



ありがたいと思って

勝手に、覗いて

勝手に見ていると

バチが当たるであろう・・・




フフフ・・・

2011年10月14日金曜日

初心忘るべからず






雨が降ってます・・・


年明けにある

「涅槃大法会」の

当番寺院になっているので

今から

ボツボツ準備に

入らなければならないが


お金も出さない

自称:だんかたちが、、


いろいろ好き勝手言って

自分たちの

好きなように

してやろうと・・・



それなりの収入になるのなら

まだしも、、、



お賽銭と

一枚500円の「水塔婆」・・・


「あがり」だけが

おじゅっさんの取り分。


しかし、

それ以上に

「おみやげ」を要求する

「お手伝いさん」たち・・











おじゅっさんの「お礼」も

無く、「お布施」も無い。



不可得なり

不可得なり。

不可得もまた

不可得なり・・・



おじゅっさんに

「極楽浄土へ導いてください」

と、言うものは全くいない。





おじゅっさんは

今日も、ただひたすら

お経の練習あるのみである・・・

2011年10月13日木曜日

箱傅








「箱伝授・はこでんじゅ」

というものがある。


最近の伝授会などでは

伝授内容というか、

詳細な講述、解説が

如何になされるかによって

大阿闍梨の品格が

評価されるようだ・・・




新安流では、

霊雲寺方では

浄厳和尚新撰の次第をもって

実際に伝授し、

古安流の聖教を「箱伝」

にするといい、


河内・延命寺方では

浄厳和尚新撰の次第を「箱伝」し、

古安をもって

伝授するという。。











逐一のくわしい講義解説こそが

「伝授」なのではなく

「箱」で

とりあえず

伝えるというのも

ありのようだ。。

本光寺・・・





お寺は、一体なんのためにあるのか・・


「お寺は、みんなのもの」

「お寺は、檀家のモノ」

などと、

平気で理屈のわからん

ことを言う輩が多いが、、


「お寺は」

「お寺のもの」であって

他の何物でもない・・


公園やコンビニのように

気軽に立ち寄れる・・

タムロする、たまり場にしたいのなら

「お寺」は必要ないし

お寺である必要もない・・


演劇をしたり、

集会をしたり、

演奏会をするなら

そういう専用の場所を

選んでするべきであろう・・












「なぜ、お寺なのか?」




それは、静寂を求める

道場であるからだ。

2011年10月12日水曜日

中院流の研究






1万2千円もする

超高額な書物である。


学生時代、

当初、震えながら

この専門書を

買い求めた・・・



当時も

学研の「赤本」並みの

怪しい手引書が

いくつもあった・・



最初にどの道を選び、

どの「扉」を開いて

どういう世界に

引き込まれていくかは

「天の導き」

なのか・・・?










第1章の序説や

「七 伝授の儀式」

などを読めば

密教の師資相承が

どのような順序で

どのような理念で

執り行われているか、


厳粛な師弟の

法の授受、継承が

いかなる手順を踏んで

正式に伝承されていくのか

書かれてある文章から

よくわかる。。



しかし、

この手引書を読んだからといって

これまた

知らぬ者たちが

「時刻表ヲタク」

のような

甘い妄想をして

喜んでいてはならない・・・


あくまで

実践者たちの

大切なバイブルである。。

聞く耳を持つ









おじゅっさんの教えは

ほとけのおしえ。

大師のおしえ。


聞く耳を持たねばならない。。




馬の耳に念仏。や


おじゅっさんのおしえを

あざ笑う者たち・・






法事の席で

四国遍路のお話。。



「秘密乗」で速く行くことを

お大師様が

「優れている」として

歩き遍路よりも

公共交通機関や

自動車、バイクで

回ることが

大師の意にかなっていること、


歩き遍路至上主義には

意味がないこと、、


特に、自分中心に考えて

自分のための

スタンプラリーだと

誤解していたようだが


布施の行や

お賽銭の仕方。

お参りには

「朱印帳・軸・経帷子」

の、3点セットが

必要なこと、、など、、


両親、先祖のために

遍路を回ることができる。

という教えは

初めて聞く教えだったようで

非常に驚いていた・・・


早速、、

「お遍路セット」を

注文して

すぐにでも回ります。とのこと。


どうやら、

発心して、

はまりこんでしまった様子だ・・・




新たにまた、

「ほとけのみち」に

引き込んでしまった・・・



フフフ。。。

2011年10月11日火曜日

ラブ注入!





「蘿蔔」・・

野菜が高騰しています・・



まあ、

お供え物は

けちっては

いけないのだが、、、



あまりの高騰ぶりと

綺麗な

ものがなく

高温障害で

萎びた大根ばかりだ・・


辛味大根は

痛風に良いのだとか・・


連休で、

「法事定食」の続いた体に

見ているだけで

効き目がありそうな

ありがたい

お供えである・・

2011年10月10日月曜日

消防署の方から来ました!







どこからやって来たのか、

どこへ行くのか、

「不東」(ヒガシにあらず)

と答えても

実は、、

東からやって来たのかもしれない・・






愛染明王の

不思議な「手」・・





大黒天のトンカチは

「のらくら者の頭打つ鎚」

だそうだが、、



あの、

振りかざした

「パンチ」が

果たして

誰の頭をコツンとするのか・・・?


あの、

あみださんの

振りかざした

「ひらて」から

痛そうな、音なき音を、

察知する者はいないか??





「彼法」を修する者は

何を修法しているか

露顕にしてはならないという・・





「カレ」って、だれやねん?!




ニヤニヤしながら

手を振りかざしている・・・




フフフ・・・

ラガー





三宝院流などには

秘伝、口伝を

「小印信」として

こ渡しにして

授けたりするが、


近来の伝授では

まとめて

ひと包にして

授けてくれるので

まとまっていて

便利である。。










「ラガ」は

五重(5段階)の秘伝があって

最後の秘伝は

これまた別紙になっている


「次第」の本文中に

こういった

口伝を挿入して

レベルを深めていくのだが

実に、巧妙に

出来ている。。


段階を踏んでいないものには

最後の秘伝の一紙は

授けられず、、

「秘中の秘」で

厳重に秘密にくるまれて

露顕にして

見ただけでわかるような仕組みには

なってはいない・・・







学研の「赤本」を

とりあえず、

読んだくらいで

修法の真似事をしてみたり、、

素人同士で

「秘事」について

談笑してみたりしても

決して理解できるような世界ではない・・



「天の意思」に

反するならば、、

「天の御加護」も

当然ながら、

ありはしない・・・



「天の神々の加護」を

祈るべきものが

その道を

違えてはならないのは

当然のことである。

2011年10月9日日曜日

無染無着真理趣






「般若を行ずるのは即ち

不行であり、

かの菩提を得るのは

即ち無得であるという

ことを知った」・・

玄奘法師の教えを聞いて

了解した人たちのことば。。













「おがむ」とか

「いのる」ということは

分かったようでいて

訳の分からないことが多い・・



おがめ!おがめ!、、

ただひたすら拝め!!


と、言われても・・

その行軌を知らなければ

ひたすら

訳の分からんことを

するだけでしかない・・


たとえ

その行軌を

知識として知っていても

「行き先」を

教えてもらわなければ

ただ、

迷いの世界を

グルグルと

回るだけである・・




ガテガテパラガテ、、

ガテガテパラガテ、、

ガテガテパラガテ、、


「為せば成る」とて、

有為の世界に執して

「不行、無得」の

おしえを聞く耳はない・・



「ああ、わかってますよ。」


なんて、

分かったようなことを

言っているうちは

本当は分かっていない・・・



泥んこ、ドロドロ

泥まみれで

はしゃいでいるが


「無染無着」

のおしえは

了解していないようだ・・

2011年10月8日土曜日

子に黄金満えいをのこさんよりは






「諺に曰く、

子に黄金満籝(えい)をのこさんよりは

子に一経を教えんには如じ」


浄厳和尚は

この一冊を

残して、

教えられたようですが、、


重要なことを

承け伝えていくことは

大切なことです。





黄金も

欲しいね。。

ギャラ





お寺の鴨居に

「扁額」がかかる。


いろいろ高僧が

揮毫した

立派なものが

コレクションされている。。


時々、

「ギャラ」と、

梵書したものがある。


梵字は普通、

ローマ字と同じで

左から右へと読む。。


でも、

漢字と同じ

右から左へ

書いたものもある。


「ギャラ」と

つい読んでしまいそうになるが、、

「ラギャ」である。





新安流の聖教集の中に

「ラギャ・最深秘口訣(大次第に就く)」

があったが、、

果たして、

中院流の口訣なのか・・?


実に不思議である・・




「秘伝」を知ろうとする

飽くなき追求・・



師資相承の

秘密の伝承。。。



伝授の規範を超えて

授けられざるものを拝み

法規を乱して

聖を禮そうとして

其処に満足を覚えているようでは


出家得道の本懐は

ついに遂げられる

ことはないだろう・・・

2011年10月7日金曜日

禅を学ぶ





アップルの大将も

禅を学んだのだという・・・


ガイジンさんは

禅zenが

お好きなようだ・・







そういえば、

かつて高野山で

住山修学の折に

禅も学んだ。。












っていうか、

「お前も、

座禅同好会、

はいってんねんやで!」


ってか、

知らん間に

メンバーだったようです・・・







「あぁ、坐禅ですかぁ~、、

かつて、学びました。」


フフフ・・・

2011年10月6日木曜日

図解







『陳氏太極拳図解』

むかし、台湾へ

武者修行で、、




「無上瑜伽灌頂」を

受法しに行った時のこと


本屋さんで

仏教書を

あさっていると、、


なぜだか、

そのコーナーに

置いてあった・・・






なるほど、

こういうジャンルな

わけか・・